27.古都の秋(2)
「ではこれより、〝お多福さん” お薦めの紅葉スポット、常寂光寺に
〝別嬪さん” の奥さんをご案内しま~す!」
嵯峨嵐山の駅を降りると健介はお道化た調子で言った。
嵐山のもみじの名所として名高い常寂光寺は、百人一首で知られる小倉山の
中腹にある日蓮宗のお寺である。仁王門から本堂まで続く楓の木が立ち並ぶ
紅葉のトンネルを潜り石段を上ると、眼下に嵯峨野の風景が一望できる。
伏見城の客殿を移築した本堂の後ろには均整の取れた華麗な桃山様式の重文の
多宝塔が聳える。元は藤原定家の山荘だった境内に入ると、いにしえ人たちが
優雅に和歌を詠んだ万葉の昔にタイムスリップしたように、時間がゆったりと
流れている。
「俺は、日本人の血の方が濃いのかなあ? パノラマティックな派手な紅葉
より、こういう侘び寂び系の方が遺伝子や脳細胞を刺激して、なんかこう、
妙に落ち着くんだよな…」
(お顔とはえらくミスマッチなお言葉だこと!)
地面に落ちたモミジを手に取りしみじみと語る様子に莉江は昨日の仲居の言葉を
投げかけた。
「ファーストフード大好きの京人形には言われたくないよな~」
健介も負けじと言い返した。
(それにしても、ほんとに綺麗ねぇ… いっしょについて来てよかった)
健介の腕を掴みそっと寄り添った。
「東京に戻るのもう一日延ばしてもいいんだよ」
(……)
「お父さんの従妹とかいう人に芦屋の家に招待されたんだろ?」
(うん… でも、もういいの。父が亡くなったのに今更、親戚付き合いとかも
煩わしいし…)
「それもそうだな」
雅子は別れ際、ぜひ訪ねて来てほしいと六麓荘の住所を莉江に渡した。
父の生家、小学生の莉江が祖母と過ごした芹澤の家は今では冬梧の父方の
従兄が相続している。
「実は、京都を離れる前にどうしても訪ねておきたい場所があるんだ…」
健介は神妙な顔つきで切り出した。
「…君とのこと、純一君の墓前にちゃんと報告しようと思う」
ボストンを発つ前に直美から聞いておいた仁科家の墓地はここからそう遠く
なかった。
翌朝、嵐山の宿をチェックアウトした二人は京都駅へ向かう途中、純一が生まれ
育った高槻で下車した。高槻は大阪の北部、ちょうど大阪と京都の中間に位置し
両市のベッドタウンとして発展した中核市である。
駅に降り立った莉江はふーと小さな息を吐いた。
純一の生家、ちょうど一年前両親への結婚の報告のため訪れた仁科家はここから
徒歩で行ける距離にある。改札を出ると見覚えのある街の風景が眼に飛び込んで
きた。純一と二人で行った駅前のデパート、銀行、スターバックス、パン屋さん
何もかもがあの日のまま。あの時の純一の笑顔、交わした会話が昨日のことの
ように脳裏に甦ってくる・・・
あれから僅か一年、健介と並んで墓前に立つことなどやはりできそうにもない。
(悪いけど、私、やっぱり行けない…)
タクシー乗り場まで来ると莉江は急に立ち止まった。
「わかった… でもせっかくここまで来たんだ、俺だけでも行って来るよ。
君は先に京都駅へ行って待ってて」
莉江の心情を察した健介はそう言い残すと一人で純一の眠る霊園へと向かった。
* * * * * * *
(パパ!パパっ!)
下りの新幹線『ひかり』が京都駅に停車すると、窓際に座る美希が崇之の肩を
揺さぶり必死で何かを伝えようとした。
(どうしたんだ、美希?)
(見て、見てパパ! あの時の、おねえちゃま!)
興奮気味に小さな手を動かし反対側の上りのホームを指差した。
ちょうどその時『のぞみ』が二つのホームの間を通過し父娘の視線は遮られた。
美希は窓にピッタリと額をくっつけもどかしそうに『のぞみ』の通過を見つめて
いたが、二人を乗せた『ひかり』はすでにゆっくりとホームを滑り出していた。
(あーあ…)
がっかりした表情を浮かべ小さな身体を座席に沈めた。
(美希の見間違いじゃないのか? きっとよく似た人だったんだよ)
父親の言葉に激しく首を左右に振ると美希は半べそ状態になった。
チェスナッツ・ヒルの公園で迷子になった時自分を助けてくれた、あの優しい
〝おねえちゃま” のことがどうしても忘れられないらしい。
手話を学ぼうとしない麗子は母娘の意思の疎通をはかることができない
ばかりか、我が子を避け無視する『二グレクト』のような状態にある。
人一倍感受性が強く利発な美希は、そんな母親の態度が自分の聴覚障害に起因
していることを感じ取っている。
母の愛情を知らずに育つ我が子が不憫でならない崇之は、できる限り娘との
時間を持つようにしている。あの日もヨーロッパ旅行の帰途、久しぶりに旧友の
アレックスを訪ねた帰りだった。帰国してからもあの時の事を話す美希の瞳は
きらきらと輝く。父親とはじめて行ったヨーロッパよりも、帰りに立ち寄った
フロリダのディズニー・ワールドよりも、同じ障害を持つ優しいおねえちゃま
との出逢いが美希の幼い心に深い印象を残した。
* * * * * * *
シートに凭れた莉江は虚ろな瞳で車窓の景色を眺めていた。
京都駅の構内を出た東京行きの『ひかり』はぐんぐんスピードを加速する。
窓の外に田園風景が広がり再び高槻の市街地を通過した。
莉江はたまらず目を閉じた。
『次の里帰りには可愛らしい孫、連れて来てな…』
身障者の息子の結婚相手を暖かく迎えてくれた純一の両親の姿が、暗闇に中に
くっきりと浮かぶ。修二の温和な人懐っこい顔が、幸子の明るく陽気な笑顔が
今でもはっきりと瞼の裏に焼き付いている。あんな優しい人たちに自分が齎した
物は可愛い孫の誕生という喜びではなく、最愛の息子の死という残酷な悲しみ
だった。
喪に服するための修道院生活を捨て、生身の女として生きる道を選んだ結果、
堕胎という大罪を犯してしまった・・・
莉江の胸の奥で燻り続けている罪悪感が再燃し、癒されかけていた心の傷が
再びその傷口を広げ激しく疼きはじめた。




