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ウテンケッコウ

作者: 筐咲 月彦

「えぇ~~~っ!?」

 少しは気を使っている節もあるものの、押さえ切れなかったもしくは抑えたく無かったのであろう驚きの声で、僕は目覚めた。

 覚醒も早かった。聞こえた声に異常を感じたこともあるが、声と同時に耳に入ってきていた音が、実際はそのずっと前から耳を撫でていたらしいことにも気付いたから。

「ん……どうしたの?」

 僕は彼女に声をかける。パジャマ姿の彼女。

 彼女はゆっくりと振り向き、布団の下から首だけで彼女を見る僕を、見下ろす。

 そしてその後に聞こえた単語から鑑みるに、僕には原因は無いはずなのだが、それでも恨みがましく言った。

「……あめ」


 あめ。と、言った。

 雨、だろう。僕の耳を撫でながら脳髄に侵入する音。

 さぁーーーーーー

 と、一音だけが鳴り続けている。それであれば、鳴っているのか鳴っていないのか解らなくもなりそうなものだが、雨音というものは不思議と……間違いなく日常の一部でありながらも、非日常としての位置付けを失うことは無い。

「あめ……だねぇ……」僕は寝ぼけたまま、かすれた声で呟く。

「うん……」

 彼女も返す。落ち込んだような声で。

 雨音は、感情と感覚を平坦にさせる。明るい調子を落ち込んだように聞こえさせることもあるし、だとしても今は実際に落ち込んでいるのだろうその声にも、僕はぼーっと反応を返せないでいた。

 窓の外はすり硝子でも無いのにぼやけていて、僕は何故かは分からないけれど、微かな安心を覚える。

「おでかけ、だめかなぁ」

「……」

 僕は、否定も肯定も出来なかった。彼女が今日の予定を実行出来ないことをどれほど残念に思っても僕は、雨の当たらない場所に居られることに安心を覚える人間らしいから。

 僕はまだ寝ぼけているのだろうか?……そうかもしれないが、それ以前に、受け入れてしまっているのだろう。夢の中で聞いていた雨音は、優しく、穏やかだったから。今も。

「はぁ……」

 彼女が窓に向かってため息をつく。窓が曇り、フィルターが二重にかかる。外はもう、遠い物語の中のようで。遠い記憶の、傘では無く雨合羽で歩いた街のようで。

「……」

 僕は思い出す。

 フードを伝って入ってくる冷たさと、キラキラ光の跳ねる軒先と、水溜まりに広がる波紋を不思議に思ったことも、じとりと濡れた足先の生の感触まで。

 まるで物語の中のような、他人ごとのようなそれを、思い出す。

「……」

 僕は、今、どうだ。どこに居る。

 こんなにも他人ごとのようになってしまった記憶は、久しく雨に濡れていない唇は、雨の味は。

 彼女はどうだ。ため息をついている彼女は。僕にとって、どうなんだ、他人ごとか。僕は、どこにいる。

「……」

 何も言えない僕は、何も言わないままに立ち上がる。

 ぼーっと、いや、呆然とかもしれないけれど外を眺め続ける彼女をそのままにして、台所へ。

 流し台の上には、幾つかの食材が切られた状態で皿に小分けにされて並んでいる。

 ――確か、ご飯を炊いておにぎりを二種類。唐揚げも、冷蔵庫に漬け汁を準備してある。卵焼きとサラダに、アスパラのベーコン巻き。黄色のたくあん、リンゴのウサギ。

 まずは、ご飯を確認……炊飯器を開けば、むわっと水蒸気が。タイマーでしっかり炊き上がっている。しゃもじで軽く混ぜておく。

 次は、唐揚げの準備。冷蔵庫から漬け汁を、冷凍庫から鶏肉を取り出し、鶏肉をレンジで解凍にかける。

 そうだ。冷たい麦茶を用意してあるが、暖かい方が良い。ヤカンにお湯をたっぷり、麦茶のパックを2つ入れて沸かす。

 ……今日は、公園にピクニックに行く予定だった。広い国立公園。芝生の原っぱで、バドミントンをしてフリスビーをして、お弁当を食べて昼寝をしようと。

 久々の、久々のデートだった。久々といっても2ヶ月ぶりというところだが、付き合って一年半経つ中で、ひと月も間が開いたことは無かった。忙しい時期がズレて繋がって、いつの間にか2ヶ月。

 お互いに楽しみにして、前日の夕方から準備をして、一緒に買い物をして「これはデートじゃないよね、明日が久しぶりのデートだよね」なんて言いながら。二人で手を繋いで、帰って、準備をした。布団に入ってから少し喋ったが、やっぱり早めに寝たりした。

 遊び道具とブルーシートは、玄関に纏めてある。弁当箱と水筒もテーブルに出してある。

 なのに。二人で「晴れると良いね」なんて言いながら寝たのに。なのに。

 雨。

 ため息も出る。呆然ともする。

 ――卵を割って混ぜ、サラダの野菜を出して洗っている間に、鶏肉の解凍が終わる。取り出し、一口大に切って漬け汁に入れる。

 ヤカンの麦茶が沸いたので、火を止める。コンロからどけて、卵焼き用のフライパンと中華鍋を用意。片栗粉を用意して、中華鍋には油を注いでおく。ついでにフライパンにも油を引いて、卵焼きを作る。卵焼きは得意だ。

 出来た卵焼きを皿に移し、新しいフライパンを出す。冷蔵庫から、昨日の内に下茹での済んでいるアスパラとベーコンを取り出して、それぞれ切る。ついでに、たくあんも切る。アスパラは横に三つに、ベーコンは縦に半分で、たくあんはまぁ適当に。まな板の上で、アスパラ三本ずつをベーコンで巻く。爪楊枝で留めた物が、計9個。残ったベーコン1/2枚は、口の中へ。

 そこまでしたところで、少し冷めた麦茶を水筒に入れてやる。どぽどぽどぽ、と音と共に湯気が湧き上がり顔にかかる。内蓋を閉める時の“キュイッ、キュイッ”という音が懐かしい。

 ……と、いつの間にか、彼女がキッチンの入り口に居た。

 のそのそと横に来て、「そうだよね、食べなきゃいけないしね……どうせなら家の中でもピクニック気分に……はぁ……」などと呟きながら、サラダを作り始める。トマトときゅうりとレタスを、それぞれたっぷり。

「……」

 僕は、何も言わずにアスパラのベーコン巻きを焼き始める。ジュージューパチパチという音と、彼女がレタスをむしる音が響く。雨の音は聞こえない。

 こうやって二人並んで料理して、どうだ。昨日はあんなに喋りながら、キッチンに立ったのに、言葉なく二人で料理している今は。昨日と今日の落差に、なんとも悲しくなるじゃないか。

 けれども、そうだ。あんなにも雨は、穏やかで優しい音だった。

 眠りの淵を潤して、穏やかな寝床を用意した雨。

 僕一人ならば、そりゃあ雨に負けるだろう。本屋に行く予定を立てたところで諦めるだろう。

 彼女一人でも、きっと挫けるだろう。美容院に行く予定を立てたとしても、やはり。……いや、実際に挫けた。僕に聞くまでもなく、無理だろうと。

 違うだろう?僕でもなく、彼女でもなく、僕らだ。一人じゃなく、二人で。

 あんなにも楽しみにしたのに、止める理由などどこにある。雨か?本当に?それで良いのか?その程度の理由で?

 僕はアスパラのベーコン巻きを焼き終え、卵焼きと同じ皿に盛る。彼女はサラダを作り終え、唐揚げを作り始める。先に油を火にかけ、鶏肉を漬け汁から出してキッチンペーパーで水分を取り、片栗粉をまぶす。僕は、ラップを出しておにぎりの準備。

 穏やかで優しい雨音は、気持ちを落ち着かせ、気持ちを沈ませ、気持ちを緩ませ、気持ちを解くだろう。

 けれど……けれども、どうだ。雨はどうだ。どうなんだ。

 雨は、“二人にとって”敵なのか。それとも。


 バチッ!バチバチバチ!!


 派手な音を立てて、唐揚げが色を変えていく。それを見る彼女の顔は変わらぬまま、沈んだ色。

 ――変えたいじゃないか。

「……なぁ」

「なぁに?」

 バチバチバチッ!!

 こちらを見ずに返事をする彼女。

「おにぎりの具、何が良い?」

「昨日言ってたので良いんじゃない?鮭と梅で」

 バチバチバチバチッ!!

「おかか、混ぜたいな」

「別に良いけど……おにぎりまで作るの?そのまま食べたら良いんじゃない?」

 はぁ……とため息をつきながら、言葉そのまま、面倒そうに答える彼女。

 唐揚げが良い色になってきた。

「おにぎり、作ろうよ。二人で」

「……良いけどさ」

 唐揚げを確かめる彼女。一つ上げて割ってみて、大丈夫そうだと残りもあげていく。

 僕は、ボウルにご飯を半分と醤油を垂らしたおかかを混ぜ込む。しっかり混ぜて、冷ます。残りのご飯も冷ましておく。梅干しも準備。ラップもOK。

「じゃあ、作ろうか」

 彼女が面倒そうに、ため息混じりに、横に来る。

 隠そうともしないその表情。雨を恨めしく思っているのかもしれない。僕は、雨が嫌いじゃないが、あんなにも穏やかな気分をくれる雨を嫌いにはなれないが、彼女は今、恨めしく思っているかもしれない。雨のせいで、なんて思っているかもしれない。

 ……変えたいじゃないか。

「うん、作ろう。それで、公園行こうか」

「え?」

 二人なら、きっと。


 ……

 ポツポツと、ブルーシートに雫が落ちる音。

 ボツボツと、それより少し籠もったような、傘に雫の跳ねる音。

 眺める先では、黄緑色が鮮やかで。明かりも無いのに、暗いのに、鮮やかで。

 生き生きとしていて。

 傘を木の幹に立てかけてその下にブルーシートを引き、右側に僕。左側に彼女。

 僕は横になっていて、腰から下は時々葉の間を伝ってきた大きな雫がボトリと落ちてくるけれど。その度にビクッと体が跳ねるけれど。

 彼女は傘の下に収まるように縮こまって体育座り。なんとも窮屈そうだけれど。

 もちろん遊び道具たちは、玄関先に置いたままだけれど。

 二人は、濡れた植物の香りと雨の匂いを吸い込んで、二人で、ポツポツと喋った。ずっと。それはブルーシートに雫が落ちるように、傘に雫が跳ねるように。

 濡れた靴と生々しい土の匂い。弁当の味。美味しいねという言葉。傘から染みて落ちてくる小さな水滴。視界を低くしないと気付かない、地面近くの霧。どこか遠くに聞こえる声。雨に混じる虫の音。寒さと、冷たさと、傍らの温かさ。

 彼女は暖かい麦茶を飲んで、湯気と共に短く言葉を吐く。

「……あめ」

 呟き、小さく微笑んだ。

最後の微笑が書きたくて。読んだ方が、映像のように思い浮かべてくれたら良いな。

雨の優しさは、眠たくなるような懐かしいような、そんな優しさ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして。 日常生活のワンシーンって感じで、素敵でした。 ラストが良かったです。 ウテンケッコウのケッコウは、"決行"と"結構"をかけてるんですか? 雨も結構、あながち悪くない。…
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