家来、怖い夢を見る 2
「大悟、起きなさい。ここから出るわよ」
押し殺したきつい口調だった。二度目の遅刻でさすがに咲希も怒ったのかなと、大悟は慌てて飛び起きる。自室で『眠った』のだから自室に出るはずだったが……。そこは大悟の社員寮に間違いないようだった。馬鹿でかいベッドに寝ていて咲希に起こされたのだから。しかし、なんだかだいぶ様子が違う。あ、そうか、お城を建てたんだから、お城の中のしかるべき場所に出たというだけのことかと気づく。
「ごめん、これで遅刻二回目だな。俺もしっかりしないと。ところで寝る前になまはげみたいな……」
咲希は鋭く話を遮った。
「今はそれどころじゃないの、外に飛ぶわよ」
咲希はじれったいとでもいうように大悟の手を取り、敷地を出た門柱の辺りにテレポートした。
「なんだ、これ……」
門柱や塀に無数の落書きがされていた。「死ね、小早川」などという幼稚なものから、大人の間で出回る怪文書のような内容まで、おびただしい数の落書きだった。
咲希が城のほうを向いて肩を落とし、ため息をつく。視線を追って見てみると、大悟の傑作が見るも無惨に崩壊していた。かろうじて残っていた大悟の部屋から脱出するために、咲希は急いでいたのだろう。
「いったい、誰がこんなことを……」
「知らないわよ」
うわの空といった感じの咲希にとりつく島もなく、大悟は落書きを一つずつ消しにかかった。
「街の景観を守れ! ラブホテル建設を許すな!」
どこから現れたのか、三十代と思しきチンピラ風のいかがわしい男が扇動し、十数名の主婦のような女達がシュプレヒコールを上げている。落書きの内容と照らし合わせてみると、どうやら住宅街に突如出現した城をラブホテルと勘違いしているらしい。
「これは俺が建てた城だ! おまえらのほうこそ、変なことばっかり考えてるから、これがラブホテルに見えるんじゃねえのか! 大体、留守を狙って人んちぶっ壊して、落書きまでしやがって! それで正義面とか恥ずかしくねえのかよ!」
普段大声など出したことがない大悟は、身体じゅうがワナワナと震え、涙目になっていた。これがいわゆるキレたという状態なのだろう。
神経質そうな痩せた主婦が、片手でメガネを押し上げながら大悟に詰め寄る。
「あなたが建てた城ですって? 建築の資格をお持ちなのかしら? こんな大きな建物を設計なさるからには一級建築士の先生ですわよね? お若いのに、ずいぶんとご立派ですこと……」
便乗した主婦達にネチネチと嫌味を言われる大悟。女を相手に乱暴なこともできないと困っていると、咲希が近付いてきて主婦達ににらみをきかせる。主婦達は言葉を失って一歩後ずさる。女のケンカは女の咲希に任せたほうが良さそうだ。咲希に限ってやりこまれるとは思えなかったし、危害が及びそうなら連れて逃げよう。そう思った矢先、
「この城の建設を命じたのはわたしです。たしかに、街の景観などに対する配慮が足りませんでした。ごめんなさい。ただちに城を撤去し、元通りの家にしますので、ご容赦いただきますようお願いします」
咲希はペコリと頭を下げた。主婦達にどよめきが起こり、
「ま、まあ……お嬢さん自らそうやって素直に謝るなら、私達だって鬼じゃないんだから」
ホッと胸を撫で下ろす大悟。わがまま姫かと思っていたが、咲希も結構やるじゃないかと頭の一つも撫でてやりたくなった。
「残念だが、問題はそれだけじゃねえんだよなぁ、お嬢ちゃん」
主婦達を扇動してきたチンピラがからんでくる。
「おまえの親父が何をやってるか知らないのか? この俺もカタギではないが、『小早川の旦那様』のやってることはえげつねえというか……」
チンピラはねちっこく咲希をいたぶる。小早川が政治家と結託しているせいで不況が続き、増税が繰り返され、と、巧みに主婦達の怒りを煽る。
「増税は困るわ。息子と娘が大学と高校受験で重なって、ただでさえ手一杯なのに!」
「うちなんて、旦那がリストラされて、お義母さんが認知症になって……。いつになったら景気が良くなるのよ!」
主婦達の不幸自慢の矛先は、やがて咲希に突き付けられる。
「あなたからもお父さんに言ってあげなさいよ。国民の血税で私服を肥やすなんて恥ずかしいことはやめてって。娘さんに言われれば何か気付くところはあるんじゃないかしら?」
諭すような上から目線で説教する主婦を、咲希はにらみつける。
「嘘よ! パパはわたしに『世の中に塞がなければならない穴があるから塞ぐ、それが仕事だ』って言ってたもの。『人様の役に立つことをして、公明正大に報酬をいただく。それは決して間違っていない』って言ってたもの!」
咲希が鼻声で叫ぶのを聞いて、主婦達の剣幕が弱まったものの、チンピラは続けた。そこは嫌がらせのプロであった。
「可愛い一人娘の前で格好をつけただけだろうよ? わざわざてめえの娘に悪事を告白する親がいるか?」
多勢に無勢の中、咲希は気丈に頑張ったが、とうとうポツリポツリと涙がこぼれ落ちた。




