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二.女 female 「英語」



***


結城幸という背の高い少女がいる。中学生なのに170センチを超える長身で、ワカメちゃんみたいに短いおかっぱの髪型をしていた。滑舌が悪く、「ち」を「き」と言い間違えることがよくあった。そういう訳で、彼女のことはクラスの誰もが知っていたが、彼女についてよく知っている人は、実はあまりいなかった。休み時間に教室の片隅で、いつも同じ数人の面子で話を咲かせている、そんな感じだった。

「マズイよこれはマジだよ・・・!」

 そのいつも通りの教室の隅で、結城さんは頬を染めて訴えていた。結城さんはそんな感じにしょっちゅう興奮していたので、どこか冷めている友達の川口さんは、

「そりゃそうでしょうね。」

と一蹴した。おかげで、気分を害したときよくするように、結城さんは眉を寄せて下唇を軽く噛んだ。

「なんか冷たいよ。真面目に恋に悩んでいる人に接するにしては配慮に欠けるよ。」

 川口さんは目を見開いた。

「真面目? 君が真面目?」

 川口聖月さんは誰に接するにも丁寧で、学級委員長などの役職にも積極的に立候補したので先生たちからの評判が良かったけれど、それは彼女の表面的な特徴でしかなかった。彼女は要するにぶりっ子で、嫌な優等生だった。本当の彼女は毒舌家で、誰に対しても距離を取って冷めた目で見ていた。それが分からないほど中学生というのは鈍感ではなく、また女の子の間では切れ長の目の冷たい美人である彼女への嫉妬も相まって、彼女は同級生たちからはあまり評判が良くない。だが川口さんの冷たさというのは根っからのもので、悪意があるわけではないのだ。

「つい先週も陸上部に見惚れてた君が?」

 それを聞くと結城さんは憤慨した様子で声を上げた。

「それは、・・・遊びだよ。」

「遊び!」

 今度は川口さんが声を上げた。(意味不明!)意思疎通に失敗したことに結城さんは驚いて目を瞬かせて慌てた。言葉を噛みながら言う。

「ち、違う。変な意味じゃない。精神的な遊び。」

「精神的な遊び?」

「とにかく、みんな勘違いしてるみたいだけど、私は実際は全然惚れっぽくないから。こんなにloveを感じるのは彼がはじめてです。」

 掌を返して川口さんは溜息を吐いた。

「君って実に面白いね。」

「え、何で?」

 きょとんとして結城さんは問い返したけれど、川口さんは話題を転換した。

「てゆうかさ、その『彼』って誰?」

「え〜っ、それは・・・。」

 結城さんは口元は笑っているけど、目は動揺している。

「え? なんで? 教えてよ。気になるよ〜。」

「え〜・・・。」

 結城さんは悩んでいるみたいだった。(どうしてそんなに拒むの?)でもせっかちな川口さんは首をかしげた。

「まぁ、嫌ならいいけど。」

「・・・・・・倉田くんです。」

「えっ・・・」

 川口さんは目を白黒させた。(予想外・・・)対して結城さんのほうは、喋ってしまったことで荷が下りたのか見るからに饒舌になった。

「彼ってあれだよね、大人しげだけどきっと相当なアウトロウだよー、君もそう思わない?」

「クララ・・・?」

 まだ納得できずに川口さんは頭を巡らしていた。倉田って、あのぼさっとしていてトロくてちょっと暗くて、いつも陰のある愛想笑いを浮かべてる印象しかない変な奴・・・あ、なんだ。お似合いじゃん。

「あだ名かよ! 取らないでよ!」

(マジかよ!)結城さんは口元は笑っているが、目はマジだ。真面目に疑ってる目だ!

「取らねーよ! 興味ないもん。」

「えー、ふーん。怪しいなぁ。」

 言いながら流し目を川口さんに向けた彼女は明らかに疑ってる。だがパッと明るくなり続ける。

「まあ、私はもう先手を打っちゃったからね。行動した者が勝つのだよ。ああ、『頭がすべてだと考えている人間の哀れさよ!』」

「先手? 行動?」

「手紙。」

「手紙?」

「そう、ラブ・レター。」

「ラブ・レター! マジですか。」

「えっ、ちょっとヤバかった・・・?」

「ま、まぁ、アリなんじゃないの? 私良くわかんない。」

「私もさ、ちょっと恥ずかしいかなぁ、と思ったから工夫しておいたよ。この演出は絶対ドキッときますよ。」

「それより、直接渡したの?」

「そ、そんなの・・・。恥ずかしいじゃん無理にきまってるよー。」

(彼女の「恥」の基準が良く分からないが・・・。)川口さんは控えめに聞き返す。

「じゃあ、・・・。」

 結城さんは俯いて頬を染めた。

「・・・下駄箱。」

言い終えないうちに彼女はぎゃーと甲高い悲鳴をあげて地団駄を踏み始めた。川口さんは呆れた。






I wanna, I need, I like, I love you. There is a girl, who fell in love for the first time. Did you laugh a these fool girl? ‘It’s silly letter, calf love.’ ? Ah, ‘Love is blind’…! Forgive for a fool girl! Everytime. True love. I’m your’s.


なんだこれは・・・。

封筒の中には、こぎれいな便箋にただそれだけ書かれていた。ぼくはこの意味を探ろうと、この妙な紙切れを凝視してみたが、やがてその情景の滑稽さに気付きひとまず便箋を封筒にしまって下駄箱を後にした。

家に帰って二階の自分の部屋へ向かうと、さりげなく扉を閉め、机を前にして考えた。だが、答えはとうに決まっていた。この拙い英文、宛名も差出人名もないこと、そしてなにより、明らかに恋文調の内容。

どう考えても悪戯としか思えない。

これは深刻ないじめへと発展するだろうか? おそらく、ただ馬鹿数人がその場のノリで一線を越えただけだろうが。ぼくと色恋沙汰、おおよそ結びつかない組み合わせに下世話な好奇心が沸く奴もいるだろう。

ぼくはもう一度じっと紙切れを見た後、封筒ごとぐしゃと潰して塵箱へ捨てた。そしてベッドに腰掛けて、もう一度屑箱を見た。

何を悩んでいる? 何を期待していた? こんなネタに心乱されてしまうほどぼくはウブなのか? そもそも何か期待することなどあるのか? 自分に好意を抱いて欲しいと、思うような相手がいるのか?

ぼくはしばらくイメージを探ってみたが、誰も現れなかった。


「それで、演出ってなに?」

その言葉を待っていたように、結城さんは得意満面に力説を始めた。抑えようとしてもつい笑みがこぼれてしまった。

「『憧れを知る人のみぞ、わが悩みを知る』、ゲーテの言葉だよ。今回の件は正にこれに当てはまるね。」

 しばらく間を置いて、川口さんはもう一度尋ねた。

「・・・・・・どういう意味?」

 結城さんはおかっぱ頭を揺らして小首をかしげるような仕草と一緒に、にやっと目配せをした。

「恋を知らぬお嬢様には解せなくても無理ないね。まあ要するに、気持ちを伝えたいけれども直接は恥ずかしくて無理! でも一線を超える衝動は抑えがたい、ってこと。」

「?」

「ラブ・レターを英訳して渡せば、」

 聞いた途端、反射的に川口さんは話をさえぎった。

「待って、それ本当にやったの?」

 結城さんの高説は止まらなかった。

「彼は辞書を片手に、一文一文愛の詞を翻訳していく・・・、うわ、浪漫チック! 読み飛ばすことなんて出来やしないわ、一語一句、じっくり咀嚼するように、彼は紡がれた言葉の結び目を解いて行くの・・・!」

「読むわけないじゃん。」

結城さんはふと、思考を一時停止させたように呆けた表情を浮かべた。右手を所在なげに動かし始める。

「・・・まさか。・・・ラブ・レターだよ。」

 川口さんは眉の端を吊り下げて、頭を抱えるように俯いた。

「そんなの、本気にするわけないじゃん・・・。」

「え、なんで? 私なら読むよ・・・?」

「読んだって本気にしないって。それじゃあ悪戯だもん。」

「え、そうかなぁ?」

 あいまいな苦笑でお茶を濁そうとした結城さんだったが、額には脂汗がにじみ始めていた。


それから何日か後。数日間で外はすっかり寒くなり、おかげで結城さんはちょっと風邪気味だった。ブレザーのポケットから取り出したちり紙で鼻をかむ。

教室は暖かかった。そして蛍光灯のおかげで薄暗い外と隔てられていた。クリーム色の教室。だが結城さんはその教室から出て、はずれの水飲み場へ向かった。今日こそは、と気持ちを決めた。

 掃除の時間のおわり、倉田くんはいつもそこにいた。その痩せぎすの彼は手を洗っている。爪の間、手の指、指の付け根、掌、手の甲、手首、険しい表情を浮かべて石鹸をもう一度取り、泡を両手になすりつけていた。持参品らしいプラスチックのケースに丁寧に戻すと、最初からの動作を繰り返した。

隣で栓をひねった結城さんには気付いていないのか目をくれようとはしなかった。俯き、一心に両手だけを見つめていた。結城さんは顔を傾けて彼の方へ目を向けた。その目は少しの間動揺したように泳いでいたが、やがて彼の頭の高さに合わせて下げられると同時に、遠慮がちに彼女は口を開いた。

「その石鹸、家から持ってきてるの?」

その間も、やはり彼の注意は自分の手から離れなかったが、結城さんの呼びかけではっと身を強張らせて振向き、ようやく自分を見下ろす大女の存在に気付いたようだった。怪訝な目で睨みつけられて、結城さんは慌てた。いつもの彼の、苦しげな愛想笑いはそこにはなかった。が、直ぐに彼の表情には不安げな作り笑いが戻り、凍てつく視線は消えた。

「そ、そうだね、そうだよ。」

「やっぱり!」

彼は投げるように石鹸をケースに置くと、急いで手についた泡を流し始めた。こっちを一瞥して苦笑いして、栓を締めてケースを内ポケットに入れた。ハンケチで手を拭って、そして、たぶん意識せずにする仕草なんだろうけど、その手で長い髪をかきあげた。全部の動作が急かされているように速かった。

「それじゃあ・・・」

倉田くんはこの場を離れようとしていた。

――彼の機嫌を損ねてしまった?

結城さんは不安に背中を押されるまま、滑舌の悪い声を上げた。(『きょうできないのなら、あすもだめです。一日だって、むだに過ごしてはいけません。』)

「まって・・・。」








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