第六十五話:慣れ果て
開戦から二十五分後。
『魔道式砲弾装填完了!』
『主砲、セクターD-7・局所座標B-02、照準完了!』
『全門斉射!』
陸上戦艦が唸り声をあげ、強大な砲門から放たれる砲弾が霧の中から浮かび上がる無数の影に襲いかかる。砲弾の一つ一つには対軍魔法が刻まれており、爆音と共に炎や稲妻がまるで渦を巻くように敵を包み込む。爆風が甲板まで届く。しかし、どれほど空気が荒れようと戦場一体を包む霧が晴れることはなかった。
「ご報告いたします、ドルメル男爵! 戦車、装甲車の配置が完了致しました! そして、歩兵騎士隊が魔物の群れに接敵、死傷者は現在四割弱です!」
「帝国の正規軍だぞ!? なぜ魔物相手に短時間でこれほどの損害が出る!」
甲板では人が右往左往している。肌に付く水滴が霧によるものなのか、自らの汗によるものなのか、もはや区別はつかなかった。
「報告によると、まるで軍隊のように陣形、統率が取れた動きをしているようです!」
「チッ、魔物の群れ如きになぜこれほどの軍が動いたのか、ようやく理解した‥‥‥歩兵を下がらせろ! 射程範囲に入り次第遠距離から」
突如甲板に大きな影が包み込む。日の光すら満足に差し込まない深い霧の中では影など映らない。ましてや甲板を覆い尽くすほどのものなど尚更だ。それこそ巨大な怪鳥や龍でもない限り。
「男爵、上です!」
その声を合図に頭上に注意を向けるが、その刹那、何かが視界を覆い尽くしたと思うと意識が途絶える。肉が潰れた不快な音が響き、その怪物の足元からは赤い液体が染み出してくる。先程まで縦横無尽に動き回っていた者たちは足を止め、凄惨な光景をただ目にすることしかできなかった。圧倒的な威圧感、魔力、巨大な肉体、それらがこの場にいる全員を恐怖で縛り付ける。
「う、うわあああああ!!!」
最も近くにいた騎士が自身の感情を吐き出した。悲鳴が周りの騎士や術師にも連鎖しパニックとなる。逃げる者、その場に蹲る者、自暴自棄となり攻撃を仕掛ける者も居た。だが怪物はどんな者も平等に扱う。翼を振るい、竜巻が人をミキサーのように取り込んでは肉塊にしていく。
◇◇◇◇◇◇◇
「こりゃひでぇな‥‥‥!」
一隻の陸上戦艦が煙を噴き出しながら近づいていく。前方には十数隻の艦隊が並んでいる。しかし艦砲が響くことはなく、聞こえるのは金属音や雄叫び、いや悲鳴なのかどうか区別がつかないものばかりだ。戦艦から噴き出す炎が霧を赤く染め上げている。
「キブシル、あの様子では最早手遅れだ。一度私の艦隊まで後退すべきだ」
ロベリアは、目の前に広がる光景が物語ることは疑いの余地が無いと判断していた。
「そうだな、船を旋回させろ。一旦ロベリアの艦隊と」
その時、甲板から不可解な音が聞こえた。それは悲鳴でもなければ砲声でもない。だが自身の神経を刺激するような不快な何かが降り立ったのを本能で感じていた。
「‥‥‥人? いや、鳥か?」
それは人の影をしていた。だが背中には漆黒の翼を背負い、ゆっくりと漂う無数の黒い羽毛が、より一層恐怖を際立たせる。口は鋭い刃のようであり、鉤爪を備えた手には二メートルほどの錆びた槍が握られていた。
「銃術・影走弾」
キブシルの体は迷いなく即座に反応した。腰に携えた銃を手に取り、照準を合わせ、引き金を引く。まるで呼吸のように、その動作に一切の遅れはなかった。
放たれた弾丸は容易に頭部を吹き飛ばした。怪物は悲鳴をあげることなくそのまま船の外へと落ちていく。振り落ちる黒い羽毛の量が増した。濁った空を見上げると、黄色に輝く無数の目が騎士たちを見下ろしていた。
「来るぞ、全部引き摺り落とせ!」
その声を合図に、魔物が一斉に降下を始め、騎士達は魔法や弓、銃で迎え撃つ。魔物は奇声を上げながら一直線に向かってくる。いくら撃ち落としても雨のようにその勢いは止まない。槍が騎士の胴体を貫いた。そのまま甲板で乱戦が繰り広げられる。
◇◇◇◇◇◇◇
「あら、これは予想外の客人ね」
ヴォルカニス公爵の飛空戦艦、地上から千二百メートルの高度を飛行しているこの船に一つの影が降り立った。
「転移魔法対策の結界が貼ってあったと思うのだけど、一体どうやって来たのかしら」
彼は淡々と言葉を繋げるが、決して目の前の人物から目を離さなかった。意外にも、異様な雰囲気と膨大な魔力が漏れ出すその怪物は人の形をしていた。赤と黒が入り混じった貴族衣に身を纏い、肌は弱々しいほど白く、だがその肉体から気が遠くなるほどの研鑽を感じることができた。
そして彼に確信を与えた。
「貴方が魔王かしら、てっきり角や翼が生えた怪物だと思っていたわ」
若き魔王は目の前の男を視界に入れる。実力差は歴然だった。それは両者とも理解していた。だが魔王も同様決して相手から目を離さなかった。いや離せなかった。遥か昔の大戦の記憶が、より一層鮮明になる。
「‥‥‥この時代の大公爵か」
発せられたその声からは怒りが感じられた。
「ええそうよ。自己紹介でもしておきましょうか。カーネシア・ヴォルカニスよ。貴方は?」
「‥‥‥」
魔王は声を発さなかった。ヴォルカニス、この名を聞いた瞬間、湧き上がって来たのは一瞬の恐怖、そしてそれが憎しみへと染まる。隠す気のない殺意が公爵を刺激する。
「そんな嫌われるようなことしたかしら。もしかして吸血鬼の肌が白いのは、常に頭へ体中の血が上りきってるからなの?」
理由は知らないけれど、冷静さを欠いてくれているのなら好都合だわ。吸血鬼‥‥‥イシュガルっぽいわね。でも私が知っているのは品性のない獣みたいなやつなのよね。わざわざ来てくれたことだし、前線の艦隊が劣勢の今、ここで頭を潰せば‥‥‥
「この戦争のもたらす結末は我ら魔族の悲願であり、存在の証明である。弱き公爵よ。貴様らの先祖が犯した罪を懺悔し、そして誇るがいい。貴様の首をもって、我らは千年前の栄光を取り戻す」
赤黒い液体が魔王の影から滲み出る。血溜まりは綺麗な円を描き、そしてゆっくりと広がっていく。赤い粒子が波面を立てず静かに噴き出し、空気の色を変える。
「随分と空虚な理想を掲げているのね。高い理想を持つのは良いけど、より一層現実が残酷に映るわよ」
大公爵は宝剣を鞘から引き抜く。それはヴァルムント帝国の歴史であり、この国の意思である。
「吸血鬼の貴方ならわかるんじゃないかしら。この剣は数多の魔王の血肉を啜ってきたこの国の宝」
<<インシネラ>>
魔力伝導率:89%
宝剣の刃が露わになる。それと同時に霧が薄れ、辺りが光を取り戻していく。銀色の刃の中には赤い炎のようなものが薄らと泳いでおり、魔力に触れ色度を増す。
「黄金の騎士団、出なさい」
公爵の一言で黄金の甲冑を纏った騎士たちが甲板に降り立つ。
魔王は、その騎士たちを見て目を見開いた。一瞬の動揺、それは誰の目にも明らかだった。
「黄金の騎士団‥‥‥これが?」
「驚いたかしら、この国が誇る精鋭部隊よ」
切先を魔王の喉元へと向ける。魔力が刃を伝い、より一層赤みが増す。
「卑怯だとは思わないでよ。戦争はいつだって不平等に溢れているわ」




