未定
エリア【G、K】境 ──────ガラボンボの森(西南西 -8時間)。
ザキュッ、ザキュッ───。
この辺りの熱帯雨林は、比較的歩きやすいらしい。
腐った落ち葉が地面をなだらかにし、その上をブーツが柔らかく弾む。
なるべく聖域を避け遠回りしてきたが、エリアGへはいよいよこの森を通るしかない。
聖域に入ることは、虫の世界に踏み込むということ。
ここで何があっても、法外なのだ。
「こんな格好、みんなに笑われそうだな。フッ。」
緊張とは裏腹に、自分の見慣れない格好が可笑しかった。
虫避けの衣類に帽子、ブーツは、赤黄黒の迷彩柄。
派手だと見つかり安そうなものだが、毒々しい危険色をみにまとう方が安全なのだ。
手付かずの森の樹木は光を求め上へ上へと伸び、枝葉がドーム状に空を覆っていた。
下まで日が届かず、正午だというのに薄暗くひんやりとしている。
新しい草木も、蔦類もほとんど育たないようだ。
森の成長は止まっていた。
とは言え、私はこれほどの密林を歩くのは初めてだ。
ガイドの少年(エリアKの民族で14、5歳くらいだろうか)に、付いていくのもやっとだ。
ガイドには前金を払い、目的地に着いたら残りを払うのが常だ。
遅れる度に、彼はカタコトのコモン語で尋ねた。
「キシャ、ダイジョーブカ?オツレサマカ?」
コモン語は世界共通の言語だ。
この辺りの民族は取り立てて教養が高いわけではない。
しかし、ビジネスになるからある程度のコモン語を習得している者は意外と多い。
私はエリアN(中央特別エリアより 東 +7時間)のメディア記者をしている。
流暢ではないが、記者である以上私もコモン語を話せた。
『はじめまして、私は記者のコウノです。』
と始めに名乗ったら、名前をキシャだと思ったらしい。
ガラボンボの周辺は、特にエリア改革が遅れている。
メディアはほとんど機能しておらず、記者という職業にも馴染みがない。
まぁ、この地域に限られたことではないのだが。
すでに、森に入って5時間が経っていた。
マイナスイオンは心地いいが、足が上がらず、躓きも多くなってきた。
「キューケースル。」
見かねた彼がピシャリと仕切った。
先を急ぎたいが、ここは若くともプロの彼に従った。
24歳の私は、体力も仕事へのやる気もまだまだ盛りだ。
そもそも体力がなければ、記者なんぞ勤まらない。
ただこの少年とは、運動能力、骨格、視力、聴力、肌質───、もう何もかもが違うのだ。
ペットボトルの水が、心地よく身体を巡る。
ムゥン───ン ……………。
再び出発しようと腰を上げたとき、甲高いゾクゾクする羽音が宙を漂った。
辺りを見回すが、姿は捉えられない。
「キシャ、キョツケル。『蚊蝉』イル。」
少年が冷静に言った。
蚊蝉は人の血を吸う、3㎝ほどの茶色い虫だ。
7年に一度の産卵期、雌のみ人の血から栄養分を取るために刺してくる。
毒はないが、刺されるととにかく痒い。
エリアNにも蚊蝉はいるが、この辺りのとは種類が違う。
熱帯雨林の蚊蝉は、病原菌を媒介する可能性が高く危険だ。
抗体を打ったが、それで全てをクリア出来るわけでない。
ここには未知の虫が、まだたくさん生息しているのだ。
『モスコシ、1ジカン。』
そういわれてからすでに、2時間は過ぎていた。
チラリと見てきた少年に、私はじわりと出てきた額の汗を拭いながら、大丈夫だと掌だけ向けた。
少年は頷くと、またゆっくりと歩きだす。
とにかく、日没までに辿り着ければいい。
それから暫くして、少年が無言で合図してきた。
少年が指さす方を望遠鏡で確認すると、糸で塞がった穴があった。
つまりは蛇喰蜘蛛の巣だ。
始めて本物を見た。
レンズ越しだというのに、足がすくむ。
蛇喰蜘蛛はカラフルな身体に、足が八本の奇虫だ。
大きいものだと3mにもなる。
かつて映像で見たあの八本の足捌きは、見事だった。
もう、本当に恐ろしいほどに。
通常、名前の通り蛇や虫を喰らうが、危険と見なされれば鋭い毒牙で人をも捕食する。
夜行性だからそろそろ活動し始めてもおかしくない。
迂回せざるを得なかった。
暫くすると、岩と樹木の根が重なった小高に着いた。
少年がひょいひょいと先に登り、ロープを垂らした。
私はそれを引きながら慎重に登る。
生い茂っていた頭上の葉が、薄くなってきた。
弱い風がスーと通る。
日も大分傾き始め、肌寒くなってきた。
虫の声も増えた気がする。
まだか、いやもう少しだ───、と限界が近づきつつある心と身体に鞭を打つ。
登りきると足元に一線の光が届いた。
あぁ、ようやく抜ける。
光に導かれるように、足が動く。
私は、拓けた空間に足を踏み入れた。
サァ───。
爽やかな葉音が流れる。
朱く鋭い光に、帽子のつばを押さえた。
「………………」
目前に広がるのは深く深く、青い草原。
なんと美しい、夕日に染まる波。
そのお奥に大きな道路とエリアGの関所が見えた。
人も車もごった返している。
「間に合ったか。」
それにしても、噂通り金持ちの車が多い。
関所の前で、少年に残りの料金を支払った。
少年は関所はくぐらず、近くの同族が利用する小屋に泊まるそうだ。
こういう民族には、関所付近であってもエリア兵は煩くない。
兵の懐にいくらか入るのだ。
少年は明日には逆のルートを辿る客を見つけ、戻っていくのだろう。
「さて。」
私は不安半分、諦め半分で関所をくぐった。




