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動揺している兄弟の姿を、存分に見たパトリシアは、徐に自身の持つ魔法の収納鞄を大事そうに抱えリーフの方に顔を向ける。
「そういう訳ですので、わたくしはこれから貴方の大事なお義兄様から頂いた、この貴重な素材で聖女の座についてみせますので、聖教会の外から見物なさって下さいな」
リーフに対して、明らかに対抗意識を向けるパトリシア。それに対して、急に言われた先程の話も上手く呑み込めないままでいたリーフは、何も言えずに固まるしか出来なかった。
動揺を隠せず言われるがままにされるリーフ。パトリシアの想いのままになっている状況を見かねたスコールは、怒気を含んだ声を彼女にぶつける。
「おい! さっきから一体何だと言うんだ!? お前が俺に気が有るのは解っていたが、リーフは関係無い! それに、何でついこの間聞かされた俺の処遇の話をお前が知っていて、ここで話したりする!?」
パトリシアから護る様にそのままリーフの前に立つスコール。大きく勇敢さを備えた背中は後ろに居る小柄なリーフの姿をほぼ完全に覆い隠し、その光景は逆に彼女を刺激する事となった。
「わたくし、これでも名のある家の娘ですので、当然その手の噂話は耳に入って来やすいのですわ。それに、聖女候補としてポーションについて学ぶ身としては、貴方様の弟の存在も全く関係無い話では無いんですの」
余裕が有り気だったパトリシアは、スコールに怯む事無く言い放つ。寧ろそれ所か彼に刺激されるような形となり、生まれつきつり上がっている青い瞳を更に鋭くさせている。
「男の身でありながら女の様な姿に育ち、あまつさえわたくし達聖女候補が居るのにも関わらず、当てつけの様にポーションを作り義理の兄であるスコール様の目を惹きつけておいて、何から何まで目障りなのですわ」
パトリシアから言われる言葉の数々に、リーフも思わずかちんと来る。好きでこんな風貌をしている訳では無いし、自分が義兄を誘惑している様な行為は完全に言い掛かりであると思わず反論したくなる。
だが、肝心のスコールの後ろに居る為か、その彼がぎくりとした表情になっているのにはリーフは気が付いておらず、それによって彼女からの言葉の攻撃が続く事になる。
「聞けば貴方、上級のポーションは作成した事は無いのですってね? 聖女候補ともなればそれ位は必須条件ですし、幼き頃から髪を伸ばし、其処に純粋な魔力を宿し備えるのが、魔法を扱う技術者としての一人前の証ですわよね?」
手で髪を掬い大袈裟に頭を揺らす事で、自身の緩く巻かれた金の髪を周囲に見せつける様に靡かせるパトリシア。傍目からは判別出来無いが、リーフにはその髪に純粋な魔力が宿っている事が理解出来た。
先程まで反論の機会をうかがっていたリーフだったが、一人前の証と言う言葉に勢いを失い、沈黙してしまう。
祖母の様に慕っていたレインがいない今では、自分の現在の実力を完全に把握する事が難しいリーフには、その言葉が重く圧し掛かる。
一応、義兄や商会の人達から褒められてはいたが、基礎ポーションに加える素材の質や種類によって回復量を変化させるのはポーション作りの常識であり、味が良いだけでは実際の効能とはまるで関係が無い。義兄が言っていた事も、何処の誰が言った事なのか知らない上に、詳しく話を聞いてみない事には単なるお世辞なのかどうかも解らない。
スコールの後ろで震える様に俯いてしまうリーフ。まだ朝の時間帯で辺りもどんどん明るくなっていく頃だというのに、自身の周囲だけが暗く澱む様に沈んで行く感覚に陥り、視界も滲んでしまう。
スコールも自身の落ち度のせいで、リーフへ負の感情を向けられてしまっている事にどうしようも出来ず、パトリシアの勢いを止められる者がいない状況で、遂に止めとも言える言葉が出る。
「男なのか女なのかも良く解らない……上級ポーションも作成した事が無い……何もかもが中途半端な存在でありながら、その上で血の繋がりも無い、スコール様を縛り付ける様な真似だけはする……正直、貴方は今のスコール様にとって、お荷物以外の何者でもありませんのよ? スコール様が貴方を優先するせいで、一体どれだけの功績を失っているか解っていませんの?」
パトリシアから投げかけられた言葉に、リーフはその重みに耐え切れずその場にへたり込んでしまう。後ろからした物音に振り向き、ようやくリーフの状態を把握する事に至ったスコールは、パトリシアに怒りの感情を向ける。
「おい! ふざけるなパトリシア! 俺とリーフの関係は俺達で決める事なんだ! 俺にとって価値がある物は俺が決める! 俺がリーフを優先したら、お前に何の不都合があるって言うんだ! 聖女だろうが何だろうが、好きでも無い奴に惚れるか!」
怒鳴るスコールは、自身の思っている事をパトリシアにぶつけてしまう。その言葉に彼女も思わず反論しようと口を開きかけた所で、震えた様な誰かの静止の声が周囲に響く。
「義兄さん! もう止めてよ! それ以上は駄目だよ……! 義兄さんの大事な物を優先するって考えは、誰にとっても当たり前の事だと思う……でも、ボクにだって、パトリシアさんにだって、大事に思っている物はあるんだよ……? それを傷つけられたら誰だって怒るし、悲しいよ……例え好き嫌いがあっても、口に出す前にきちんと目の前の人の事も考えてあげなきゃ、義兄さんの事を考えてくれてる人に失礼だし、ボクもちっとも嬉しくなんか無いから……」
へたりこむリーフが、スコールを見上げる形で静止していた。
目からは涙を零し、頬も赤くしながら自分を止めようとするリーフの顔を見て、スコールは言葉を詰まらせる。
それを見たパトリシアも、喉元まで出かかっていたスコールへの反論の言葉を抑え、もう此処には用は無いと言った顔で出入り口の方に視線を向け、リーフの顔を見ないまま語り掛ける。
「どうやら、見た目相応の機微は有している様ですわね。それ位の繊細さを持ち合わせていませんとポーション作成もままなりませんもの。ですが、わたくしが貴方に言った事は訂正する気はありませんから。……これ以上此処に居る理由もありませんし、聖教会へ向かいますわよ」
パトリシアがそう言うと、引き連れていた数人の従者も彼女に付き従い、従者の一人が扉を開けてそのまま商会の外に出て行った。
商会の会長含めた従業員一同で、出て行くパトリシアに頭を下げ見送ると、商会の中は静かとなり、声を抑えて一人泣くリーフの声だけが聞こえる。
おっかない存在が居なくなった事で、ようやくリーフの元に近寄れることが出来たメアリーが慌てて宥め、このままでは宜しく無いと言う事で、会長に落ち着くまで奥の部屋にリーフを連れて休ませる許可を貰い、スコールも呼んで連れて行く。
◆◇◆
奥の部屋に備え付けられているソファーに腰を下ろし、落ち込んだ様子のリーフ。行儀良く足を揃えて座り泣く事を堪えて居る姿は、少年と言うには余りにもか弱く、より一層小さい印象を与え、ここに来る前の様な今朝の元気さは無くなっている。
今日はもうパトリシアの様な来店者の予定は無く、スコールとリーフの為ならこの部屋を存分に使うと良いと、会長からもそう言われていたので、メアリーは二人にお茶を用意し、ソファーに座る二人へ差し出す。
リーフは両手でお茶の入ったカップを持ち、口を付け一呼吸した後に、ぽつりと呟く様に声を出す。
「ねえ、義兄さん……ボクって一体何なんだろうね……? パトリシアさんに言われた通り何もかも半端だって自分でも思うし、これでもし何か一つでも言い返せられる様な物があったら、違ったのかな……?」
何もかもが中途半端な存在だと、自分でも認めてしまえる程に落ち込むリーフ。スコールとパトリシアはそれなりに知り合っている仲ではあるが、リーフはそれ程面識は無かった。なのに、向こうは自分に対してとても強い感情を持っていた。
余り良く思われていないであろうパトリシアからの言葉が、リーフの胸に深く刺さってしまっている。
スコールとメアリーは互いにリーフを励まそうと言葉を探すが、適切な言葉を上手く思いつかずに言い淀んでしまう。
リーフは少しずつお茶を飲み、半分程飲んでから机に下ろし、話を続けた。
「好きでこんな見た目に育った訳じゃ無いって言いたかった……ポーションだって、お婆ちゃんが教えてくれるのが嬉しくて、お婆ちゃんに喜んで貰いたかったから覚えてたのに……ボクはこれからどうしたら良いの? わからないよお婆ちゃん……」
またじわりと目を潤ませるリーフに、対面に座っているスコールは慌てて励まそうとする。
「り、リーフ……その、お前はお前なりに良くやって来たと思うぞ。ポーション以外にだって、良い所はちゃんとある! お前は決して中途半端な奴じゃないってのは俺が一番知ってるんだ! 俺にだって出来ない事は沢山あるし、パトリシアが言った事が全てじゃない!」
リーフは半端な存在では無いと、良い所も沢山あるし自分にだって出来ない事もあると、そう義兄として励ますスコール。だが、リーフは首を横に振り、これから二人の前に立ちふさがって来る現実を、直視しようとしていない様な義兄に告げる。
「でも、義兄さんはこの国でも有名な竜狩りの英雄様じゃない……ボクが気にするからって一緒に居る時は、なるべくその言葉が出ない様にしてくれているのも知ってるよ……? ねえ、義兄さん……これから数年間は聖女様達と同じで、中央の国に仕えなきゃいけないんでしょ?」
流石にこの現実はスコールでも変える事は出来ず、またもやリーフに対しての選択を誤ってしまったと、言葉を詰まらせ苦い顔になる。だが、大事な義弟がこの先に続けて言うであろう言葉をスコールは何となく理解していた。
決してその言葉だけは言わせたく無かったスコールは、少しして何かを決心したかの様に息を大きく吐いて勢い良く立ち上がる。
「俺が、ここまで強くなれたのは、全部お前が側に居てくれたからだ……リーフ。俺一人だったら、大層なあだ名が付くまで頑張る事なんて無かったんだ。俺にとってお前は、大事で、大切な、護りたい必要な存在なんだよ……!」
そして、そのままリーフの元まで近づき勢い良く抱きしめた。その光景はまるで、若い男が一世一代の告白をし、若い女を抱いて誓いを立てる様な物だった。
この場にはメアリーも居るのだが、彼女の事はお構い無しにスコールはリーフを抱きしめ続ける。
メアリーは完全に言葉を無くし、顔を赤くして口元を抑えていた。力強く抱きしめられているリーフも、義兄の思い掛けない行動に驚きつつも頬を染めている。
「ちょっ!? に、義兄さん!?」
「誰がなんと言おうと、お前は俺を縛り付けるお荷物なんかじゃない……順序が逆なんだ。お前が居なかったら、俺が中途半端な存在になってたんだ……だから、功績なんか他の欲しい奴にくれてやる! 俺にはお前さえ居てくれれば良いんだ! 何年掛かろうとも絶対お前の元に帰るから、待っててくれ! 頼む!」
抱きしめられるリーフでは、スコールの腕を振り解く事は出来ない。それ程までに力強い物であったが、同時に自分では到底手に入れる事が出来ない逞しさに、内心何処か安心してしまう。
だがしかし、自分達は義理とは言え兄弟同士、義兄が自身に抱いているこの感情は、自分に向ける物では無いと思うリーフは、腕の中でなけなしの力で抵抗をする。
「だ、駄目だよ義兄さんっ! そう言ってくれるのは嬉しいけど……その想いはボクじゃ受け止められないよ……! だってボクは、ボク達は……」
自身の腕の中で目を俯かせながら抵抗するリーフの姿に、スコールの頭は理性を取り戻す。近くで硬直し置物と化してしまったメアリーの姿も視界に入り、離れなければいけないと思考するが、この心地良い温もりを感じさせる華奢な身体を手放したくない気持ちもある。
このどうしようも無い空気となった部屋を、無理矢理動かすかの様に部屋の扉が突然開き、外から誰かの声がした。
次回は21時になります