対話
浮かれた気持ちに任せて歩いた結果、僕は教室からここに至るまでの記憶をまるで失った状態で下駄箱の前に立っていた。
小峰さんに言われたとおりに彼女の鞄を持っては来たが、彼女の鞄は異様に軽く、こんなスカスカのリュックサックを背負って通学する必要性があるのか甚だ疑問だった。
「早かったね西野君。」
外からやってきた小峰さんは僕にそう言いながら、上履きからスニーカーに履き替えた。どうやら靴を履き替えるためにこの場所を指定したらしい。僕は彼女が想定していたよりも早かったらしい。
「ほら、鞄。」
「ありがとう。」
スニーカーに履き替えた彼女は鞄を受け取り、背負った。僕も靴を履き替えた。外から来た彼女と共に靴を履き替えて、一緒に玄関から外に出るというとても不思議な儀式を済ませた僕は、ここに来て今更ながら少々の戸惑いを覚えた。今のところ極々普通に喋っているつもりではあるが、ほとんど喋ったこともない、好意を持ってしまった人と今までにないくらいに喋り、これからデート(だと僕が思っているだけかもしれないが)に行こうというのだ。妙な緊張をする。
「さあ、どこに行こうか。」
彼女は楽しそうに言う。今回が特別楽しそうなわけではなく、そもそも彼女がつまらなさそうにしている所をあまり見たことがない。授業中もそうだ、僕の目から見て彼女は、先生が生徒にしてほしいであろう表情を豊かに表現し、まじめに授業を聞いている。仕舞には先生が心なしか彼女のほうを見て授業をしているように感じるほどだ。
「小峰さんはどこか行きたいとことかあるの?」
不真面目にも授業そっちのけで彼女のことばかり見ている僕は尋ねた。
「じゃあとりあえずお腹空いたからファミレス!」
彼女は学校からそれほど遠くないファミレスの方を指差した。ちょっと意表を突かれた。「そんな近場でいいの?」
「いいの、学校じゃない時点で自由な感じして既に楽しいし。」
僕が意外に思うのにはもう一つ理由があった。
「小峰さん、学校でご飯食べてるところ見たことないから少し意外だね。」
「ははは、さすがによく見てるね。私もデートなら食べ物屋さんとか行くよ。」
僕の体はデートという単語にピクリと反応してしまった。やはりデートだったのかと改めて確認し、今までの話題が脳内で肩身の狭い思いをしている。
「うん、わかった。」
僕はそれだけ答えるのに精一杯だった。ほかの生徒は皆授業中だ。見つかってしまっては困る。僕らは速やかに学校の敷地を後にした。
歩いてファミレスに向かう途中、小峰さんは僕に尋ねた。
「西野君はどうして私のこといつも見ているのかな。」
これは絶対に今日訊かれると思っていた。進研ゼミでやったところだ。
「これは内緒の話なんだけどね、とある組織の親玉に言われて君のことを監視しているんだ。」
答えは事前に準備してある。臆病な僕にとっての模範解答を芝居がかった声色で答えた。
「ははは、いいねそれ、非日常みたいで。」
彼女はこんな答えさえも喜んでるように見せてくれる。
たいした距離ではない、たったこれだけの話をしている間にファミレスに到着した。
「何名様ですか?」
左手の薬指に指輪をした女性店員が僕らに尋ねる。僕が右手でピースサインを作ると、店員は「二名様ですね。ただいまご案内しますので少々お待ちください。」といって店内に引っ込んでいった。
「今、西野君指輪見てたでしょ。」
女性店員が見えなくなった瞬間、小峰さんは小声で言った。
「小峰さんすごいね、なんでわかったの。」
「西野君に見られすぎて、西野君が何見てるかわかるようになっちゃったの。」
先刻僕がそうしたように、彼女は芝居がかった調子で言った。