家来、大いに戦う 2
唯依は「とりあえず今日はこれで」と言い残して帰っていった。四人がかりでやったとはいえ、既に夕飯時だった。美夜が慌てて仕度をすると言いだしたが、咲希が「今日はどこかに食べに出ましょう」と提案した。美夜がそのまま帰れるように着替えをしている間に、二人は中条を誘う。
大悟は中条の部屋に入っていきづらい気がして、廊下に突っ立っていた。咲希はさっさと中条に歩み寄る。
「みんなでご飯食べにいきましょ?」
「すまない、まだ仕事があるんだ」
咲希は中条の両肩に手を置いて「ちょっとだけ抜けられないの~?」と食い下がった。
「お土産に何かテイクアウトしてきてくれれば助かるよ。僕のことは気にしないで楽しんでくるといい」
どうやら大悟がいることに気付いていないらしい。二人きりになるとこういう話しかたをするのかと、大悟はちょっぴり寂しくなった。咲希には同級生に恋人がいないらしいことは判明していたが、中条はやっぱりかなりの有力候補だ。難問を解いて「ご褒美にチューして?」と甘える咲希。「大人の恋愛も教えてくれるかしら?」と、手取り足取りの『授業』を受ける咲希。そんな妄想を繰り広げて、大悟はその場にへたり込んだ。
半開きだったドアの前でへたり込んでいた大悟に、重い扉が炸裂した。ゴスッと鈍い音がする。
「あ、ごめ~ん。痛かった?」
いつもなら、「ぼけっと座ってたら危ないじゃないの」とか叱られそうなところだったが、中条の前で猫をかぶっているのか、それとも中条に会って機嫌がいいのか……。
「どうしたの? あ、わかった。お腹空いて歩けないんでしょ?」
そのまま嫉妬を口にするわけにもいかず、
「……実はそうなんだ。もう歩けないから……何か取って食べよう」
行き倒れ風に床に這いつくばる大悟。たしかに歩く気力は失っていた。
「本当にそれでいいの? 二人にはいっぱい手伝ってもらったからおごるわよ?」
しまった、咲希のおごりなら高級レストランで、見たこともないようなごちそうを振る舞ってもらえたかもしれない。覆水盆に返らず。おごりと聞いた途端にやっぱり歩けるというのもみっともないと思い、今日は厄日だと絨毯を掻きむしる大悟だった。
「もう、なんでもいい……」
「やだ、そんなにお腹空いてるの? ちょっと待っててね」
咲希は部屋の中に駆けていくと、
「おにいちゃん、大悟が行き倒れてるから、ダイニングまで運んであげてくれるかしら?」
お、おにいちゃんだと? 苗字が違うのに『おにいちゃん』だと? 萌え萌えなアニメやエッチなゲームなら、『おにいちゃん』すなわち年上の恋人を意味する言葉じゃないか。終わった。何もかも……。そのまま眠ってしまいたい大悟だったが、『おにいちゃん』に抱きかかえられて食卓に連れていかれるのも癪だった。壁に手をつき、えいやっ! と起き上がる。そこをねずみ取りよろしくドアでサンドウィッチにされる。
「これはすみません。怪我はありませんか?」
中条に腕をとられ、肩を貸されそうになって大慌てで立ち上がる。
「や、やだな~、いくらなんでも歩けないなんて冗談ですよ。あはははは~」
中条の目をキッとにらみながらも、ヘラヘラする大悟。中条はどこまでも穏やかな笑顔で、
「きっと頭を使いすぎて血糖値が下がったのでしょう。冷や汗も出ているようだし、チョコか飴でも舐めて、その間にデリバリーしてもらうのがいいかもしれませんね」
「そうね。明日からもお留守番頼むのに、今日も置いてきぼりじゃ中条さんがかわいそうだし」
咲希、大悟、美夜の三人は翌日から芳野家の別荘に遊びにいくことになっていたのだ。呼称こそ『中条さん』に戻っているものの、やっぱり気遣っている。こうなったらヤケ食いだ。ヤケ食いをしてやろうと心に決める大悟であった。
――美夜は「せっかくのチャンスだったのに」と、残念がったが、結局は近所のラーメン屋から出前を取った。咲希はちゃんとした中華料理店の、漢字だらけのナントカ麺しか食べたことが無かったらしく、大悟が好きな庶民の味を食べてみたいと言いだしたのだ。
中条の分は自室に届けられ、残りの三人は食卓についた。『晩餐会』という言葉が似合いそうな長いテーブルの左から順に美夜、咲希、大悟の順で並んでいた。中条と四人で食べる場合は二対二で向かい合うことが多かったが、このときはなんとなくラーメン屋のカウンターっぽく座っていたのだった。
大悟はチャーシュー麺大盛りとチャーハン、餃子のヤケ食いメニュー。咲希と美夜は野菜たっぷりラーメンと、餃子を二人で一人前注文していた。どんぶりには今どき珍しく張りつめたラップと輪ゴムがかけられている。
「待てっ!」
大悟は咲希が不用意な行動に出そうなのを見て鋭く制止した。
「なによ?」
「やれやれ、これだから素人は」
三人分の丼を手元に集める大悟。まるで爆発物処理班である。
「離れろっ!」
咲希と美夜は、なんの冗談だろうといった具合に、やれやれと首を振りながら離れた。
大悟は自らの手の大きさを武器にしてラップを押さえつける。そして、輪ゴムに手をかけた。
パシッという音と共に熱い汁が弾け飛んだ。
「あちちっ! ……おかしいな、手で押さえてやれば簡単だって聞いたんだけど」
残りの二つも見事にまき散らして、大悟のTシャツに油ジミの水玉模様ができていた。
「なるほど、危ないものなのね。ありがと、大悟」
美夜が布巾で大悟の胸を拭く。
「大悟君って、意外と頼もしいのね。結果は残念だったけど」
「そういえば、夢の中でシャンデリアが落ちてきたときも、わたしをかばってくれたのよね。気付いた時点で消滅させてれば、痛い思いしなくて済んだはずだけど」
『意外と』、『けど』はついたものの、ちょっとはいいところ見せられたかなと、大悟は頭をかいて照れた。下ろした手がチャーシュー麺を直撃し、熱さで引いた拍子にひっくり返った。
「あ~あ、なにやってるんだか。美夜さんは食事中で休憩扱いだからね。自分で片付けなさい」
大悟は変わり果てた姿のチャーシュー麺をなんとか丼に戻し、三秒ルール? と訊ねてみたが、みっともない真似はやめなさい、と、叱られた。布巾で汁を拭き取り、テーブルクロスは洗濯するからほっといていいわよと言われて、チャーハンをつついた。
「味が濃いめでニンニクと油でごまかしてるわね。でもまあ、そんなに悪くはないかしら」
女二人がたっぷり過ぎる野菜に苦戦している間に、大悟はチャーハンと餃子を平らげてしまった。
せっかく大盛りチャーシュー麺なんて贅沢なものを頼んだのに。これがメインだったのに。と、諦めきれない大悟。せめてチャーシューだけでもと、そーっとそーっと箸を伸ばす。
「やめなさいってば、意地汚い」
慌てて箸を引っこめたスペースに咲希の丼が差し出された。
「もうお腹いっぱいだからあげるわ」
きれいなテーブルの上にちょっと転がったものはだめで、食べかけはいいのかよと理不尽なものを感じる大悟だったが。……待てよ、これはまるで恋人同士のようじゃないか。と、気付いた。ジュースの回し飲みなんかとは違って、かじった麺が混ざっているかもしれない。これはかなりディープな間接キスなのだ。嫌いな相手なら絶対にこんなことはできない。そう考えればぬるくなりかけたラーメンが宝石のように輝いて見える。
咲希が野菜だけで力尽きてしまったせいか、麺の大部分が残っていた。それを大事に大事に食べていると、美夜もギブアップを宣言した。
「大悟君、もし嫌じゃなかったら私のも食べちゃってくれるかしら?」
「嫌って、なにが? 喜んでお引き受けしますとも」
リレーされてきた丼と並べて、二つのラーメンを交互に食べる大悟。美夜はわりとバランス良く食べていたようで、野菜もいくらか残っていた。面倒だから一つにまとめようとすると、また咲希に叱られた。
あれ、でも、こういう余り物の処理って家族でもよくやるんだよな。と、気付いたのはきれいに完食したあとだった。




