第3話【羽音《ソング》】
──ここは東京都の湾岸地区。
都市開発の影に隠れ、地図に存在しない地下施設がある。
表向きは、解体待ちの老朽倉庫に見える。
しかし、その地下6階に広がるのが、政府直属の非公開戦略拠点──
日本政府公認暗殺部隊【エンジニア】の本部である。
蛍光灯の下……分厚い鋼鉄とコンクリート、強化ガラスが交差する無機質な部屋の数々。
少し目をやれば、射撃演習区画、武装管理室、そして通信制御センター等。
情報、殺害、潜入、回収──
『国のための殺し』を遂行するためだけに設計された空間が広がっている。
ここで動くのは、『正義』ではなく、『必要悪』の方がしっくりくる。
法の外に生きる殺し屋たちが、国家の意志で都合の悪い『バグ』を消す。
──────────
─────だだっ広く、やけに大きなモニターが目立つこの部屋は、作戦会議の為に使われている。
現在、この部屋には一組の男女が立ち話をしている。
「──次の司令、アナタは『観戦』するのよ。」
女性にしては背が高く、深紅のスーツに身を包んだ、赤毛の女性。
艶やかで妖艶な声で話すのは、【エンジニア】の幹部を勤める『芦高 狩乃』である。
鎌日部 灯郎に本部へ戻るよう命令したのは彼女でもある。
「──珍しいな……殺しじゃないのか。」
彼女の目の前にはキルマンティス……灯郎がいた。
狩乃の言葉を聞き、ボソッと疑問をなげかけた。
「そうよ。少し頼みたいことがあるのよ。」
そう返すと、狩乃は手に持つファイルを机に投げ出した。
ファイルから覗く写真に映るのは、小汚い中年男──名前は『呂義 興六』
警視庁公安部に所属する、典型的な腐敗刑事。
「この男は裏金、捏造、反政府組織との癒着と……まあ、よく長生きしたわねって感じ。
ただし、今回は『晒し上げ』……『社会的に殺す』のよ。」
「そして今夜、その男は『汚職の証拠』を焼却処理するわ。自宅ではなく、郊外の廃ビルで──更に護衛として殺し屋も雇ってる。」
ファイルに目を通す灯郎。まだ狩乃は話を続ける。
「その頼みっていうのがね……今回、『とある研修生』の実戦評価をしてもらいたいの。
キルマンティス、あなたには監督役として同行してもらうから直接戦闘はしなくてもいいわよ。」
灯郎はまた疑問を抱き、聞き返す。
「……研修生だと?」
狩乃は答える。
「えぇ、そうよ。学力、身体能力共に優秀な子。
採用する最終試験として、アナタの評価をいただきたいのよ。」
狩乃がそう話終えると、だんだんと陽気な足音が部屋に近づいてきた。
灯郎が振り返る間もなく、「ウィーンッ」と自動ドアが開く。そこには若い男が立っていた。
170cmほどの身長、後ろで結ぶ程長い金髪に、紫色のスカジャンを着込む。
さらにその手には、小型音楽プレイヤー『ドライバー』が握られている。
「狩乃姉さん! 部屋ここで合ってます!?」
開口一番、殺し屋らしくない明るい声が部屋に響いた。
「なんだコイツ」と苦い顔をする灯郎を横目に、狩乃はまた口を開く。
「彼は『血吸 綃斗』、歳は19歳……南米の武術『カポエイラ』を極めた武闘派よ。」
─────『カポエイラ』……1500年頃のブラジルが発祥とされる武術。
『拳』の使用はほとんど無く、踊るような脚技が特徴である。
そんな武術を使う彼にも、政府からコードネームが付けられた。
「──コードネームは『蚊』……殺しのセンスはあるけれど……。」
狩乃がそこで言葉を切ると、綃斗が笑顔で補足。
「あー!『うるさいから』っしょ? いやねぇ、それ言われんのもう数え切れないッスわ!」
灯郎は無言で彼を睨む。そして一歩綃斗に近づくと、ドスの効いた声で言い放った。
「……お前、『殺し』を舐めてるな。」
脅しとも聞こえるその言葉の前でも、綃斗の顔から笑顔は消えなかった。
むしろ、更に調子に乗り始めた。
「え……? あ、そう見えちゃいました? でもね、カマキリ先輩──『オシゴトは楽しく』がモットーなんで、キャラ変える気ないっスよ?」
灯郎は沈黙する。
額には、はち切れんばかりの血管が浮き出ていた。
「……。」
一瞬、空気が冷えた。鬼気迫る状況を察し、狩乃が手を叩いて止めに入る。
「落ち着いて落ち着いて、二人とも。灯郎……今回の評価、真面目にお願いするわよ。」
彼女は新たな書類を渡しながら説明を続ける。
「護衛として雇った殺し屋のデータよ。」
狩乃が資料を捲り、一枚の写真を机に置いた。
映っていたのは──メイド服の女。
「──コードネームは【蟋蟀】。『鉄扇』を武器にする、技巧派の女殺し屋。
見た目はかなりアレだけど……過去に政府の要人を二人も潰してる。」
灯郎は写真をじっと見つめて、低く呟いた。
「……射程距離……間合いの潰し方が得意そうだ。攻撃型じゃなく、読みがキレるタイプと見た。」
狩乃は微笑んだ。
「さすが。観るところが違うわね。」
二人の話の外で綃斗は『ドライバー』の電源を入れると、イヤホンを耳に差し込む。
そして腕時計を覗くと、大きく欠伸をし始めた。
「記念すべき『初任務』。俺がどれだけヤベェか、古き良きカマキリ先輩にバッチリ魅せてやりますよ……。」
それを聞くと灯郎はゆっくりと背を向ける。
「──死にたくなければ、せいぜい足掻け。」
灯郎はドアへ向けて足を運び、部屋を後にする。
「ちったァ待ってくださいって!」
慌てて追いかける綃斗。
やがて自動ドアが閉まると、一人残された狩乃は小さく呟いた。
それは誰にも聞こえず、ただの『祈り』のようだった。
「───二度と……あんな事はごめんだからね。灯郎……。」
──────────
──場面は移り、東京都の郊外。
周囲に人の気配は無く、ボロボロになった廃墟の倉庫のみ、ポツンと存在している。
その倉庫内では、炎が燃え盛るドラム缶の中へ、『汚職の証拠』が次々と投げ込まれていく。
「ククク……これで俺の過去も消えた……汚職警官だなんて世間様は生意気なもんだ……。」
この男こそ呂義 興六。
スーツの腹を弛ませたまま、煙草と飴を交互にくわえ、醜く笑っていた。
その背後には、白黒のメイド服に銀の鉄扇を構えた女が、柱の影に立つ。
──殺し屋【クリケット】とは彼女の事である。
彼女はニヤつく興六とは対照的に、彼女の顔はシリアスな表情を浮かべていた。
「足音がする……来るわよ。足音殺さず来るってずいぶんと舐められたものね。」
それを聞くと興六の表情は一変し、泣きつくようにクリケットの背後へ隠れ始めた。
「たッ、頼んだぞ……。お前に払った報酬は……俺の命そのものなんだからなぁ……!」
──ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ。
床が振動し、リズムが近づく。
足音がまるで『音楽』のように、空気を裂いて倉庫に侵入してくる。
「……あれ、もしかしてバレてました?」
綃斗は天井から顔を出すと、そこから飛び降り着地する。
地へ足をつけるや否や、『ドライバー』の再生ボタンを押した。
「女の子に手を上げるのは、気が向かないッスけどね……。」
すぐ目の前には、白黒のメイド服を纏った【クリケット】が、鉄扇を両手に構える。
その顔には、感情の波が一切ない。
「やっぱり。登場の仕方から何まで間違ってるわよアナタ……舐めてるわね。」
とうとう、蚊と蟋蟀の戦闘が始まろうとしていた。
梁の上、換気ダクトの陰から、灯郎……キルマンティスはじっと観察している。
──────────
────綃斗は横回転のステップで間合いを詰める。
足元の動きは流れるように滑らかで、床を蹴るリズムにはズレがない。
カポエイラで言うところの、『ジンガ』と呼ばれる基本のステップである。
綃斗はどんどん回転しながら突っ込んでいく。
「もし君の名前を〜君の電話番号を知れたなら〜♪」
『ドライバー』から流れる曲を口ずさみながら、低く蹴り上げる。
その攻撃はクリケットの脇腹を狙うが──難なく鉄扇で受け止められる。
「──ずいぶん軽いわね。威勢がいいのは口だけ?」
綃斗は一度バックステップし、再び回転──
今度は上段から踵落とし……『ガンショ』と呼ばれる技である。
空気を切る音を鳴らし、落下させる。
「君に狙いを定めたなら、やりたいことが有るんだ〜♪」
しかし、クリケットは即座に逆手持ちの鉄扇で受けきり、綃斗の足を滑らせる。
その瞬間、バランスを崩した彼に向かって、鋭い鉄扇の刃が放たれる。
「キィィィンッ──!」という、耳をつんざくような金属音が部屋に響く。
「うッ──!」
命中箇所は『肩』……深々と突き刺さる。
音楽プレイヤー『ドライバー』が床に落ち、そこで音楽が止まった。
「ちっ……くしょ……!」
音がない。リズムが狂う。
「あら……まさかアナタ音楽聞かないと攻撃出来ないわけ?」
今度のクリケットは鉄扇を投げつけた。
計算したのか、鉄扇の空気抵抗を利用して軌道変更。綃斗の避けたつもりの脚に、斜めから突き刺さる。
「うがァっ……!」
左足をやられ、綃斗が崩れ落ちる。
(……パイセンが見てる。あんだけ舐めた口聞いて、今ここで負けたら──俺の『野望』が終わるぞ……。)
血が流れ、身体は動かない。
けれど、『まだ終わってねぇ』と、奥歯が噛み締められている。
膝をついた綃斗の肩からは、赤い血がぽたぽたと垂れていた。
「ちっ……やっぱり痛ぇ……」
先程の笑顔はない。
その目は、いつになく真剣だった。
(……くそ……『読まれてる』……間合いを。)
目の前のクリケットは、再び鉄扇を構えた。
「一体何しに来たわけ? 面白くないんだけど。」
──彼女から放たれる一閃。
クリケットは右脚を軸に半回転しながら、突き刺すように鉄扇を振るった。
綃斗は咄嗟に肘を上げ、防御──
だが……その防御を貫通し、鉄扇が脇腹を打ち抜く。
見切れぬ刺突が綃斗を襲った。
「ぐふっ──!!!」
床を転がる綃斗。
反転したクリケットが、『踏みつけるように』前に出てくる。
「もう喋らないの? 踊る気も失せた?」
綃斗は息を吐きながらも、両手で床をとらえ、上体を起こす。
「殺し屋のくせに……今俺を殺せてない時点で……アンタも失格じゃないッスかね……?」
「そう。じゃあお望み通りにしてあげるまでよ。」
──再び、彼女の手に鉄扇が構えられる。
──────────
───綃斗は思う。
(音楽がない……身体が重い……でも……。)
綃斗の視線が、上を向く。
そこに見える──ダクトの中の、黒い影。
灯郎……キル・マンティス。
一度も助ける気配を見せない冷酷な彼が、ずっとそこから見下ろしている。
(パイセンが……見てる……。)
喉が渇き、胸が焼けつく。痛みは体を蝕んでゆく。
──けど、それでも。
(俺は、ここに入りたいんだ……)
(俺には……叶えたいものがある……!)
その瞬間、彼の耳に微かに──『ドライバー』が再起動する電子音が聞こえた。
綃斗は、無意識に『ドライバー』へ腕を伸ばし、再生ボタンを押していた。
……『まだやれる』と、生存本能が背中を押した。
音楽が──戻る。
《君は僕の周りで回る〜グルグルとレコードみたいに〜♪》
綃斗の口元が、ゆっくりと笑みに変わった。
「……ダメ押しするなら……『今』じゃないッスよお嬢さん」
「──?」
クリケットの眉がピクリと動く。
──その瞬間。
綃斗が、跳んだ。彼の両脚が、再び『踊り』始めた。
「……『低空飛行』!!!」
地面スレスレの低空の回転蹴り。
避けられるも、即座に立ち上がって、逆脚で背中越しに回し蹴り。
「次は『後方支援』!!」
これは鉄扇で受けられる。だが、受け止めた瞬間、彼は『軸』をずらした。
──フェイントである。
そのまま、身体を宙に浮かべるように飛び込む。
「フェイントからの……『螺旋翼機』!!!」
頭上から振り下ろすような、『縦回転蹴り』。
クリケットは鉄扇でガードするも、僅かに全体のバランスが崩れる。
綃斗はすかさず背後に回りこむ。
高速のスピン回転……ブレイクダンスの様に頭を地面に着ける。
「……『暴風車』!!!」
踵が、クリケットの首元をかすめた。
「い、痛っ……ッ!」
一歩、彼女が後退する。
「蹴りだけで堕ちるほど……下等じゃないわよ!!」
瞬間、クリケットは鉄扇を前に突き出し、男勝りなその脚で跳び上がる。
──跳びながら、鉄扇を振るう……まるで羽根でも生えたかのように、上空から間合いを支配する。
「鉄扇技巧───『夏唄』ッ!!!」
「はうッ──!」
鉄扇が突き刺さる瞬間、綃斗が後方へ飛ぶように避ける。
負けじと付近の壁を蹴り、その反動で彼の体は宙を弧を描く──梁の下をすり抜け、クリケットの頭上を捉える角度へ。
壁を蹴り、回転して宙を舞う。
──お互いが一撃を狙い合いながら、この空間を交錯する。
鉄扇の軌道は曲線に。
カポエイラの蹴りは螺旋に。
互いの『技術』が入り混ざり、火花を散らす。
──────────
────しかし、有利にあるのはクリケットの鉄扇。
高低差のある攻撃は、必然と高所からの攻撃に軍杯が上がる。
綃斗と蹴りの隙間を縫い、鉄扇が突きつけられる。
綃斗の喉元へ鉄扇の刃が突き刺さるのも時間の問題。ついに残酷な決着が着く。
─────その刹那。
「────カシュンッ!」っと、クリケットの後方から、空気を割く『銀の光』が飛んできた。
ヒュンヒュンヒュン……と、回転する何か。
コンクリートの地面に突き刺さるそれを見たクリケットは、寸でのところで攻撃をやめ、つぶやく。
「……あら……彼もここに来てたのね……。」
地面に突き刺さるもの、それは『鎌』……キル・マンティスが愛用する武器。
灯郎は、天井のダクトから鎌を投擲し、綃斗を助けたのだ。
その鎌を見つめるクリケット……キル・マンティスがここに居るのと同時に、また一つ理解した。
─────喉が『熱い』……そしてだんだんと、首から下がが暖かくなる。
「────あれ……?」
「ゴホッ」と咳き込むと同時に、感じるのは『何かがせり上るような感覚』……今まで味わったことの無いもの。
──────首をはねられた者の気持ち。
静止した彼女の身体から、「ドスン」と何かが地面へ落ちる。
赤い飛沫をあげながら、クリケットの頭部は今、コンクリートの上にある。
──────────
─────モスキート──綃斗は、息を詰めて見上げる。
梁の上、換気ダクトの影から──
黒いコートを揺らし、灯郎が静かに降りてきた。
その瞳には、『冷酷さ』だけが浮かんでいた。
「──何……で……?」
かろうじて綃斗が問うと、灯郎は無言で鎌を手元に戻しながら、ぽつりと呟く。
「────【日本政府公認暗殺者】は人手不足なんでな……お前に死なれちゃ……俺の手間が増えるだけだ。」
─────それだけだった。
淡々と、無表情で……。
助けた理由にしては、あまりに冷たい──けれど、それが『本音』だった。
──ただし、灯郎の脳裏には、かつての“あの出来事”が過っていた。
──かつて、同じように自分の目の前で死んだ、
まだ若かった親友。
命の火が、静かに消えていくのを─────ただ見殺しにしたこと。
──同じ過去は繰り返したくなかった。
「……チッ……狂うな。」
灯郎は鎌に付着した血を指で払うと、綃斗に背を向けて歩き出した。
その背に、綃斗はぽつりと呟いた。
「……やっぱ、ちゃんと『人』なんスね……ただの殺人マシンかと思ってました。」
灯郎は答えない。その背中は何も語らない。
────床に倒れた鉄扇と、生臭い血の匂いだけが、その場に残されていた。
─────一方、今回目当ての興六は腰を抜かしていた。
「ひッ……うッ……うわ……あ、あれだけ払ったのに……雑魚メイドが!!」
怯える中年男を綃斗は、血まみれの腕で手錠をかける。
「……少なくとも、これで今度から真人間になれるな。教科書にでも載せとけよ。」
───カチャリ。手錠がキツく閉まり、任務は終了した。
──────────
────その翌朝のこと、東京都警視庁の前……。
複数人の警官が慌てて駆け寄る。
わらわらと騒ぎ立てるマスコミや野次馬を前にして、呂義 興六は手錠をかけられたまま、その場にあぐらで座っていた。
不貞腐れたような無愛想な顔に、反省の色は無い。
「出勤扱いには……ならねぇか。」
────その足元にはUSBと、何通もの封筒……そして、ペラ一枚のメモの切れ端。
そこには、こう書いている。
『国家の不協和音、回収済み。──エンジニア研修生より』
読んでいただきありがとうございます!
まだまだ未熟者なので改善点あれば是非教えていただければ嬉しいです……!