お嬢様の天敵 6
「……最悪だったわ」
学校から戻った咲希に手応えを確かめた答えがこれだった。文系教科のテスト中にクロスワードの要領で連想が連想を呼んでしまい、全然集中出来なかったのだという。終了時間ギリギリでなんとか答案を埋めて、見直しをする暇もなかったそうだ。
「まあ、一回ぐらい勝たせてやれよ。そんなに悪い子じゃなさそうだしさ」
咲希は細い眼をしてギロリと目を動かす。軽蔑の眼差しであった。
「これが芳野の狙いだったのよ。試験勉強じゃなくて、試験そのものを妨害する気なんだわ。昨夜あいつが口ずさんでた歌、覚えてる?」
そういえば、唯依は昔のCMソングの一節を延々とハミングしていた。集中したときの癖かなにかだろうと気にしていなかったのだが、言われてみれば大悟の脳内でも起きてからずっとその曲が流れ続けていた。しかも、ハミングだったから、肝心の歌詞が分からない。大悟こそネットで検索して歌詞を確かめたが、咲希はその前に登校してしまったのである。
「ご愁傷様」
大悟はニヤニヤしながら、問題のCMソングをハミングする。
「やめて! せっかく止まってたのに!」
咲希は大慌てで耳を塞ぐのだった。
そこへ、固定電話が鳴った。中条からの内線である。
「芳野様がいらっしゃいました」
咲希に伝えると、居留守を使えと指令が下された。その旨中条に伝えるとしばらく間があった。中条が妙なことを言い出す。
「『入れてくれないと、あのこと言っちゃいますよ』と、おっしゃっていますが?」
あのことってなんだろう? はったりか? と、大悟は考えたが、咲希が受話器を引ったくる。
「……通してあげてちょうだい」
何か弱みでも握られてるのか? と、大悟は訊ねてみた。
「昨夜わたし達が同じ部屋で寝ていたことを言ってるんだわ。そのことを、尾ひれをつけて言いふらすに決まってる。ああ憎たらしい!」
大悟は遠くから鏡台を見て、髪の乱れをチェックした。何気なくとった行動だったのだが、咲希は面白くなさそうな顔をする。
「ねえ、わたしの前では気にならないのに、あいつと会うときには髪型を気にするの?」
大悟は『あれ?』と、思った。
「ひょっとして、やきもち焼いてるのか?」
咲希は「ばっかじゃないの?」と吐き捨てるように言いつつ、鏡台の椅子に座った。
「そこに座ったら見えないだろ」
「し~らない」
これはどういう心境の変化だろう? 所有物を取られそうになって惜しくなったのか? と、分析を開始する大悟。そうこうするうちにドアがノックされた。
部屋の隅にある応接セットで向かい合う三人。大悟と咲希が並び、咲希の向かいに唯依が腰かけた。
「今日の手応えはどうだった?」
大悟は早速唯依に話しかける。
「はい、ばっちりでした。咲希ちゃんは?」
咲希のこめかみがピクリと動く。
「絶好調だったわ。今回は全教科満点も狙えるかもね」
咲希は手の甲で口元を隠すようにして、オホホホホとわざとらしいセレブ笑いをする。
「そ、そんな……あれだけの妨害を受けながら……咲希ちゃんの意地悪」
強がりとも気付かないのか、唯依はどんよりとしたオーラに包まれる。
「あんたね、どっちが意地悪なのよ? あんな迷惑な歌をよく仕入れてきたわね」
これでは歌に効き目があったことを白状したようなものだ。咲希は相当お疲れのようである。大悟は唯依の口元が一瞬ニヤリとしたのを見逃さなかった。
「で、今日はどんな妨害を企んでるんだ?」
大悟が代わりに探りを入れた。
「その前に、ちょっと面白いものを手に入れたんですよ」
学生鞄から一枚のディスクを取り出して大悟に手渡す。『フラッシュ暗算』をするためのソフトらしい。大悟は無視するわけにもいかずにパソコンを立ち上げた。
「また、白々しいことを。今日の妨害はそれなのね? でも、おあいにくさま、わたしはこれから中条さんとお勉強するところだから」
と、噂をすれば何とやらで中条から内線が入った。
「申し訳ありませんが、旦那様から呼び出しがかかりまして……」
咲希の退路は断たれてしまったのだった。
本日の計略は、パソコンのモニターに次々と点滅する数字を足し算して、答えを打ち込むだけというシンプルなソフトだった。大悟が試してみても、二つ三つ点滅した時点で諦めてしまうようなものだ。さすがの咲希もこれには苦戦した。唯依は得意気な顔をして、正答を重ねていく。そうなれば咲希はムキになる。咲希がはまっていくのを見届けながら、唯依は自分の勉強道具を広げるのだった。
結局、唯依はリアルの小早川邸にお泊まりした。十二時過ぎには三人とも眠ったが、夢の中でも似たような活動は続いた。咲希は聴覚を『侵食』されないために耳栓をしながらフラッシュ暗算に挑み続けた。一方の唯依は早々に勉強道具をしまって大悟とゲームをしていた。
「今日はもう勉強しないのか?」
「はい、明日は得意科目なので、もうバッチリです」
唯依は無邪気にゲームに没頭していた。アパートやマンション暮らしなら苦情がきそうなぐらいはしゃいでいた。楽しげな様子をチラチラと盗み見る視線があった。咲希はついつい、耳栓をはずして二人の会話に聞き耳を立てた。
「……そうなんですよ~、私ってば小さな頃からずっと『ドナドナ』が好きだったみたいなんです。悲しい歌だなんて知らなかったし」
唯依はチラッと咲希のほうを見て、ニヤニヤしながら歌いはじめる。
「ドナドナド~ナ~ド~ナ~ッツ」
最後がドーナツになっているところが何とも寒い。しかし、大悟は愉快そうに一緒になってドーナツと歌っている。唯依は壊れたレコードのようにその部分ばかり歌い続ける。暗算に集中していて対応の遅れた咲希は、いつしか一緒に口ずさんでいた。
「……やられた」
やけになった咲希は大声で正しいドナドナを歌いながら暗算を続行した。唯依も大声でドーナツと対抗する。大悟はやかましいと感じながらも、なんだかこいつら可愛いなと、ニヤニヤするばかりだった。
またしても夜明け頃になって、咲希はフラッシュ暗算を体得した。
「すげ~な。なんだかんだ言って一晩でマスターしちゃうんだ」
咲希は胸をはって満足げな顔をしている。その目は真っ赤に充血していた。集中しすぎてまばたきを忘れていたのかもしれない。
――その日の咲希はまた、うなだれて下校してきたのだった。数学や化学のテストで数字を見るたびに手当たり次第に足してしまい、例の誤ったドナドナが脳内に流れ続けたのだという。




