28.湘南の海(1)
箱根の温泉に一泊し関東の紅葉の名所を満喫した二人は、週末で賑わう横浜の
ホテルにチェックインした。
道路一つ隔てて山下公園を臨むこのホテルは、かのマッカーサー元帥が執務室
として使用した部屋が残る日本でも有数の老舗ホテルである。開業八十年以上
の歴史を誇る本館には、新港地区に建設された今風の高層ホテルにはない重厚
な趣がある。ここは幼い健介が有賀の両親に連れられよく食事に来たホテル
でもあった。
「莉江、俺さ、君に誤らなくちゃいけない…」
(?…)
食後の珈琲を啜りながら健介は静かに切り出した。
「…純一君の墓前に一緒に行こうなんてデリカシーのないこと言ってしまって。
もう少し君の気持ちを考えるべきだった」
京都を離れてからの莉江の顔に時おり翳りの色が浮かぶのがずっと気にかかって
いた。彼女の心を癒すために計画した旅が感傷旅行になりかねない。
(そんなこと気にしないで。あの時、私ちょっとセンチになっただけだから。
それにしても、ここの夜景すごーいねぇ)
話題を変えるように莉江は窓の外に目を遣った。
新館タワーの五階にあるこのフレンチ・レストランからは横浜港の夜景が一望
できる。
(明日はあなたが育ったこの街をじっくり案内してくれるんでしょ。外人墓地や
港の見える公園、それに山手カトリック教会に行くのとっても楽しみ!)
健介の心配を払拭させるように明るく振る舞った。
「ドーんと任せとけ、あの辺は俺の庭みたいなもんさ。午後からはレンタカーで
湘南の海をぶっ飛ばすとするか、爽快だぞー」
胸を叩いた健介の顔が明るく輝く。
少年時代、養父母の愛情に包まれて暮らしたこの横浜の街が彼は好きだった。
翌日は澄み切った青空に鱗雲が浮かぶ典型的な秋日和となった。
清々しい秋空の下、二人は健介の育った山手へと向かった。
山下町のホテルを出て中村川に架かるフランス橋を渡り坂道を登って行くと、
横浜の観光スポット、港の見える丘公園が姿を現した。
(うわっ、ほんとに 〝ミナトヨコハマ” が、ぜーんぶ見渡せる!)
眼下に広がる眺望に莉江は気持ちよさそうに深呼吸をした。
展望台からはその名の通り山下公園に係留する氷川丸やベイブリッジ、倉庫や
コンテナが並ぶ本牧埠頭など横浜港の景色が一望できる。
「あそこが俺の通った学校なんだ」
公園を出て外人墓地へ向かう途中、健介は急に立ち止まった。
指差す先に彼が幼稚園から三年生まで通ったインターナショナル・スクールが
ある。当時を懐かしむように健介は暫くじっと校舎を眺めていた。
ペリー提督の部下の埋葬が始まりとされる外人墓地の辺りは、十字架やマリア像
などの墓標が並ぶ墓地と、周辺の景観が相まって異国情緒が漂う。
莉江はふと、純一と行った神戸の北野異人館の光景を思い出した。
「莉江、あれが山手カトリック教会だよ」
山手通りを下って行くとライトグリーンの尖がり屋根の教会が見えてきた。
この教会は1862年にパリの外国宣教会が遺留地に建てた横浜天主堂が前身に
なっていて、鐘や庭の聖母像は当時フランスから寄贈されたものがそのまま
残っている。尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔のある典型的なゴシック様式の
教会は日本一美しい聖堂を持つと言われている。
聖堂の入り口に置かれた聖水で十字を切り側廊で片膝をつき祭壇に向かって
一礼すると、莉江は静かに席に着いた。そしてテーブルに両肘を立て跪き
祈りを捧げた。カトリックの作法に則ったその一連の所作はどこか荘厳で
美しく、健介の目に新鮮に映った。
長い祈りを終えると、莉江は主祭壇の横のルルドのマリア像のある左脇祭壇に
目を遣った。そこにはポルトガル出身のドミンクスの日本人妻イザベルと息子
イグナシオの像がある。
愁いに満ちた眼差しで母子像をじっと見つめる莉江の瞳が潤み、頬に幾筋もの
涙が伝わる・・・
カトリックでは堕胎は大罪である。
歴代の教皇が胎児は受精卵の時から人間として絶対に尊重されるべき存在である
という見解を繰り返し表明、妊娠中のいかなる時の中絶も罪であるとし人口中絶
に断固反対の立場を取っている。
安易な人工中絶は別として、レイプによる妊娠や母体の生命を優先させる場合の
中絶まで否認するのは健介には理解しがたい事だった。
だが、自らの問題として直面し一つの命を人工的に抹殺するか否かの究極の選択
を迫られた時の心の葛藤は、筆舌に尽くし難いものがある。宗教を持たない健介
でさえも罪の意識に苛まれた。ましてや敬虔なカトリック教徒の莉江には想像を
絶するような精神的苦悩があったに違いない。
母子像を前に流す涙は、あの時の苦渋の決断が今もなお彼女の心に重く圧し
掛かっていることを物語っている。
健介は莉江の体を引き寄せ頬に伝わる涙をそっと拭った。




