第六十一話:終幕
終幕だ〜
ふと、エミリーは体に違和感を覚えた。鼻から温かい液体が流れ落ち、剣が自分の掌から離れる。
「これは‥‥‥ゴホッ!」
吐血し膝から崩れ落ちる。全身の力が抜けていき、魔力も乱れ始めた。そして瞬時に自らの体に起きていることを理解した。
「なるほど、私の毒ですか。わざと傷口を抉り、毒を自身の剣に付着させたと」
「運命が私の命を奪い去るのが先か、貴様が毒で倒れるのが先か、だがそんな時間を掛けるつもりはない」
ルディアは力を振り絞り、エミリーの前へと立つ。
「これで終わりだ、何か言い残すことはあるか?」
剣を大きく振り上げ、エミリーを見下ろす。だが彼女の表情は変わらない。
「‥‥‥貴方は私よりも前に毒を食らっている筈ですが」
「はっ、我々騎士は毒程度で倒れるほど弱くはない。皆強い信念を心に宿している。貴様と違ってな」
「根性論ですか?」
「気合いだ」
一瞬の静寂が訪れる。ルディアはこれ以上話すことは無いと判断し剣を振り下ろそうとする。
違和感。
「フ、フフッ、アハハハハハ!」
エミリーは腹の底から声を出した。ルディアの目には、無邪気な少女が元気に笑っているようにしか見えなかった。
「何がおかしい? いや、おかしいのは」
「ハハハ! あ、気づきました?」
ルディアの体が膝から崩れ落ちる。手足どころか、全身の感覚が急に消え失せた。視界がぼやけ、意識が朦朧とするが、エミリーの声だけはハッキリと聞こえる。
「だから言ったでしょう? 貴方は私よりもずっと前に毒を食らっていると」
エミリーは自分の胸元から小瓶を一つ取り出しそれを飲み干す。
「ふぅ、笑わせないでくださいよ。気合い? そんなわけないでしょう? 私のスキルで貴方が毒で死なないように運命を書き換えていただけ、もちろんそう悟られないように思考も操作しました」
先程の状況とは打って変わり、今度はエミリーがルディアを見下ろしていた。
「私が貴方を延命していただけです。主役が退場してしまっては舞台が保ちませんからね」
延命‥‥‥?
意識が薄れていくのを感じるが、決してそれが途絶えることは無かった。そして諦めることもなかった。意識が続く限り体を奮い立たせようとしている。
「あぁ、そう言えばマグレッドを何故道化と呼んだか、言っていませんでしたね。まあ、もう理解していますか」
エミリーはルディアの前に屈み込む。
「私のスキル対象は一人ですからね、自身の娘はとっくに死んでいるというのにただの剥製のために命を賭けるなんて、本当に素晴らしい役者でしたよ」
ルディアはこれ以上ないほどの体が沸き立っていた。腑が煮えくり返り、体が動くなら一瞬で彼女の頭を一刀両断していただろう。
「さあ、フィナーレです。ですがその前に、余った小道具は処分しましょうか」
エミリーは立ち上がると、磔にされたままの騎士たちの方へと足を進める。
まさか、やめろ、やめてくれ!
ルディアの口から声が発せられることはなかった。今もなお体は動かない。
騎士の悲鳴が耳に響いた。何年もついてきてくれた大事な部下が今や灰となって空気中に離散していく。エミリーはまるでおもちゃで遊ぶ子供のように笑顔で火をつけていく。
燃やされいく騎士の悲鳴が、中には自分の名前を呼び、助けを求める声も聞こえた。だがどうすることもできなかった。何かが自分の心を蝕んでいく。体中が締め付けられる感覚がした。
何故、何で、どうして、私が、私のせい? 何だめだった? どこが悪かった? いつ間違えた? 私の騎士達が、やめろ、私のせいだ、違うあいつが、初めから罠だったんだ、うるさい、うるさい! うるさい!! もう聞きたくない!!! いやだいやだいやだ!!!
永遠にも等しい一秒、ルディアは今の現実を到底受け入れられなかった。
目を閉じた。
彼女はついに現実から目を背けてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
実際には二分も経っていないだろう。だが舞台の幕が閉じるには十分すぎる時間だった。
「素晴らしかったですよ、ルディア・ガルハート騎士長」
エミリーは光を失ったルディアの瞳を覗き込む。瞳孔の奥には今にも引きずり込まれそうな深淵が広がっていた。
「うんうん、良い表情です。ふぅ、終わり終わり〜、今日はいい夢が見れそうですね」
腰につけていた連絡用魔道具を取り、出口へ向かって歩き始める。
「あれ、出ませんね。寝てるのかな。余った魔物にコレを処理させようと思ったのですが担当者は何をやっているんでしょうか、マグレッドが死んだ今モタモタしている時間は無いですし」
出口の扉を開け、最後まで付き合ってくれた彼女への礼としてリルクハットを胸に当てお辞儀をした。
「さようなら、そして神の祝福を」
エミリーは部屋を後にする。
◇◇◇◇◇◇◇
外に出ると、数台の車と十数人のスーツを着た職員達が立っていた。
「数が少し少ないですね。トラブルでしょうか」
日が登り始め、薄暗い路地裏をオレンジ色に染める。風が吹き抜け、鳥たちが空へと飛び立つ。
「いい風ですね、ではそろそろ行きま」
エミリーは言葉を発するのをやめた。美しい日の光が、無数の風穴の空いたスーツを照らし出す。
「な‥‥‥」
再び風が吹き抜けると同時に、風穴から血が吹き出し次々に部下が倒れていく。
エミリーは咄嗟に建物の隙間へと隠れる。
「スナイパー? ですが銃声は聞こえない」
また風が吹く。その時エミリーの肩に激痛が走った。何かが床に落ちる音が聞こえ、そっと視線を向ける。血溜まりの中に自身の左腕が浮かんでいた。
「くっ!」
エミリーは肩を押さえ走り出した。射線を避けるため出来るだけ狭い隙間を通り抜けていく。
「ハァハァ‥‥‥明らかな曲射、弓ですか、こちらのスキルを知ってますね。くっ、まさか、サディスの天眼‥‥‥!」
追撃は来ない。だが複数の鋭い視線を感じた。それが弱まる方向へひたすら走り続ける。
開けた場所に出た。ベルトリオンは昼夜問わず人で溢れかえっている。これほど広い場所ならば尚更だ。だがそこには人の声すらしなかった。耳に響くのは水が流れる音だけ。
大きな噴水が朝日に照らされ、流れる水がまるで黄金のようだった。だがエミリーの視線は、その手前のベンチに座る一人のエルフに釘付けになっていた。
視線がエルフのそれと重なった。白銀のドレスを見に纏い、靡く白い髪が朝日に染まる。
「サディスの、女王‥‥‥」
<<ガーベル・アイリエル>>
レベル:???
称号:大英雄
エミリーの頭の中にあの時の言葉が浮かび上がる。
エルフは立ち上がると、手に光の粒子が集まり始め、その一粒一粒が集まり形を成していく。それは、美しい容姿にはとても似合わない錆びた弓だった。
髪を一本引き抜くと、それが矢の形に光を帯びる。
この間、エミリーは何度も相手の運命に干渉しようとしたが、それに触れることは出来なかった。
『折れぬ信念の矢が、運命を凌駕する』、神からの天啓、だがエミリーはこれを軽視した。運命に翻弄されることを誰よりも嫌った彼女は、自身のスキルでならこれを捻じ曲げられると思ったからだ。
弓に矢をかけ、弦を引く。それと同時に錆びた鉄が軋む音が聞こえた。
エミリーは仕込み杖から刃を引き抜く。
その時彼女は気づいた。すでにエルフの手から弦が離れていたということを。
「え‥‥‥?」
微風がエミリーの体の中を通り過ぎていくのを感じた。
視線を落とすと、左胸から赤い血が滴り落ちていくのが見えた。そして、電池が切れたかのようにエミリーの意識は暗い闇の中へと沈んでいった。
三章はここで終わりです。
少しでも面白いと思ってくださったら嬉しいです!
ちなみに僕はこの章がかなりお気に入りです。
週一投稿(日曜日)となってしまっていますが、絶対最終章までは時間をかけてでも書こうと思うので温かい目で見守って頂ければ幸いです。