小学生になりました04 賭博は、悪ですか
個人的には、賭博法の改正として、根本的な賭博というモノに対する考え方を改めて、三店方式の排除したかったというのがあったのですが、なかなかに上手くいかないというこになりました。IR法そのものは、国家を通過したのですが、周辺法や条例の整備については、ほとんど審議が進んでいないような状況です。
最初の時は、かなり賭博そのものに切り込んだ形で、法案が検討されたようなのですが、結果としては賭博そのものに切り込んではいけないという結論になったのです。まぁ、日本人らしい結論といえば結論なのですが、賭博法そのものには、触れたくないというのが、あまりにも強かったようです。
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三点方式という形には、本来限界というモノは無い。
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統合型アミューズメント施設が、日本各地で作られるようになったのが、初等科にあがった頃だった。造っているのは、パチンコやスロット業界であり、ひとつの闇に日本が埋もれようとしていた時代であった。
賭博は、法律という枠組みの中では、すべてを違法としている。
されど日ノ本では、富籤に始まる、賭け事は、様々な形で始まることになる。
度々の禁止があろうと、宝くじと名を変えて、賭け事は行われ、競馬、競艇、競輪にオートレースが賭け事として合法化されている。その中で、最も異質であったのが、賭け事ではないと主張する、パチンコとスロットであった。
三店方式
パチンコやスロットの店で賞品が得られ、賞品を買い取る転売屋が表れ、転売することで現金が得られる形になった。転売屋が賞品を売り捌くことで、転売屋の利益となる。
三店方式というのは、
1.パチンコ店で、客が現金と遊戯玉を交換する。
2.パチンコ店に、出玉を特殊景品と交換する。
3.客は、特殊景品を持って、特殊景品を古物商店に現金で売る。
4.特殊景品を古物商が、景品問屋に売る。
5.景品問屋は、特殊景品をパチンコ店に売る。
パチンコ店、古物商店、景品問屋の三店舗で、特殊景品を売買しているが、特殊景品という商品の売買で、客は金銭授受することになる。東京府では、特殊景品として、一般金融機関でも売買可能な、金地金が使われるようになった。
ゲームに勝った場合、景品を渡すことは、違法行為ではない。客が取得した景品を、古物商に転売して金を得たとしても、違法行為にはならない。だから、パチンコをプレイしても、賭博行為をしていることにならないというのは、脱法行為でしかない。
この方式を応用した場合、すべての遊戯において、三店方式は可能となる。このターゲットとされたのが、コインゲームであり、コインを景品と交換可能なスタッフを配置する、コイン預り所の存在であった。現行では、客からコインの預かりや貸出しを対応しているが、景品との交換が可能と成れば、そのまま三点方式の形になることができる。
コインゲームの対象は、別にネットワーク上の通信対戦でも可能であり、500円投入して一枚のカードが出てくるカードの価値だけでなく、カードそのものを景品交換とすることができたとすることも可能となる。
さらに、平成末期ともなれば、スマフォというゲーム機から離れ、課金による育成や謎解きゲームといったものから、様々なフライトシミュレータや戦争ゲームもまた、課金対象であり、データ間のやり取りができるようになれば、事実上の三店方式が可能となる。ビットコインに始まった電子通貨は、開こうとすれば開くことができる、パンドラの箱のようなモノなのだ。
パチンコは、不良っぽいテレビでは、パチンコが良く出てきていた。フィーバー台が生まれたのが昭和56年で、賭博性の高さから、一気に広がって、古物商による売買が、ヤのつく商売の方々から、国内最大の国家暴力組織によって、保護対象に変化したのも、この頃であった。プリペイドカードは、天下り先だったなぁ。頂上作戦という形の中で、資金源潰しを合法的な形で達成し、自らの組織利益拡大への手段として確立していった。
そういった意味では、
「お父様。お父様は、パチンコとか、されるのですか」
「どうした、玲華。パチンコはしたことは無いが」
「出資とかもしていないのですか」
「出資、それは、、、」
「お父様、まさか博打に投資などしていませんわよね」
「パチンコは、博打ではないぞ、玲華」
「グレーゾーンだけど、賭け事ですよ。御父様」
「そ、それは、玲華」
「ダメですからね、御父様」
「あぁ、わかったよ、玲華」
「本当ですわね、御父様」
「本当だよ、玲華」
そう言って御父様は、逃げるように書斎へと、戻っていった。
兄様と一緒にソファに座っていたのですが、兄様に向かって聞いてみた。
「もう。お兄様は、どう思いますか」
「はは、玲華は、賭博が嫌いなのかい」
「違います。賭博をするなら、賭博ではないと誤魔化すのではなく、法的に認めさせるべきです。別に、ラスベガスに出掛けて、カジノで賭け事をするのは、否定しませんわ」
「日本では、賭博そのものを、否定しているからね」
「御兄様。それは、嘘ですよね」
「嘘って」
「だって、宝くじや競馬は、賭け事ですわ」
「確かに、競馬を含めた公共競技や宝くじは、存在しているね」
「でしょ。テレビで放映してましたもの」
「ただ、困ったことに、日本では、宝くじにしても賭博とは、認識されていないんだ」
「認識されていない?」
「賭博に熱くなる人が多くいて、賭博から離れられなくなって、身代を潰してしまう人も多いからね。賭博そのものは、禁止せざるを得ない」
「まぁ、兄様。そんなに熱くなる人がいますの」
「あぁ、困ったことにね」
苦笑いを浮かべた、兄様は、あたしの頭を撫でていた。その心地良さに委ねながらも、超党派の議員連盟が出来上がっていくのを理解していた。
結果として個人的には納得できない形でありましたが、IRを推進することが優先されて、賭博法そのものは現行のままで、法案整備の原案作成が進められるいう流れとなりました。このため、極めてグレーな法律条項となり、グレーをグレーのままで、対処を求めることになったのです。
困ったことに、グレーであることは、抜け道というモノが存在するということで、現在は非常に多くの抜け道が、存在したまま法律が運用されています。判りやすい形で言えば、グレーは、全部クロとして判断し、どこまでを見逃すかというのが、運用組織側の理屈となっています。
この考え方は、賭博法だけでなく、著作権法の範囲でも同様に、運用側は、法的にはすべてクロとして判断して、どこまでを見逃すか(実際の裁判で勝てるかどうかを判断する)という、運用組織側の論理で動くことになります。