江戸幕末おにぎり屋
江戸の街中に、小さな屋台が出ていた。店をやるのは背中の丸まった老人で、屋台に吊るされた赤い提灯には『おにぎり』という文字が、看板がわりに書いてあった。
提灯にある通り、この屋台で売っているのは『おにぎり』だ。三角形で僅かな具を入れ、醤油を塗って香ばしく焼いた『焼きおにぎり』。具は三種類で、梅とおかかと鮭である。
注文が入れば、焼きおにぎりとお椀に注いだお茶を出す。お茶でおにぎりを流し込むも良し、おにぎりを浸して茶漬けにするも良しの人気商品だ。
そして夜は様子が変わって、お茶の代わりに梅の種とおかかの端と鮭の骨で取った『だし汁』が出て来る。そこにパリパリに焼いた鮭の皮を乗せて湯漬けにするのがまた旨いのだ。
「よう、やってるな?」
夜も更けた頃。背の低い男が、笑みを浮かべながら正面に座った。その手には、酒がたっぷり入った大きな徳利を持っている。
「勝の旦那。いい加減もっと高い良い店行きなよ」
「へっ、高い店なんざ似合わねぇよ。オイラはこういう所がいいんだ」
「あんた幕臣だろうに」
「関係ねぇよ、そりゃ」
口ではそんな事を言いながらも、老人は燗徳利や鍋を出して、酒を暖める準備を進めた。
「米爺さん、鮭の皮出してくれよ。炙ったヤツ」
「はいよ」
やがて酒も暖まり、二人の晩酌が始まる。炙った鮭の皮と梅干しをツマミに、熱燗を酌み交わす。
「旦那、あそこに立ってる若いのは呼ばねぇんで?」
「ああ。呼びてぇとこだけどよ。さっき襲ってきた刺客を斬っちまったんだよ」
「あ、そりゃダメだ。ウチは人斬りは入れねえのが決まりだ」
「わかってるよ。だからあそこに居るんだ。しかし、どいつもこいつも攘夷だ天誅だって、呆れるぜ」
「全くでさぁ」
「オイラなんか、弟子に言われて人斬り雇った事もあるぜ。こん人なら先生守ってくれるぜよ!ってな」
「そりゃ変わったお弟子さんで」
「でもよ、そいつだって最初はオイラを斬りに来たんだぜ?それがいきなり弟子にしろってよ!たまげたぜ」
「そりゃいいや。おもしれぇ」
「……おっと、そういや今夜来るとか言ってたか?マズイな、米爺さん〆の湯漬頼まぁ」
「あいよ」
男は、老人の出した鮭の湯漬けを旨そうに食べ、代金を置いた。
「また来るぜ」
「お待ちしてまさぁ」
次に来る時は、その弟子も一緒だとおもしれぇなと、老人は思った。