第五十五話:相対
時刻は騎士団が下水道へと降り立った時へと遡る。
下水道の最奥にして最下層、ここでは腐った水の匂いはより強烈な腐乱臭によって打ち消され、空気すらも濁って見える。誰しもが吐き気や目眩に苛まれるこの空間だが、彼女にとっては違う。エミリーは普段と変わらず笑顔のまま薄汚れた鏡の前に立ち身だしなみの整えている。彼女にとってこの場所では懐かしい故郷の香りがするのだ。
鏡の中に大きな影が映った。自分の背後に立つ男の顔を鏡越しで見つめる。
「どうしました?」
エミリーは両手で前髪をいじり続けている。
「騎士団が来た」
男は彼女の後頭部を見下ろしている。
「はい、存じていますよ」
「騎士長もいる」
「彼女が主役ですから」
「お前が言っていた例の子供も」
「でしょうね」
しばらく沈黙が続く。エミリーは赤いネクタイを結び、立てかけていた杖とシルクハットを手に取った。
「あぁ、そういえばあなたは元騎士でしたね、それゆえ騎士長の強さをよく知っている、それ故に私を‥‥‥いや、娘さんを心配しているということですか」
男は微動だにせず、振り向いたエミリーの顔を睨みつけている。
「確かに彼女は人間の中でもトップクラスの実力を持っているでしょう、ですがそれはこの時代の人間の中での話です」
男の眉が少し傾く。
「かの大戦において、当時世界最大の帝国を築き、魔王達の軍勢すら滅ぼした人間の強者達は皆死に絶えました、この時代の人間というものは寿命が短くレベルも低い言わば虫のようなものです」
「‥‥‥だが虫でも人を殺しうる」
エミリーは少し呆れたようにため息を吐くと男の顔に視線を向ける。
「はぁ、貴方は言われた通りに仕事をしていれば良いんですよ、ほら早く持ち場についてください」
男は手に持っていたピエロの仮面を被ると彼女に背を向け暗闇の中へと消えていく。エミリーはその背中が完全に見えなくなるまで男に視線を向けていた。
「さあ始まりますよ、戦争が」
◇◇◇◇◇◇
場面は再び下水道へと戻る。
ニグラスは暴れ狂う小さな人形達を斬った感触に違和感を覚えていた。そしてゼニウムの口から発せられた言葉で確信を得た、だがそれと同時に大きな罪悪感と吐き気に襲われる。
「チッ、マジかよ、いい趣味してやがる‥‥‥」
ニグラスの手に汗が滲む。それと同時に手の力が抜けていく感覚がした。彼は剣を強く握りしめる。だが彼はゼニウムよりも冷静だった。すぐに周りを見渡し今の戦況を分析した。
「もっと早く言えって言いたいところだが、お前は本当に不器用だな」
「‥‥‥え、それはどういう」
ゼニウムが今の言葉の意味を尋ねようと声を発するが、ニグラスの大声によってかき消された。
「ルディア騎士長! このままじゃきりがねぇし先に奥へ行くべきだ! 幸い人形の一体一体は大した脅威じゃねぇからな!」
その声は前線で大剣を振るう彼女の耳に届いた。
「名案だ! 人形遊びに飽き飽きしている奴は私に続け! 残りは足止めをしろ!」
ルディアは道を切り開き、下水道の奥へと突き進んでいく。
「ほらいくぞ! リリア! ルビリス! ここは頼む!」
ニグラスはゼニウムの手を強引に引っ張り彼女の後へと続くと同時に、奮闘する二人に声をかける。
「オッケー、任せて!」
「了解!」
余裕な素振りを見せる彼女らを横目に闇の中へと駆け進む。
◇◇◇◇◇◇◇
ルディア騎士長の背中に必死に食いついてきたのは僅か四名、奥へ進めば進むほど空気が淀んでいく。ゼニウムはニグラスの行動の意味を理解していた。
「なぁニグラス、さっきは、ありがとう」
「気にすんな、お前、ああいうのは苦手だろ」
下水道の脇にある細い道をひたすら駆け抜ける。幸いにも分かれ道はなく、一直線に道は続いている。一定間隔にある非常用ボタンのランプだけが赤くぼんやりと光っており、それが道標になっていた。
少しずつ暗闇に目が慣れていく。もはや後方での戦闘音は届かず、自分たちの足音と呼吸音だけが耳へと流れ込んでいる。
どれくらいの距離を移動したかなどもはや誰にもわからなかった。永遠に同じ道を走っているだけなのではないかと錯覚し始めた次の瞬間、黒い大きな影が天井で蠢いた。
「!」
ルディア騎士長はすぐに反応し、頭上から振り下ろされる凶器を大剣で防ぐ。轟音と共に金属同士がぶつかり合い火花を散らす。その火花がこの空間を一瞬照らし出した。
防いだものの勢いは殺しきれず、そのまま下水が流れる中央へと吹き飛ばされる。
「ルディア騎士長!」
水飛沫が上がる。ルディア騎士長は倒れることなくそのまま中央に着地し向き直る。下水は膝程度の深さしかなく、流れも穏やかなため体制を崩すことはなかった。だが足元の薄汚れた下水の底から青白い光が漏れ出す。
「これは、転移魔法!?」
光が彼女を包み、粒子が崩壊するかのように消えていく。
一瞬の出来事だった。先ほどまでルディア騎士長が立っていた場所には、ピエロの仮面を被った男が佇んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇
「ここは‥‥‥」
薄暗い下水道とは違いここは明るかった。白い電球の光が彼女の目を突き刺している。そして目の前には、一人の少女が背筋を伸ばし、杖を垂直に立て、真っ直ぐとこちらに微笑んでいた。その容姿はルディア騎士長の脳裏に刻み込まれていたものと同じだった。
「エミリー‥‥‥パーカー‥‥‥」
心の奥底から怒りが込み上がってくる。
「この瞬間を待ち侘びていましたよ、ルディア・ガルハート騎士長」
エミリーは被っていたシルクハットを胸に当て、お辞儀をする。




