愛情
薄暗い階段を上る。階段の明かりはおそらく玄関の近くにあったどれかがそうだったのだろうが、わからなかったので点けなかった。階段を上ったところに電灯のスイッチが縦に二つ並んでいたので、両方つけると階段と二階の廊下の明かりがついた。今、階段の明かりはついている必要がないので勘で下のスイッチを押すと階段の明かりが消えた。
階段を上ってすぐのところにある部屋のドアを開けた。その先にあったのはごく普通の部屋だった。この部屋は何の変哲もない。部屋にあるのは本棚とデスク。デスクの上には夫婦らしき人物とその間に笑顔のかわいい女の子が写った家族写真と、二年半前で時が止まった卓上カレンダーが置かれていた。おそらくは彼女の母親だろう。瓜二つといえるくらいによく似ている。少女は美しい。眼鏡をかけていないし、今よりも少し幼いが明らかにそれが彼女だとわかる。父親らしき人物の顔は黒く塗りつぶされていた。
デスクの引き出しを開けるとそこには数冊の大学ノートがあった。ノートは日記だった。日記というよりも記録といった方が良さそうな代物だった。日記は母親の浮気を疑い初めたところから始まる。疑惑は確信へ、愛情は怒りや憎しみへ。
「カガミコは俺の子じゃなかった。」
日記はこの言葉で終わっていた。詳しいことはわからないが、そのページに挟まれていた紙は遺伝子の鑑定の結果なのだろう。当然、彼女もこれを知ったことだろう。まるっきり彼女には手の届かない遠い過去の出来事。家族の死の後、追いうちをかける様な真実。それを知った彼女の過去はあまりに不幸すぎる。悲しすぎる。救いがなさ過ぎる。
どこかに救いを探して、僕は苦し紛れに棚からアルバムを手に取った。
手に取ったアルバムには幼い女の子の姿があった。笑顔に溢れたアルバム。ほぼ全ての写真がその女の子の笑顔だけを写したもの。一冊ではない。ナンバリングの新しいものになるにつれて、女の子の笑顔は少女の笑顔に。少女の笑顔は僕のよく知る笑顔に。それぞれの写真に場所、時間、何のときの写真なのかが書き添えられていた。
彼女は確かに愛されていた。このアルバムには涙で濡れたような痕があった。これは彼女を愛した彼の涙だろうか。僕はその痕に指で触れる。
最初に聞いたときからずっと疑問だった。なぜ彼女はそのとき一人生き残ったのか。彼にはどうしても殺すことが出来なかったのだろう。自分の子ではない娘だと知ってもなお。
アルバムを閉じた。僕の頬を伝うものがこの思い出に余計な傷をつけないように。
この部屋を元の状態に戻した。もしかしたら涙で床が少し湿っているかもしれないが誤差の範囲だろう。
彼は人を殺した。それは許されないことだろう。ただ僕は感謝してしまった。彼女を殺せないほど愛した人に。僕はドアをそっと閉じて「ありがとう」と呟いた。