公爵令嬢の婚約状況
卒業を祝う夜会は、学園の大広間で開かれている。
昼と見紛う無数の灯の下には、煌びやかに着飾った紳士淑女達。
参加しているのは、学園の生徒と教師。
ひときわ輝いて見える紳士は、私の婚約者のクロード王太子殿下。
そして、その隣には、淑女然として付き従うフローラ嬢。平民出身ではあるが、容姿端麗にして成績優秀。
金髪碧眼のクロード殿下とフローラ嬢は、いずれも見目麗しくて、二人が並んだ姿は、絵本に出てくる王子様とお姫様みたい。まぁ、クロード殿下は正真正銘の王子様なのだけれども。
生徒会長を務めるクロード殿下と書記のフローラ嬢が親密な仲であるというのは、学園中の噂だった。いつもは寡黙で冷静沈着な殿下が、フローラ嬢の前で気弱そうに微笑んだり、時には彼女に取り縋っていたという目撃談は、生徒達の間を飛び回り、私の耳元にまで届いていた。
『公爵令嬢アメリア・バンクロフトが、殿下に振られた』
伏し目がちに交わされる、どこか楽しそうなひそひそ話。廊下や窓越しに、私の顔色を伺う幾つもの眼。殿下とフローラ嬢の噂を、ためらいがちに口にした後、私の作り笑いを見透かして去っていく、仲の良い友人達。
公爵令嬢と王家との婚姻には政治的な要因が大きいとは言え、私と殿下との仲は、それほど悪くはなかった。
そう思っていた。
少なくとも、半年前までは。
同い歳の殿下とは、4年前に学園に通い出して、婚約を結んだ。元々婚約者候補ではあったのだけれど、学園で一緒に過ごすうちに、お互いに相手を好ましく思うようになり、正式な婚約を結んだのが3年前。
クロード殿下は王族の務めとして生徒会長を任されていたけれど、私は王宮の仕来りを学ぶ王太子妃教育を受けるため、生徒会には関わってはいなかった。すれ違う時間は多かったけれど、それでも、できるだけ時間を作っては、二人の思い出を増やしてきた。
だけど、フローラ嬢が入学してきた1年前から、状況が少しずつ変わってきた。
フローラ嬢は、出身こそ平民ではあったけれど、学力は優秀、見た目も整っており、貴族の後ろ盾もある。いずれは貴族の養女となって王族とも関係するのではないかとの話だ。これは単なる噂ではないことは、父にも確認した。
優秀なフローラ嬢は生徒会の書記に選ばれ、そこから、クロード殿下と一緒に過ごす時間が長くなった。生徒会の仕事と割り切ろうとしたけれど、もやもやとする心を押さえることも出来ずにいた。
たまの休みにお会いする殿下は、いつもと変わらない笑みを浮かべてはいるけれど、表情を繕うのはお互いに得意なわけで、私は殿下のお心の場所を問いただしたい気持ちを押し殺して、仲の良い関係を演じていた。
いいえ、演技ではなく。私が殿下をお慕いする気持ちは募るばかりで。
殿下が私に向けて下さる態度は、恋人に相応しいものでしたが、心の底で誰を想っていらっしゃるのかを疑い出すと、胸の奥に暗いものが溜まっていくのが止められず。。。
そうして、殿下の真心を確認することもできないままに、今日のこの日を迎えてしまった。
殿下と私は、今日、学園を卒業した。
予定では、1年後に結婚式を行うことになっているけれど、それは、あくまで予定でしかなくて。。。
この夜会で何かが起こるのではないかとは、教室の窓越しに聞こえた、誰かの声。
勿論、予定外の出来事に対応することはできる。
王太子妃教育で学んだことだ。
大丈夫。何があっても、公爵令嬢として恥じない態度で立ち向かえる。
大広間の輝きに、束の間目が眩む。
夜会とは言っても、学生向けの気軽なもので、エスコートはなく、殿下は、生徒会の最後の仕事だからと、先に会場に入っている。
私は、仲の良い令嬢達と誘い合わせて会場に入り、取り止めのない会話をしていた。
煌びやかな灯りの下、色とりどりのドレスと正装に身を包んだ男女が緩やかに動き、会話をしたり、飲食をしたり。話し声は楽団の奏でる音楽に混ざり合い、私達の周りに漂っていた。
クロード殿下が、私の前に仁王立ちになった。
フローラ嬢は、殿下の後ろに隠れている。
皆の視線が私達に集まる。
私は息を止めて彼の言葉を待った。
クロード殿下が、私に対して、早口に宣言する。
「アメリア・バンクロフト。貴女にっ。。。」
『噛んだ』
周りの皆が、思いを同じにした。
クロード殿下は、顔を赤らめて、口ごもる。
「。。。その。。。ええっと」
フローラ嬢が、そっとクロード殿下の腕を引いて、何事か囁きかける。
音楽が止まり、会話が途絶えた。
皆が息をひそめて、続きを待った。
「アメリア。。。私は、貴女と、こんやく。。は、は。。」
真っ赤になったクロード殿下が天を仰ぎ、眼を閉じる。
仁王立ちのまま。
あたかも伝説の勇者が、天を仰いで、神に祈りを捧げているように。
恰好いい。
やはり、私は、この人が好きだ。
だけど、この人の心は、私には向いていない。
婚約を破棄されるのなら、一息に終わらせて。
これ以上、私を苦しめないで。
胸の奥が、ずきりと疼いた。
フローラ嬢が振り向いて誰かから何かを受取り、再度クロード殿下の腕を引く。
胸の痛みが耐えられなくなり、私は俯いた。
早くここから、立ち去りたい。
早く。。。。。。
「アメリア・バンクロフト。。。」
殿下は俯くと、私の前に跪いた。
手には、フローラ嬢から渡された赤い花束が。
赤い、薔薇。。。の花束?
「こ、婚約はしていたが、これまで、ちゃんと伝えていなかったことを許してほしい」
殿下が捧げ持つのは、真紅の、両腕から溢れそうな沢山の薔薇。
「こ、心から、貴女のことを愛しています。結婚してください」
「。。。は、はい?」
一瞬の静寂の後、私が慌てて返事を返すと、音楽が始まり、拍手と歓声が上がった。
「説明していただけますか?」
皆からのお祝いの言葉が一息ついた後、私達は中庭に出ていた。
大広間からの灯が辺りを幻想的に照らしている。
私もまだ、ぼんやりとした心持だ。
少し前までは、婚約を破棄されると思い込んでいたのだ。
どうして、こんなことになったのか。まだ、よく状況が掴めていない。
「私達貴族は、あまり感情を表に出さないだろう?」
私の考えを読んだかのように、クロード殿下が話を始めた。
「私達の婚約は政略結婚だった。だけど、この学院で学ぶ中で、私は貴女となら一緒に国を治めていくことができると思った。貴女と共に人生を送りたいと、心の底から感じたんだ」
私も、そう、思っていました。
でも、それなら、なぜ、フローラ嬢と仲良くされていたのでしょう。
「求婚をないがしろにすると、その後の、その、結婚生活が上手くいかないものだと、フローラ嬢から忠告を受けた」
フローラ嬢が学園で困らないようにと、生徒会長として面倒を見るうちに、貴族と平民の習慣の違いについて話すようになり、私との婚約についても話す機会があったそうだ。
殿下と私は、婚約している。
だけど、婚約は王家と公爵家との間で取り決められたこと。
クロード殿下は、私に対して、婚姻に関して、特別な言葉をかけて下さっていない。
それを聞いたフローラ嬢が、自分の言葉できちんと求婚すべきだと力説したそうだ。
平民は、プロポーズの場所や言葉、贈り物に頭を絞るのだとか。プロポーズに失敗した場合、悪くすると相手に愛想を尽かされたり、一生文句を言われることもあるとか。
恐ろしい話を聞いた殿下は、どうすれば格好よく私にプロポーズできるかを、フローラ嬢に相談していたという。
いや。もう、私達、婚約していますよね。
フローラ嬢を相手にプロポーズの練習までしていたそうだ。
なるほど。学園のおかしな噂は、そこら辺りが原因だったのかと、少し呆れた気持ちになるのは許して欲しい。
「貴女に私の気持ちを伝えたかった。庶民のやり方かもしれないが、良いやり方は採り入れていくべきだと思う」
それには同意しますけれど。
でもその前に一言だけ言わせて。
「今後は、隠し事はしないで。サプライズは、もう沢山」
クロード殿下が行ったプロポーズが貴族の若者の間で評判になり、翌年から、学園の卒業後に、あちらこちらで赤い薔薇の花束を捧げたプロポーズが行われるようになった。ちなみに、フローラ嬢が経営する数多い店舗の一つ、フローラ生花店では、花束を購入すると、効果的なプロポーズのアドバイスをくれるサービスが人気だという。