家来、大いに戦う 13
大悟は咲希に付き合わされて近所の町営温泉に来ていた。旅行雑誌でチェックしていた美肌の湯らしい。大悟が目覚めたときには朝の十時を過ぎていて、唯依と美夜はお土産を求めに出かけていたのだった。
「おまえは土産とか買わなくていいのか?」
「うん、わたしはそんなに親しい友達って多くないから。美夜さんに頼んでおいたわ」
泣きはらしたような赤い目をしていて、鼻声の咲希。大悟が無事に目覚めたら地元に帰ろうと提案したのも咲希だったらしい。
「やだ、臨時休業だって。せっかく歩いてきたのに」
美夜達が車に乗って出掛けたため、二人は二十分ほどの道のりを歩いてきたのだ。食べるところもあるみたいだから、と、朝食抜きで歩いてきた大悟はエントランスの石段に座りこんだ。
「腹減ってもう歩けない。美夜さんに拾ってもらおう」
大悟が携帯を取り出していると、腰の曲がったシワシワの婆さんが現れた。
「おや、どうなさったね?」
咲希が事情を説明する。
「今日で帰るのにそれは気の毒だねえ」
と、婆さん。「特別サービスだよ」と言って、自動ドアのロックを解除した。
「点検日で休みなんじゃが、業者さんはお昼過ぎにならないと来ないからねぇ」
スタスタと先に入っていった婆さんに二人も続いた。大悟は発券機に小銭を入れてみたが、電気が消えていて素通りしてしまった。婆さんは、「いいから、いいから」と言いながら、喫煙所に入っていく。入りかけて振り返り、
「そうじゃった、男湯は湯船のお湯を止めてあったのさね。あんたらカップルなんじゃろ?」
え? どうだっけ? と、大悟は咲希に問う。咲希は曖昧な顔をして、さあ? と、とぼけた。
「あんちゃんがはっきりしないから、嬢ちゃん困っとるじゃないか。しっかりせえよ?」
ニヤニヤ顔の婆さんは、ウリウリと肘を突き出すジェスチャーをした。大悟は背筋を正し、「カップルです」と宣言して応える。咲希を振り返って見ると、やっぱり明後日の方角を向いていた。
「じゃあ、一緒に女湯に入ってもかまわないやねぇ。湯船の中で『いたしたら』いかんよ」
婆さんはムヘヘヘヘと妙な笑い声を上げながら、喫煙所に入って扉を閉めてしまった。
大悟はホヘ? っと間抜けな声を出した。カップルなのかと訊かれただけで舞い上がっていて、言葉の脈絡を考えていなかったのだ。つまりは禁断の女湯で咲希と混浴して、湯船の中でさえなければ……。油の切れたロボットみたいな左手で、咲希の手をとろうか、腰に手を回してエスコートでもしたほうがいいのかと迷う。
「十分経ったら入ってきて。……恥ずかしいから」
咲希はそう言い残して赤いのれんをくぐっていった。
これはいよいよ本当に大人の階段を登っちゃうのか? と、硬直した喉で硬いツバを飲みこむ大悟。心の中で「母さん、僕は……」と、数々の報告を済ませ、果てしなかった十分が過ぎた。
大悟は赤いのれんをくぐってドキドキ、シャツを脱いでドキドキ、下着をおろしてタオルを腰に巻き付けたときには気が遠くなるほどだった。
ガラガラとスライド式のガラス戸を開けると、湯気の向こうに咲希のうなじが見えた。普段は下ろしている肩までの髪を、入浴のために結い上げたのだろう。すぐそばに風呂道具一式の入った桶があって、その上にはバスタオルが載っている。と、いうことは、咲希はいま生まれたままの姿で……。いよいよスクラップ寸前になった錆びたロボットは、歩いても歩いても景色がかわらない悪夢でも見るかのようにして洗い場にたどり着いた。咲希の姿が視界に入らなくなると、物凄いスピードで体を洗い、シャンプーを済ませた。
他にすることが無くなると、いよいよ湯船に入らなくてはならない。咲希との混浴が嫌なわけはないが、何故か『入らなくてはならない』と感じる大悟。最上級の幸せを手にしかかって、本当にこれでいいのだろうか? と、臆病風に吹かれたのかもしれない。
「ちょっと、のぼせちゃうでしょ。……早くいらっしゃいよ」
今日のお嬢様はずいぶんと積極的じゃないか。風呂に入ってみたら実は咲希に変身していた神代がいて、また背骨を折られてドラゴンに食われるんじゃないか、と、大悟は怖じ気づく。しかし、チャンスの女神は気が短いものだ。これまでに何度もためらっては、せっかくのチャンスを無駄にしてきたではないか。大悟はウォーっと叫んで浴槽に飛び込んだ。咲希は大悟のほうを見ながらも、エビのように後ずさりして壁際まで逃げた。
「お風呂にタオル入れちゃだめよ」
大悟は前を隠していたタオルを恐る恐るはずし、浴槽の縁に放る。お湯は乳白色の濁り湯で、胸までしか見えない。なるほど、これなら出入りのときに気をつければなんてことないか、と、安堵する大悟だった。
咲希がよいしょ、よいしょっとにじり寄ってきて、大悟は逃げ出したいような、それでいてワーッと襲いかかりたいような板挟みの気分で固まっていた。咲希は大悟の隣に来て、動きを止めた。二人揃って窓の外の深緑を眺め、脚を伸ばしてのんびりの図であった。
「やっと二人きりになれたわね」
大悟はゴクリとツバを飲みこんで「う、うん……」と、うなずいた。
「それで、あのあと何があったの? あんた、起きてから何も言わないけど、そんなに怖い目に遭ったの? それとも、エッチなことでもしてた?」
なんでいまその話? と、ちょっと落胆気味の大悟だったが、無視するわけにもいかずに事情を話した。
「そう……。わたしも、神代さんって根はいい人じゃないかなって思ってたのよ。昨夜は怖かったけど、ご本尊を狙ったんだから怒るのも無理はないし」
「まあでも、帰ったら忘れよう。世の中に悪事なんていくらでもある。俺達はたまたまその一つに出くわしたってだけだ」
大悟が咲希の視線を感じて見ると、ジロリと軽蔑の眼差しを受けていた。そのまま思わず視線が下がると、緩い腕組みで隠された胸の真っ白な肌が見えた。浮力で上げられ、腕組みに寄せられているせいか、見事な谷間を形成している。
咲希は上手いこと片手だけで胸をカバーしながら、左手で大悟の頬をつねった。
「わたしは悪事を見逃したりしないわ。いいえ、性格的にできないの。そんな気持ちの悪いこと」
大悟は解放されたほっぺをさすりながら言う。
「咲希はもし、大好きなやつが悪いことをしてたらどうする?」
咲希は目を真ん丸くして、
「あんた、そんな改まって言うほどの悪いことをしてきたの? 中条さんに弁護団を組んでもらって、出来るだけのことはしてあげるから、早く自首したほうがいいわ」
と、まくし立てた。
「そうじゃなくて、神代のことだ。あいつは山田の気が狂った時点で、葵を連れて逃げることだって出来たはずだろ。それをしなかったってことは、山田をまだ愛してるんじゃないのかな。それで、山田のやりたがっていたドラゴン復活の意思を継いでるとかさ」
咲希はウーンと上を向いて思案した。
「わたしは、あんたが悪いことをしてて、救いようがないと思ったら容赦なく叩きつぶすわ。それは、わたしが悪いことをしてても同じ。できればあんたに悪事を打ち砕いてもらいたいかも。きっと神代さんも、誰かに野望を叩き壊してもらいたいんじゃないかしら?」
大悟は満足げにうなずいた。
「実は俺もそう思ってたんだ。ただ、それがあいつらのためになるのか、ちょっと迷いがあってさ」
咲希はニヤニヤしながら、
「ほんとに? 調子合わせてるだけじゃないの?」
と、からかってみせた。
大悟は咳払いして真顔になる。
「悪いことをして得た地位に縛られてるなら、その地位を奪ってやればいい。あの夫婦には葵がいるし、いくらでもやり直しはきくはずなのに、気付いてないのは本人達だけなのかもな」
問題は、神代や巨大なドラゴンにどうやって対抗するかということだ。それに、風呂を上がって戻れば地元に帰る予定になっている。と、大悟がブツブツ言っていると、咲希は大悟の背中にパチーンと紅葉マークをつけた。
「くよくよしないの。男の子でしょ? 夢の中ではいつでもここに戻ってこられるんだし、これ以上、唯依と美夜さんを巻き込まないために帰るだけよ」
なるほど、と、うなずく大悟。男の子と言われて、あることを思い出した。
「そっか、男の子はくよくよしなくていいんだな?」
「ちょ、ちょっと……」
大悟は咲希にガバッと襲いかかった。夢中で唇を重ね、裸の胸が密着する。咲希もためらいがちではあるが、大悟を抱き返してきて、初めての受け入れられたキスが完成した。そのまま押し倒してしまいたいところだが、ここは湯の中だ。大悟は咲希の手を引いてお湯から上がろうとした。
「ば、ばか、隠しなさいよ! わたしにもタオル取って!」
咲希は目をキョロキョロさせている。大悟は自分のタオルで前を隠し、咲希にバスタオルを差し出した。
「あっち向いて。見ちゃだめよ」
タオルを巻き終わった咲希は、大悟の腕に寄り添った。大悟は手頃な場所を探して、露天風呂の脇にサマーベッドがあるのに気付いた。そちらに向かって歩き出すと、
「外なんてだめ。……初めてなんだから」
と、咲希。そうなるともう、どこでも同じだった。浴槽の縁に腰かけて、二人はキスを再開する。大悟は夢中で口付けながらも、次はどうするんだっけ、どうするんだっけ……? と、パニック状態だった。一度冷静になろうと唇を放すと、咲希がはにかんだ笑顔で見守っている。それが可愛くてまた唇を吸うと、パニックに陥って続きが出来ない。
「……大悟は夢の中で世界じゅうの女の子とエッチしてきたんじゃなかったの?」
「そ、そんな卑怯な真似するかよ。デートしてチューぐらいまでだ」
夢の中でソープランドに行ったことがあるとは、いろんな意味で言えなかった。夢の中でまで変な遠慮をしてプロが相手だったのかよとか、あんた不潔よ、だとか、わたしはエッチしたい女の一人でしかないの? とか、色んな突っ込みを想定したのだ。それにしても、大悟はリアルでは生粋の『少年』であった。これが初の試みだと言っても全くの嘘ではないだろう。
「あんたって、ほんとだらしないわよね。年下のご主人様がなんでもやってあげないとだめなんだから」
咲希は大悟の顔じゅうにチュッチュっとキスをして、首の辺りまで下がる。そこで顔を上げて、「あんたもやってみなさい」という顔をした。
大悟はお手本に従って、咲希の顔にキスしてないところはないというぐらいにした。耳たぶを唇で挟んでみたりしながら、キスの行軍は首筋を目指す。
咲希のタオルがハラリと落ちて、大悟はホヘェーっとため息をついた。
「なによ、がっかりなの? あんたってば美夜さんぐらいないとダメな人?」
「違うよ、あんまり綺麗だからさ」
大悟が両手で持ち上げて、唇を寄せた瞬間だった。
「咲希ちゃんいますか~?」
唯依の声だった。咲希はつつかれたイソギンチャクのような素早さでタオルを巻き直した。大悟は泣き出しそうなほどにがっかりした顔で、重いため息をつくのだった。唯依と美夜が心配してはいけないからと、書き置きを残したのは大悟だ。なんという自業自得。
唯依はタオルを左腕にかけて、右手には桶を持っている。それ以外はスッポンポンのまま、堂々と歩いてきた。
「やだ、先輩もいたんですね! ごめんなさい!」
唯依は半身になって縮こまり、体をかばった。
「謝ることはないよ。いいもの見せてもらったから……あはは」
唯依の照れっぷりや咲希の視線が痛くなって、大悟は出口を目指した。
「あら、大悟君、もう上がっちゃうの?」
「うん、ちょっと、いろんな意味でのぼせそうだから」
美夜とそんな言葉を交わしながらすれ違った。そして、「あれ?」と、振り返る。美夜も唯依と同様、隠しもせずに堂々と歩いていたのだ。考えてみればここは女湯。彼女達のテリトリーなのである。しまった、一番大きいおっぱいよく見なかった。と、残念がりながらも大悟はガラス戸に手をかけた。背後から忘れたころに上がった悲鳴は美夜のものだった。
「大悟君がどうして? 私もうお嫁にいけないわ!」
「美夜さんはとっくに『お姉さん』なんでしょ~? 生娘でもあるまいし、っていうことで、いいんじゃないですか~?」
と、唯依が立ち直ってからかっていた。
「で、でも、あんなに堂々と見せちゃったらやっぱり……」
そういうことならもらってあげたいが、俺には先約がいるからね、と、鼻歌交じりに脱衣所に戻る大悟だった。




