お嬢様の天敵 2
咲希はこの日から期末試験で帰りが早いはずだったが、「ちょっと買い物して帰るから、夕ご飯までには戻る」と連絡があった。わざわざ大悟の携帯に知らせてきたのだから、ちょっとは気にかけてくれているのかもしれない。そうか、俺は少し焦りすぎていたのか。こうやってゆっくりお嬢様と仲良くなり、いずれは……。大悟はムフフとほくそ笑んだ。
咲希が帰ってこないなら暇だからと、パソコンのスイッチを入れる。夕方までならネットゲームのキャラクターを一つぐらいレベルアップできるかもしれない。
そう思った矢先、ドアがノックされた。美夜だった。
「大悟君、ちょっといいかしら……?」
手招きしている様子から、どこかについてきてほしいということのようだった。大悟は立ち上がったばかりのパソコンをシャットダウンして美夜について行った。
案内されたのはメイド詰め所だった。その響きから禁断の花園を想像して近寄りがたかった部屋だ。
入ってみると、右手にスチールのデスク。その脇に同じくスチールのロッカー。左手に客間よりはいくらか簡素なベッド。奥にユニットバスの浴室等があるだけの部屋だった。なーんだ、と、ちょっと幻想を打ち砕かれた気がしながらも、ふとした疑問が浮かぶ。
「メイド詰め所って言っても、美夜さん以外にメイドさんなんていたっけ?」
「いないわよ」
常勤の使用人は中条と美夜の二人だけで、小早川夫妻が『長期滞在』する場合や、ゲストが来た場合などには非常勤で人員を補充しているそうだ。と、いうことは、ここは美夜専用の控え室である。ちなみに、勤務時間の長い中条にはきちんとした部屋が与えられていた。
そう気付くと大悟は途端にぎくしゃくしてしまう。女の子の部屋に「大悟君、ちょっといいかしら……」と呼ばれたのだ。そういえば『佐藤君』ではなく、『大悟君』と名前で呼んでくれている。これはひょっとして……。
「ちょっと暑いわね……」
美夜はメイド服のフリルエプロンをはずし、背中に手を回した。ファスナーが下がると紺色のフレアワンピースがストンと落ちる。
「ちょ、ちょっと、美夜さん!?」
大悟は頓狂な声を上げつつも、ああ、思えば長い道のりだったなあと不毛だった青春時代を振り返る。中学の頃に付き合った彼女とは何度かキスをしただけだった。それ以来、その思い出だけを牛の胃袋みたいに何度も何度も反芻して生きてきたのだ。つい最近、咲希ともキスを交わしたが、受け入れられてしたことではない。
「冷房をきつくすると体に良くない気がして。……大悟君も暑かったら脱いじゃっていいのよ?」
ああ母さん、僕はいよいよ大人になるみたいです。姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せというし、僕の運命の人はきっとこのお姉さんなのでしょう。世界で三百五十一万四千七百二十九番目に綺麗な人だそうです。お嬢様よりはいくらかランクが下だけど、僕には勿体ないぐらい素敵な人なんです。今度の休みにでも就職の報告がてら二人で帰ります……と、あらぬ方向を見つめて呆ける大悟。
「……大悟君、大丈夫? 顔が真っ赤よ?」
大悟の目の前で美しい白い手がヒラヒラしていた。いつのまにやら美夜は黒いデニムのホットパンツと、白地にピンクの英文字が入ったタンクトップ姿になっている。その上にフリルエプロンを着け直しているところだ。
またいつものやつか。と、大悟は肩を落とした。お手、おかわり、待てをされたままご褒美をもらえずに放置されたような顔だった。
「あらあら、何か期待させちゃったかしら?」
これまでは咲希と『大人の』中条しか屋敷にいなかったから、ついつい横着をしてこのような着替えをしてきたそうである。風呂掃除やプールの管理、火力の強い厨房での作業など、メイド服では暑苦しいことが多々あって、いつでも脱げるように下に薄着を着込んでいるのだとか。
それにしても、真っ白な太ももがお尻にかわる境目まで見えそうなホットパンツ姿は刺激的だった。そんなきわどい格好にエプロンをしている様は、まるで新婚の夫を待ち焦がれるエッチな若妻みたいだ。
「……ねえ、聞いてる?」
「……あ、はい」
耳から入って素通りしていった言葉の断片をつなぎ合わせてみる。どうやらパソコンの修理を頼まれているらしい。一応提出した履歴書に『特技パソコン自作』と書いたのでも読んだのだろう。
美夜に出してもらったドライバーでケースを開けると、換気用のファンに綿埃が詰まっていた。それでCPUが高温になりすぎて自動でシャットダウンしたらしい。
「やだ、こんなに汚れてたなんて……」
広い屋敷を隅々まで清潔に保っているメイドのプライドが傷付いたのか、美夜は涙目になって頬を赤らめていた。
「ま、まあ、パソコンを開けていじる習慣が無ければこんなものじゃないかな」
大悟は言いながら応急処置として綿埃をつかみ出し、集めたものをゴミ箱に捨てた。起動してみると正常に動くようだった。
「とりあえずはこれで大丈夫。でも、あとできちんとエアーダスター使って掃除したほうがいいかもね」
「見ちゃった以上、掃除したいのは山々だけど、怖くてパソコンなんて開けられないわ」
「じゃあ、やってあげるよ」
どうせ暇だしと申し出たことだが、美夜は「やった!」と、両肘で胸を寄せて上げるような可愛らしいガッツポーズで喜んだ。
「いつも鍵なんてかけていないから、時間が空いてるときにでも来てやっておいてもらえるかしら?」
女の子がいつでも部屋に入っていいなんて言うのだから、大悟に気を許しているのだろう。そう思うと大悟はまた有頂天にならずにはいられない。他に困っていることは? と、訊ねてパソコンの操作やアプリケーションについてあれこれ質問され、次々に解決した。
「大悟君って実は凄い人だったのね。見直したわ」
『実は』が余計だと思いつつも、美人のメイドさんにほめられて悪い気はしない大悟。また少しお近づきにもなれたし、セクシーな姿を拝めて良かった。と、ポジティブに考え直すのであった。
「それにしても、この広い屋敷の家事を一人でやってるなんて、美夜さんこそ凄いと思うよ」
ほめられっぱなしで居心地が悪くなった大悟は、ついつい美夜をほめ返した。美夜は満更でも無いという顔をする。
「実際やってみると大したことじゃないのよ。お嬢様も中条さんも大人しい人達だから、普段使うスペース以外は定期的なお掃除だけで済むの。お料理は好きだし、お洗濯だって人数が少ないから普通の家庭とかわらないわ」
ふむふむ、これは俺も大人しく暮らさないと美夜さんに迷惑がかかるんだなと考える大悟。まあ、暇だし、美夜さんのアシスタントでもしていれば肩身が狭くなくていいかもしれない。それに、そうやってお近づきになれば……。優勢に進んでいる将棋でも指すようにしめしめとほくそ笑む。
「ところで、まだお洗濯物が出てきてないけど、あんまりため込まないで出してちょうだいね」
「あ、でも……パンツとか恥ずかしいし、自分で洗うからいいよ」
「お嬢様の分だけで洗濯機を回すのってもったいないから、遠慮しなくていいのよ?」
相手はプロだし、まあいいかと考え直す大悟。
美夜は直ったばかりのパソコンで夕食の献立について検索を始めた。レシピを探しているのではなくて、目新しい献立を考えるために参考にしているらしい。
そこへ、インターフォンのチャイムが鳴った。屋敷じゅうに設置されたスピーカーから全館放送されているようだ。ピーンポーンという柔らかい音が間を置いて何度か鳴り続けた。
「あら、中条さんいないのかしら?」
来客の応対は中条がすることになっているようだ。しかし、中条が出られないときには仕方がないだろう。美夜は壁に設置された受話器を取った。この受話器も屋敷のあちらこちらに配置されている。
「……お嬢様のお友達だって。私はこれから夕食の仕度があるし、ちょっとお相手して差し上げてくれるかしら?」
ようやく手伝えることが出来てホッとする大悟。出迎えてみると、咲希と同じ制服を着た女の子だった。お嬢様のお友達というから女の子だろうなとは思っていたが、またしても可愛い女の子の登場である。




