それぞれの戦後
次回、最終回。
今回は一人称視点です。
20XX年 4月25日 18:00
私はネクタイをもう一度締め直し、
たくさんの光が待ち受ける壇上へと
歩みを進めた。
100台近いカメラが私を一斉にフォーカスする。
それはまるで、1億2000万人の国民が
私に軽蔑と憎悪の視線を送っているかのようだった。
あの情報が私の元に入ったのは
今日の昼前。
米軍の無人偵察機からの映像には
不鮮明だが、
確かに左舷から大火災を起こす北洋艦隊旗艦の
姿があった。
総員退去の命令が下ったのだろう。
黒い粒のように小さな中国兵が
次々と海に飛び込んでいく。
次の瞬間、
広東は左側に転覆し、多数の中国兵を
巻き込みながら沈没した。
映像はそこで途切れた。
旗艦であり、制空権確保に絶対必要な
空母を失った中国軍は、尖閣諸島、
与那国島から撤退を開始。
1時間前には与那国島全島民の安全が
確認された。
私たちは迷った。
たいほうのことを公表すべきかどうかを。
当然、閣僚たちや官僚たちは大反対した。
公表すればスキャンダルじゃ済まない。
日本国憲法を無視した、大事件になる。
日本の政治にも相当な混乱が生じることが
予想された。
2時間の閣議の末、私はすべてを
国民に知らせることを決断した。
もしここでまた政府が都合の悪いことを隠蔽したら
日本はいつまでも隠蔽国家だ。
今、この状況だからこそ、すべてを公表し、
日本という国家を根本から変える必要があると思った。
そしてなにより、命と引き換えに日本を
守ったたいほうの乗組員たちに
あまりに申し訳ないと感じたのである。
私は閣僚に総辞職の意向を伝えた。
反対する人間はいなかった。
まだ20代の青年たちの無念を、彼らも
受け入れてくれたようだ。
戦後最悪の総理
日本国憲法を破壊
こんな見出しが明日の朝刊の一面を飾るのだろう。
それでもかまわない。
それが散っていった彼らに対する
せめてもの贖罪になるのなら…
・・・・・・
俺は帝国新聞で15年、政治部の記者を
勤めてきたが、この日ほど人生で驚いた日は
後にも先にもないと思う。
隠蔽体質の日本政府が、
身寄りのない青年たちを防衛省の特殊部隊に
見返りと引き換えに編入し、
危険な任務に就かせていたこと、
国民に内緒で原子力潜水艦を建造していたことを
すべて認め、謝罪したのだ。
総理官邸の記者会見場はまだ
熱がおさまならい状況だ。
「総理!それは基本的人権の略奪ではありませんか!?」
「国民に内緒で核兵器など言語道断だ!
国民主権の侵害、日本国に対する冒涜だ!」
他社の記者たちが低俗な質問を
浴びせている。
総理はただ頭を下げ続けている。
この総理のしたことは許されることではない。
一歩間違えば大惨事になり、日本の滅亡も
ありえたほどの事態だ。
ただ、俺は彼を責める気にはならなかった。
俺は、今日は日本の独立記念日だと思った。
日本の政治は大きく変わるだろう。
戦争を知らず、理想を追い求めてきた日本国民は
もう一度、戦争や国防の意味を考えるだろう。
もう戦後は終わった。
日本は勝ったのだ。
12倍の人口と10倍の軍事力を持つ国に。
これから日本は戦勝国として
新たな一歩を踏み出す。
俺は歴史的瞬間を納めるべく、
一眼レフのシャッターを切った。
そして静かに会場を後にした。