第7話【擬態《カムフラージュ》・後編】
─────深夜3時21分。『土鳥邸』のキッチン
走吾が飛び込んだその空間は、ただの調理場ではなかった。
無駄にだだっ広く、ホテルのレストランにある厨房と言っても違和感がない。
冷蔵庫、シンク、鉄板、天吊り棚、そして無数の調理器具たち。
それらひとつひとつが、走吾の『凶器』たりうる装備として、鎮座していた。
走吾の目が素早く走る。
見て……計算して……選んだ。
その右手に収まったのは、雑然と置かれていた─────『金属製のスプーン』の束。
それを一気に電子レンジの扉に放り込み、躊躇なく『加熱』のボタンを押した。
────ピ、ピ。
「30秒……って所かな。」
電子レンジは静かに「ヴーーーッ」と作動を始めた。
まるで、『爆薬の導火線』が燃え始めたかのように、あまりに穏やかに……。
だが、次の瞬間には『別の殺意』が侵入してきた。
「────台所か。ほう、賢い選択でござる……包丁でも探しに来たか?」
異様な滑空音。天井と床を這いずるような、「ズリズリ」としたその不快な音。
まるで『長い何か』が空気の膜をねじりながら迫ってくるような……そんな音。
「逃げ場も多く、武器も豊富。だが─────」
その声と同時、キッチンの床下、点検口の隙間から、ありえない方向へ関節の曲がった男が這い上がってきた。
七節である。
関節を外し、肘を逆側に曲げ、背骨をくの字に折り畳み……まるで骨格のまま液体化したような身体。
這い上がる姿は、もはや忍者ではない。
『ナメクジに手足を与えた』かのような、グロテスクな生き物だった。
「─────器は揃えど、『料理人』の腕は如何ほどか?」
「上等だ、来いよグニャグニャ忍者。」
走吾が調理台の裏に身を滑らせながら構える。
背後では電子レンジが静かに唸り続ける。30秒のカウントダウン。
─────先方、七節が動く。
「ふんっ!」
地を這うような低空のタックル。脚の関節を外し、床にベタッと張り付きながら、突進してくる。
その脚は鞭のようにしなり、厨房の椅子や台をなぎ払う。
「うぉっ……!」
走吾は調理台の下へ飛び込み、寸前で避ける。
頭上を、異常に長い脚が風を切って通過した。
関節、動き、速度、リーチ─────常識のすべてを無視した突進。
(まるでスライム……攻撃に掴みどころが無い……!)
七節は続けざまに右腕の関節を解体。
肩から肘へ……そして手首に……それらをバラバラに外しながら、螺旋の軌道で拳を振るってくる。
「─────見えるか、拙者の拳が描く『螺旋』を!!」
「イヤでも見えてるよ……!!」
走吾は咄嗟に調理器具の棚に手を伸ばし、片手鍋を引き抜いた。
迫る拳──それに向かって、鍋底を打ち当てる。
「─────ポガァン!!」
金属と拳の衝突音……七節の関節が跳ね返され、床に衝撃が響いた。
走吾は即座に反対の手で棚の奥を探り──────『カセットコンロ用ガスボンベ』の小型缶を掴む。
──────そして、転がす。
七節の床這い軌道の先に、缶がコロコロと転がる。
その缶は彼の足をすくい、……瞬間、七節の軸が乱れた。
「……姑息な手を……ッ!」
一瞬生じるその隙。
走吾は、調理台に置かれた金属製のボウルを逆手に持ち、
そのまま───スティックの頭部に振り下ろす!!
「────ドガン!!」
仮面が鳴る……忍者の仮面は左側が割れ、わずかに中の素顔が覗いた。
「力も……そこそこ有るのだな……!!」
しかしスティックも、ただでは転ばない。
瞬時に転がり、グネグネと冷蔵庫の影へと潜り込む。
そして次の瞬間には─────『音速』で、見えない斬撃が飛んでくる。
「────ヒュンッ、ヒュヒュッ……!」
走吾の肩がかすれる。ジャケットが裂け、皮膚に薄い血が滲む。
(くそっ……見えねぇままじゃ埒が明かねぇ……!!)
走吾は、調理台の上にあった『業務用小麦粉』の紙袋に目を留める。
袋をつかみ、上部を強引に破く。
そして、その白い粉を両手で豪快に、厨房の空間へと振り撒いた。
「───ザアアアッ……!!」
空間に舞う純白。 目には見えなかった、風のような斬撃が、その粉をかすめて通り過ぎる。
─────瞬間、『何か』が空を切った。
白い粒子の中、動いたものの輪郭が、ハッキリと映った。
それは、【手裏剣】だった。
ただし、普通の手裏剣ではない。 全面が『鏡張り』された特殊な手裏剣──────
背景を反射し、光を透過させることで、あたかも『透明』に見える……。
まさに『擬態』をしているのだ。
「─────鏡張りの手裏剣……!」
「見破られたでござるな────
我が手裏剣『鏡像』を……!」
その瞬間だった。
──────温めていた電子レンジが──「チン♪」と鳴った。
走吾の口元には、静かな笑みが灯る。
「───お料理……できたな。」
更にその直後。電子レンジが─────爆ぜた。
──────「ドッゴォォォォォンン!!!!」
金属スプーンが帯びたマイクロ波の熱が、内部を暴発させ、レンジが炎と破片を撒き散らす。
七節の姿が、爆風と煙に包まれた。
走吾はすかさず踏み込む。
キッチンは『爆心地』と化した──────
──────────
────深夜3時22分40秒 『土鳥邸』のキッチン
爆発の閃光が空気を引き裂く。
電子レンジは弾け飛び、内部のスプーン束が爆風に巻き込まれて散弾のようにキッチンを暴れた。
その直撃を、至近距離で受けたのは─────七節。
「ぬゥゥ……ぐゥッ……!!」
爆風に飲まれた七節の身体が宙を舞い、「ドンッ!」と冷蔵庫の扉に叩きつけられる。
黒装束が焼け焦げ、仮面の片側が吹き飛び、煤混じりの素顔の一部が覗く。
その顔は、若い……が異様なほど色素が薄く、眼球の色さえも透明じみていた。
しかし──────倒れない。
「……見事……その一手、見事でござる……ッッ!」
呻きながらも、七節は壁を伝って立ち上がる。
全身から蒸気が立ち昇り、黒焦げた衣服の隙間から、まだ蠢く筋肉が覗いている。
「だが……拙者、まだ……終わっては……おらぬ……ッ!!」
その刹那。
「────シュッ!」と、再び『空気が裂ける音』が鳴った。
目に見えぬ手裏剣……『鏡像』が、煙を貫いて走吾の目の前をかすめる。
(まだ撃てんのか……!?)
だが、走吾の動きは止まらない。
小麦粉────これのおかげ視える。
先ほどの爆発の振動で、周囲の粉が舞い続けていた。
まだ視界は『霧』に包まれている。
そして、その中で、また1枚、元々『見えなかった刃』が走った。
「見えるぞ……!」
走吾は腰をひねって、紙一重でそれを避ける。
逆手に持ったボウルを、追撃の軌道に合わせて跳ね上げた。
「────カンッ!」
金属音。
鏡面の手裏剣が、弾かれて宙に跳ね、キッチンの床へと落ちた。
「見えてしまっては……役に立たぬか!!」
焦る七節。
走吾は、それを見逃さなかった。
「もう───終わりにしようぜ……。」
そう言うなり、走吾はキッチンの隅から、また一つ、『業務用小麦粉袋』を掴む。
再び破り、室内に撒き散らす。
小麦の霧が、再びキッチンの空気を満たす。
それはまるで『粉の海』。
光が鈍く白く反射し、すべてが霞がかった戦場となる。
走吾はそこへ、一歩踏み出した。
─────七節は、もはや完全に焦りから来る『激昂』状態……。
「ふぬううッ!……ならば、拙者自らの『手』で貴様を屠る!!」
叫ぶなり、全身の関節を次々に外していく。
「ゴキィ……ゴキゴキィィィ……!」っと、
両腕、両脚、肩、首───蛇のように長くしなり、スティックは『肉で作られた武器』へと変貌した。
「……ぐうおおおおおお!!」
七節がまた突撃する。
その身体はまさに四肢がムチとなった獣。
だが────その動きは、走吾の眼には『全部見えていた』……。
「────甘ぇよ。」
ステップ一つで、走吾は七節の間合いを外す。
逆側へと跳び、台所の出口へと滑り込む。
七節の勢いだけが弧を描き、厨房の調味料棚を粉砕した。
「なッ──逃げるなッ……卑怯者ッ!!」
背後から怒号が飛ぶ。
だが、走吾は立ち止まった。
そこは厨房のドアの前─────
振り返りもせず、右手をポケットに差し込む。
おもむろに取り出したのは、使い古されたマッチ箱。
一本を抜き取り、親指の腹で火薬部をこすった。
──────「シュッ……。」
小さな赤い火が灯る。
それを走吾は、後ろへと放り投げた。
「────理科の授業……真面目に受けときゃ良かったな……七節。」
マッチが落ちる。
空気中の小麦粉濃度は、すでに『限界』に達していた。
次の瞬間───────
─────「チュドッゴォォォォォォォォォォォン!!」
キッチンが白く光る。
─────『粉塵爆発』……。
数百グラムの粉が空気中に舞い、マッチの火が『トリガー』となった。
爆風が、キッチンの天井を持ち上げ、ガラスを割り、壁を黒く焼く。
中心にいたスティックは────仮面も衣も焼かれ、全身が吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
「あづッ──────」
仰向けに倒れ、黒煙を上げる七節の身体は、もはや動かない。
焦げた布、焼けた皮膚、煙の奥に『うつろな瞳』がわずかに見えるだけだった。
─────沈黙。
しばらくして、煙の中から一人の男の影が現れる。
百舌鳥 走吾─────『百足』……。
彼は立ち上がり、焼け焦げたタンクトップを脱ぎ始める。
そしてボウルを床に置き、ぼそりと呟く。
「……台所に……虫がいちゃあダメだもんな……。」
そして、マッチ箱をポケットにしまい、静かにキッチンを後にする。
任務は、まだ終わっていない。
上階では綃斗が、標的である議員『土鳥 餅之助』のもとへと迫っている───────
読んでいただきありがとうございます!
次はとうとう綃斗二回目の戦闘!
果たして今度は勝てるのか……!?
感想やブクマ等、よろしくお願いします!