第九十八話:開廷
世界に色が戻る。同時にゼニウムは後方へと倒れ、背中を地面へと強く打ちつけた。振り下ろされた血の刃が自身の肉を斬り裂く瞬間を想像していたが、背中からの衝撃以外体に痛みは無かった。念のため、両手で自身の体の前面を何度も触って確認する。
「斬られて‥‥‥ない‥‥‥?」
斬られていないことを確認すると、思い出したかのように勢いよく立ち上がる。ゼニウムの記憶とは異なり、赤い騎士は自身と十数メートル離れた位置で呆然と割れた窓の外を眺めていた。
何故斬られなかったのか、その前後の記憶を思い返してみるが手がかりは見つからないが、体には違和感がしっかり残っていた。まるで時が止まったかのような。
だが、ここでゼニウムは考えることをやめた。奥の部屋の扉がゆっくりと開いたのだ。彼と赤い騎士は扉の方へ視線を向けた。中途半端に開いた扉の隙間から、一つの影が顔を恐る恐る覗かせる。金色に輝く髪が差し込む月明かりの照らされ弱々しく光っているように見えた。今もなお鮮明に残る記憶、ニグラスやルビリスを含んだ四人で様々な苦難を乗り越えてきた、かけがえのない仲間。
「リリア‥‥‥?」
◇◇◇◇◇◇◇
数分前、ゼニウム達のいる建物の外では、先程まで鳴り響いていた轟音がまるで嘘だったかのように完全に沈黙していた。帝都を一望できる美しい庭はもはや見る影もなく、芝生は今も火を上げ、クレーターが至るところに形成されている。
その中央では一人の魔女が片膝をつき、今にも横に倒れそうな体を剣で必死に支えている。服は血で赤く染まり、爛れた皮膚が剥き出しになっている。
「はぁはぁ‥‥‥ゴホッゴホッ‥‥‥!」
レイナは口を片手で塞ぎ、今更ながら血で庭が汚れることを無意識に防いだ。掌に付着した粘性の高い赤い液体を見つめ、結局足元の芝生で拭き取った。
不揃いの足音が聞こえた。二名の惰性の十翼が瀕死の魔女の元へ足を進める。
「流石、と言ったところか。龍王の伝令って名も伊達じゃねぇな。お陰で服がボロボロだ、今は金欠だってのに‥‥‥」
「ここが荒野なら互いに窮屈な思いをすることは無かっただろう。磨きすぎた刃は、返って守るべき者を傷つける」
彼らも無傷ではなく、体の所々に焼け跡が目立つ。二人だったとはいえ、相手は千年前の大戦を生き延びた大魔法使いである。少しの油断が勝敗に直結することは明白だった。
「はぁはぁ‥‥‥てっきり‥‥‥私を殺すつもりだと‥‥‥思ってたよ‥‥‥」
レイナはこの戦いに違和感を覚えていた。
目の前の二人はこの場で出せる全力で戦っていた。だけど明確な殺意を感じなかった。それに、少なくとも五名以上の惰性の十翼が帝都に来ていることは分かってる。本気で私を殺すつもりならアニスやミルトニアス一人で事足りるはず。罪悪感とか最初に言ったけど、あいつらにそんなものはない。
「気づいていたか、だが我々に下された命令がレイナ・ナガシマの殺害であることに変わりはない」
レイナは矛盾する内容に少し頭を悩ますが、突如屋敷の中から強大な魔力が溢れ出すのを感じ取った。
この魔力‥‥‥ジャスミナさん‥‥‥? まさか‥‥‥
「そして、この命令が執行されるかどうかはこれから決まる」
その時、三人は薄い魔力の幕が帝都一帯を覆い尽くしたのを感じ取った。世界から色と音が消え、風が止んだ。
「「「!?」」」
しかし、この三人に影響が出ることは無かった。瞬時に魔力の発生源へと視線を移す。そこには三つの強大な魔力が荒波を立てていた。先程から感じ取れていたアニスの魔力に加え、ミルトニアスの魔力、そしてもう一つ。
「この魔力‥‥‥いや‥‥‥この魔法は‥‥‥」
「大陸ごと消滅したと思っていたが」
「エヴァンシールさん以外に時間を操れる奴っつったら」
三人の答えは一致していた。ここから数十キロ離れた帝都の外郭、それほどの距離があっても警戒を解くことは出来なかった。静寂がこの場を包み込む。誰一人言葉を発さず、彼らの中でだけ時間が流れていく。
すぐに景色は元に戻った。風が吹き始め、漂う焦げ臭さが鼻の奥を刺激する。
同人口建物の方から物音が聞こえ、レイナは首を向ける。そこにはジャスミナと、彼女に引きずられるゼニウム、それに続くように歩くリリアの姿が会った。
その光景からレイナは全てを理解した。彼女とジャスミナの視線が交差する。
「ジャスミナさん‥‥‥」
「久しぶりですねレイナ。このような再会になってしまったことが残念で仕方ありません」
ゼニウムに意識はあるが暴れられるほどの力は残っていなかった。
ジャスミナ達が外へ出てきたのを確認すると、オリヴァードが一歩前へと出る。
「役者は揃った。では始めるとしよう。我々には時間がない」
今から何が行われるのか、ゼニウムには知る余地も無かった。




