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Short Short Circuit

我が獲物

作者: 境康隆

 奴らの瞳をじっと見つめる。勿論正面からではない。森の草木に隠れてその側面から。或はじっと茂みに隠れてその後ろからだ。

 俺は狩りの度に獲物の瞳を覗き込んでしまう。

 それはこれから命を奪うものへの、せめてもの誠意の表れのように感じていたからかもしれない。

 今日も一匹の獲物の瞳を俺は見つめていた。

 俺は森の陰で大きく息を呑んだ。その息を呑む小さな音すら、奴らには気づかれるのでないかと思えてしまう。俺は喉以外は極力動かさなかった。思わず力が入ってしまい、ぐっと猟銃を握り締めた。

 下草を食んでいた獲物が不意に首をもたげた。そのまま警戒するかのように、その印象的な瞳で辺りを見回す。

 鳥だった。

 鳥が飛び立ちそちらに注意が向いたのだ。

 獲物は鳥をしばし見送ると、そこらの草は飽きたのかおもむろに動き出した。

 獲物が移動するのに合わせて、俺も身を隠していた茂みからそっと出る。

 離されないよう。それでいてこの機会に更に近くに寄る為に、俺は息と足音を殺して歩を進める。

 獲物は次の餌場を決めたようだ。二度三度と、辺りを見回すとその長い首を地面に向けた。

 俺は猟銃を構えた。だが少し距離が遠い。射って当たらない距離ではないが、確実を期すにはもう少し近づきたい。

 獲物は草食動物特有の警戒深さを持っている。少しでも気配を悟られたら、その途端に逃げられてしまうだろう。

 ただの狩りなら、この距離から射つのも一つの手だ。狩りの目的が獲物を捕らえるだけなら、ここで射ってしまったかもしれない。

 しかし俺の目的狩りそのものだ。

 何処まで獲物に近づけるか。どれだけ確実に仕留められるか。どれ程己の焦りと戦うことができるか。

 言わば獲物との駆け引き。自分との戦い。俺が狩りに求めるのはそれだ。

 本当にそれ以上は近づくことができない。そしてそこまで近づけば外しようがない。獲物にとって生命の詰みを意味する距離。そこまで近づくのが俺の狩りだ。

 一筋の汗が額を伝った。拭わない。衣擦れの音は極力立てたくないからだ。汗が頬を伝わり口に入った。呑み込んだ。吐き出すなんてできない。下草が俺の頬を突く。同じ姿勢でいるせいで足が痛みを訴える。瞬きすらし忘れた瞳は今にも乾いてしまいそうだ。

 獲物は草を食みながらも警戒を怠っていないようだ。首の傾きが浅い。時々首をもたげて辺りを見回す。

 このままではこれ以上近づけない。俺は内心の焦りと戦う。味わうように戦う。

 だが獣が今度も草場を変える。僅かばかりだが四肢を駆り、森の奥へとその身を踊らせる。

 どことなく先程より気が抜けた移動に見えた。

 俺はままよと動き出す。先程よりも大胆に獲物との距離を詰めた。

 獲物は俺に気づかない。

 俺は息を呑んだ。

 獲物は新しい餌場で先程よりも、やや深く首を傾けて餌にありつく。

 満腹が近くなり、流石に気が緩んでいるのかもしれない。その様はやはり今まで以上に無造作に――そう、無警戒に見える。

 俺は一歩距離を詰めた。

 獲物は気づかない。

 俺は銃を握り締めた。

 獲物が不意に顔を上げる。

 気づかれたか――

 俺は身を固め、茂みの影から獲物の様子を窺った。

 だが獲物は更に足取りも軽く、森の奥へと入っていく。

 いける。俺はそう確信する。獲物はやはり腹が満たされたせいで、少々油断しているのだ。

 俺は最後の距離を詰めるべく、細心の注意で前に進んだ。

 獲物が立ち止まった。餌場でも何でもない場所で立ち止まった。

 俺は不審に思う。だがもはや獲物との距離はもはやない。俺の狩りは成功したのだ。

 俺は銃を手に一気に立ち上がった。

 そしてその瞬間に巨大な爪に襲われた。

 視界が一瞬で真っ暗になり、思考が一瞬だけ真っ白になった。

 戻った視界で真っ赤に染まった地面をとらえ、俺は何が起こったかを悟る。

 襲われたのだ。別の大型肉食動物に。

 俺が獲物になったのだ。

 情けないことに、獲物を追うことに夢中になり過ぎて、己が狙われていることに気づかなかったのだ。

 俺の獲物がこちらを見ていた。

 偶然か。誘い出されたのか。それは分からない。

 俺の獲物はじっと俺の瞳を見ていた。

 まるでそれが誠意の表れでもあるかのように。

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