理屈
僕は彼女を知った気でいた。
彼女も僕を知った気でいた。
この物語は終幕を迎える。
この物語はせめてここまでで終わるべきだった。
この物語は最後まで幸せであるべきだった。
この物語はあんな結末を迎えるべきではなかった。
この物語を読むのをやめるべきだ。ハッピーエンドを望むのなら。
「あんた最近あの子とうまくいってんの。」
夕食後、リビングで本を読んでいた僕に突然母が声をかけた。何の前触れもなかったので、少し驚いた。栞を挟んで本を閉じた。
「まあ、それなりかな。」
質問がざっくりしすぎていて答えにくい。あれから僕らは至って普通のカップルだ。学校でも普通に話すようになったし、付き合っていることを隠すのもやめた。普通にデートもするし、キスもする。学校帰りには彼女を家まで送って帰るのが習慣化していた。
「それなりって何それ。どうせならもっと惚気ろよ。」
自分の母ながら、よくわからないことを言う。この世に他の人間の惚気話を聞いて喜ぶ人なんているのだろうか。むしろ我慢していたくらいだ。
「うーん、そうだな、手料理おいしかった。」
我ながら語彙が貧困だ。惚気話なんて人から聞かせろといわれて出てくるものではないらしい。彼女との思い出は沢山ある。そのどれもが笑顔がかわいい。
「そういうのいいね。付き合ってどのくらいたったの。」
母は親指を立てて僕にいいねした。楽しそうだ。
「そろそろ半年くらいだね。」
あの日からもう半年たった。世間の大人はそろそろ仕事が嫌になり始めてるのだろう。僕ら学生は春休みからのゴールデンウィーク明けでまだまだ元気一杯だ。
「半年って、あんた連れてきたの半年前じゃないっけ。」
驚いたようだ。
「ん、あ、そうだね、あの日から付き合い始めた。」
「あんた意外と大胆なんだね。月にどのくらいHしてるの。」
要らぬ誤解を生んでしまったようだ。僕もあんなこと言ってしまった以上必然だが。そもそもそれは親が子に聞く話題かよ。
「言っておくけど、そもそも僕は彼女に何もしてないよ。パンツ見たことすらない。」
パンツ探しで箪笥を漁ったことはあるが、あれはまあノーカウントだろう。
「え、あんた、なに、聖人かよ。ジャスティスかよ。誰の子だよ。」
すごく驚いているようだった。まあ確かにキッチンからゴム出してくる母からしたら想像もつかないことなのかもしれない。
「あんたの子だよ。すっごい馬鹿にしてるでしょ。しなくても恋はできます。」
非常に腹立たしい。もうそもそもしているのが前提のこの話題も、ジャスティスとか言われるのも、全体的に腹が立った。
「あんたはそうかもしれないけどさ、相手はどうなの、そういう素振りはない?」
母の指摘は的確だった。心当たりがありすぎた。そもそも彼女はキスとかそういうのすごいしたがるタイプだし、そういうフラグを僕は何度もへし折ってきた。
「素振りあるな。」
「あー、それは大罪だわ。他の男に寝取られてても文句言えないわ。」
もしそんなことがあったら文句は言うが、母の理屈もわからないではない。相手の男に文句は言うが、彼女に寂しかったといわれればきっと僕は謝り倒すだろう。いや違う。
「鏡子に限ってそれはない。」
彼女が浮気する前提での話は、もしなんて副詞をつけても考えたくもない。
「ん、鏡子? 鏡子って。」
「彼女。小峰鏡子。」
母は目を丸くした。そういえば言ってなかったか。確かに彼女も家に来たとき名乗っていなかった気がする。
「あの子が。そういうの先に言いなさいよ。」
母は小峰鏡子の両親が亡くなったのを知っている。息子の彼女と事件の関係者が同一人物だと認識していなかったのだから、まあ驚くだろう。
「ごめん、言ってないって思ってなかった。」
僕は正直に謝った。
「あんた、鏡子ちゃん助けてるんだね。私もできることがあるなら、鏡子ちゃんの助けになってあげたい。」
母はいつになく真剣だ。やはり思うところがあるのだろう。やっぱり、僕はこの人の子だ。似ているようで似ていない、でも肝心なところで似ている。僕は彼女を助けてるってわけじゃないが、一緒にいることでお互いに救われる部分があるのは事実だ。
「僕にできなくて母さんにできることがあったらそのときは相談するさ。」
母は頷いた。なんだかんだ言ってもやっぱり頼りにしている。
「でも、そうなると尚更なんであんた今日家にいるの。あんた最近休みの日ほとんど出かけてたでしょ。」
「何でって言われても、なんか今日約束ないから。」
言われてみれば確かにちょっと変だ。学校含めてほとんど毎日彼女に会っているくらいだ。あまり違和感はなかったが、彼女の存在を無意識に当たり前なものだと認識していたのだろうか。だとしたらそれは嫌だ。
「鏡子ちゃんの家、どこ。」
あまりに唐突な母の質問に戸惑った。
「何で今それ聞くのさ。」
「家まで車で送ってやるよ。花束でもプレゼントして来な。」
母は財布から一万円札を取り出し、僕に押し付けた。