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笑顔

 彼女は僕をどんな顔で迎え入れるだろうか。僕はリビングのドアの前で逡巡していた。

「西野君。そこにいるんでしょ。床板軋むからわかるよ。」

 ドア越しに彼女は喋りかけてきた。当然表情はわからない。優しい声だった。慰めてくれるような声だろうか。

「君の事、ここに来る前の僕よりも知れた。」

 ドアに向かって言った。これ以上の言葉が見つからなかった。彼女の背景を前にすると、慰めも、励ましも、愛の言葉でさえも安っぽく感じられて。

 リビングのドアが開いた。彼女は左手で髪をかき上げ、耳にかけた。彼女は微笑んだ。まるで全てが無かった事みたいに美しくて息を呑んだ。

「たくさんの嫌なことがあって、私は一人ぼっちになった。当たり前にいた家族がいなくなった。お父さんの娘として生きてきたカガミコも本当は私じゃなかった。お母さんが浮気してなかったらそもそも生まれてすらなかった。一人ぼっちの私はそもそも生まれたことから間違いだった。私からするとあの日、自分の周りの世界がなくなったの。全部。」

 彼女はいつのまにか涙を流していた。顔は微笑んだ表情のまま。

「西野君は私を見てくれた。西野君だけが私を見てくれた。すぐに恋に落ちた。それからすぐに西野君に好かれる自分を演じていることに気付いた。本当の自分を殺して。……私、一人ぼっちなのに、その一人ぼっちの自分にすら見限られてる。」

 僕は彼女を抱きしめた。僕は彼女の悲惨な過去を可哀想に思っている。彼女の生い立ちに同情している。彼女を救いたいと心から感じている。でもそれは彼女を取り巻く全て含めて彼女のことを愛し、寄り添う事でしかそれは叶わないことだとわかっている。だから、何も言わず、ただ抱きしめた。

 どれくらいの時間こうしていただろうか。彼女は少しずつ落ち着きを取り戻した。

「ごめんなさい、西野君。嫌いにならないで。お願いだから、私を一人にしないで。」

 先程よりも落ち着いてきたが、今度はまるで別人のように怯えていた。

「大丈夫。嫌いにならない。無理に僕に好かれるように演じなくたっていい。僕に好かれるような小峰鏡子をつくっているほうがいいのなら、そうすればいい。君の在りたい姿の支えになりたい。」

 まっすぐと彼女に向き合った僕の本心。彼女は自分でない自分に戸惑っていた。前に演じるのが楽しいなんていっていたけれど、それすらも僕の喜びそうなことを言っていたに過ぎないのかもしれない。

「……私の駄目な所も、嫌なところも、全部を知った上で、西野君にそれでも好きだと言われたい。」

 彼女は少し考えて、答えた。彼女の瞳から意志を感じた。

「今のところまだまだ好きだよ。鏡子さん。」

 彼女は満面の笑みを浮かべた。その笑顔を脳に強く焼き付ける。この彼女の笑顔を忘れない。永遠に。本当の彼女の笑顔。これは僕が初めて彼女の家に行った時、初めて本当に彼女に会った日の笑顔。そんなアルバムはどこにもないけど、僕は確かに書き記した。

「ありがとう、西野君。……一緒にご飯食べよ。すっかり忘れてたけど、もうちょっとで出来るよ。」

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