失言
「え。」
時間が止まったようだった。どうしてだろう、余計なことを言ってしまったことに気が付いた瞬間。人間はどうしても、しまった。という空気を出してしまうものだ。それがふざけてるときでもそうだというのは僕にとって新たな発見だった。だが今は新たな発見をしている場合ではなかった。
今日の彼女は、朝から上の空だった僕に精神的に振り回され、自らの生い立ちを僕に語り、その日のことを思い出しただろう。いつもより感情の触れ幅が大きく、疲弊しているはずだ。彼女が打ち明けたのだから、僕も打ち明けなくてはいけないと思っていた。ただ、それは、今じゃない。
「ああ、うん。本当のことだけど、口が滑った。そんな話、今しんどいでしょ。」
わかっている。そんな風に言って、今のところは濁しても、それは逆に半端に聞かされる彼女に負担がかかる。わかっていても、僕は尻込みせずにいられなかった。なんだか今日の彼女は、少し乱暴に触れれば壊れてしまうガラス細工のような、そんな風に思えた。それでいて、ガラス細工が壊れてしまうことそのものよりも、自分が直接それを壊してしまうことを恐れたのだ。自分の底の浅さを見せ付けられたように感じた。
「いや、違う、これは僕の在りたい姿じゃない。彼女を見ろ。」
そんな底の浅い自分を振り払うように自答する。彼女は明らかに困惑していた。
「ごめん、鏡子さん。ちょっと辛いかもしれないけど、少し聞いてもらえないかな。」
彼女は、恐る恐る頷いたように見受けられた。きっと今の僕が恐いのだろう。追い詰められると、人間どうしたって本質が顔を出す。自分を曝け出すという窮地で彼女が嫌われることに怯えたように、この窮地で僕は真剣に独り言で自分を戒めるようになった。
「恐がらないでほしい。本当は今この話すること自体、間違いなんだ。本当にごめん。でも僕が口を滑らせて半端に聞かせたままだと、むしろ君を悶々とさせて苦しめてしまうと思ったんだ。君に辛い想いさせたり、恐がらせたり、苦しめるような意図なんてない。」
僕は素直に頭の中にあったことを言った。抽象的でわかりにくい。彼女は伏し目がちに頷いた。怯えている。僕はなんて余計なことを言ってしまったのだろう。僕は今、自分の墓穴を掘っている。真剣に訴えれば訴えるほど、彼女からみた僕は必死で恐ろしいだろう。本当に童話の怪物のようになった気分だ。余計なことを言ったのを今更悔いても仕方がない。僕は僕の在りたい、在るべき姿を全うしよう。
「僕の父は、あの失踪事件の被害者だ。白骨で見つかった。」
初めて人に言った。失敗だ。奥歯を噛締めた。歯が削れてしまうのではないかというほどに。自身が苦しんでいる恋人に自分の苦しみを共有してどうしようというのか。苦しみを和らげる存在でいるべきなのに。僕は父の死を乗り越えた。もう乗り越えたのだ。それそのものを悲しんでいるのではない。それが原因で彼女を恐怖させていることが歯痒い。
「西野君。泣かないで。」
僕は無意識にまた彼女を見ていなかったらしい。彼女に気付かされた。彼女はテーブルの向こう側から少し身を乗り出し、指先で僕の涙に触れた。その指先は震えていた。声も震えていた。怯える彼女は僕の涙を指で拭った。咄嗟に言葉が出なかった。
「よくわからないけど、私のためなんだよね。恐くなんかない。」
彼女は恐怖を押し殺すように言った。
「……ごめんよ。ありがとう。鏡子さんもやさしいよね。」
頬に触れた彼女の手は温かかった。