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【複数ジャンル】短編・完結作品

陥れられた聖人と禁書庫の姫君

作者: 有沢真尋

世界からすべての奇跡が消え去らなかった経緯いきさつについて。

 王国の隠されたる罪。

 (さかのぼ)ること、百年前――


“聖人エリクは(かた)りであった。聖女イヴァンナの功績をあたかも自分の手柄であるかのように吹聴(ふいちょう)し、王国を混乱させた罪は重い”


 無数の魔獣が押し寄せる中、常に最前線に立ち戦い続けた青年にもたらされたのは、名誉でも報奨でもなく。

 国王による断罪。


“「聖人」なる存在は、唯一無二の聖女を守り抜く目的で、衆目を集めるために立てたいわば「(おとり)」に過ぎなかった。戦況を支えた実際の聖魔法はすべて、エリクではなく聖女の捧げた祈りによるもの”


“世界に平和が訪れ、聖女を狙い脅かす危険が去りしとき、事実を明らかにして聖人は身を引くことが決まっていた”


“しかし、エリクは戦後になって突如それを不服として訴え出た。あまつさえ、功績のすべては自分の成し遂げたものであると触れ回った”

 

“聖女、ひいてはその守護者である王家にたてついた罪は重い”


“よって、エリクは百年の幽閉の刑に処す。命をとらぬのは、せめてもの情けである”


 聖人あらため咎人エリクは、王宮の地下牢に百年留めおかれることとなった。

 王国に住まう人々の平均寿命は、七十歳を下回っている。聖人とて、肉体的には血を流し病にも侵され当たり前に老いる。人と変わりない。

 実質それは、終身刑であった。


 エリクとともに戦場を駆けた兵たちは、「大きな声では言えないが」と断りを入れた上で、時折仲間内で秘密裏に囁き合っていた。「彼の力は本物としか思えなかった」「彼には随分助けられた」「聖女は戦場に立たず、安全なところから遠隔で魔力を作用させていたというが、果たして……」

 それは歴史に記されることなく、百年の間に忘れ去られていく。

 聖女は王太子と華々しく結婚し、国母となった。そこから数代を経て新たな王が立つ頃には、当時生きた人間はすべて死に絶え、情報は曖昧となり、正確な事実を知る者は誰一人としていなくなっていた。


 地下牢の最奥。そこに食事が運ばれなくなってから、どのくらいの歳月が過ぎていたことか。


「今日でちょうど百年。開けなさい」


 王国の歴史研究に身を捧げている変わり者の第二王女ステラが、ある日牢番の前に現れて命じた。

 姫様、一体何を? と(いぶか)しんで尋ねる牢番に、ステラは重ねて告げる。


「聖人エリクの牢です。彼の刑期は終わりました。私たちはかつて彼に申し伝えた約束により、彼を解放せねばなりません」


 * * * * *


「ザハリアと申します。ステラ様の教育係を拝命(はいめい)(つかまつ)りました。今日からよろしくお願いします」


 ときに、ステラ七歳。

 静かな潮騒のような声で名乗ったのは、ステラに新しくつけられた家庭教師。

 ステラのお転婆ぶりに女性の家庭教師たちは次々と暇を願い出ていた。もはや代わりは見つからなかったのか、苦肉の策としてどこかから連れて来られた青年。


 最初にそのひとを目にしたとき、ステラは老人かと思った。

 見上げる長身に、見事な白髪。

 それでいて肌は滑らかで、眼鏡の奥の瞳は澄んだ青。立ち姿はすらりと背が伸びて姿勢が良く、動作は思いの外機敏であった。


(年齢のわからない方だわ。お年を召されているようにも、とてもお若くも見える)


「ステラよ。(わたくし)の教師が務まると見込まれたということは、あなたはよほど優秀なのね」


 淑女らしい挨拶をすることもなく、ステラは無造作に片手を差し出して高飛車に言い放った。

 ザハリアは瞳に悩ましげな光を浮かべ、「姫様の御手に触れるわけには……」とためらいがちに呟いた。

 有無を言わさず、ステラは両手を伸ばしてザハリアの右手を掴み、力強くぶんぶんと振りながら首を傾けて顔を見上げる。


「遠慮は結構。私とあなたの間に何かが起きるとしても、それは男性であるあなたを私の教師に任命したひとにも責任があることよ。ところで、何かするつもりでもあるの?」


 そのときのステラは、後年の本人をして「一番鼻持ちならない時期だった」と認めるほどに、こまっしゃくれて可愛げのかけらもなかった。

 事前にステラの気性についてよく言い含められていたのか、ザハリアはそれまでの教師とは違い、大きな動揺を見せることなく淡く微笑んで言った。


「恐れ多いことです。私はステラ殿下に興味があってここに来ましたが、『何か』をするつもりなど毛頭ございません」

「それはなかなかの慧眼ね。私が今までの教師を追い返したのは、嘘ばかり言うからよ。あなたはどうかしら。私に本当のことを教えてくれる?」


 これ以降、ステラは全力でザハリアを振り回し続けることとなる。

 しかしこの男、なかなかに手強かった。


 * * *


 ある日の昼下がり。

 ステラ様ー、と名を呼ぶザハリアの声が遠くで聞こえる。

 灌木(かんぼく)の影に身を潜めていたステラは、息を殺してその声に耳を澄ませた。


 ザハリアはベッドの下に隠れていようが、衣装庫の奥に(ひそ)んでいようが、ステラを的確に追跡してきて、ついには見つけてしまう。

 その日はバルコニーの手すりにシーツを結びつけて庭に下り、事前に目星をつけていた茂みにしっかりと隠れていたのに、いくらもたたずに見つかりそうだった。

 いよいよ「ステラ様」という声がずいぶん近くで聞こえて、場所を変えようと腰を浮かせたところで正面に立たれてしまう。


「見つけました。さて、それではお部屋に戻って勉強を始めましょう」


 ステラは手を後ろにまわして指を組み合わせ、目を逸らした。ザハリアの端正な顔を直視すると、妙に落ち着かない気分になるせいであった。

 バルコニーからだらりと下がった白いシーツを見ているふりをして、ぼやく。


「シーツが悪目立ちしすぎていたわよね。わかってる。ああ、私の体にも聖女の血が流れているのだから『奇跡』が扱えたら良かったのに。空を飛んで逃げたり、魔法で体を透明にしたり」


 ――あの頃の私は、勉強が嫌いだったわけではなく。本当は少しの時間も惜しいくらいに好きだった。それでもザハリアが来る前に隠れていたのは、単に見つけてほしかっただけ。


 ザハリアは、ガミガミと怒ることがない。ステラのペースに合わせてくれた上で、過不足なく対応してくれる。「わがまま」「気が強い」「扱いにくい」ときに聞こえよがしに言われて、教師たちと敵対関係になり続けていた幼いステラにとって、彼はいつしか貴重な理解者になりつつあった。


 ザハリアは、聖女の魔法が使えたら、などと(うそぶ)くステラに対して、小言を言うでもなく、夜の潮騒のようなひそやかな声で尋ねてきた。


「ステラ様は聖女の奇跡に関心をお持ちですか」


 途端、ステラはぱっと顔を輝かせてザハリアに向き直り、眼鏡の奥の澄んだ瞳を見上げる。


「ええ! 今でこそ魔獣の襲撃も滅多になく、『奇跡』に頼ろうなんて言い出すひともいないけれど。ほんの百年くらい前までは『奇跡』が当たり前のように使われていたって言うじゃない」


「……姫様のご先祖、聖女イヴァンナの頃の話ですね」


「そう。平和な時代になって、聖女は『奇跡とはみだりに振りかざすものではない』といって力を封印して使うことは無くなったっていうけど。それにしたって、少しくらい子孫に伝えてくれていても良いと思うの」


 ザハリアは曖昧な笑みを浮かべて、ステラの顔を覗き込んだ。


「聖女の『奇跡』が使えたとして、姫様は私から逃げ隠れする以外に、何に使いたいんですか」


「実は自分が使うことそれ自体に興味はあまり無いのよね。ただ、世界からひとつの『技術』が消えてしまうのが、惜しい。長い月日の中で、人間が不思議の力を使えたその『神秘』が『迷信』となり、忘れ去られてしまうのよ。今ならまだ、つい百年前にはそれが『現実』だったというのに」


「そうですね。まだたった百年足らず……。それでも風化は目覚ましい。当時を知る者は誰一人生きてはおらず、記憶は受け継がれることなく、歴史の影に消えていく。そういうものだと私は諦めていましたが。もし姫様がお望みなら、歴史の勉強を今以上に増やしましょうか」


 秀麗な面差しに浮かぶのは優しげな笑み。裏などなさそうな、それでいて底知れない。

 澄んだ瞳は、見ていると吸い込まれてしまいそうになる。

 ザハリアの佇まいに目を奪われてしまいながら、ステラは答えた。


「そうしましょう。これまでの家庭教師たちは、私が聖女の奇跡の話をすると皆口をつぐんで、話題を変えていたわ。歴史に興味を持つことを嫌がっているようにも見えた。私には知りたいことがたくさんあるの。ザハリアは()()を私に教えてくれるのよね」


 微笑を絶やさぬまま、ザハリアは「はい」と返事をした。


 * * *


 その日から実に十年近く。

 通常の勉強に加え、刺繍やダンスといった淑女の嗜みも文句のつけようがないほどにこなしながら、ステラは歴史の研究に没頭していった。

 資料探しは(もっぱ)ら国内最大の蔵書量を誇る王宮付設の図書館にて。

 しかしやがて、行き詰まる。


(最近のものは充実しているのに……。魔法が息づいていた時代のものは、巧妙に隠されたり消されたりしているように感じる。そこまで昔でもないはずなのに、聖女イヴァンナさまの参戦に関する「当時の」記録は、まったく見つからない……? 戦場で起こした奇跡の数々を知りたいのに)


「ある時代の歴史の記録が、不自然なほど著しく欠けている場合、考えられるのは……」


 ステラの横で、いつも瞑想するかのように目を閉ざしているザハリアに尋ねる。ゆっくりと目を開けて、ザハリアは正面を見つめたまま答えるのだった。


「誰かにとって、不都合な事実が含まれていたのではないですか」

「その事実を隠蔽するために、図書館に残す書物にすら手を加え、歴史そのものを捻じ曲げてしまえるとすれば、それは権力者による仕業と考えるのが自然よね」

「姫様は聡明です。それがあなたを滅ぼさねば良いのですが」


 そう言うときのザハリアのまなざしは、どこか遠くへ向けられている。

 教え子のできの良さを褒めながらも、心は虚ろ。まるでここにはすでにいない人であるかのよう。


(一般向けのエリアだけでは、不足を埋められない)


 ザハリアが隣にいるせいか、司書たちに咎められることもなく、望めばすんなりと禁書庫の中まで通してもらうこともできた。不審なほど、あっさり。

 燭台ひとつを持ち込み、ステラはドア以外の三方の壁を埋め尽くす本に手を伸ばし、ひたすら読み始めた。もはや効率度外視で、総当たりで挑む所存であった。


 ザハリアは時折そっと立ち上がり、音を立てることなく狭い禁書庫の中をぐるりと歩き回る。

 確かにひとが動いているというのに静かで、卓上のローソクの炎はゆらめきもせず。

 ステラが何か尋ねれば、まるで話題にした件について、目的の書物がどこにあるかを知っていたかのように、迷いなく書架に手を伸ばす。本を手にして、ステラに差し出してくる。


「聖女イヴァンナの活躍する前後の記録です」

「ありがとうございます。ザハリア先生は私を見つけるのがお上手でしたけど、本探しもお手の物ですね。それとも、王族の教育係になるだけあって、禁書庫の蔵書も熟知されているのかしら」


 ちらりと視線を流してきたザハリアは、いたずらっぽく笑って答える。


「すべて処分されてしまってはかなわないと、ここに収める書物は私が手ずから選んで運び込んだのですよ。そうでもしないと、歴史は簡単に失われていく」


(もし先生にその権限があるのだとしたら、先生は私に伝えられているより実際はかなり高位の役職に就いていそう。誰に尋ねても、いつもはぐらかされてしまう。しつこく問い詰めて先生が私の担当を外されるのも怖いから、突き詰めたことはないのだけれど)


 受け取った書物のタイトル、表紙を見てから、ステラはすぐに開いて読み始める。時間を忘れて文字を追うことに没頭していると、いつしかそこには自分ひとりだけのように感じられる。ザハリアの存在も何もかも無く。


(どれだけ調べてもイヴァンナ様が王妃になってからの『聖女の奇跡の顕現』が見つからない。いくら大戦を制した後とはいえ、百年前は魔獣の被害が今よりも多かったはず。人々が奇跡に頼らず生きていけるようにと方針を打ち出していても、聖魔法でなければ治癒できないような怪我くらい、イヴァンナ様はどうして治さなかったのかしら)


 何かを見落としたのだろうかと目を落とし、ひたすらページを繰って歴史を巻き戻る。


(仮説でしかないけど……、イヴァンナ様は大戦で力を使いすぎた? だから、その後はほとんど魔力が残っておらず、奇跡を行うことができなかった……。わからない。「魔力」というものがもともと特殊な能力な上に、現代では使える人間がいないから)


 たった百年足らずの間に、人間から急速に失われつつある過去の力。それを思うと、背筋がぞくっとした。

 誰かが故意に、その周囲の歴史すら無きものにしようとしているのを目の当たりにしているだけに、余計に。

 そこに「奇跡」や「魔法」が存在したことすら、もろともに消されてしまう。


「姫様。そろそろ休憩といたしましょう。喉が痛いのでは?」


 不意に渇きを覚えて、ステラは顔を上げた。視線をすべらすと、卓上の燭台に手を伸ばすザハリアの姿が目に入る。

 口から喉にかけての乾きは痛いほどで、ひりつく喉を手でさすがりながら、息を吐き出す。声にならない。


「……もう、少しで、何かがわかりそうで」


 掠れた声で息も絶え絶えに答えると、ザハリアは優しいまなざしのまま言った。


「何かが見つかりそうですか?」


 十年たっても、出会った頃からそれほど変わったようには見えない、吸い込まれそうな瞳。言葉もなく見つめてから、けほけほと咳き込みつつステラは答える。


「見つかるかもしれない。いいえ、見つけるわ」

「それは心強い。でもひとまず今日はお茶にしましょう」


 根を詰めすぎていた自覚はあり、ステラは頷いて立ち上がる。ザハリアは肩越しに振り返って低い声で囁いた。


「姫様なら、私を見つけてくれるかもしれませんね」

「あら。今度は先生がかくれんぼするの? いいわよ。どこに隠れていても見つけてみせるわ」


 笑み交わす。

 灯りを持って先導するザハリアの背に続いて、禁書庫を後にした。


 * * *


 その名前に気づいたのは、様々な疑惑が確信に変わり始めた頃。

 朽ちそうなメモ書きを紐で綴った、本とみなすにも覚束ない紙の束。

 そこから、初めて拾い上げることができた。


 聖人エリク。実際に、戦場にあって戦い抜いたひと。大戦の終焉とともに、その行方が曖昧となる。


 ――エリクこそ真の聖人。もっとも危険な任を引き受け、仲間をかばって傷を負い、血を吐きながらも決して折れずに立ち続けた。


 ――王家の仕打ちはあまりにも非道。聖女は聖女に非ず。


 雷に打たれたような、衝撃。ステラはしばし呼吸を止めてその文字を繰り返し目で追う。


(「聖女は聖女に非ず」つまり、偽物……? 誰よりも身を粉にして戦い続けたのがエリクだとして、王家は一体そのひとに何をしたの? どうしてその後の足取りが掴めないの? エリクはどこへ行ってしまったの?)


 ステラがメモを読み進めると、ザハリアがその手元に「続き」と、書架から資料を引き抜いてきて、積み重ねていく。

 やがて行き着く、当時の国王による断罪。


 ――それは王国の隠されたる罪。

 ――いかなる企てが、いかなる讒言(ざんげん)がかのひとを貶め、陥穽(かんせい)に陥れたのか。

 ――すべての功を奪い取り、王妃についた偽りの聖女イヴァンナの悪行が裁かれる日は来るのか。

 ――エリクはただひとり、いまも暗く凍えるほどに寒く、空気の淀んだ地下に……


「……っ」


 声にならない悲鳴を上げて、ステラは椅子の背に身を押し付けた。

 そこに寄り掛かるべき背はなく、椅子から床に転げ落ちそうになる。咄嗟に、ぼろぼろのメモ書きを落とさぬよう、両手を突き上げた。


「先生……ッ」


 叫んだ瞬間、背中から抱きとめられた。

 そのときはたしかに、存在を感じたはずなのに。

 気がつくと、ステラはひっくり返る寸前の姿で椅子に座っていた。

 場所は禁書庫ではなく、一般の閲覧室。

 あたたかな空気、紙のこすれる音。足音を忍ばせて歩く人々。遠くで誰かがくしゃみをした。


(……先生?)


 立ち上がって辺りを見回しても、もはやそこにステラの教師の姿はない。


(先生……って誰? 嫌だ、忘れてしまう……!! 名前も思い出せない。白髪に青い目のあのひと。十年間も一緒にいたはずなのに、名前も姿も消えていく)


 記憶は急速に失われつつあり、面影すら思い浮かべることがかなわない。

 その奇異さに唇を噛み締めて耐え、抗うようにステラは彼の姿を目裏に描く。


(忘れたくない。先生はたしかにここにいた。ずっと私を教え導いてくれた。王国の隠されたる罪。真実へと至る道……!)


「行かないで。どこにも行かないで、ここにいて!!」


 息を止めて歯を食いしばって、もはや呼べない名前を心で叫び続けたそのとき。

 ステラは手の中に残っていた紙片に気づいた。強く握りしめたせいで、たったひとつ持ち出せた禁書庫のメモ書きの束。

 椅子に腰を落とし、今一度真剣に向き合う。

 そこには、王家の罪と、聖女にまつわる偽証、そして陥れられた聖人の末路が記されていた。


 * * * * *


 地下の最奥の牢獄。

 生きて出ることはない重犯罪人が閉じ込められているとされ、一番年季の入った牢番すら近づいたことがないというそこへ。

 ステラは制止を振り切り、燭台を持って暗い道を進んでいく。

 後に続く者はいなかったが、かえってさっぱりした心持ちだった。

 闇に目を凝らせば、見覚えのある後ろ姿が灯火を手に先導してくれている気がする。

 そして、赤錆すら片鱗しか残らぬ、朽ちた牢に至る。


「先生、来ました。たどり着きました、あなたの元へ」


 岩に埋め込まれたかのようなドアに手をかけると、触れたところからぼろぼろと崩れ落ちてそこにひと一人通り抜けられる空間が現れた。


 ――おめでとう。姫様は私を見つけた。


 闇の中で、白い光をまとう青年が座ってステラを見上げていた。


「見つけるって、約束しました。時間がかかってしまいましたが、ここまで」


 狭い。彼の長身であれば、立ち上がることはおろか、動き回ることすら困難であっただろう。


(かつての王家は、よくも彼にこんなことを)


 見開いた瞳に涙が盛り上がってくるのを感じながらも、ステラは笑みを浮かべて手を差し伸べる。

 青年は優しい微笑を絶やさぬまま、軽く小首を傾げた。


 ――姫様は私の手に触れるのが怖くない? 私はもう、この世の存在ではないよ。


「怖いものですか! 先生はずっと私のそばにいて、私を教え導き、ときには助けてくれました。私はあなたに触れたくて触れるのです」


 ステラの指先と、青年がゆっくりと持ち上げた手がわずかに触れる。

 そこから莫大な光が溢れ、狭い岩牢を貫いた。

 立ち上がった青年は、ステラを見下ろして笑みを深める。


 ――ありがとう。私は魔との戦いのために、天より使わされし者。だけど、「魔法」が失われることを恐れた人間に捕まり、ここで朽ちることとなった。私が地上にとどまれば「魔法」は去らないと彼らは浅はかにも考えたのだろう。しかし自分たちの罪を隠すために歴史を捻じ曲げているうちに、結局のところ全て失われていくことになった。


 ――私はあなたに会えて最後の最後に人間を信じることができた。これで天に帰れる。


「……どうしても行ってしまうの!? 私は先生を忘れたくない!! 出来ることならずっとそばに」


 触れた指先からすがるように手を掴む。

 青年は背に翼を広げ、するりと手を離す。

 そのまま、ステラを包み込むように抱きしめた。


 ――遠い未来に……。あなたがこの世界を去る時がきたら、迎えにくるよ。


 微笑みはいつまでも目の奥に残っているのに。

 気がついたときには、ステラは暗い地下に一人立ち尽くしていた。

 何も掴んでいない手を握りしめて、首を振り、燭台を掲げる。

 そこには、不思議の力で風化を免れていた禁書庫が姿を現していた。



 ステラはその後、最奥の牢に閉じ込められた聖人の話を語り広め、書き記す日々を送る。

 長く生きて、安らかに死んだ。


















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