第5話【虫の知らせ《インフォメーション》】
──ここは千代田区、時刻は午後23時を過ぎた頃。
東京の中心地にありながら、この場所だけは妙に静かだった。
歓楽街から外れた路地裏に位置する、雑居ビルの四階。
明かりの落ちた建物の最上階で、『真っ黒』な空気が蠢いている。
黒いロングコートを夜風に揺らし、月明かりを背にしたその姿は、まるで都市に立つ『影』。
両の手に備わった双つの『鎌』は銀箔のように輝いている。
灯郎──『殺し屋蟷螂』が屋上に立っていた。
彼の視線の先には、ひとつのビル。
そこが今回の標的──裏社会の情報屋蛭蟲が囚われているヤクザ組織直鶴会の事務所だった。
「……行くか。」
灯郎はポケットから、小型の通信デバイスを取り出し、『潜入開始』とだけ打ち込み、デバイスの電源をを切った。
彼の咥えるタバコの煙は、風まかせに漂っていた。
『刃』の匂いと、『血』の気配だけを身にまとい──屋上の縁から、静かに飛び降りた。
「ヒュオオオー」という落下音とは対照的に、着地音は、まるで『蚊の羽音』……。
一切の衝撃を周囲に伝えず、夜の帳に吸い込まれるように灯郎の姿が消える。
──仕事が、始まる。
──────────
─────ビルの裏側、ゴミ収集用の鉄扉。
そのわずかな隙間から、煙のように体が滑り込む。
組の構成員が少ない時刻を狙ったためか、廊下には誰もいない。だが、匂いは濃い。
─────金、薬物、汗、そして血。
足音を一切立てず、灯郎はまるで『カメラのフラッシュ』のように、断片的に前へと進む。
一歩を踏みしめるごとに空気が『切断』されていく……それほどの緊張が、彼の存在には宿っている。
──目的は、情報屋『蛭蟲』の奪還だ。
殺すことが目的ではない……だが、死なせずに帰れる保証はない。
しかし──灯郎の中には最初から『誰も殺さない』という選択肢など、存在はしない。
──────潜入してから六分が経過した頃……とある『気配』が、突如として灯郎の前に立ちはだかる。
ビル内、二階の奥にある応接室。
音もなく開いたドアの先に、『ソイツ』は現れた。
暗い室内に、突然明かりが付きはじめる……。
「よォ……こんな時間に来客とは────組長さん戸締りしてなかった見てぇだな。」
そこに立っていたのは、痩せ型で長身の男……身長は166cmの灯郎より、15cmは高く見える。
髪はオイルで撫でつけられ、顔にはピエロのような笑み。
軍服の上に無骨な金属製のハーネスを着け、その両手には『異様な銃』。
──軽機関銃……それも『ブレン・ガン』……。
弾詰まりを防ぐため、本体上部にマガジンが装填された、英国製の戦争遺物。
その銃の側面には、赤い文字でこう刻まれていた。
『29 - DANNY』と。
その物騒な男は、短機関銃を肩に担ぎ、高らかに語り始めた。
「オレ様のコードネームは『蝗』……!
マシンガンは特注の『ダニー』……コイツと一緒に、今夜のSHOWを盛り上げに来たってワケだ!!」
灯郎は一歩、前へ出た。──黒い殺気が、稲妻のように空間を裂く。
その殺気を前にした蝗の笑顔は、ぎょっとしたように歪んだ。
「へへっ……相手にしちゃ不足はねぇな……!──その歩き方……その静けさ……都市伝説級の殺し屋『殺し屋蟷螂』が相手なら楽しくなりそうだ……!!」
「───黙れ。」
────この一言が、戦闘の号砲となった。
──────────
─────広めの応接室……短機関銃を構えた蝗による、『閃光』と『轟音』の先手が撃たれた。
部屋中に、薬莢の落ちる音が響き渡る。
───────弾丸は「ラタタタタタタッ──!!!」と勢い良く銃口から飛び出していく。
『29 - DANNY』が火を噴き、壁も床もソファも、鉛の弾が破壊していく。
「ドガガッ!」……「バキバキッ!」っと、まるで『蝗害』のように弾丸は襲う。
─────だがしかし……蝗が気がついた頃には、灯郎の姿は……彼の目の前に存在していなかった……。
『吹き消したロウソクの火』のように、一瞬にして……。
「──チッ、消えたッ!?」
蝗の目には、確かに『居た』はずの男の姿が、煙の中で掻き消えていた。
「まさか……後ろ……!!」
ローカストが一瞬、虚を突かれたように銃口を背後逸らす─────その直後。
風のように、いや──『煙』のように、灯郎が背後から現れた。
「あがっ──!」
左腕が熱い……「ザクリッ」と裂けるような刺突の感覚。
蝗の身体が反射的に跳ね、再度マシンガンを乱射する。
──────「ラタタタタタタ───!!」
「ハハッ……おいおい嘘だろ……!?──一体どうやって……弾丸の雨の中から……!」
だが、蝗の蝗害は止むことは無い…… むしろ血を見るほど攻撃は加速する。
「イイねぇ……ダニー!目に物見せてやれ!!!」
蝗は痛みに耐えつつ、自らを銃撃の中心に置き、360度回転しながら銃を乱射した。
──────「ドガガガガガガガッ!!!」
応接室が鉛の匂いに変わる────照明や柱が崩れ、壁が煙で真っ黒に染まっていく。
弾丸の猛攻の中、灯郎は─────姿勢を極端に低くし、床の上を滑るように動いた。
灯郎は、最小の動きで『気配』も丸ごと……姿を消していた。
(────さっきから、どんな『動き』で弾を避けてるんだ?)
蝗の頭は、『なぜ弾が当たらないのか』……そればかりを考えていた。
彼には、灯郎の『素早さ』と『判断能力の高さ』に対し、理解が及ばなかったのだ。
頭の中で考察したまま、弾が尽きかけているマガジンの差し替えをしようとする──が、その手にも再び『銀の閃光』が走る。
─────「ザシュ──ッ!」……鋭く劈く斬撃の音。
「うがァァアッッ─────!!」
右手の甲が裂かれ、三本の指が宙に舞う……マガジンが床に「ゴトン」と落ちた。
『殺し屋の無双』を味わった蝗は、後退しながら叫ぶ。
「や……やるじゃねぇか……舐めてたぜ──だがな、オレの『ダニー』は……まだ、おっ勃ってるぜぇ!?」
蝗はよろめいた。
───さらにその直後、今度は低位置から放たれる鎌が、蝗の顔に目掛けて一直線に襲う。
一瞬、蝗が見下ろす形で灯郎と目が合った。
……しかし、その灯郎の攻撃は「ガキィンッ!」っと金属音を発し、蝗の顔にかすることなく軌道がズレた。
上へと向かっていたその『刃』は、運良く短機関銃『ダニー』のフレームにギリギリ当たったのだ。
「……ナイスだぜ『ダニー』……!!」
この奇跡的なタイミングに乗じて、蝗は『ダニー』の銃口を左手で掴み、指の欠けた右手を添えた後……野球バットのように構え始めた。
『銃撃は無意味かもしれない』と、乱射した中で脳裏に浮かび、近接戦闘へ『殺し方』を変えたのだ。
「────ヤケクソじゃねぇ……特注した、『チタン製』のボディを持つ『ダニー』だから出来る戦闘方法だ!!!」
──────────
─────二人は、室内を爆ぜるように動き始めた。
蝗は壁を蹴って加速し、灯郎の斬撃が空を斬る。
振り下ろした『ダニー』と灯郎の鎌がぶつかり合い、「ガキンッ!」という金属音を何度も奏でた。
更に蝗は威勢よく叫びながら『ダニー』を振り回す。
「そろそろ死ねやァ───ッ!!!」
怒号とともに放たれる一撃は、応接室のフローリングを叩き割る。
勢いのある、『落石』ような軌跡。
……だが──灯郎は、その『直線的な動き』に一切付き合う気は無い。
──疾風く……そして鋭く……。
それが、灯郎の『殺し方』……。
蝗の攻撃が『止まった』その瞬間、灯郎は一瞬にして背後に廻る
「貴様など────読む必要も無い。」
灯郎の囁き。
風が静まり、時間が止まるような感覚。
(ヤバツ───!!)
蝗は直感的に『斬られた』ことを理解した。
背後からの斬撃は、首元を裂き、血飛沫をあげている。
だが────まだ意識はある。
(斬られたか……けど、意識があるならば────死なば諸共!!)
蝗は意識のあるうちに、どうせ死ぬならと『道連れ』しようと考える。
瞬間、蝗は「ダッ!!」っと床を転がり、最後のマガジンを拾うと同時に、『29 - DANNY』に装填した。
─────引き金を引けば、何時でも乱射できる状態。
「うおおおおおおおおッッ!!!!」
咆哮と共に、『全弾乱射』……。
再び、蝗害のような無差別の弾幕を、「ラタタタタタ───ッ!!」と展開し始める。
「せめて、お前だけでもぶっ殺して───」
だがその刹那─────
「────甘い……。」
声は、真上から聞こえた。
天井から、静かに舞い降りる影……灯郎は、まるで『羽毛』のように舞い降りた。
──────蝗の心には、『死』の一文字だけが浮かぶ。
「終わりだ。」
「ザシュンッ」と空中から地面に向けての一閃……蝗の『首』は閃光のように裂けた。
とうとう蝗の意識が落ちる。
視界が水平に崩れ、血が咲き、音が消え、体が傾いていく─────
頭部は床に落ち、血が円を描いて広がっていく。
灯郎は、静かに地に降り立った。
──────────
────蝗の首が地に落ちた音は、なぜか静かだった。
落ちるというより、置かれたような音……部屋の中央に、『死』だけが残った。
灯郎は応接室のさらに奥へ向けて、一歩前へ出る。
ブーツの底が、血に濡れたタイルにぬるりと沈む音がした。
──────しかし、まだ終わっていない。
「おい!!今の銃声聞いたか!?」
「アイツだ!!突っ込め!!」
「殺せ殺せーッ!!!」
廊下から聞こえてくる、直鶴会のヤクザたちの怒号。
その数、ざっと二十名ほど。
拳銃、ナイフ、バールを手にする者もいれば、。中にはカスタムされた散弾銃を持つ者もいた。
「ぶっ殺せぇええッ!!」
「殺れッ!!一人で来たってんなら返り討ちだッ!!」
階段を駆け上がり、部屋へ殺到する連中。
しかし──────
突然……灯郎の姿は消えた。
「フッ」と、『吹き消したロウソクの火』のように、一瞬にして……。
「……あれ?」
「いねえぞ……?」
「この部屋のはずなんだが……?」
一瞬、廊下に不自然な『無音』が生まれる。
その中心で──灯郎は、静かに『狩り』を始めていた。
──────まず、最前列の男の『首』が落ちた。
「なっ……!!」
その背後にいた男が、『血を浴びて』それに気づく。
「……ッ、お、おい!?後ろのやつ─────」
言いかけた瞬間、こんどは自身の首が落ちた。
その場にいたヤクザたちは理解できない。
なぜ誰も『斬る瞬間』を見ていないのか。
なぜ『斬られた音』がしないのか。
なぜ、『刃』の存在すら視認できないのか。
「なんだこれ……なんだよ……」
「おかしい……何か変だ……!!」
錯乱した一人が発砲───弾丸が天井に突き刺さる。
そのとき──『肉塊が斬れた』ような音が走った。
───────「ザシュ──ッ……!」
空気が……風が……時間が裂かれるような感覚……次の瞬間──また一人と、首が跳ねた。
血飛沫が、また花火のように空間へ広がった。
灯郎の動きは見えなかった。『動き』というよりかは、彼はただ、『そこに在る』だけ。
静止画のように存在し、『次の瞬間』には別の場所にいる。
それが──殺し屋蟷螂。
「「「う、うわあああッッ!!」」」
残ったヤクザたちが叫びながら、あらぬ方向へと銃を乱射する。
天井に、壁に、同士討ちになりかけながらもただ撃つ。
撃つ。撃つ。だが、そこに彼はいない。
─────『斬られた』ことにすら気づかぬまま、彼らは死ぬ。
斬撃の音すら聞こえず、倒れた者の血で滑り、
逃げようとした者の背中に斬撃が走り─────
一人、一人、また一人と、順番づつ首が飛んでいく。
「ひィ……ッッ……ッ!!」
とうとう最後の一人が、壁際で拳銃を落とし、尻をつき、震えていた。
灯郎は、スデにその背後に立っている。
男が口を開き、何か言おうとした瞬間────
スルリと男の首は滑るように落ちた。
灯郎の持つ双つの鎌からは、ピチャリと血が滴った。
──────時間にしてわずか『58.29秒』──二十人全員が殺された。
室内に、ようやく『静寂』が戻った。
それは、殺した者だけが聴ける『死の音』である。
──────────
─────事務所のさらに奥……一室の隅で拘束された男が、咳き込みながら顔を上げた。
「────ったく、殺し屋ってのは……物騒な連中しか居ねぇんだな……。」
顔は腫れ上がり、鼻血と唇の裂傷。
だが、その目だけは─────まだ『生きていた』。
このボロボロの男こそ、裏社会きっての情報屋『蛭蟲』である。
血まみれのトレンチコートを羽織り、逆立つ黒髪の彼はその場で胡座をかいている。
灯郎は黙って近づき、『鎌』でロープを切った。
「……『礼』を言ってやろうか?」
「……言わなくていい。」
「……確認しただけだ。 そんな感じだもんなお前って。」
蛭蟲は、両手首をさすりながら、床に転がった煙草を拾い──火をつけることもなく口にくわえた。
灯郎は持っていたライターで煙草に火をつけてやると、静かに問いかけた。
「─────何があった。」
蛭蟲は「フーッ」と煙を吐くと答え始めた。
「直鶴会にとある情報を依頼されてな……『何かある』と察して断ったらこのザマよ。」
灯郎は、一歩近づく。
「……とある情報だと……?」
蛭蟲は灰を地面に落とす。
「あぁ、【日本政府公認暗殺組織】のことについて聞かれた……聞かれたことは沢山あるが。
だが買い手はきっと直鶴会じゃねぇ。あいつらはあくまで『情報の運び屋』だ。」
「依頼人は?」
蛭蟲は目を細めて言った。
「──アメリカの秘密暗殺組織……【N.E.S.T】だ。」
灯郎の眉が僅かに動く。
「聞いたことがない。」
「そりゃそうだろうな。『アメリカ政府非公認』に加えて、『国家規模の暗殺』まで請け負う連中だからな。」
煙草を舐めるように口で転がしながら、蛭蟲は続ける。
「『戦争』が終わって、『暗殺』がルールの世界になった……わざわざ一世紀も前のことに対して、あいつらはそれが気に食わねぇのさ。」
「理由は?」
「戦争こそが『金』だった。
今の『首領』の父親の代まではな……兵器の卸売、戦争犯罪の買収、臓器ビジネス──『戦争』で生計を立てていた組織だった。」
「それが……」
「───終わったんだよ。『戦争禁止の協定』っていう、世界規模のキレイゴトでな。
商売を根こそぎ持っていかれた連中の『怒り』は深い。だから……あいつらは世界を戻そうとしている。」
灯郎は黙ってそれを聞き、蛭蟲の目をじっと見据える。
「裏社会の『更に更に』DEEPな所じゃ、そこの『首領』のコードネームだけは知れ渡ってる────死番……『死を観る者』……。」
「……死番か。」
「世界最強の殺し屋と謳われていて、『国単位』の強さを持つ。世界政府からも、『放置不可』のフラグが立ってる。」
灯郎の内側で、何かが音を立てた気がした。
蛭蟲は、「ゴファッ」と床に血を吐いた。
「……体調的にも話せるのは、ここまでだ。
あとはアンタらの出番だろ? ────とにかく今回は助かったぜ……今度何か埋め合わせさせてくれ。」
灯郎は、黙って一礼する。
そして、崩れかけた部屋の窓を開けると──
夜風が、二人の間を静かに吹き抜けていった。
読んでいただけるありがとうございました!
明かされた新たな勢力『N.E.S.T』……今後はどう繋がっていくのか…!
是非最後まで見届けていただけると嬉しいです!