第六十七話:大戦
開戦から一時間後。
ヴァルムント帝国最大の飛空戦艦はゆっくりと高度を落としていた。黒い煙が船体を包み込み、船首が前方へと傾いている。甲板に佇む一つの影は揺れることなく真っ直ぐと伸びていた。そして、冷めた声色で淡々と言葉を発する。
「千年前、この世界にはもう一つ大きな大陸が存在した。イシュガル、ムルヴァス、スフォルカ、エグゼルス‥‥‥魔族が栄華を極め、この世界の均衡を保ってきた。魔族こそがこの世界の頂点に立つ種族であり、支配者であると、我々は思い込んでいた」
声色に熱を帯び始める。怒り、憎しみ、後悔、燃え広がる感情が辺り一体の血の池に反響し、輪郭がまるで生き物ように蠢く。
「来る神々との戦争に備え、我々はこの大地へと進軍した。陸、海、空、何千万という魔族が全てを黒く塗りつぶす。この大軍を迎え撃ったのは、十二人の大騎士、勇者パーティー、禁書庫の大賢者達、そして、バルグレイグ公爵率いる黄金の騎士団だ。前線は一瞬にして崩壊し、狂った騎士の群れが魔族を狩殺す。魔王の名を冠する者ですら雑兵と等しく倒れていった。断章の魔王が殿を務めなければ、この時代に魔物‥‥‥いや、魔族は存在しなかっただろう。何が言いたいか分かるか?」
若き魔王は目の前の男に問いを投げかける。甲板には黄金の鎧を纏った騎士達が横たわり微動だにしない。甲冑の隙間から流れる血が根のようの広がり、魔王の足元へと続いていく。ヴォルカニス公爵は片膝をつき、自身の持つ宝剣を床に突き立て体を支えている。
彼はこの大艦隊の総司令官であり、それ以前にヴァルムント帝国の大公爵でもある。彼が倒れるということはつまり、この戦争の敗北を意味する。それだけは決してあってはならないことだ。
「これが黄金の騎士団? 笑わせるな。もし当時の騎士が三人もいれば、私を殺すことなど容易かっただろう。この程度の実力でかの騎士団を名乗るなど、散っていた同胞達への侮辱に等しい」
足元に広がる血が重力に逆らい魔王の掌で凝縮されていく。真紅の血が次第に黒くなり、一つの球体を形成する。公爵の呼吸は重苦しく、腹部からは血が止まることなく流れ続ける。傷口を押さえながらも周囲の状況を確認する。
護衛は全滅、霧のせいで周りの護衛戦艦からの救助は無理かしらね。しかも目の前の魔王さんは随分とお怒りなこと。千年前の祖先がやったことなんて知ったこっちゃないわよ。八つ当たりも大概にして欲しいわね。はぁ‥‥‥こんなことになるならロベリアちゃんに残って貰えばよかったわ。
「終わりだ。弱き大公爵よ」
黒い球体は空気中に粒子となって離散すると共に、無数の赤い閃光が根のように広がり、膝をつく公爵へと襲いかかる。
その刹那、一つの人影が間へと入り込む。その人影は無数の閃光を一太刀で打ち消した。赤い結晶が粉雪のように甲板へと舞い落ちる。
「‥‥‥遅かったじゃないの。アルヴェスト伯爵」
目の前に突如現れた老騎士に、魔王は違和感を覚えた。
この男は、何だ? 何故この時代の人間が今の攻撃を防げる? まさか、いや、それは有り得ない。
血が再び形を成していく。無数の血の剣が一斉に目の前の騎士へと降り注ぐ。しかし、アルヴェスト伯爵は襲いかかる刃を全て斬り伏せた。一切の焦りなく、呼吸が乱れることなく、魔王の攻撃を凌いだのだ。
「‥‥‥なら、これはど」
その時、魔王は後方から軽い音が鳴るのを聞いた。柔らかく、軽快な、体の中の緊張が全て吹き飛ぶような、そんな音だった。だが、それと同時にとてつもないほど強大な魔力が魔王を押し潰す。
魔王は咄嗟に振り返った。その途中、視界の端に一人の魔女が映った。黒い髪の小柄な少女。その腕には銀色に輝く剣を携えている。即座に血の障壁を形成するが、剣がその障壁に触れた瞬間、衝撃波を巻き起こし、魔王の体は最も容易く吹き飛んだ。体が宙に浮く中、魔王は魔女の顔を見た。
「くっ! レイナ・ナガシマ!」
戦艦の鉄の壁に穴を開け、鉄屑が外へと零れ落ちる。
レイナはすぐにヴォルカニス公爵の側でしゃがみ込み回復魔法をかける。それと入れ替わり、アルヴェスト伯爵は壁に開いた穴の方へ剣を構える。
「あら、あれだけ嫌がっていたのに来てくれたのね。可愛い大魔法使いさん」
「今か後かの違いだからね。じゃあさようなら」
応急処置を終えると、転移魔法で公爵を他の艦隊の元へと飛ばした。いくら公爵といえども足手まといになるのは目に見えていたからだ。ゆっくりと立ち上がり老騎士の横へと並ぶ。
「純血のイシュガル。あの人以外にまだ生き残りがいたんだ」
レイナは空いた穴の中の暗闇をじっと見つめた。その中で赤い影が蠢いていた。血の海が吹き出し、血が鉄骨を纏い、魔王が再び姿を現す。
「アルヴェスト伯爵。私と貴方ならアレを殺せる。私に合わせて」
「了解した」
砕けた魔王の左腕を血が纏い、一瞬で元の状態へと戻る。そして、先ほどとは一線を画すほどの魔力が吹き荒れる。二人は、向こうも本気だということを瞬時に感じ取る。だが臆することはなかった。
一触即発の空間。互いの異なる高密度の魔力が反発し合い、稲妻のようなものが走る。
その膠着状態を打ち破ったのは、床から滲み出た水だった。
「「!」」
普通なら戦艦の損傷により水道管から漏れた水だと考えたかもしれない。だが、その水からはどす黒い異質な魔力を発していた。その水は徐々に魔王の傍らへと流れ出し、小さな円を作った。
「気をつけて、この魔力は‥‥‥」
魔王は眉を顰め、その水面を覗き込んだ。そしてすぐに視線を二人の元へと戻した。
「潮時のようだ」
魔王の体へと血が戻っていくと同時に、滲み出た水から異質な魔力が消えていく。魔王は二人に背を向け、そのまま暗闇の中へと消えていこうとする。
「また、逃げるの?」
レイナの一言で魔王の足は一瞬止まった。だが何も言わず、そのまま暗闇へと消えていった。
「‥‥‥追わないのか?」
「その方が賢明かな」
レイナは剣を鞘に納める。緊張が解け、肺の中の空気を一気に外へと吐き出す。
「流石に魔王二人はきついからね」




