26.古都の秋(1)
「莉江、見てごらん、きれいだぞ!」
(ほんと、すてき!)
窓の外に広がる光景に二人は目を瞠った。
ライトアップされた二条城の幻想的な姿が闇の中にくっきりと浮かび上がる。
二条城は徳川家康が上洛の際の宿所として建てた城で、戦国時代の天守閣の
聳える典型的な日本の城のイメージとは異なった趣がある。
「四百年前のいにしえ人たちもびっくりだろうな。こんな風にホテルの窓から
覗かれてさ…」
健介は可笑しそうに笑った。
「あ、もうこんな時間か… 疲れたろ?」
ボストン時間のままの腕時計に目を遣った。
今朝、成田に到着し東京駅から新幹線で夕方京都に着いた。ローガンを発って
から丸一日がかりの長旅になる。
(ううん、大丈夫。あなたの方こそ明日からさっそくお仕事で大変ね)
「俺は平気さ。君はゆっくり朝寝坊するといいよ。夕飯は、本場の京懐石に
でもするか。ガイドブックで京料理の旨い店、適当にみつけてといて」
(オーケイ、分かった)
「これからの日程だけど、木曜と金曜は嵐山の日本旅館を取ってあるんだ。
嵯峨野や嵐山の紅葉は見事らしいよ。土曜の朝旅館をチェックアウトした後、
午後の新幹線で東京に向かう。その途中に小田原で下りて箱根の露天風呂付
温泉に一泊。それから成田を発つまでの三日間は莉江に俺の故郷、横浜を
ゆっくり堪能させる。以上!」
インターネットで検索しプリントアウトした紅葉の名所や予約した温泉旅館など
の資料を莉江の前にどさっと置いた。
(わあっ、すごーい! いつの間にこんなにいっぱい調べたの?)
「仕事の合間にね、いや、これの合間に仕事してたかな」
健介は悪戯っぽく片目を閉じた。
「有賀様、ほんまに日本語お上手どすなぁ。お顔だけ拝見してたら、まるで
洋画に出て来る俳優さんみたいやのに… 奥様もまた京人形みたいに別嬪さん
やし、ほんにお似合いのご夫婦で、羨ましおすわ」
お多福のような風体の仲居の柔らかな京言葉のお世辞が健介には少々擽った
かった。
「これが嵐山の誇る渡月橋どす…」
仲居は部屋の障子窓を多く開けた。
紅葉に色づいた嵐山をバックに桂川に架かる見事な木造の橋が姿を現した。
山、川、橋と、まさに絵のように美しい日本の原風景が眼前に広がる。
「…渡月橋の名前の由来は、その昔、亀山上皇はんが橋の上の曇りのない夜空に
お月さんが動くさまを見はって、『くまなき月の渡るに似る』と感想をお洩らし
やしたことからきてるそうどす。この辺りには徒歩で行ける紅葉の名所が
ぎょうさんありますさかい、のんびりと嵯峨野を散策されのもよし、ちょっと
足延ばさはって、保津峡の川下りなんかもよろしおすえ。ほな、どうぞ
ごゆるりと寛いでおくれやす」
一通りの口上を終えると、仲居は丁寧なお辞儀をして部屋を出て行った。
「これぞまさしく、日本の秋って感じだな…」
(ほんと、ニューイングランドの紅葉もいいけど、あなたの言った通り、
こっちの方が、やっぱり風情があっていいわね…)
二人は窓の外の景色に見入った。
「明日からいよいよバケーションの本番スタートだ! 昨日までは昼間ずっと
一人にしたもんな」
健介は済まなそうに言った。
(全然平気だった。一人でゆっくりショッピングできたおかげでリズやマリエ
さんたちへのお土産も買っちゃったから。それに、父の親戚だという人たち
にも会えたし…)
祖母の墓前で偶然出会った父の従姉妹の一人、木戸雅子は莉江の名前を覚えて
いた。冬梧は生前、絶縁状態の家族や親戚の話をほとんど口にしなかった。
父の死を伝えた時の彼女の淋しげな表情がふと、莉江の脳裏を掠めた。
* * * * * * *
(もう一度、お逢いしたかった…)
セピア色に色褪せたアルバムの中の古い写真をそっと指で擦った。
女学生の頃、身を焦がすような恋心を抱いた従兄の凛々しい顔が涙で霞む。
甘く切ない冬梧との想い出に浸るように雅子は静かに目を閉じた。
子供の頃、妹たちと母の実家を訪れ伯母や従兄と過ごす時間がなによりの
楽しみだった。母の姉、莉津は三姉妹の中でも特に雅子を可愛がってくれた。
女系家族の長女として生まれ同じ宿命を持つ姪の中に自分の姿を重ね合わせて
いたのかもしれない。雅子もまた幼いころからピアノを愛し、のんびりと
育った母、美貴の温厚な性格よりも総領娘として厳しく育てられた伯母の凛と
した姿に強い憧憬を抱いた。
思春期を迎えるころには伯母の一人息子、冬梧は兄のように慕う存在から
密かに想いを募らせる恋愛の対象へと変わっていった。
互いの家を継承する立場にあり、しかも従兄妹同士である以上、最初から
叶わぬ恋の相手であることは分かっていた。やがて、父親との確執から冬梧は
パリに渡り、雅子は親の決めた婿養子を迎え木戸の家を継いだ。
二十年前、冬梧は聾唖の一人娘を連れ突然パリから帰国した。
夫や親戚の手前、ずっと息子との音信を絶っていた莉津は夫の死から数年後、
愛する息子と孫娘を芦屋の家に呼び寄せた。雅子の冬梧への想いを熟知して
いた伯母は密かに息子の帰国を知らせてくれた。
妻と離婚し障害を持つ幼い娘を抱える冬梧の姿に、心の奥底で燻り続けていた
彼への想いが再燃し雅子の心は揺れ動いた。だが、何もかも捨てて冬梧とともに
パリへ逃れる勇気はなかった。結局、雅子は女であることよりも家を守る人生を
選んだ。
一人息子の崇之は音楽に没頭し音大に進学した。家を継がず画家の道を選んだ
冬梧と芹澤の家の間で苦悩し続けた莉津の姿が自分と重なり、木戸の家を捨てる
という息子の結婚に猛反対した。結果、不本意な結婚を強いられた崇之は、
精神を病んだ妻と障害を持つ娘を抱え苦労を重ねている。
美しく成長した冬梧の娘莉江が崇之のかつての恋人、成瀬亜希と瓜二つの容姿を
持つことに何か不思議な因縁、皮肉な運命を感じずにはいられない・・・
「因果応報…」
雅子は深い溜息をつくと仏教用語を口からふと、洩らした。




