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【外伝】夜間独行

 (あめ)を切ったような鋭い切り口を残し、松明の先端が草むらに弾んだ。


 灯りが落下するまでのわずかの間に『松本』は照明範囲を一瞬ふり返り、逃走経路を頭に叩き込もうと試みる。


 交戦中に敵から目を離すのは致命的なミスだったが、偶然にも奇跡が生まれた。


 【スカルマンティス】のカマが、狙っていた松本の目と肩のラインから外れ、耳たぶを切り裂きつつ流れていったからだ。


『反撃、もらった!!』


 刀身の長い腕を大振りした蟷螂(カマキリ)がバランスを立て直す(すき)をみせた時。頭蓋骨からはみ出した玉虫色の複眼を、木の槍で潰す絶好のチャンスが訪れた。


『……………………!!』


 けれども松本の思考は凍結したように肉体の処理を遅らせ、スカルマンティスはそれまでより一段素早いスウェイで後ろへ回避した。


『加速した!?それともボクが減速したのか?』


 違和感を覚えた彼は瞬時に、撃退から逃走へ方針をきりかえ、全速力で戦域離脱を開始した。


 虫メガネなどいらない巨体ではなく、何か『特殊な能力』こそが大カマキリの強みなのだろうと直感したからだ。



 消え残った松明がわずかに照らす雑木林を走りぬけながら、松本は自らの選択を省みる。


『単独行動じゃ、松明のバックアップもままならない』


 今さら気づいても。

 引き返す道はすでに、闇に覆われていた。



 * * *



「このキャンプに残るほうが安全だ。それでも、どうしても出てゆきたいなら明日の朝でもいいんじゃないのか?」


 太細さまざまな枝を組み合わせた『簡易ウッド・シェルター』から身を乗り出し、焚き火に枝を放りながら、出杉君はボクを引き止めた。


「そうだよー。出杉クンの言うとおりにした方が、絶対いいよー」


 たしかに出杉君の言うとおりだと一度は思ったのだが。何も考えずに彼に同調する吉田さんの薄っぺらい言動が、かえってボクの決断を後押ししてくれたように思えたのだ。


 けれども。彼女に対する一瞬の感情を都合よく引用し、『この決断は間違っていない』と自己援護してしまったボクのほうこそ薄っぺらく、思考停止に陥っていたのかも知れない。




 北の外れにある扇状の岩地に構えられたキャンプには、出杉君と吉田さん、そして驚いたことに林君が陣を張っていた。


 陣地の本丸(女子の寝室・兼・アイテム倉庫)が、ログイン部屋で林君が選んだ【テント】なのだと分かり、ボクは再び驚かされた。


 あのシッチャカメッチャカな状態で、テントを選ぶような瞬発力のあるキャラだったのか、と。


 ただ……


 普段から出杉君の取り巻きポジションで金魚のフンをしている吉田さんが、チャンスとばかりに彼の背に張り付くのはわかる。


 しかし、普段は出杉君とあいさつも交わさない林君が、『出杉キャンプ』の『防衛隊長』としてイキイキと出杉君のアイディアを形にしてゆく姿に。


 ……ボクは違和感を覚えてしまったのだ。



 出杉君が考え、林君らが形にする役割分担は思った以上に機能していたようで、ナタや弓のほか手製の武器・道具も色々そろいつつあった。


 釣ったモンスターを包囲して各個撃破し、Wポイントも(強撃で致命打を与えられる出杉君ほどではないにせよ)順調に溜まっていく。


 蜘蛛や蟷螂との戦闘後には、ベリーやシトラス系の果物で飢えと乾きも満たせる。


 ……けれどもボクは。



 自分で考え、自分で決断し、行動したかった。



 たとえ孤独になったとしても。

 一国一城の主でありたかった。




 火のそばで乾かしていた泥製の皿が一枚、断裂音を響かせて割れた。


 それが合図であるかのように、ボクの決意は固まった。


 サバイバル・ナイフで木の槍を削り終え、焚き火から立ち上がると、出杉君は仕方なさそうに弓矢と松明、リュックやバナナなど沢山のアイテムをくれた。



「やっぱりキツイと思ったら、いつでも帰ってきていいんだからな」


「ありがとう……この恩はいつか必ず返すよ」


 出発の決意が、焚き火に煽られ揺らめいた。


 目をキラキラさせた吉田さんが、頼りがいのある出杉君の背を見つめていなかったら、もしかしたらキャンプに留まっていたかも知れない。


 バチバチと鱗粉の火花を散らして焚き火へ飛び込む【ベリーモス】を叩きながら、林君はタオル(小)を餞別にくれた。


 それでもボクは走り始めたのだし、今や引き返す道もない。



 * * *



 松本は息を整えながら闇の深淵に目を凝らしたが、もはやスカルマンティスの姿は見えなかった。


 振り向きざまに気配を感じ、月明かりをよぎる影へ闇雲に槍を突き出すと。皮を貫き肉へめりこむ感触が生々しく両手に伝わった。


 とたんに猿の形をした光が弾けとび、雑木林をほのかに青く照らす。


『見えた!…………が、見られたか』


 闇の奥から追いかけてくる殺気を感じた松本は、遠くで()()()()()()()()()()へ向けて逃走を再開した。



 アレルギー物質を含む虫か植物に触れたのだろう。汗を(ぬぐ)った額や首筋に猛烈なかゆみが浮き上がっていた。


 林に贈られたタオルであちこちを擦りながら、松本は拭いきれない焦燥感に(あらが)った。


 樹皮と小枝で頬に傷を刻みながら駆け抜けた先には、『湖』が広がっていた。




 松本は、曇りのない月明かりに狂喜乱舞した。


「うはっ、最高だな!」


 現実世界ではありえない感情に腰を抜かしながら、半身を水に浸して浴びた。


 水泳部に所属する彼は、汗と疲労と焦燥を洗い流す水の心地よさに、ますます狂喜乱舞した。水とはこんなに気持ちの良いものだったのか、と。



 体を浸した水を勢いよく飲むありえなさを自分自身で笑ったあとで、松本は息を飲んだ。冷静を取り戻した彼は、切られた痛みでジンジンする耳を懸命に澄ませた。


 カサカサと熱帯植物を掻き分ける多脚昆虫の足音が、闇の中を迫ってきている。それも一匹や二匹ではない。


 砂浜沿いに逃げるため陸へ上がった松本は、さらなる戦慄に襲われた。


『――サソリ??いったい何匹いるんだ!?』


 見渡すと砂浜のいたるところに、月明かりを浴びる【甲殻生物(スコーペジュブナイル)】の蠢きが満ちていた。


 しかし松本は、絶望と幸運と希望を同時に味わいながら、制服を脱ぎインベントリへ収納した。


 浜辺は塞がれていたが、密林からの出鼻を襲われなかったのは運が良かった。


 なぜなら水泳部員である彼には、湖を有利な逃走ルートとして選べるからだ。


 手荷物をリュックごとインベントリに放り込み、ボクサー・パンツ一丁になった松本は、ナイフのように湖へ滑り込んだ。



 水の中は静かだった。

 水面をくぐり抜けた月光が、浅い湖底に五線譜を描くほど、クリアだった。


『ゴーグルなしでも先まで見えるな』


 現実へ戻ったら、同じくらい静かな海でナイトダイビングをしよう、と松本は心に決めた。


 呼吸のために湖面から顔を出すと、南東の岸辺に揺らめく明かりが見えた。次の呼吸で真っ直ぐに見定めた彼は『誰かが焚き火をしているのだ』と確信した。


 もちろん距離的には、何の問題もない。



 潜水した松本は、正面から鏡合わせのように平泳ぎで向かってくる影を捉えた。


『カエル型モンスターか……』


 コポッ

 相対速度を下げるため、できることなら足場を確保するために舵を岸側へきった彼は、岸辺の湖の底に幾つもの影が蠢いているのを見つけ、思わず息を漏らしてしまった。


甲殻生物(あいつら)……ただのサソリじゃなく、水サソリだったのか!?』


 さらに加えて、彼の希望に追撃をもくろむ影が上空をよぎった。


『カマキリが湖上を飛んでる!?テリトリー外に出れば、リポップして消える仕様じゃないのか』



 三種のモンスターの中では水サソリが一番遅いと踏んだが、接敵せずに岸へたどり着けるほどの時間的余裕を【ヤミガエル】は与えてはくれなかった。


 足を掴んでくるヌメヌメした吸盤の手を、苦し紛れに掴んだ湖底の岩石で潰し、松本は息を整え直す。


 ぷはっ

 絶妙なタイミングで頭を刈りにくるスカルマンティスの手刀を、すんでの所でかわして再び水に潜る。


 すでに逃げへ転じたヤミガエルは10mほど沖を遠ざかっていたが。ホッとする間もなく手足を鷲づかみにされ、松本は抗いえない力で水から宙へ引き上げられた。



 ……………………



 放り投げられた岸辺にはカエルはおろか、サソリの姿もカマキリの姿もなかった。


 ただ、起きぬけのような目をした金色のライオンが一匹、月をも覆い隠すほどの羽をたたんで彼を見つめていた。


 ……今度こそ、さすがに無理だ。


 松本は『直感的』に、終わりを悟った。



 滴る湖水とともにボロボロと大粒の涙をこぼす彼へ、【キマイラ】は告げた。


『汝は今、抽象の世界にいる。しからば理性の言葉によりて我が問いに答えよ――』


 ライオンが喋っていることに、松本は驚いてはいなかった。そんなものはゲームの中で何度も体験していたから。


 けれども。蓄積した疲労とストレスは、松本の思考をすでに停滞させはじめていた。 


『――さもなくば、我は汝を一口で召そう』



 意味がわからない……理不尽だよ、こんなの……


『我、汝に問う。夜は0本足、朝は4本足、昼は――



 松本は口を結んで目を閉じ、もはやキマイラの言葉を聞いてはいなかった。


 ……いまさら何をした所で無駄。

 ……もう、ゲームオーバー・ノーコンティニューでいいや。


 自分で考え・決断し・行動したいという願いとは裏腹に。


 圧倒的な恐怖は松本の思考を完全に停止させ、闇に溺れる彼の息の根を止めた。

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