第6話【擬態《カムフラージュ》・前編】
─────午後14時12分。千葉県船橋市・高台に位置する閑静な住宅街。
高級外車が通り過ぎるたびに、町全体が『資産』の音で包まれているような、そんな場所だった。
その一角──庭木の剪定まで行き届いた、白塗りの三階建て洋館が、陽射しを受けて眩しく光っていた。
一般的には『とある政治家の別荘』として知られるその邸宅……持ち主は、売国議員の『土鳥 餅之助』という男のものだった。
─────平和に見える邸宅。その正面の歩道……そこには異様な気配をまとった男たちが立っていた。
一人は金髪の青年──軽やかな身のこなしに、ニヒルな笑みを浮かべる男。
……そして隣には、無骨な白いタンクトップに、迷彩パンツ。やたらガタイのいい筋肉男が……髪はボサボサで、目つきは険しい。身長は実に189cm、無言のまま門扉を見上げていた。
─────【エンジニア】……政府公認の暗殺者組織に所属する二人。
金髪の青年は『蚊』───血吸 綃斗。
……そして隣の大男は、『百足』──────百舌鳥 走吾。
「……なぁ、ムカデ先輩〜。」
唐突に綃斗が口を開いた。陽気な声色のまま、視線は門の奥を覗き込んでいる。
「また派手な邸宅っスよね……。
議員の別荘ってこんななんスか? ……オレん家、畳しかなかったんですけど。」
隣の筋肉男────走吾は、顔をしかめていた。
「────ガキん頃、こんなとこ来たら吐いてたかもな。」
「ムカデ先輩も可愛らしい子供時代あったんスね……。てかさ、聞いてもいいっスか?」
綃斗は急に『悪ガキ』のようにニヤつき、両手を後頭部に回して言う。
「その名前の話っスよ。
『センチピード』って、要するに『ムカデ』って事じゃないすか? なんかこう……ダサ──────」
「ダサいって言うな。」
走吾が話をねじ曲げるように応じた。
「いや、俺も『蚊』……ってんで人のこと言えないんスけど……わざわざ虫である必要あります?」
センチピードは無言のまま、ポケットから板ガムを取り出して咀嚼しはじめた。
────しばらく噛んだのち、淡々と答える。
「……あれは、『世界政府』が決めてる。全世界の公認暗殺者に『虫のコードネーム』を付ける制度だ。」
「へぇ〜……でもなんでわざわざ?」
「本名で活動なんて……特撮ヒーローでもねぇしな。
しかも裏社会にその名が響き渡れば、戦争の『抑止力』にもなるってさ。」
「なんかこう、どっかのロボットアニメで聞いたような話っスね。」
「そもそも、殺し屋ってのは、『怖れられてナンボ』の世界だ。」
「それは……納得っス。」
綃斗はコートの内ポケットからビデオカメラを取り出して、遠巻きに豪邸を撮りはじめる。
「ちなみに〜……なんでその名前になったんスか?」
「──ああ。」
走吾は空を見上げて言った。
「……『どんなものでも武器にする』……それが俺の『殺し方』だ。
故に、持ち運ぶ武器は要らず、その場に落ちている包丁、釘、バール……皿で対象を殺す。」
「……あー、なるほど。武器が幾らでもあるから、『百本の腕があるようなもん』ってことスね?」
「そうだ。」
「語感が気持ち悪いだけで、意味はちゃんとしてるんスね。……うん、意外とちゃんとしてる!」
「────それが嫌なんだよ。」
二人の視線は邸宅へ戻される。
白壁と黒い窓枠のコントラスト、芝生の庭、そして監視カメラの死角にある──小さな金属蓋。
走吾はその金属蓋を見て、何かを閃いた。
「────あそこから入る。」
「え……まさかの、ダストシュートっスか?」
「今夜の深夜三時、あそこから突入だ。」
綃斗が不満げに「チッ」と舌を鳴らす。
「絶対ェやだ……絶対ゴミ臭いじゃないスか!……オレそーいうのホント無理なんすけど……。」
「問題はない。俺が先に行く。お前の垂れた文句は────後で聞く。」
「この人と組ませられたの何かの間違いでしょ……。」
──────午後14時、午後の陽光の下、二人の影が
ゆっくりと傾いていた。
……だが────深夜。
この邸宅は、『戦場』へと変身する。
──────────
─────深夜3時……『土鳥邸』
─────「……ガタン。」
ダストシュートの金属蓋が、わずかに音を立てて開いた。
その中から、腐敗臭と埃を纏った男が這い出てくる。
─────「……クッセ。」
走吾は立ち上がるや否や、鼻を摘まんで吐き捨て、真っ暗な廊下へと足を踏み入れた。
その後を追うように、続いて綃斗が這い出てくる。
─────相変わらず、嫌な顔を走吾に向けながら立ち上がった。
「うわ、うわうわうわ……最悪っス……ゴミ汁で靴がグッショグショ……。
もう、絶対にアンタの言う『最適ルート』は信用しねぇからな……クソッ……。」
二人とも足音は立てない……無音。靴を床へ擦り付けるような歩き。
眼前には、警備員のいない不自然な静寂が広がっている。
「─────静かすぎるな。監視カメラは全部寝てるっぽいが……。」
そう走吾が綃斗の耳元で囁く。
「逆に怪しいってことスか?」
「あぁ、むしろ……罠張って待ってる気がしてならねぇ。」
その言葉に綃斗の警戒はMAXへ昇り始める。
そのせいか、緊張と不安から喋りが止まらない。
二人は邸宅の1階を散策する。
「ムカデ先輩……やっぱなんか変っスよ。」
「変でしかない。『政治家の邸宅』にしては……護衛が少なすぎる。おまけに……こっちの侵入経路を『わざと』空けてるようにも見える。」
「──招かれたってワケっスか?」
「そういうことだな。」
走吾は軽く頷くと、ある『気配』を覚えた。
壁からか、天井からか……その気配がどこから来るのか。
二人は同時に、周囲に注意の網を貼り続ける────
─────その時だった。
突如として、天井から、「パキ……パキ……」と奇妙な音が落ちてくる。
綃斗が反射的に見上げた瞬間、そこに──『ありえないもの』がいた。
天井と天井の隙間、『梁』の上に折りたたまるようにして張り付いていたのは──異様に細長く、全身黒ずくめの……見るからに『忍者』である。
その『忍者』は、蛇やスライムのように……くねりくねりと異様な動きで壁を這い降りてくる。
「……ッ、うお……虫かと思った……!!」
驚きつつも、綃斗は体を低く沈める。
重心は地面へ移動するように、身体を低く……どんな奇襲が来てもいいように。
「なんだ?……『忍者』なんて初めて見るっスよ……よし、オレがやるっス──!」
殺る気は充分、綃斗はイヤホンを耳に差し、流れるリズムに身を任せる。
リズミカルにかつ、『楽しく殺す』……それが綃斗の『殺し方』である。
───────だが、その刹那。
「─────やめろ。」
走吾の右腕が、まるで踏切の遮断機のように綃斗の前に伸びた。
瞬間、金属のように硬質な筋肉が、綃斗の鼻先を『制止』する。
「ここは──俺がやる。」
「……え?」
綃斗は思わず目をぱちぱちと瞬かせた。
「オレでも──できなくはないと思うんスけど……?」
「お前は上に行け。議員は三階にいる。先に仕留めてこい。」
納得できない綃斗はからかうように返答する。
「……これって、もしかして……ムカデ先輩『忍者』大好きなんスか? 急なギャップ出てきたってこと!?」
「違う……アイツはお前じゃ勝てねぇ『殺気』をしてやがる。」
即答だった。
走吾はすでに片腕を回し、肩を鳴らしている。
綃斗は肩をすくめながら、また「ちぇっ」と舌打ちをする。
「ふーん……じゃあ、先に行かせてもらうっスよ。……死なないで下さいね?」
「お前じゃねぇんだ。絶対負けねぇ。」
綃斗が階段を駆け上がると、それを見送るかのように、黒装束の『忍者』が床に降り立った。
「……お初にお目にかかりまする。」
仮面の奥から、忍者はどこか涼しげな声を出す。
「拙者の『こぉどねぇむ』は─────『七節』……。
雇われの立場でござるゆえ、そなたらの来訪をこの目で待っておった。」
「……その喋り方、どこまでマジなんだよ。」
走吾は目を細め、目の前にいる忍者─────『七節』の身体を観察する。
「関節を……抜いてんのか、お前。」
「左様。拙者、全身の関節を自由に外せる体質ゆえ、どのような隙間にも潜伏可能。」
「……変態だな」
「礼を言おう」
「バカにしてんだよアホ」
ヌルリ──と動く七節の身体はまるで『タコ』のような印象を受ける。
そして、彼の思惑もタコのように掴めない。
「上階へ向かった『小童』など、貴殿を殺してからでも充分間に合う故……ここでお命頂戴しよう。」
廊下の空気が一気に『粘度』を帯びたような気がした。
走吾はそれを正面から受け止めるように、構えを取りはじめる。
「上等じゃねぇか。」
そして──広大な『邸宅』の中で、戦闘が今幕を開けた。
──────────
───────深夜3時13分……『土鳥邸』1階。
廊下に沈黙が落ちた。
……否、それは『音が消えた』のではない。
『音をも殺す』異様な殺気が、空間全体を支配したのだ。
七節──その仮面の奥の双眸が、まるでナメクジのようににゅるりと動く。
関節を抜いた手がゆっくりと持ち上がり、空を切るように何かを『投げるような素振り』を見せた。
だが、彼の手には何も握られていなかった。
重量感もなく、摩擦もない、ただ空気を裂く所作。
(何かを投げる気か……いや、何も持ってないじゃ────────)
走吾が警戒を強めた、その瞬間だった。
「──────ヒュッ!」
それはまるで、空気が刃になったかの感覚だった。
走吾の頬に、熱が走る。そして……微細な切創。
わずかに赤い線が頬を走り、じんわりと血がにじんだ。
「……クソ……見えねぇ……!」
視認出来ない『何か』が飛んだ。
確かに何かが通過した。だが、目には映らない。
それは風か、刃か、あるいは──殺意そのものか。
「ふむ、初見で避けるとは……さすが日ノ本が認定した殺し屋殿……。」
七節の声は軽やかだった。だが、その動きは狂気の粘度を孕んでいた。
その動き……彼の右脚はくね曲がり、『本来曲がらない』角度……いや、『曲がっては行けない』角度で振り上げられる。
「ゴキッ……ゴキギィッ……!」っと、骨が折れたようなグロテスクな音を立てながら。
「────ならば貴殿、これは見切れるか……『無節脚』!!」
──────『無節脚』。
関節を外し、脚を鞭のようにしならせ、通常のリーチを遥かに超える距離からの蹴撃。
「うおッ──────!」
反応が遅れた。
走吾の脇腹に、重さと鋭さを併せ持つ一撃が叩き込まれる。
「……ッ……ぐッ……!」
走吾の巨体がわずかに揺れた。
その場で堪えるも、体内の空気が胃の底から押し上げられるような衝撃。
骨までは折れていないが、筋肉の奥深くに痺れが走った。
(間合いが……まるで『三節棍』……!!)
続けざま、七節は腕をしならせる。
まるで蛇が獲物に巻きつくように、外れた関節を生かした複雑な軌道のパンチ。
右から来たように見えて、奇妙にも、拳は左斜め下から刺し込まれる。
「──────ドゴァッッ!」
腹部に命中。
一瞬、視界が白くなる。
「拙者の間合いは、貴殿には『見えぬ』し『届かぬ』……されど、拙者は違う。」
────常識の外から飛んでくる打撃。
その動きに『型』はない。武道ではなく、『本能そのもの』のような動き。
理論ではなく、本能だけが反応する、直感の死合い。
走吾は一歩、退いた。
だがその視線は、逸らされてはいない。
廊下の壁────飾り棚の上にあった、大ぶりな花瓶を真っ直ぐ捉えていた。
(使えるもんは……全部、使う)
次の瞬間、走吾はわずかに屈み、右手を横に払う。
「おッ────ッらああッ!!!」
大振りに繰り出される花瓶が、一直線に七節の顔面へ向かって飛ぶ。
躊躇などない。『武器』として扱えるものなら、陶器だろうが鉛筆だろうが構わない……それが走吾──────『百足』の『殺し方』……。
「──────バリィィイン!!!」
炸裂音。陶器が砕け、破片が霧のように舞った。
一瞬、視界が霞む。七節の身体が硬直する。
その隙に、走吾は全速力で廊下を抜けた。
体を沈め、音もなく、キッチンへ──。
「……逃げた?……のか?」
スティックの声は嘲りにも似たものだった。
しかしそれは、『逃亡』ではなかった。
走吾は──────『次の武器』を選びに行ったのだ。
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