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AIに負けた絵師

作者: ナナシ

 私は絵を描いていました。

 そして、私は絵を盗みました。ゴッホのひまわりの絵画を、この両手で抱き抱えて絵の具の重なる感覚を両の手で抱いているわけではありません。抱き抱えてなどいません。私は絵の要素を盗んだのです。

 輪郭、立ち方、影の付け方、触感。色々な要素を売れている絵描きから盗みました。結果としては、私は色々なものを得ました。もう一度言います。私は盗みました。人の物を盗みました。泥棒です。窃盗です。私は立派な犯罪者です。

 犯罪者というのは対価を払うのが、罪を償うというのが普通です。なのに、私は賞賛を得ました。お金を得ました。名誉も、地位も得ました。犯罪者に優しいのです。この世界という物は。

 

 私は今日も絵を描いていました。お金のために。生活のために。正確には、絵を描いているとは言えないのかもしれません。盗んだ。というのが正しいのかもしれません。創作なんて、全て盗作なのかもしれません。

 全くの最初から、頭が真っ白のキャンパスから描く人なんていないと思うのです。誰も彼も、誰かの失敗や成功から、自分を作るのです。全て無から二を作らないのです。一から二を作るのです。


 絵を盗み終わり、Twitterで絵をアップしました。今回も色々なイラストから盗みました。我ながら良い盗みをしたと思います。

 もちろん、盗作の疑いをかけられたことがないわけではありません。この人の絵に似ている。あの人に似ている。何回言われたことかわかりません。私は盗作疑惑に対して何の言論もしませんでした。

 そうすると、勝手にこの話題はなくなるものでした。それもそのはずなのです。私を批判している人たちは、私の作品に興味はありません。私が盗んだ作品に興味があるのです。簡単に物を盗めてしまう私の魂胆を疑問に思っているのです。

 その私に対する興味は私が無反応を貫いていると何も面白くなくなり私が盗んだ作品に対する興味を取り戻すのです。そして、私に興味ではなく怒りを抱いている人は私のアンチになるのです。

 もしも、私が盗作を明かしたら私の絵を好きだと言ってくれている方は私のアンチに変わるのでしょうか。私のイラストを嫌い、私が盗んだ絵のファンに変わるのでしょうか。

 今は、Twitterを開けばタイムラインに賞賛のコメントやいいねの通知が溜まっています。

 盗作を明かせば、地位も名誉も何もかもなくなるのでしょうか。私のことを糾弾するのでしょうか。何もわからないのです。私には、創作がわからなくなってしまいました。

 好きだったはずの絵は私の埋まらない穴を満たそうとする道具になりました。


 ある日、私のTwitterアカウントの方にダイレクトメッセージが届いていました。確認してみると内容はこのような物でした。

「AI絵師に私の絵が盗まれている」

 私は貼られているURLをタップし確認にいきました。そうすると、私の絵にそっくりな絵がアップロードされていました。本当に、そっくりなのです。私が盗んだ要素がそのままと言って良いほど、そのAIイラストには現れていました。

 AI絵師というのは噂に聞く程度でした。人の絵をAIに学習させ、絵を出力する。これが、最近では著作権や盗作などと騒がれるようになりました。

 この考え方を世に出すと糾弾されるのでしょうが、私はAIの盗作も人間の盗作も、ましてや人間の創作も大差ないと感じています。共通して、誰かの失敗や成功から学習し、自らの成功に企てる。二つとも大差ないではないですか。

 しかし、実際自分の絵が盗まれてみると、それは違いました。人間は苦労して、学習して盗みます。しかし、AIは苦労なんてしません。ましてや、AIが自ら絵を学習なんてしません。人間が学習させるのです。絵を、人間が道具として、自分を満たすための道具として、金を稼ぐための道具として、使うのです。

 そう思うと怒りが湧いてきました。ですが、AI絵師と言われている人は絵柄こそ、AIっぽい出力がされていたり、私の絵柄にそっくりなのですが、誰の絵を盗んだのかは記入されていません。もしかしたら、私じゃない誰かの絵を学ばせている可能性もゼロではないですし、私が盗んだ人たちの絵を学習させている可能性だってあります。ましてや、本当にAIを使っているのかすら分からないのです。

 本当にただ単純に絵が上手いのかもしれない。盗むのが上手なのかもしれない。知り合いの絵師にはAIイラストを疑われるほど絵が上手い人がいます。その人のように絵が上手い人なのかもしれない。

 色々な可能性が頭を巡る時、私は思いつきました。

 私もAIを使えば良いのではないか。

 このイラストがAIを疑われるということは、AIはこの程度のイラストであればすぐ書けるというわけです。もし、この人が自分で描いていたとしたらこんなに評価される良い絵を描けてしまうというわけです。

 それに、私の絵だけを学習させれば盗作にはならない。そう言い聞かせました。私の盗作は人間の努力の結晶だ。絵を道具としてなんか見てはいない。私の努力の賜物なのだ。それを、技術の発達に落とし込むのは盗作ではない。私の絵だ。私が描いた絵をAIという技術でさらに、素晴らしいものに昇華させるのだと。そう強く思いました。


 AIというのは本当に簡単に絵を描けてしまう物でした。想像以上に早く、綺麗な絵が作成されました。私の絵を学習させているだけあって、私の手癖であったり、服の皺まで何もかもそっくりです。しかしながら、一箇所だけ、確実に違うところがあるのです。それは、色合いでした。確かに、私の絵にそっくりであって、人間が書いているわけではないですから、ミスも少なく、私が書いた絵よりも人間味は欠けますが、綺麗な絵として比べるとAIの方が綺麗な絵です。しかし、それはあくまでも綺麗なだけです。私が描いた絵よりも綺麗です。しかし、私の絵では何のです。綺麗というより、リアルしぎるのでしょうか。私の頭の中で描いた構成で作った空ではなく、AIは本当の現実のような空を描くのです。どちらの方が人気が出そうかと言われれば、私にはわかりませんでした。そして、私はそのイラストをTwitterにアップロードしました。

 

 結果として言えば、自分が書いた絵では過去になかったほど、反響が来ました。私は反響と書きましたが、これは賞賛だけが私にと届いたというわけではないのです。疑問や批判も私に届きました。

 ある意味、当たり前かもしれません。私は他の人から見てみれば、AIに魂を売ってしまったのですから。絵を、道具としてみているようにしか見えないのでしょう。

 それでも、中には賞賛してくれる人もいます。絵が上手くなったであったり、今回の空すごく綺麗ですねであったり、色々なコメントが私に届きました。

 しかし、それは私に届きませんでした。なぜなら私が描いた絵ではないのですから。確かに、私の絵を学習させましたが今回描いたのは、私ではなくAIです。

 そうなると、必然的に私には批判やAIを使っているのかという疑問が集まり、絵が上手くなったであったり、空が綺麗だという賞賛は、私ではなくAIが受け取りました。

 やっていることは、普段の盗作と変わらないはずでした。だから、これだけの反応があれば私は満たされると思っていました。自分が手で書いていた頃から考えれば想像もつかないような反応の数です。

 それなのに、私の心の穴は満たされるどころか、さらに深くなったような気がしました。

 

 AIが出力した絵は、なんとも反響を呼んで私は以前と比べて人気になりました。人気というより、名前が通っていると言うべきでしょうか。

 その分、批判も多く浴びることになりました。AIに頼るな。や、AIに堕ちた絵師。などと言われる始末です。ですが、どれも事実なのです。批判というより、評価です。

 AIを使う前から私は盗作をしていたのに、AIを使ってからは、より一層、盗作だ。泥棒だ。なんて声が、多く目に入るようになりました。

 まるで、私の作品の価値は人気と反比例して落ちていくようでした。

 

 古往今来、絵というものは描かれてきました。昔に目を向ければ真っ白のキャンバスに絵の具を重ねていきました。今はデジタルというものが発達して、液晶にイラストを描くようになりました。

 今の液晶に描かれた絵が、昔のキャンバスに描かれた絵の盗作ではないと、パクリではないと誰が言えるのでしょうか。

 パクリかどうかなんて、その作品の価値を下げるものなのでしょうか。盗んだ盗んでないなんて、ただの情報でしかなくて、作者の問題で、作品はただそこにある限り、それを見た人が価値を決めるはずです。

 世の中は盗作でできているじゃないですか。

 

 私はそれから、AIを使い続けました。ここで、使い続けたというのは、私の絵師としての最後のプライドかもしれません。AIが絵を描いていると認めたくなかったのです。AIは所詮、絵を出力しているのだと。私の絵を完全に盗んで自分のものにしているわけではないと、つよくいいきかせていました。

 AIを使いづけていたある日、こんなコメントが届きました。

「手書きの頃よりも有名ですね」

 この言葉は、私が今まで受けてきた評価の中で一番、心を抉るものでした。

 つまりこの人は私の今の人気は、あなたのものではない。と、言いたいのです。そのコメントを送ってきた人は、どんな気持ちでこんなことを言ったのか、私にはわかりません。その人は、私がAIを使用する前から、よく反応をくれていました。

 しかし、今考えてみるとやはり、私とAIのやっていることは変わってなどおらず、作品の本質は盗作でした。

 そして一枚の絵を自分の手で描きました。

 

 その絵をアップロードして数日経つとAIを使った絵には及ばない反応の数でした。それもそのはず。この絵は、相当雑なものです。AIなら、こんなことはしないでしょう。

 線はぐちゃぐちゃ、色は混沌とかしておりAIなら確実にやらないであろう単調な色使い。

 しかし、この作品は盗作ではなく、完全なオリジナル作品でありました。私は、この作品で懺悔をしたかったのです。

 絵の構造、概要はこうです。

「自分自身が描いた作品が盗作であることの罪の意識がありながらも、絵を描くことをやめられないこと。そして、AIに頼り、もはや絵師でないこと。それを悩み頭を抱える男性」

 というものです。

 この絵の反応は酷いものでした。

「昔の方が良かった」

「所詮偽物だった」

「盗人」

 のようなものでした。この作品を見る一般人というものは、この世界にこれから作り出される作品に完全なオリジナル作品があると思っているのでしょうか。

 創作の真の価値がわかっていないようです。

 おそらく、僕もそうなのでしょう。

 この絵を描いたことにより、私は、ファンを失いました。なぜなら、絵に対する質問を、私はこのように書き殴りました。

「私の絵を好む人は、全員馬鹿である。自分から昔の絵を見ていません。創作に対する世界が狭いです。と言っているようなものである。私の作品は、全てモチーフがある。オマージュである。パクリである。それを誉め立てるなど、愚の骨頂である。私は、泥棒である。今まで、得た地位や名誉、金など、ましてや愛なんかじゃ、満たされない。」

 当然のごとく炎上しました。誹謗中傷とは言いません。糾弾でしょう。当然なのです。

 

 そうして、私は全て失いました。地位も、名誉も、金も、愛も。何もかも失ったはずなのに、私はこの世界が今、人生で一番綺麗に見えています。

 なにも、本当に何も、満たされなかったのです。盗んで、破壊して、再生して、心を満たそうとしても、何も満たされないのです。馬鹿らしかったのです。愛なんて。私のことを好きだと言っていた人だって、当時から裏切ると思っていました。結果、裏切りました。いや、裏切ったのは私かもしれません。それでも、そうなるとどこかで、感じていました。足りない。ただ、なにも満たされないのです。

 それでも、私は盗作をやめません。絵を盗み続けます。

 この心が、満たされるまで。この寂寞は終わらないでしょう。

ご愛読、ありがとうございます。

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