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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ひとりぼっちのスケープゴート

作者: いちい

初短編です!



 





 俺が思うに、ある道具が存在するには、使用目的が必要だ。

 寒い場所に扇風機はいらないし、水がなければ水筒は必要ない。

 それなら、道具に意志があったらどうするだろう。

 ヒーローは、悪役がいなければ、いらない。

 だからこそ、俺は……。



 ★☆★☆★



 何でもない昼時。俺は4限目の授業もいつも通り爆睡してやり過ごしていた。

 泥のように眠っていると、誰かの声が降ってくる。


「おい、田中」


 だが、窓から降り注ぐ陽光が暖かく、気持ち良い。寝心地は最高だ。起きる気なんて、毛の先ほども湧き起こらない。

 席替えで窓際最後尾なんてベストポジションを取れたのも、きっと日頃の行いのおかげだろう。


「田中、起きろ。いつまで寝ているつもりだ?」


 再び無粋な声が聞こえる。無視をしていると、頭に何かがぶつかった。


「うおっ」


 たまらず目を開き、辺りを見回す。静まり返った教室の中で、すぐに黒板の前からこちらを睨む、社会の野中と目が合った。


 野中は嫌味な先公番付トップとされる嫌味ヅラに青筋を立てている。


「田中、俺の授業中に昼寝するとは、良い御身分だなあ?」


 野中は、早く謝らないと授業時間目一杯まで説教されることで有名だ。


 冷や汗が背中を滑る。俺は慌てて謝罪した。


「す、すんません」


 だが、その程度で許してくれる野中ではない。


「すんませんじゃないだろぉ、田中ぁ〜。寝る子は育つと言うが、おまえはいつも寝とるじゃないか。その割にちっとも育っとらんようだがな」


「さ、さあ」


 ネチネチネチネチうるさい野中に、愛想笑いするが、絶対引きつっているだろう。

 身長の低さは、俺のコンプレックスの一つだ。今に見ていろ、まだ俺は中二なんだ、きっとまだ伸びるはず……!


 野中はまたネチネチとやり始めた。

 俺はクラスメイトたちの忍び笑いと野中の説教を聞き流して、残りの授業時間を消化した。


 チャイムが鳴るまで15分ほどしかなかったのは、まさに地獄に仏だった。

 嫌味野中は、もう終わりか、と呟くと、次の授業までの課題を出して神経質な足取りで去っていった。


 俺は机に突っ伏す。

 精魂尽き果ててぐったりしていると、友人が三人して俺の席にやって来た。


「田中、すっかり野中のお気に入りだな」


「そりゃそうだよ、こいついっつも寝てるんだから」


 佐藤が俺をからかい、石沢がそれに乗る。唯一俺を擁護してくれるのは佐々木だ。


「ま、まあまあ、田中だっていいとこあるし……」


「さ、佐々木……。俺の味方はお前だけだよ」


 力なく机の上でそう言うと、石沢が眼鏡を光らせ、ニヤリと笑う。


「して佐々木氏。田中の良いところとは?」


「え?えっと……」


 佐々木は言い淀み、困ったように目を空中に彷徨(さまよ)わせた。


「そこで詰まらないでくれ、頼むから」


 色々あるだろ、せめてなんかこう……運動神経とか。


 ゾンビみたいに机に張り付いたままの俺を笑いながら、三人は近くの椅子を占領し、パンやら弁当やらを広げ始めた。

 よろよろと俺も体を起こし、鞄の中から昼飯を引き摺り出す。


「おまえらさ、昨日テレビ見たか?」


 佐藤が焼きそばパンを齧りながら、みんなが弁当を広げるのも待たずに尋ねた。


「テレビはみたけど、何を見たかを訊いてるの?」


 石沢がそう言うと、佐藤は熱っぽく答える。


「あ? 決まってんだろ、昨日のヒーローの活動だ。隣町の学校が破壊されそうになったところに颯爽と駆けつけて、校舎を守ったんだってよ。くぅ〜、カッコイイぜ!」


「なんだ、また佐藤のヒーロートークか」


 いつもこればかりで、呆れてしまう。

 佐藤は重度のヒーローマニアで、ニュースやなんかでヒーローの活動が取り上げられるとこんな風にバカの一つ覚えみたいになる。


 石沢も呆れたような顔をして、弁当からきんぴらごぼうを箸でつまんだ。


「ヒーローヒーローって、あいつらのどこが良いのさ? 世間で妙に科学技術が高いテロリスト集団が出現して、秘密結社って呼ばれるようになってから随分経つし、そういうのには有効だけど」


「確かそれに対処するために、国家主導でヒーローシステムが出来たんだよな?」


 俺が尋ねると、時事に詳しい石沢は、きんぴらを飲み込みながら首肯する。


「そうそう。一般の少年少女から有望な人材をスカウトして、国家側で技術開発なんかを斡旋し、秘密結社に対抗する戦力に仕立て上げるっていう」


「なんだかトゲのある言い方だな」


「そうだぞ。ヒーローはあんなにカッコイイのに!」


 佐藤が吠えると、石沢はうんざりと頬杖をついた。


「彼らだってやり過ぎで周囲を破壊したりするし、技術の秘匿とか言って、ヒーロー側が開発した技術を民間に還元していない。秘密結社側への技術流出防止だって言ってるけど、その開発費は国民の血税で賄われてるんだよ?」


「だから何だ!」


 佐藤には難しすぎる話だったようだ。石沢は佐藤に、可哀想なものを見るような目を向けた。


「佐藤、とりあえず黙れ」


 石沢の冷たい声が佐藤を黙らせると、ずっと縮こまっていた佐々木が、おずおずと発言する。


「つまり、毒を以って毒を制す、んだよね?」


「そう考えると複雑だな」


 石沢が言うように、不透明な部分があるのも確か。しかし一方では、対抗力として需要があるのも事実。


 俺は釈然としない気分のまま、購買で買っておいたカツサンドにかぶりついた。


 まだ言い合っている佐藤と石沢の声を聞き流し、窓の外を見下ろす。

 グラウンドの向こうに、住宅街と線路、ビルなどが連なっている。色彩豊かな街並みは、午後の活気に満ちていた。ここからだと通りをいく人々も、小さく見える。豆粒みたいな彼らがせわしなく行き来するのを眺めていると、電車の動く低い音が低く耳を打った。


 この辺りは割と栄えていて、秘密結社の襲撃も少なくない。必然、ヒーローの姿を見ることも頻繁だ。


 彼らはいずれも、常にマスクで顔を隠している。

 眼下の人々の生活を破壊する秘密結社の怪人や戦闘員。それと戦うヒーローたち。


 彼らは隠された素顔で、何を思っているのだろう。


 それを知ることになんて、この時の俺は思いもしなかったんだ。


 放課後。授業もホームルームも終え、さらにその後の部活も終わった頃には、すっかり日が落ちてしまっていた。


 俺が所属するテニス部はかなりハードな部類で、練習は厳しい、顧問はきつい、汗は臭い。3Kを見事にいただいている。俺の体も数時間に渡る練習ですっかり疲れ、汗臭くなってしまった。特に、背中にまわしているボストンバッグからは、汗を吸ったジャージの強烈な臭いが篭っていて、自分でも閉口する。


 外気が冷たいため、もう汗が出ることはない。

 ゆっくりと息を吐き吸い込むと、ひんやりとした空気が体を冷ましてくれるようだ。


 角を曲がり、細く狭い路地に入る。

 うちの生徒でも使うやちはほとんどいない裏道なのだが、ここを通ると家までの距離がかなり短縮できることから、俺は好んでここを通るのだ。


 いつも通り、路地には誰もいない。暗がりを、路地の真ん中あたりにぽつんと一本だけ立つ街灯が、丸く照らし出している。

 聞こえるのは俺の足音だけだ。


 もうすぐ家だ。やっと休めると気を緩めた時、それは起きた。


 唐突に、目の前に、透明なガラスかプラスチックのようなものが、視界に割り込んだ。


「ん?」


 顔に手を当てると、自分がヘルメット状のものを被っているとわかった。手のひらに、金属にありがちな冷たさと硬さが広がる。


 不思議に思い、首を捻った。そして、気付く。

 自分の手も、ぴったりとした素材のボディースーツのような服に覆われていることに。


「は?え、え……?」


 体を見下ろす。どうやら一瞬のうちに、俺の服装は黒いいたって普通の学ランから、ボディースーツに早替わりしたらしい。


 いやいやいや。そんな馬鹿な。


 ひとまず、街灯の真下まで移動する。

 改めて自分の格好を観察してみると、ボディースーツは光沢のある黒。爪先から頭の先まできっちりと覆い、露出度は完全に0だ。肘や膝、肩といった可動部には、黒い金属製の防具らしきパーツが取り付けられている。


 それらと同素材のヘルメットが頭部に被さっているようだが、力いっぱい引っ張っても、頭を抜くことはできなかった。全体に所々、銀色、黄色などの線が走り、よくわからない幾何学模様だかマークだかを描いていた。


 背中にあったはずのボストンバッグも消えている。バッグに付けていたお守りは妹が高校の合格祈願にとプレゼントしてくれたものなので、なくしていないか心配だ。


 鏡なんてないが、見るまでもない。俺はどこからどう見ても、いわゆるヒーローだった。


 そこらの小学生を捕まえても、ヒーローだと断定できるくらいヒーローだ。全身で主張している。


 しかしここでまずいのは、一見ヒーローでも、俺はヒーローではないということだろう。


 ヒーローは国の委託した機関が管理・養成するものであり、すべて登録されているらしい。また、ヒーローあるいはヒロイン(魔法少女とか)たりうるのは、機関からスカウトされた中高生だと言われている。もっともこれは、佐藤の受け売りだが。


 そして、登録されていない人間でこういうオーバーテクノロジックなブツを使う人間は、一種類だけということは、俺でも知っているくらい有名だ。即ちそれは、秘密結社(テロリスト)


 つまり何が言いたいかというと、客観的に俺は、ヒーロー風な装備を使用しているテロリストと分類されるのだ。


 俺はもちろん、ヒーローにスカウトされた覚えもなければ秘密結社も門戸を叩いた記憶もない。

 明らかに、クロ。


「どうすりゃいいんだよ」


 途方に暮れてしまう。


 とにかく、このまま家に帰ることはできない。幸いこのあたりはほとんど人通りがないから、暗がりに小さくなってしゃがみこんでいれば、しばらくは誰にも気づかれないだろう。


 ふと、時間が気になった。


 腕時計をしていたはずだが、こんな状態ではみることは無理だ。


 すると、視界の隅に小さな表示が現れた。黒い字で、19:12とある。校門を出たのが七時くらいだったはずだから、これは多分現在時刻なのだろう。


「ははっ、便利だな」


 妙におかしくなって、笑う。


 どんな状況でも、なんとかなるような気がしてきた。


 理解できないことばかりだが、まずは動かなければ。


 周囲を見回し、できる限り目立たなそうな暗がりを探す。側にある古民家が目についた。そこは数年前に自殺者が出た家で、今は誰も住んでいないらしいと噂が立っていたはずだ。


 不法侵入には心が痛むし、はっきり言って荒れ果て見捨てられたような家は不気味で仕方ないが、非常事態だ。

 字も掠れ、曲がっている表札。その脇を通り過ぎ、古民家の赤錆の浮いた門に手を掛ける。


「待ちなさい!」


 背後から、俺と同じくらいの女子らしい声が耳に刺さった。


 急に刺々(とげとげ)しい声をかけられ、びくりと体が跳ねる。

 やましいことをしようとしていただけに、慌てて振り向いた。


 こちらを安っぽい仮面をつけて、いやにひらひらしたピンク色の衣装を着た女子が睨んでいる。仮面は、イメージ的に、外国の貴族が仮面舞踏会で使うような、目元だけを隠すタイプのものだ。小さな赤い薔薇飾りと、ビーズ製らしい長く垂れる飾りが付いている。そのすぐ隣で揺れる飾り羽は、先端だけが赤い白だ。

 装飾過剰なのがなんとも虚しい。


 もし俺が、クラスメイトの女子がこんな仮装をしているのをみたら、吹く。間違いなく、腹筋がねじ切れるまで笑いたおして、記念に携帯で写真……いや、動画をとって保存する。


 女子はびしっと食指を俺に突きつけた。


「あなた、ヒーローみたいに見せかけてるけど違うわね。ヒーローに化けて、何を企んでいるの!?」


 いや、俺は違……。

 そう言おうとしたが、声は出なかった。驚いて、口元に手を当てる。俺の口はしっかり動いているのに、声はこのわけのわからないスーツに遮断されてしまう。


 女子は仮面で表情が見えないが、怒り狂っているようだ。


 落ち着いてくれ、俺が何をした!?


「くっ。さっきから苦しそうに悶えたりして! マスク越しでもわかるわよ! そんなになるまで笑ってわたしを馬鹿にするなんて、許さない。覚悟なさい!!」


 俺が声を出そうとした努力が、彼女を嘲笑っていたのだと勘違いされている。

 そりゃあ無傷の不審人物が口元に手を当てて、身を折っていたら笑ってるように見えるかもしれないが……。


 ここでヒーローに手を出したら、俺は本物のテロリストになってしまう。

 こうなったら逃げるしかない。


 イタい女子に背を向け、一目散に俺は逃げ出した。


「あっ、こら。待ちなさい!」


 後ろから怒声が聞こえてくるが、誰が待つか。


 黒ボディースーツは外見だけでなく性能までヒーロー仕様らしく、驚くほどのスピードが出た。とにかく女子が来られないところに逃げよう。

 この先の角を曲がれば公園だ。


 迷わずに角を曲がり、夜の公園へと入っていく。一直線に男子トイレに向かい、個室に入って鍵をかけた。

 走った直後で荒くなる息をなるべく殺し、身を縮こませる。


 トイレは道路よりの隅にあるため、外の音はよく聞こえた。

 軽い足音がして、次いであの女子の声が届く。


「はあっ、はあっ。……見失っちゃった。もう、なんなのよ、あの黒いヒーローモドキ。ゴキブリなみに素早いじゃない。今度見かけたら、タダじゃおかないんだから!」


 足音はゆっくりと遠ざかっていった。

 ほっと一息つき、足音が消えるのを待って個室から出る。


 洗面台に映った自分の姿が目に入った。学ランにボストンバッグ、黒い中途半端な長さの髪。いつもの俺だ。


 さっきまでの出来事は、夢だったのか。

 バッグに付いたお守りを握る。ぶるりと寒さで背が震える。


 狐につままれたような気分のまま、俺は家へと向かった。



 ★☆★☆★



 あれから一週間。あの夜の出来事が嘘ではなかったと思い知るのには、十分な期間だった。


 あれからずっと、まったくランダムなタイミングで、俺は突然エセヒーローになってはそのうち戻るということを繰り返していた。


 慣れてくるとなんとなく、感覚的に予兆を感じられるようになったため、人前でいきなり変身するということはない。

 だが、学校で予兆を感じてはトイレに逃げ込み、家で予兆を感じては自室に鍵をかけて閉じこもる。


 一番困るのは、移動中だ。近くに公園やコンビニがあれば駆け込めるが、そうそう都合良くはいかない。いつ誰に見られるかわからない状況で、身を潜めなければならないこともあった。


 何よりそんな生活で、俺の神経は擦り減っていった。


 家族や親しい友人にはやつれたと心配されるが、相談などできない。一歩間違えば、テロリストとして捕まってしまう。冤罪でしかないものの、実際に変身しているのを見られたら、言い訳無用として連行されるだろう。


 佐藤に、捕まった怪人たちはどうなるのかきいてみた。佐藤は、そういえば知らない、と言って首を傾げていた。ヒーローマニアな奴は、新聞やニュースは一応全部チェックしていたはずだ。佐藤が知らないと言うなら、おそらくその情報は一般に公開されていない。


 お先真っ暗だ。

 いつまでこんな生活が続くのだろう。

 どうして俺がこんな目に。


 ヒーローたちに出くわせば、

「おまえ、ニセヒーローだな!?何を企んでいる!」

 と追いかけ回され、

 怪人や戦闘員に出くわせば、

「くっ、新手のヒーローか!?」

 と攻撃される。


 しかも、どちらに捕まったとしてもおしまいだ。


 テロリストとして一般には教えられない処分を下されるか、秘密結社に半殺しにされたあげく、成り行きを洗いざらい吐かされてから始末されるかの二択。


 今日も、学校が終わると一目散に自宅へ向かう。

 鞄を背負い、廊下を早足に行くと、佐藤に呼び止められた。


「おう、田中。これから石沢と大山誘ってゲーセンいくんだ!おまえも来るか?」


「いや、俺は急いでるから。悪いな」


「なんだなんだあ、最近付き合い悪いぞ!」


「そっ、そうか?

 とびかく急ぎなんだ。じゃあな」


 またいつ変身するかわからない。俺が通り過ぎようとすると、佐藤は俺の肩を掴んだ。


「なんだよ、佐藤」


「田中。おまえ大丈夫か?

 最近顔色悪いよな。寝てないんじゃないのか?」


 ぎくりとした。佐藤はバカだが、鈍くはない。


「……気のせいだろ。俺はいつも通りだ。ただちょっと忙しいだけで」


 佐藤は珍しく真剣な表情で、俺の目を見た。


「テニス部も最近休んでるらしいな。……無理、するなよ? 俺も石沢も佐々木も、悩みがあるなら相談に乗るぞ」


「っ!」


 俺は佐藤の目を前に、嘘を重ねることはできなかった。だから、手を振り払って走った。


「田中!」


 佐藤が俺を呼ぶ。


 応えられない自分が無性に悲しくて、惨めで。声を振り切るため、とにかく走った。


 校門を出てしばらくして。予兆を感じた。

 近くに逃げ込める場所はない。

 舌打ちする。


 前を歩く同じ学校の生徒が、急に道を折れた。目の端で追うと、近くのビルに入っていく。看板によると、ビル丸ごとが予備校の持ち物のようだ。


 ここの生徒だという顔をして中に入り、階段を目指す。一階では受付もあり、人が多すぎた。


 こういう建物だと、エレベーターは混んでも階段はあまり利用されないとふんだが、実際そうらしい。人気のない階まで上がっていく。最上階の踊り場に立て札が置かれていて、修復工事中にて関係者以外立ち入り禁止と書いてあった。

 人の気配はない。


 立て札を無視して、奥に入る。限界が近い。


 ここは元は、教室だったようだ。複数の扉があり、嵌め込まれているガラスの向こうに黒板や机が見える。どことなく古そうだ。


 少し先にトイレを見つけ滑り込むと、個室に入るのも待たず変身が起こった。

 ボストンバッグは消えて、黒いボディースーツに身を包まれる。

 個室に隠れようとしたとき、何者かがここに踏み入ってくる足音がした。

 振り向く。


 そこにいたのは怪人だ。

 積み木をでたらめに重ねたような、四角ばった姿。

 怪人は、にやりと笑う。


「おめえだろぅ、チカゴロうわさのワンマンヒーローってなぁ」


 首を勢いよく左右に振る。


「ひひっ、ちげぇって言いてぇのかあ?

 じゃあそのカッコはなんだってんだよぉう!」


 怪人が迫って来る。

 速い。手で頭を庇うことしかできない。


 俺の手を掻い潜り、怪人の凶器と化した腕がのばされる。異物が喉の皮膚を突き破り、肉を掻き分けて捻じ込まれる感触がばかにリアルだった。


 吊り上げられ、足が宙に浮く。なけなしの抵抗として、円筒形と三角形の大きなパーツでできた怪人の腕を掴むが、力が入らない。


「ひひっ、これでおれぇも……」


 怪人の歪んだ笑みが、凍りついた。

 俺の喉を貫いたまま、やつはこちらに倒れこむ。怪人の巨躯で下敷きになり、何も見えない。喉の積み木が、深く刺さった。もう首の三分の一ほども刺さっているかもしれない。


 ついで、視界が開ける。俺に覆いかぶさっている怪人が、何者かにどけられた。


 呼吸ができずに喘ぐ俺の視界に映ったのは、鮮烈な赤いマスクのヒーロー。


 助けてくれ……。


 霞む意識の中、手を伸ばす。


 赤いヒーローは小さなリモコンを持っており、何やら弄っている。そのうちに俺の変身が解け、いつもの学ランに腕が包まれているのが見えた。


 急に、喉に痛みを感じる。喉はひどく熱いのに、寒くて仕方ない。

 喉から、心臓が鼓動を打つたびに血が流れ、視界が白く霞んでいく。

 空気が貫通した穴からもれていく。


 赤いヒーローは無慈悲にそれを眺めながら、口を開いた。


「ヒーローは、悪役(ヒール)がいなければ成立しえない。ゆえに、悪役を倒し尽くしたヒーローはもはや必要ない。君は良いスケープゴートだったよ。ヒーローからも秘密結社からも敵視される。もし君がヒーローに捕まれば、ニセヒーローとしてヒーローたちの義憤を引き出せる。秘密結社に倒されれば、仲間を殺されたとしてやはりヒーローたちは怒りに燃える」


 こいつは、なにを、いっているんだろう。


「最近、秘密結社もヒーローもマンネリ化してきていてね。秘密結社はヒーローが出張らないような小規模なゲリラばかり続けるし、襲撃も減ってきた。ヒーローたちは欲求不満ってやつだった。だからここいらで発破が欲しかったんだ。税金を使って運営している以上、そろそろ目立つ実績をあげておかないと。そうだね、新人ヒーローを殺した凶悪な怪人を倒す、なんてどうだい?」


 なにも、わからない。


「僕はスケープゴートを作るなら、君が良いと思ってたんだよ。いつも楽しそうで、友達もいて。そんな君が羨ましかった。君の日常を壊してみたかった。……じゃあね、田中君」


 なんだよ、その口ぶり。まるで俺のこと、知ってるみたいじゃないか。


 赤いヒーローは、マスクを外した。


 佐々木が片手にマスクを抱え、こちらを見下ろす。


「じゃあね。キーは回収させてもらうよ」


 そう言うと、俺のボストンバッグのお守りを外す。


 佐々木が何事かをつぶやくと、赤いボディースーツが消失した。

 そういえば、テレビであのヒーローを見たことがあったように思う。五人組の、人気ヒーロー。正義の味方。


 佐々木は俺に背を向け、トイレを去っていく。


 トイレの冷たくて不潔な床の上で、俺はただ、小窓から差し込む光をぼんやりと見つめていた。


 なんだよ、それ……。


 俺の最後の言葉は、破れた喉から空気に溶けていった。





 ★☆★☆★





 瞼の裏で、明かりを感じた。

 ゆっくりと目を開く。


 ここは……どこだろう。


 クリーム色の壁紙がはられた部屋には、俺が寝ている以外にも幾つかのベッドが並んでいる。向こうには背の高い薬棚や、丸いスツールが置かれていた。

 学校の保健室に少し似ている。そこで、消毒液の匂いが、空気に混じっているのに気付いた。


 そして、それらの近くに置かれた机で、何やら冊子をいじる女子の姿がある。

 彼女は青い表紙の冊子を持ち、振り向く。俺と目が合った。


「おや、気が付いたかね? ずいぶんと遅いお目覚めじゃないか。私としたことが、手術に失敗したかと思ったよ」


 女子は黒い長髪をなびかせ、颯爽と俺の寝かされたベッドに寄って来た。白衣を着てるが、まさか医者とか言わないよな。保険係か?


 俺は初対面の女子を警戒しつつ、上半身を起こす。


 ベッドサイドに辿り着いた女子は、満足げに頷いた。


「良し。経過は良好のようだな。意識を失う直前の記憶はあるかね?」


『記憶?』そう言おうと思ったが、声は出ない。俺の喉からは、空気の漏れるような掠れた音がしただけだった。


 そうだ。最後の記憶……。

 予備校のトイレで、俺は喉を貫かれた。


 喉に手をやる。指先は、いびつな形に盛り上がった皮膚の感触を伝える。


 女子は青灰色の瞳を、興味深そうに(すが)めた。


「記憶領域も無問題(オールクリア)。それでは簡潔に現在の状況を説明しようか。まず、ここは秘密結社ネバーランドの本部で、私は幹部の一人、ウェンディだ」


『なっ!』


 驚きの声をあげるが、声は響かなかった。


 ウェンディは平坦に続ける。


「君は赤いヒーロー……レッドブレイズに嵌められ、怪人に襲われて重傷を負った。そこを我が組織が救助したというわけさ。もっとも、喉の傷は完全には治療できなかったがね」


 秘密結の本部にいるだと?

  警戒心が積もる。テロリストがわざわざ俺を助けてどうするつもりなんだよ。捨て駒にでもしようってのか?


「そう警戒しないでくれたまえ。ま、通常の医療では不可能だったから、改造手術は行ったのだが。それで、君はどうしたいんだい?」


『どうしたいかだと?』


 つい喋れないことを忘れ、問いかけてしまった。声は出ていないはずなのに、彼女はいたって普通に返す。


「公的には、君は死んだことになっているよ。仮に家族のもとに帰ったとしても殺されるだろうな。けれど、君がもし戦うことを選ぶなら、組織は惜しみなく協力するぞ」


 ウェンディの口の端に自嘲のようなものが一瞬だけ刻まれたが、すぐにそれは消えた。


『死んでもかまわない、都合の良い駒としてか?』


「いいや。第一、改造にどれだけの費用と技術が必要だと思っているのだね? もったいなくてそんな使い方はできないよ」


 なら、どんな『使い方』があるっていうんだ? 考えてみるが、秘密結社(テロリスト)のイカれた考えなんかわかるはずもなく、すぐに放棄する。


 ウェンディは、感情のうかがえない事務的な口調で続けた。


「ネバーランドは、ヒーローシステムの破壊を目的とした結社だ。君が抗うことを望むなら、これ以上の場所はないと宣言する。その上で再度問おう。君はどうしたいのかね?」


 ヒーローシステムを壊す……。

 石沢の話だと、システムは社会の一部になってしまっているようだった。それを壊すというのか、こいつは。


 俺はウェンディの、青灰色の目をみた。彼女の瞳には、冷たい理性の裏に、まごうことなき狂気が宿っていた。


 ああ、どいつもこいつもイカレてやがる。


 俺を含めて。


『俺は、あいつを許さない』


 きっと俺の目にも、同じ狂気が潜んでいる。






読んでくださって、ありがとうございます!

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