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「はい、一旦其処までにして貰えないかしら? 西の国の英雄であるお義兄さんのイケナイ感情はそれ位にして貰わないと、色々困り事が増えてしまうのよ」
「なっ、どわあぁぁあっ!?」
「えっ……? ひゃあああっ!?」
いつの間にか部屋の外で聞かれていたらしく、暗い色合いに刺繍の入ったローブを頭まで覆い隠す様に身に纏った謎の人物が、リーフに抱き着くスコールに話しかける。
その声にスコールは驚き、勢い良くリーフから離れる。リーフも恥ずかしい光景を見られていた事で顔を赤くしてしまう。
二人が離れると、謎の人物はすかさずリーフの元に近付いて来る。良く見るとローブの刺繍は聖教会を関連付けさせる模様となっており、僅かに見える口紅をした口元と先程の声色から女性であると判断出来た。
女性はリーフの元まで来ると、先程より優しさを込めた口調で話しかける。
「貴方が、リーフ・ミルクラウドね。噂に聞いてはいたけど、確かにこれは色んな子から妬まれてしまうわね、大体はお義兄さんのせいでしょうけど」
謎の女性は口元に手をやり、くすくすと笑いだす。突然の来客にメアリーも正気に戻り、どう対応したら良いのか戸惑っていると、部屋の外から商会の会長が彼女を手招きしているので近づく、するとリーフ達には聞こえない様な小声で何かを言われ、何かを準備する為にそっと部屋から居なくなっていた。
兄からの行為の他に、見知らぬ誰かにそれを見られた恥ずかしさからで、顔を赤くしながらもリーフは立ち上がり、目の前の女性に貴女は誰なのかと尋ねる。
「あ、あの……申し訳無いんですが、ボクは貴女が誰なのか知らないのです……義兄さんのお知り合いの方でしょうか?」
「まあ、お義兄さんの知り合いと言えばそうとも言えるのかしらね。まさか竜狩りの英雄スコール様ともあろうお人が、こんなに可愛らしい子を独り占めしていたとは、羨ましい限りだわ」
リーフの緊張をほぐそうと、女性はなおも優しく話しかける。一方のスコールは、こんな女が自分の知り合いに居たのかと自身の記憶を思い返してはいるが、該当する人物に当て嵌まる人は想像出来ないでいた。
こいつには何か裏があるのではないかと、スコールは警戒を強めると、女性は微笑んでいた口元を引き締め、リーフの肩に自身の手を触れさせ真剣な様子になった。
「出会ったばかりで私ももっと話をしたいのだけど、リーフ。貴方にはこれから私と一緒に来て欲しい所があるの。大丈夫、悪い様にはしないし貴方にとっても大事な事だったりするの」
謎の女性から肩に手を触れられ、大事な事と言われてリーフは目を開いて驚く。その言葉にただならぬ気配を感じ、スコールは二人に近付いてリーフの代わりに女性に返答する。
「リーフにとっての大事な事って、一体何なんだ? 今日この街で何かがあるとすれば式典そのものだが、俺の義弟には関係の無い話だろ。それに、一緒に来いって言ってるが、そもそもあんたは誰なんだ?」
「に、義兄さん……? この人は義兄さんの知り合いじゃないの? それに、ローブに入ってる刺繍だって何か見覚えのある模様だし、悪い人には思えないよ……」
リーフからの指摘に、スコールも謎の女性に目を遣る。確かに彼女のローブは聖教会関係の人間ではあるとスコールも認識できる。だがしかし、その正体までは把握しきれてはいない。
女性はリーフに触れていた手を戻し、スコールからの剣幕に少し後ずさる様に離れる。
今日一日だけでリーフは色んな人から容姿を揶揄され、今ではレインとの大事な思い出の証でしかないポーション作成の腕前も指摘され、聖女候補からは義理の兄との関係を妬まれ、これからの人生において彼の邪魔でしか無いと言われてきた。
今日と言う日を純粋に楽しみにしていた筈なのに、一部自身のせいで泣く程辛い思いをさせてしまったリーフの事を考えると、スコールは聖教会の関係者であろうこの女性の言う、目的の場所に連れて行く気には到底なれなかった。
頭を覆うローブを脱げば、スコールも従うであろう筈なのだが、それはまだ駄目だと考える女性はただ二人に謝罪をする事しか出来ず、それでも自身について来てほしいとお願いするしか無かった。
「ごめんなさい……今ここで私の素性を明かしてしまうと騒ぎになるから、誰かとは言えないの。それに、リーフにとって大事な事と言うのも本当よ、本来ならその子と関係の無いまま事を済ませる筈だったんだけど、それが出来なくなってしまったから……」
女性が二人に意味深な事を告げる。スコールは尚も怪訝な顔を浮かべているが、リーフは何故かその言葉に胸がざわついていた。今はただ胸を押さえ、ただ隣に居るスコールを見上げている。
リーフがこの胸のざわつきをスコールにどう告げようか悩んでいたら、部屋の外に出ていたメアリーが何かを持って戻って来た。その手にはリーフが納品したばかりのポーションと、そのポーションを作る為の材料が一式入っている魔法の収納鞄であった。
「あ、あの! 会長から指示された通りに、リーフが今日納品したポーションとその材料が入った収納鞄を持って来ました!」
そう言ってメアリーは謎の女性の前に立ちポーションを手渡す。そしてリーフにも近づき、今度は収納鞄をリーフに手渡した。
「えっ? メアリーさん、これって……どういうことなの……?」
「私も何だか良く解んないんだけど、リーフにこれが要るんだって急に会長が言ってきたのよ! 中身は何時も納品用にこっちで準備してある物をそのまま持って来たけど、念の為に確認してみて!」
リーフにそう告げ二人で確認する。材料はきちんと揃っており、状態も何時もの通りであるとリーフはメアリーに伝えると、彼女は一息吐いて安堵している。
二人の確認が済むと、それを見ていた女性は口元に微笑みを浮かべ、再度リーフに優しく語り掛ける。
「ねえリーフ、もしこれから貴方が思い悩んでいる事が一気に解消出来る機会があると言ったら、貴方はどうしたい……? これが私が言いたかった大事な事で、お義兄さんにとっても悪い話では無いでしょう?」
女性は手にしたポーションを両手で大事に持ち、リーフに問いかける。胸のざわつきへの答えを提示され、少し思い考えた後に返事をする。
「解りました……本当にボクの悩みは解消されるんですよね? ボクは半端な存在じゃないって、きちんと周りに胸を張って証明出来るんですよね!? だ、だったらやります!」
リーフは収納鞄を抱え、彼女にそう答える。目には決意を宿し覚悟を決めた顔をしていた。それを見るスコールは、目の前の女性への警戒を解く事が出来なかったが、その理由だけでは既に乗り気になっているリーフを止められなかった。
二人はメアリーと別れ、ローブ姿の女性と共に商会を後にする。
◆◇◆
商会を出て、聖教会へと向かう三人。正門は一目でも聖女候補を見ようとする男達の人だかりが出来ている為、目立つ事を極力避けたいローブ姿の女性は裏門へと向かっていた。
裏門にも見張りの警備が待機していたが、彼女が彼等に一声かけるとすぐに中に入る事が出来た。その一瞬の出来事でスコールは、女性をかなり高位の存在であると判断する。
悪い様にはしないとは言ってはいたが、英雄と呼ばれる程に有名になってしまった自分はともかく、リーフを巻き込む理由とは一体何なのかと考えるスコール。もし、リーフを巻き込んで良く無い事が起こるのであれば、最早式典等、無視してでもこの国を捨てて二人で逃げてしまおうかと考えてしまう。
それ程までに、内心ではリーフの事で頭の中を埋め尽くす勢いのスコールを他所に、ローブ姿の女性は聖教会の通路を静かに歩いていき、三人は大きな扉の前までやって来る。
「リーフ、本当ならここに貴方を連れて来る事は無く、無事に今日を終える事が出来たら良かったのだけど、これからの貴方の人生、そして運命を大きく変えてしまう事を許して頂戴……」
「えっ……? そ、それってどういう事なんですか……?」
リーフの問いかけに、女性はこの先にその答えがあると言いたげな様子で、ただリーフに向かって微笑みを浮かべるだけであった。そして、女性は扉に手を伸ばして勢い良く開いた。
扉の先の部屋の中の明かりが三人に差し込む。其処は聖教会の中で大きな行事を執り行う時に使用される部屋であった。
信仰する女神の神秘性を高める為に、外の光をより取り込める様な設計となっているその部屋では、西の国の聖女を決める大事な式典の為に、国の様々な場所からやって来た多くの聖女候補達が集められている。
部屋の中央では大きな机に聖女候補達が作ったであろう上級ポーションが並べられており、瓶の口には聖教会の刻印が入った封がされ、一人一人の名前が入った札が掛けられていた。
この部屋とは別の、横の部屋がポーションを作成する為の場所として設けられており、一度に数十人に対応出来る様にと最新式の醸造台が複数設置されていた。
作成に不正は無い様にと聖教会の聖職者も監視として、今でも複数人が聖女候補達の横に並び立っている。同時にそれは、結果を聞いて暴れる者が居てもすぐに対処出来る様にする為の配慮でもある。
リーフ達の前に立つ女性が部屋の中に進み、部屋に置かれてある女神像の前に立つ一人の老年の男性の元まで向かう。突然部屋の奥の扉が開いて、見知らぬ誰かが入って来た事によって聖女候補達は驚きの声を上げている。
ざわつく部屋の中で、女性は後ろを振り向き、リーフ達が自分に着いて来ていない事に気が付いて、手招きをした。それによってリーフ達が中に入ると、聖女候補達はスコールの姿を見てより一層声を大きくした。
「ねえ、あれって! スコール様じゃない!? 私服姿だけどあのお姿は間違いなくスコール様よね!」
「わあっ! 本当よ! スコール様だわ! 英雄であるスコール様が、私達の誰かと一緒に中央の国へ行くって話は本当だったのね!」
「でも、隣に居る子は誰なのかしら……? 見た所女の子っぽいけど、でも何で男装なんかしているの?」
スコールの姿を見た興奮と、リーフの存在への疑問が飛び交う。
その反応は聖女候補達の中でも出身によって様々で、貴族の令嬢や商家の娘達は、スコールの姿に声を上げつつも、リーフの存在も知っている者達も大半で、内心は妬ましく思っていた。
その一方で、修道女達はスコールの存在は知りつつも顔を見た者は初めての者が多く、密かに頬を赤くしながら彼を見ては、隣に居るリーフの姿に疑問を抱いていた。
商会でリーフと一悶着あったパトリシアは、聖女候補達の中でもより一層驚き、思わず側に居た、同じく候補としてこの場に居た取り巻きを連れて、その身を前に乗り出して声を出す。
「リーフ! 何故貴方がこの場に居るというの!? わたくしがあれ程言いましたのに、ましてや男である身の貴方では用など無い筈でしょう!」
パトリシアの声が響く、リーフの事を知らなかった修道女達は目の前の子が男だと言われて困惑し、リーフ自身も不安な顔でローブ姿の女性の方をみる。それに端を発して部屋の中のざわめきは勢いを増そうとした所で、周囲を一喝する男性の声が聴こえる。
「皆の者、静かにしなさい。この者は聖教会の名の下に置いて、司教の私自らと、こちらのお方が呼ぶ必要があると判断した為に来て貰ったのだ」
女神像の前に立つ男性は、髪の色は白く、顔もシワを相応に刻んだ老年といった感じの歳の程でありながらも、背筋は曲がる事は無く、聖教会の司教の服を着こなし声も迫力を持った物であった。
彼の声で場は静まり、パトリシアも納得はしていない顔でありながらも、口を閉じる他無かった。司教はローブ姿の女性に一礼した後、リーフに近付きニコリと笑みを浮かべる。
「君がリーフ・ミルクラウドか。わざわざ来てくれてありがとう。本来ならば君が出て来る必要は無かったのだがね……危惧していた事態が起こってしまったのだ。大変申し訳無いのだが、今から我々の頼みを聞いてはくれまいか……?」
最初は笑顔で話しかけていた司教が、真面目な顔になりながらそう言うと、聖教会の聖職者達が机とポーションの醸造台を部屋の中に持ち運んで来る。
これはどういう事なのかと、状況が理解出来ないリーフとスコールに、司教はリーフへの頼み事を伝える。
「君への頼みと言うのは、何も難しい事では無い。ただ、この場で、何時もの様に私達の前でポーションを作る姿を見せては貰えないだろうか? それだけで、君の抱えている悩みは解消されるだろうし、我々にも、解決出来る事があるのだよ」
「えっ? ええっ!? ボクがですか……? で、でも、何時ものポーションは基礎ポーションですし、素材もそれ用の物しか持って来ていませんよ……?」
「うむ、それで良いのだ。どうかこの場で、それを作ってはくれないか?」
期待を込めた目をした司教が、戸惑うリーフの肩に手を触れる。集まっていた聖女候補達の中には、自分達を差し置いて何故リーフにもポーションを作らせるのかと疑問の表情を浮かべる者達も居た。その中にはパトリシアも例に漏れず居ており、今度は修道女達と共に声を上げる。
「司教様、お待ち下さい! わたくし達が居るというのに、どうしてリーフにもこの様な機会を与えるというのでしょうか? これは女神様の意思だとおっしゃるというのですか? どうかお答えください!」
パトリシアの声に、修道女達も納得がいく説明が欲しいと問い詰める。これに司教は意外な物を見つめる表情になり、ローブ姿の女性に視線を向ける。
「あら、司教が驚くだなんて、珍しい顔ね。パトリシアという子は多少強引な所もあって、騒ぎの元ではあるでしょうけど、それはリーフには負けないという決意の表れなだけですし、わざわざ真っ向から対峙もしていたので完全に白ですのよ?」
パトリシアは白だと、女性は司教と今は二人だけで通じる会話を行う。これは意外だったという表情になった司教は、パトリシアへの認識を改めつつ、彼女達の疑問へ答える。
「うむ、今はリーフがこの場でポーションを作らねば、上手く説明をしてやれる保証が無いのだ。申し訳無い……だが、経緯はどうであれ、貴族の令嬢の中にも貴女の様な勇敢な志を持っていた者が居たというのは、私達は喜ばしいと思っている」
説明を求めたパトリシアは、司教から突然褒められて困惑してしまう。欲しかった答えではなかったのだが、リーフがポーションを作らない事には何も始まらないと言うのであれば、納得は出来ないままではあるが黙って見るしか無い。
だが、ここでパトリシアは、何時もは自分に付いて一緒に前に出てくれる筈の取り巻きが、何もしなかった事を不思議に思う。後ろを振り向き周りを見渡すと、取り巻き他、一部の令嬢や商家の娘達の様子が何かおかしくなっており、それに彼女は疑問を感じた。
こうして事の全てが、リーフに向けられて行き、視線が集中する事となった。
次回は明日の12時になります