32.実りの秋
日本から帰国して一か月が過ぎ、チェスナッツ・ヒルの公園の中は裸の木々が
目立つようになった。風に舞い落ちる葉が地面をオレンジ色に覆い尽くす。
積もった落ち葉をかき集め、子供たちがカサカサと音を立てながら雪合戦ならぬ
落ち葉合戦に興じている。
二人はそんな典型的なニューイングランド地方の晩秋の風景の中、ノーラを連れ
散策していた。池の傍にある大きな落葉樹の前まで来ると莉江が急に立ち止まり、
くすっと笑った。
「どうかした?」
(ここなの、美希ちゃんとはじめて出会ったの…)
今はすっかり葉を落としたハナミズキの枝に風船が絡まり泣きべそをかいて
いた愛らしい顔が浮かぶ。
「美希ちゃんって、莉江のお父さんの従妹の息子の、子供っていう?」
(うん)
「君とその子の関係って、いったいなんて呼ぶんだろうな…」
(さあ、私にもよくわかんないけど、おなじDNAを共有していることはだけは
間違えないみたい)
ハナミズキを見上げる莉江の口元が綻ぶ。
横浜での美希との偶然の再会は、今度の旅で少し感傷的になっていた彼女の
心を明るく和ませてくれた。遠縁にあたる木戸家の人々、とりわけ同じ障害
を持つ美希の存在は、唯一の肉親だった父を亡くし自分の血を分けた二つの
命を立て続けに失った莉江に、血の繋がりとか家族の絆みたいなものを
感じさせた。
「よかったな、莉江…」
(?)
「…親戚があることがわかってさ」
さりげなく言う健介の表情はどこか淋し気だった。
実の両親の顔すら知らない彼には血の繋がりのある家族はいない。
(ケン、いっぱい家族つくろうね。野球の、ううん、サッカーのチームが
作れるくらいの大家族!)
「11人か… じゃあ、今夜からさっそく頑張らないと間に合わないな」
(そうね、急がないとお父さんじゃなくて、お爺ちゃんの年になっちゃう
ものね!)
「こいつ、言ったなあー!」
ぺろりと舌を出す莉江を羽交い絞めにする格好をした。
(ケン…)
「ん?…」
(心配かけてごめんなさい。でも、私もう大丈夫だから… めぐみさんの分まで
あなたの赤ちゃんたくさん生んで、純の分まで幸せな家庭つくりたいの)
幾多の悲しみを乗り越え、健介との愛に生きる決意を新たにした莉江の顔は、
頭上に広がる秋空のように晴れ晴れと澄み切っていた。
* * * * * * *
「よほど疲れていたのね、ベッドに入るとすぐに眠ってしまったわ」
「お母さんもお疲れでしょ? 今日は一日中、子守をさせてしまって…」
「わたくしは大丈夫よ、可愛い孫ですもの。それより、あちらとの話し合いは
うまくいったの?」
「ええ…」
崇之は静かに頷いた。
麗子はあれ以来ずっと実家に戻ったままだった。彼女の両親から弁護士を通し
木戸家に離婚の打診があった。崇之は妻の意向を確認するため松宮家を訪ねて
いた。
「麗子も離婚を望んでいるようなので、これからの事はすべて双方の弁護士に
任せることにしました」
「そう、やはり離婚になるのね…」
「すみません、いろいろと心配をかけて」
「いいえ、謝らなくてはいけないのは、わたくしの方よ…」
頭を下げる息子に向かって雅子は大きく首を左右に振った。
「不本意な結婚を強いた結果、あなたや美希に辛い思いをさせてしまって…」
雅子はふーと息を洩らした。
「今日ね、青山の『こどもの城』の中にあるレストランで食事をていると、偶々
隣のテーブルに若い母娘連れが座ったの。二人の様子を羨ましそうにじっと見て
いた美希が、(おねえちゃま、どうしてるかな)って淋しそうな目をして…
きっと、横浜でのことを思い出したのね。あなたと莉江さんの間で楽しそうに
食事をする美希の姿、あんなに嬉しそうなあの子の笑顔見るの初めてだったわ。
可哀想に、今までずっと母親不在の生活に耐えていたのね…」
あの夜の食事風景を思い起こすように雅子は宙を仰いだ。
横浜のレストランでのシーンが崇之の脳裏にも甦って来る。
間近で見る芹澤莉江は驚くほど亜希に似ていた。彼女にぴったりと寄り添い、
まるで母親に甘えるような仕草をする美希、それに優しく応じる莉江、そんな
二人の様子を温かい眼差しで見守る雅子・・・
崇之は何かとても不思議な光景を見ているような気がした。
「あの夜ね、ふと思ったの。もしあの時、あなたと 〝あの方” を一緒に
させてあげていれば、今ごろはきっと…」
雅子は声を詰まらせた。
「…許してね、崇之さん。わたくしは本当にひどい母親でした」
「お母さん…」
深くうな垂れ涙する母の姿に熱いものがこみ上げてきた。
あの夜の光景の中に、雅子もまた『家』という柵の中で、愛する人
を諦めざるを得なかった若き日の自らの姿を見ていたのだろう。
母に対する反発、恨み、すべての蟠りが自分の中で完全に消滅して
いくのを崇之はこの時、はっきりと感じた。




