正義
「おかえり、もう泊まってくるもんだと思ってたよ。」
リビングに入るなり母は僕を茶化した。僕はこの人の子だ。もう言動だけでも明らかだ。
「鏡子も一緒に来たよ。」
「夜分遅くにすみません。おじゃまします。」
僕の後ろから鏡子もリビングに入る。
「母さん、話があるんだ。」
「結婚するんなら好きにしな。」
母は早合点して返事をした。僕はそれを無視する。単刀直入でいい。聞かずとも答えはわかっているのだ。身体の後ろに隠している包丁を強く握り締めた。
「鏡子、人を食うんだ。僕もそれを食べた。」
僕の言葉を聞いて、母は目を大きくしてにやりと口角をあげた。それはとても不気味で、今までに見たことのない表情だった。その姿は怪物のように見えた。
「へえ、そいつはまた厄介な女をつくったね。あんた、すごい運してるね。」
怪物は僕らを見据えて減らず口を叩いた。
「僕もそう思うよ。彼女のつくるハンバーグ、おふくろの味そのものだったんだよ。なあ、あんた親父殺しただろ。」
そうだ、彼女のハンバーグはおいしかった。母のハンバーグの味によく似ていた。他で同じ味のハンバーグは食べたことがない。こんな間抜けな推理があるだろうか。失踪事件のもう一人の犯人は母だ。
「殺した。あんたと食べた。父さんが一番おいしかった。愛情の違いね。何人食べても愛してる人を、正利君を食べたのが一番おいしかった。でもやっぱりあたしは食べるのより殺すのが好き。鏡子ちゃんはどうかな。こんな話まだ誰ともしたことないから、おばさんちょっと興奮しちゃう。」
僕は母の腹部に包丁をつきたてた。もうこれ以上、聞きたくなかった。もうたくさんだ。終わってしまえ。全部。全部。全部。
「あ、ああ、……あんたやっぱりあたしにそっくりだ。正義、お似合いのカップルじゃん。……うふ、ふ、はははははは。あ、あたし、死ぬんだ。ころ、されて、し、ぬ、ああ……ま……し……。」
母は包丁が刺さったまま後ろに崩れ落ちた。死んだ。母は死ぬまでくだらない事を言うのをやめなかった。そして僕の名前を呼んだ。僕にとってこの名は呪縛だ。
「僕が、殺した。」
鏡子が後ろから僕を抱きしめた。そのときに気が付いた、僕はひどく震えていた。
「西野君、やっぱりやさしい。」
僕から離れた鏡子は母の腹から包丁を抜き、首を切りつけた。夥しい量の血が噴き出た。
「お母さんまだ生きてたよ。私が殺した。西野君は殺せなかったね。」
そう言った彼女の表情は見られなかった。彼女なりの優しさだろうか。満月の夜はずいぶんなデートになってしまった。