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彼女がのぞむ未来  作者: タッキー&トシ
第一章
4/11

第三話

 翌日、俺は駅前の喫茶店へと向かっていた。

 理由は、昼過ぎに愛乃に呼び出されたからだ。

 もっとも、俺と愛乃はお互いの連絡先を知らないので、正確には愛乃の連絡を受けた広中に呼び出されたという訳だ。

 あの後、怪我をしていた愛乃は、救急車で病院に運ばれ、何も話すことが出来ないまま別れてしまった。

 いろいろと聞きたいことはあったが、それも聞けず仕舞いだ。

 まあ、そのあたりのことについて、今日は話してくれるつもりなのだろうが。

 ものの一〇分で目的地に着く。

『喫茶 黒猫』

 中一のときに、駅前にできて以来、俺と広中、それから鳥居も、度々ここに通っていた。

 看板に彫られた、黒猫のレリーフが特徴である。

「いらっしゃいませ~」

 中に入ると、一人のウエイトレスが声を掛けてくれる。

 短く揃えた栗毛の、活発な印象の女性だ。

「あ、林田くん、いらっしゃ~い」

「どうも、涼子さん」

 ウエイトレスは、入ってきたのが俺だと分かると、すぐに砕けた態度で接してくる。

 名前は、風見(かざみ)涼子(りょうこ)さん。ここのマスターのお孫さんで、現在、近くの大学の四回生だ。

 カウンターを覗くと、マスターと目が合った。互いに軽く会釈して、挨拶を交わす。

「美空ちゃん、もう来てるよ。あと、なんかかわいい子も」

 なんかかわいい子、というのは愛乃のことか。見ると、奥の席に、二人向かい合うように座っている。

「あの二人って友達なの? なんか、すごいお通夜モードなんだけど」

 涼子さんが、声を潜めて尋ねる。

 確かに、何か話している様子ではない。お互いに、出方を窺っているというか、妙な緊張感がある。

 もともと、広中はあまり話す方ではないし、そもそも、話があるのは愛乃の方だろうから、広中はそれを待っているのだろうが、こうして見ると、確かに、仲良くしているというのを疑うくらいの緊張感がある。

「まあ、いろいろあるんですよ」

「ふうん。じゃあ、まあ、ゆっくりしていってね~」

 はっきりしない言い方をする俺に、涼子さんはそれ以上何も聞かず、店内を回る。

 俺はその後ろ姿を見送って、二人が待つテーブルへと向かう。

「よう」

 近づいてそう声を掛けた。

 二人が同時に俺の方を振り向く。

 広中は昨日と同じような、パーカーとジーンズ姿。愛乃はブラウスの上にノースリーブのカーディガンを羽織り、下はショートパンツという、傍目からは少し寒そうな格好をしていた。昨日と同じように、左手首に着けたミサンガを握りしめている。

広中はそのまま何も言わず、手元に置かれたコーヒーに口を付ける。

「おはよ」

 そう言ったのは愛乃だった。

「ああ、おはよ」

 昼過ぎにおはようというのもおかしい気がしたが、俺もそう返す。

「待たせたな」

 そう言って、俺は広中の隣に腰掛ける。

 座り掛けに、広中に睨まれたが、話をする愛乃と、話を聞く俺と広中で、この形が調度いいだろう。

 席に着くと、すぐに涼子さんが水とおしぼりを持ってきてくれる。ついでにブレンドコーヒーを注文して、適当にくつろぐ。

「…………」

「…………」

「…………」

 程なくして、涼子さんがコーヒーを持ってきてくれるが、その間、誰も何も言わなかった。

人の目、主に涼子さんの目を気にしてというのもあるだろうが、どうやら、愛乃が言葉を選んでいるようで、何か言おうとこちらを見て、しかし止めて下を向くというのを、もう何度も繰り返している。

どうしたものかと、横目に広中の方を窺うと、同じくこちらの様子を窺っていた彼女と目が合った。

これは、俺にどうにかしろということなのか。

俺は砂糖とミルクをコーヒーに混ぜて、一口すする。

美味い。

まだ少し苦いが、その苦みの中に、ほのかに感じられる甘みが心地いい。

それを味わって、俺は小さく息を漏らす。

愛乃がピクリと肩を震わせる。俺がしびれを切らしたように思えただろうか。

「怪我とか大丈夫だったのか?」

 そういえば、と、俺は切り出す。

 昨日救急車で運ばれたきり、俺は何も聞いていない。膝を擦りむいたのは見たが、頭を打ったりしなかっただろうか。

「うん。膝の怪我と、あと、ちょっと打撲みたいになってたけど、他は特に何もないって。痕とかも残らないみたい」

「そうか」

 少し安心した。

 そうしたら、妙にのどが渇いていることに気付いた。自分で思っていたよりも、俺は愛乃のことが心配だったらしい。

 俺はもう一口コーヒーを飲む。

「あの!」

 今度は愛乃が口を開く。

「あのね、聞いて欲しいことが、あるの……」

 どうやら、ようやく愛乃の決意が固まったらしい。

「信じてもらえるかわからないけど、私、未来が、見えるの……」

「そうか」

「驚かないんだね……」

「驚いてるさ。けど、愛乃の行動と、事故のことを考えると、そうなんじゃないかって思った」

「そっか……」

 正直、愛乃の口から聞くまで、馬鹿げていると考えていた。しかし、どれだけ考えても、他に何も考えつかなかった。

「見えるって、どんな風に?」

 それまで、黙って話を聞いていた広中が、口を開く。

 彼女も、あまり驚いたようには見えない。やはり、俺と同じ考えに至っていたのだろう。

「えっと、自分で自由に見えるわけじゃないんだけど、目の前にザーってノイズがかかるみたいになって、で、見える景色が変わるの。見えるのは自分のことだったり、人のことだったり、あ、でも、私と全然関係ない人のことは見えないみたい」

「そう」

 広中が相槌を打ち、何か考えるような素振りを見せる。

「それで、昨日は棗くんが車に轢かれるところが見えて、なんとかしなきゃって……」

「ちょっと待て!」

 思いもよらない言葉を聞いて、俺はつい大声をあげてしまう。

 何事かと、こちらを見ていたマスターと涼子さんに、軽く頭を下げて謝罪の意を示し、俺は愛乃の方へと向き直った。

「俺が轢かれた? あのときに?」

「う、うん。それが見えたから……」

 現実に起きたことではなく、あくまで、未来視で見えたこと、ということが言いたいのだろう。しかし、そんなことは分かっている。

 俺が驚いたのは、そういう未来があったということにだ。

 愛乃が未来を予知していたのではないかとは思っていたが、それが俺の危機であることは予想していなかった。

 考えてみれば、事故が起こったのは、俺の帰り道で、丁度俺たちが通りかかったときだった。愛乃があそこで待っていろと言わなかったら、そうなっていた可能性は十分にあった。

 考えるだけでもゾッとする。

 俺は椅子にもたれ掛かり、深く息を吐いた。

「それならそうと、先に言ってくれればよかったのに」

 最初にそう言ってくれていれば、俺と広中も、あんなに反発することはなかった。

「それは……」

「言えば信じたの? あなたは」

 口を濁す愛乃の代わりに、広中がそう言う。

「今は、実際に事故が起こったのを見た後だからそう言えるけど、先にそれを聞いて、あなたはそれを信じたの?」

 広中に強い口調でそう言われて、俺は何も言えなかった。

 確かにそうだ。

先に聞いていたとして、それを信じたとは言い切れない。未来が見える、なんて突拍子もない話を、手放しで信じられるほど、俺は愛乃のことを知らないのだから。

愛乃にしても同じことだろう。

俺が信じてくれる、と思えなかったから言わなかった。いや、言えなかったのか。

お互いに、そう出来るだけの信頼がなかった。早すぎたのだ。

「……悪かった」

「ううん、私も……」

 愛乃に非はない。それなのに謝らせてしまった。

 それがどうにも情けなくて、俺はまた深く息を吐いた。

「嫌に、なったよね……」

「「え?」」

 不意に、愛乃が小さく声を漏らす。俺と広中は揃って聞き返した。

「こんなの、普通じゃないもん。嫌になったでしょ」

 上擦った声で、愛乃はそう言う。顔は伏せていてわからないが、もしかしたら、泣いているのかも知れない。

 さて、何と答えたものか。

 これは俺の予想でしかないが、恐らく愛乃は、未来視のことで嫌だとか、変だとか言われた経験があるのだろう。

 未来視で見えたことを伝えて、頭がおかしいと思われたか。あるいは、それが本当になって、気持ち悪いとでも言われたか。その両方かも知れない。

 そういう経験が、彼女の中でトラウマになっているのだろう。

 けど、俺は、

「俺は、感謝してるけどな」

「え?」

 俺が思ったことをそのまま口にすると、今度は愛乃の方が聞き返してくる。

「愛乃が未来を見たから、俺は今こうしてるわけだろ。だから、ありがとな」

 それが未来視という、普通ではない力によるものだとしても、愛乃が俺のことを助けてくれた、という事実には変わりない。

 だから、何よりも先にその言葉が浮かんだ。

「でも、これからも、私は未来を見ると思う。いいことも、悪いことも。そんなことが続いたら、きっと、私のことが嫌になる」

「それは、愛乃の責任じゃないだろ。お前がそれを見ようが見まいが、未来はやって来るんだから」

「確かに、そうだけど」

 どうにも歯切れが悪い。俺がいいと言っているのだから、いいのではないのか。

 いや、何か違和感を感じる。どうも論点がずれているような。

「それに、悪いことが起こるって分かってるなら、今回みたいに回避できるかもしれない。まあ、三人寄らば文殊の知恵、ってこともあるしな」

 違和感の正体は分からないが、俺は話を続ける。今は、愛乃に正面からぶつかるしかない

「三人……」

 そういえば、まだ確認はとっていなかったか。まあ、聞かなくても分かるような気がしていたが。

「…………」

 広中の方を窺うと、彼女はなんだか不機嫌そうな顔をしていた。もしかして、置いてけぼりにされて怒ってるのか?

 広中は一口コーヒーを飲んで口を開く。

「愛乃」

「な、何?」

「一つだけ確認したいのだけど」

 広中の言葉に、愛乃がゴクリと息を飲む。

「あなたは私たちと一緒に居たいの? 離れたいの?」

「私は……」

 その先の言葉が、なかなか出てこない。

(ああ、そうか)

 俺の中に、何かがストンと落ちてくる気がする。

 愛乃は、どうも俺たちが彼女のことを嫌がると思っている。それは分かる。愛乃の苦悩は、想像に難くない。

 しかし、愛乃自身が、俺たちとどうなりたいのか、それが見えてこない。

 むしろ、愛乃の方が、俺たちを遠ざけたがっているようにも見える。

 それが違和感の正体だった。

「一度しか言わないから、よく聞いて」

 いつまでも口を開かない愛乃に耐えかねたのか、広中が口を挟む。

「私にとって、あなたは大切な友達だから、たったこれだけの理由で、私があなたから離れることはないわ。あなたが望む限り、私はあなたの側にいる」

「美空ん……」

 広中の言葉を隣で聞きながら、俺は少し驚いていた。

 広中がここまで雄弁に語るところを、俺は見たことがない。

 鳥居なら知っているだろうか。

 それとも、女子同士だからなのか。

「でも私、普通じゃないんだよ?」

「だから、それくらいのことで、私はあなたから離れる気は、あなたを手放す気は無い、って言ってるの」

 なおも食い下がる愛乃に、広中が追い打ちをかける。

「それとも何? あなたは逆の立場だったら、もう私とは友達ではいてくれないの?」

「そんなことない!」

 広中の言葉に、やや食い気味に愛乃が答える。

「そんなのあっても無くても、美空んは美空んだもん。私にとっても、大切な友達なんだから」

 と、そこまで言って、愛乃が「あっ」と声を漏らす。

「そういうこと。私も、あなたと同じように思ってるのよ」

「うん……」

愛乃が両目をうるうると湿らせ、大粒の涙をこぼす。

「ごめん、ごめんね……」

「ちょ、ちょっと、泣くようなことじゃないじゃない」

 泣きながら、何度も謝る愛乃に、慌てて広中はハンカチを取り出す。

「私も、美空んと、二人と一緒に居たい……」

「馬鹿ね。当り前じゃない」

 身を乗り出して、愛乃の涙を拭う広中を見て、俺は思う。

 二人が出会ったのは、高校入学以来、まだ一ヶ月と立っていない。

 それでも、二人の間には、確かな何かがあるのだろう。

 それが一方通行なのではないかと、不安になって、広中は不機嫌そうにしていたのかも知れない。

「……うぅ……ぐすっ……」

「もう」

 甲斐甲斐しく愛乃の世話をする広中の隣で、少しいたたまれなくなって、俺はコーヒーを一口飲んだ。



「ごめんね」

 どのくらいそうしていただろうか。

 泣き止んだ愛乃が、俺にそう言う。

「ん? ああ、気にするなよ」

 同じ席に泣いている女子がいるというのは、だいぶ精神的に来るものがあったが、別に気にすることではない。

「うん、ありがとう」

 そう言って、愛乃は愛想笑いを浮かべる。俺に心配を掛けまいとしているのだろう。

「でも、ほんとにいいの?」

 愛乃が念を押してくる。

「あんまりくどいと怒るぞ」

 いや、広中はもう怒っているか。

 というか、そんなに信用出来ないかね。

「まあ、未来が見えるなんて、確かに普通じゃないかも知れないけどさ。別に、それが愛乃を嫌う理由にはならないだろ」

「そう、かな?」

 愛乃はどうも納得がいかないようだ。やはり、このことでトラウマがあるのかも知れない。

「さっきも言ったけど、そのおかげで、俺は助かってるわけだしな。じゃあ、その力はいいものだってことだろ?」

「そうとは、限らないと思うけど?」

 俺の言葉を否定したのは広中だ。

 確かに、いいものだと決めつけるのは、早計だったか。しかし、話の腰を折ってまで、言わなければいけないことだっただろうか。

「ともかく、そんなの使う人間次第だと、俺は思う。それで、俺は愛乃のことを、その力を悪用しないと思ってる。それじゃあ駄目か?」

「棗くん……」

 それで愛乃は納得したようで、また「ありがとう」と言ってくれる。それがなんとも恥ずかしくなって、俺はまたコーヒーを口に含む。

「それで、今見てる未来はそれだけ?」

 そう言ったのは広中だった。

「え?」

「事故のこと以外に、見た未来は無い? また何かあるのなら、私も手伝うけど」

「ああ、そうだな」

 頭に疑問符を浮かべる愛乃に、広中が詳しく聞く。俺もそれに同意する。

 確かに、愛乃は他にも未来を見ているのかも知れない。もしそれが悪い未来で、彼女がそれを何とかしようとしているのなら、俺もそれを手伝うことに異論はない。

「えっと、悪い未来は見てなくって、あとは、私と、美空んが教室で話してて、そこに、えっと、鳥居くんが教科書借りに来て、その鳥居くんを、棗くんが呼びに来てって、ふ、普通の、ことくらいかな」

「普通」ということを妙に強調したのが少し気になったが、まあ、ここに来て嘘を言う理由も思いつかないので、気にしないことにする。

「あ、最初に棗くんの名前を知ってたのも、それで見てたからなの。あの、それで間違えちゃったんだけど」

「ああ、そうか」

 昨日は噂でとかなんとか言っていたか。

(ん?)

そうなると、俺のことをいい人だと言ったのも、噂ではなく、愛乃がその場でそう思ったということになるのか? 広中が俺の話をするとは思えないし……。

そう思うと、なんだか妙に照れ臭くなって来た。

他意はないと思う、思うのだが、いや、意識しすぎか。

 とはいえ、何もないのなら、別にそれでいいか。

 そう思ったのだが、広中が更に突っ込んで聞く。

「それって、いつのことなの?」

 少し難しい顔をして、広中はそう聞く。何か気になることがあっただろうか。

「えっと、見た日のことなら、入学式の日だよ。未来のことなら、五月九日。日付が見えたから、確かだと思う」

「その未来には林田もいたのね?」

「う、うん」

「事故のことが見えたのは、昨日だったわよね?」

「うん」

「そう」

 何度か問答を繰り返した後、広中が考え込む。

「何だよ?」

 話が見えず、痺れを切らして、俺は広中を問いただす。

 一瞬、広中に睨まれて、怯みはしたが、別に俺に文句は言わず、一度大きくため息を吐いて切り出した。

「時系列から考えると、少しおかしくない?」

「おかしい?」

 広中の言っていることが理解出来ず、俺はそう聞き返す。

 察しが悪い俺を一瞥して、広中は気だるげに続けた。

「昨日、愛乃は林田が事故に遭う未来を見た。けど、それより前に、更に未来の光景を見ていた。そこでは、林田は無事だった」

「あっ」

 広中の説明に、愛乃が何かに気付いて声を漏らした。俺も広中の言いたいことに気付く。

「最初に見てた未来では、俺は事故に遭ってなかった?」

 俺がそう言うと、広中がこくりと頷く。

「見えた未来が変わることって、あるのか?」

「う、うん、現に、事故のことは変わってるから」

「そういえば、そうか」

 愛乃に確認を取ると、少し戸惑いながらそう答えた。

 少し考えれば分かることだ。そうでなければ、俺は今こうしていない。

「でも、一ヶ月くらいのことなら、ほとんど変わったりしないよ。断言は出来ないけど、私も、特に行動を意識するようなことはなかったから」

「ふむ」

 五月九日なら、丁度一ヶ月くらいか。

 何をして、何をしなかったかなど、愛乃にも分からないのだろう。

とはいえ、唯一未来を知っていた彼女が、何もしていないと言うのなら、未来が変わったという可能性は少ないように思える。

「事故に遭っても、それ程ひどいことにはならなかった、とか……、いや……」

 自分で言って、それは無いと考えていた。

 どう考えてみても、無事でいられるスピードではなかったと思う。

「…………」

 完全にお手上げ状態だった。そもそも、俺には判断材料が少な過ぎる。

 このことに関して、一番見識があるのは愛乃なのだろうが、その彼女にも分からないようで、口元に手を当てて、首を傾げていた。

「例えば、なのだけど……」

 問題を提起した広中自身が、自分の考えを口にする。

「愛乃が林田を助けることまで含めて、最初に見た未来には含まれていた、ということは無い?」

「う~ん」

 広中に言われて、何やら考え込む愛乃。

 恐らく、今までにも同じようなことが無かったか、考えているのではないだろうか。

「あっ、でも……」

 しばらく考えた後に、愛乃が声を上げた。

「それなら、説明がつくことがあるかも」

「何?」

 広中が更に突っ込んで聞く。

「えっと、未来でも、棗くんのこと、名前で呼んでたから。その、普段の私なら、絶対にないことだから」

「なるほど」

 俺の名前を間違えることも、含まれていたのではないか、ということか。

 そういえば、愛乃は男子が苦手だと言っていた。

 そんな彼女なら、普通は俺のことを、名前では呼ばないのかも知れない。

(それはそれで、寂しい気もするな)

 しかし、それらしい仮説を聞いても、だからどうということは無く、ただ、そんなこともあるかと、思っただけだった。

聞いた本人の広中も、それ以上何かを言いはしなかった。単に矛盾が気になっただけなのだろう。

当事者である愛乃は、何か安心したように見えた。何を思っていたかは分からないが、愛乃と俺たちとの間に、意識の差を感じて、俺もそれ以上は何も聞けなかった。

「やあやあ、皆さんお揃いで」

 その時、こちらの席に近づいて、おちゃらけた口調で、声を掛けてくる者がいた。

「集まるんなら、僕にも声を掛けてくれよ。寂しいじゃないか」

「よう、鳥居」

 近づいてきたのは鳥居だった。厚手のトレーナーと七分丈のパンツ姿だ。

「えっと、いいかな?」

「あ、う、うん」

 鳥居は愛乃に確認を取って、その隣に腰掛ける。

「ありがと。僕は鳥居翔。二人とは中学からの付き合いで、特に林田とは、同じサッカー部だった。まあ、紹介すべきことはそのくらいかな」

 席に座ると、鳥居はそう自己紹介する。

「えっと、野々山愛乃、です。えと、他に紹介すべきことは……」

 言いながら、愛乃はちらちらとこちらを見てくる。

 鳥居のことを警戒しているようにも見えるが、少し違う。

 ああ、そうか。未来視のことを話すべきか迷っているのかも知れない。

 鳥居のことを信用していない訳ではないが、愛乃が言いたくないのなら、別に言う必要は無い。

 俺は小さく首を振って、愛乃に合図を送る。

「えっと、美空んとは同じクラスで、あの、仲良くさせてもらってます」

 そう言って、愛乃は鳥居にお辞儀をする。

 なんか、結婚相手の両親に挨拶をしているみたいだな。

「あれ? 美空んって呼んでるの?」

 どうやら、広中のことを「美空ん」と呼んでいたことに、鳥居も引っかかったようだ。

「う、うん」

「へえ」

 鳥居は興味深そうに相槌を打って、広中の方を見る。

「いいでしょ、別に」

 鳥居の視線に、広中が照れたように俯く。

「ああ、君がいいんならいいんだ。そうかそうか……」

 鳥居は感慨深そうに、何度も頷く。

 まあ、意外だろうな。俺も昨日、愛乃から聞いて、驚いたくらいだ。

 中学の頃、広中のことをあだ名で呼んでいるなんて、同じ女子でも見たことは無い。「広中さん」とか、せいぜいが「美空ちゃん」とか。

 それは、広中自身が、そうさせない雰囲気を出していたからだ。 

 友達であっても、距離があるというか、俺や鳥居でも、どう思ってくれているのか。

 しかし、こうして愛乃のような友達が出来たことは、喜ぶべきことであろう。

「ふんっ」と鼻を鳴らして、広中はすねたようにそっぽを向いた。

 鳥居が涼子さんを呼んで、コーヒーを頼む。

「それにしても、よくここにいるって分かったな」

 一段落したところで、俺は鳥居にそう尋ねる。

 今日ここに来ていることは、鳥居には言っていない。話の内容から察するに、それは広中も同じだろう。家族にも言っていないので、鳥居がこのことを知る術は無かったと思うのだが。

「いや、たまたまだよ。たまたまこの店に寄ったら、たまたま君たちがここに居た」

「そうか」

「何か、僕に聞かれたらまずい話でもしてたかい?」

 そういう答え辛い質問を、何のためらいもなく聞いてくる。もっとも、そんな気遣いが必要な仲でも無いが。

「ああ、けど、もう終わった」

「そっか。じゃあ、よかった」

 鳥居は、秘密にしていることを気にかけた様子は無い。基本的に、さっぱりした性格なのだ。

 そうこうしていると、涼子さんが鳥居が頼んでいたコーヒーを持ってきてくれる。

 鳥居はそれをブラックのまま口にして、一言「美味い」と言った。

「しかし、昨日は興味ないみたいなこと言ってたのに、随分手が早いじゃないか?」

 少しして、鳥居がそう聞いてくる。

「何がだ?」

「野々山さんのこと。昨日は顔も名前も知らなかったくせにさ」

「いいだろ、別に」

 面倒なことになった。

 正直、鳥居にだけは知られたくなかった。昨日の話を考えれば、愛乃といることで鳥居が騒ぐことは、目に見えていたからだ。

「いやいや、人付き合いの苦手な林田が、女子と仲がいいだけでも驚きなのに、よりによって野々山さんだよ」

「よりによって……」

 愛乃が唖然として、鳥居の言葉を繰り返す。

「ああ、ごめん、決して悪い意味じゃないんだ。まあ、それくらい意外な相手ってことさ」

「はあ……」

 慌てて取り繕う鳥居だったが、愛乃はまだ引っ掛かりがあるのか、よくわからないような顔をしていた。

「別に、お前が思っているようなことは何もないぞ」

 鳥居をフォローするつもりは無いが、話の方向を元に戻す。

 こいつの言いたいことは分かる。

 確かに、俺は人付き合いが得意な方ではないし、女子とも特に用がなければ、こちらから話すことは無い。そんな俺が、男子の人気学年一位(鳥居調べ)という愛乃と仲良くなった。鳥居からすれば、随分面白いだろう。

「愛乃とは、図書室でちょっと手伝っただけで、まあ、他にもいろいろあったが、お前から話を聞いたからとか、そういうことは全く無い」

「その『いろいろ』が気になるんだけど、まあいいや。言いたくないんなら聞かないよ」

 そのあたり、あっさりと引き下がってくれるところが、正直助かる。

 異例なことがあったことは認める。愛乃の話を聞く限り、未来視のことが、きっかけの一つになったことは否めないし、今日その秘密を知ったことで、結果として、距離が縮まったと言えなくもない。

しかし、それが無かったとしても、愛乃とは仲良くやっていけそうな、手応えのようなものを、俺は感じていた。

愛乃自身、人当たりはいい方だと思うし、きっかけさえあれば、誰とでもすぐに仲良くなってしまうだろう。別に、俺だけが特別なわけではない。

「あの、棗くん」

 愛乃が横から口を挟む。

「私の話って、何?」

 彼女にそう聞かれて、俺は頭が痛くなるような思いがした。

「ん? ああ、それは、だな……」

「あ、男の子が苦手っていう話?」

 そう、昨日はそう言って誤魔化したのだが、俺が愛乃について聞いていたのはそれだけじゃない。

「ああ、それもだけど、男子に人気があるっていう話。林田から聞いてた?」

「え? あれ? ううん……」

 愛乃がきょとんとして、首を横に振る。

話の流れで、俺から聞いていると思っていたのだろう。鳥居はそのことに、意外そうな顔をしたものの、すぐに話を進めた。

「野々山さんは、僕たち一年男子の間では、結構人気あるんだよ。だから、林田もお近付きになりたかったんじゃないかと思ってね」

「そうなの?」

 鳥居に言われて、今度は俺の方に、愛乃は質問を投げかけた。

「だから、違うって言ってるだろ」

 いい加減うんざりとして、俺はそう答える。

「そもそも、入学してまだ一ヶ月も経っていないんだぞ。そのデータも当てにできるかどうか」

 正直、愛乃のことは、かなりかわいいと思う。しかし、人気一位というのはどうにも大げさに思える。

 広中だって、愛乃とは別のタイプだが、かなりの美人だ。昨日鳥居が挙げた中に入っていないことに、違和感を覚えるほどには。

 いや、人気というからには、容姿だけではないのか。

 こう言っては何だが、広中は少々性格に難があるからな。悪い奴ではないのだが、向こうから心を開いてくれるのに、少し時間がかかり過ぎるのと、物言いのキツさから、普通は二・三度話しかけただけで、心が折れてしまう。

 比べて愛乃は、男子に苦手意識があるせいか、すこしおどおどした印象を覚えるが、話してみると普通にいい子だし、人気がありそうというのも分からなくはないか。

「野々山さんはどうだい? 何か心当たりとか無いかい?」

「心当たり?」

「うん。例えば、告白されたとか、そういうエピソードは?」

「えっと、何度か」

「ふむ」

 愛乃の回答を受けて、鳥居は何か考え込むような仕草をする。

 何度か、か。まあ、一度や二度ではなさそうだが、一度もそういう経験のない俺からすれば、人気があることの根拠としては、十分過ぎるくらいだ。

「翔も、愛乃に興味があるの?」

 不意に、広中がそう尋ねる。

「ん? まあ、たしかに興味はあるけどね。心配しなくても、僕は美空一筋だよ」

鳥居にそう言われて、広中は「ふんっ」と鼻を鳴らして、そっぽを向く。

鳥居は、中学の頃から、広中に好意を寄せている。

本人もそれを隠すつもりは無いらしく、ことある毎にアプローチを掛けているのだが、毎回すげなくあしらわれている。

 広中の方も満更ではなさそうなのだが、本当はどう思っているのか、俺は聞いたことが無い。

 そんな二人の様子を、愛乃が興味深そうに見ていた。機会があれば、今度教えてやろう。

「ところで、みんな、明日の予定って、どうなってるかな?」

 話が一段落したところで、鳥居がそんなことを言い出した。

「明日は、私は予定があるから」

 そう言った広中に対して、「そっか」と残念そうに、鳥居は声を漏らした。しかし、鳥居はすぐに表情を明るく切り替えて、口を開く。

「じゃあ、来週の日曜日はどうかな?」

「まあ、今のところ、予定は無いけれど」

「俺も、別に予定は無いな」

 広中が言うのに合わせて、俺もそう言う。

「うん。林田はそうだと思っていたよ」

 鳥居は当たり前だ、と言うように、声をあげて笑う。

 いや、今回はたまたまそうだっただけで、毎回そうだという訳ではないのだが。もっとも、予定があることが稀なのも事実だが。

 言うだけ無駄なので黙っていると、鳥居は俺から愛乃の方へ視線を向けた。

「野々山さんは、どうかな?」

「え? 私も?」

 愛乃は予想外だったようで、そう聞き返す。

「もちろん、美空と、まあ、林田の友達だからね。僕も友達になりたいな、って思ったんだけど、駄目かな?」

「え? えっと、その、私からも、お願いします」

 律儀にそう言って、愛乃は頭を下げる。それを確認して「じゃあ、よろしく」と、鳥居も頭を下げた。そして、互いにお辞儀を繰り返す。

 すでに息が合っているようにも見えるが、逆に息が合っていないようにも見える。

「それで、予定の方はどうかな?」

「あ、うん、私も、大丈夫だよ」

「よし、イエーイ」

 愛乃の答えを聞いた鳥居は、ハイタッチを求めて手を挙げる。愛乃は少し戸惑いながらも、「い、イエーイ」と、それに応じた。

 鳥居が人に取り入るのが上手いのか、それとも、愛乃が受け入れるのが早いのか、今日初めて話したとは思えないほど、仲良くなってしまった。

「それで、何なんだよ?」

 一向に話が進まないのにしびれを切らして、俺はそう尋ねる。

「ん? ああ、今年も、花見をしようよ」

 鳥居の言葉を聞いて、俺は「ああ」と思い出した。

 今年も、この季節が来たか。しかし、

「花見って……」

 言いながら、俺は窓の外に目を向ける。それに釣られて、他の三人も同じように、窓の外を見る。

 そこからは駅前の広場を見渡すことが出来るが、その周りに植えられた桜の木は、もうほとんど花を散らせてしまっている。

ここだけではない。ここに来る途中にも、何度となく桜の木を目にしたが、どれも似たようなものだった。おそらく、週末までは持たないだろう。

「いつも思うんだが、もっと早くにやろうとは思わないのか?」

 鳥居の企画する花見は、いつも桜の終わる時期に行われる。

 最初にそれをやろうと言い出したのは、中一のとき。まだ出会って間もない俺と広中を誘って、ほとんどなし崩し的に、桜の見れない花見を行った。

 花見と言うのが、辞書に何と書いてあるのかは知らないのが、桜が咲いていないのなら、花見とは言えない気がする。

 鳥居はそれを見て困ったような顔をするが、それも一瞬のことで、すぐにいつものにやけ顔に戻った。

「そうなんだよね。最初がそうだったからかな。いつもこの時期になると思い出すんだ」

 特に悪びれる様子もなく、鳥居はそう言った。

 鳥居にとっては、最初の一回も、その後の二回も、そして今回も、突然の思い付き程度のことでしかないのだろう。だから、桜も終わる直前になってからでなければ思い出せないのだ。

「あの、それなら……」

 鳥居のせいで落ち込んでいた空気の中、口を開いたのは愛乃だった。

「うちの近くの公園はどうかな? 今もまだ、結構桜咲いてて、週末まで咲いてると思うから」

 それを聞いて、鳥居はパチンと指を鳴らした。

「よし、じゃあそこで決まりだ」

「ふぇっ? そんな簡単でいいの?」

 特に考えることもせずに決めてしまう鳥居に、愛乃は戸惑いの表情を見せ、確認するように、俺と広中を交互に見た。

 鳥居の勝手には慣れている俺は、「問題ない」と手を振り、それを見た広中もコクリと頷いた。

 それでも、愛乃は心配そうな顔をしていたが、既に、鳥居の心は決まってしまったらしかった。

「桜が咲いているのなら、それ以上の条件は無いさ」

 桜も無いのに花見をしようと言っていた男が、何を言うか。しかし、言うだけ無駄なので、何も言わないでおく。

「野々山さんって、麻野中出身だったよね。じゃあ、そっちの方かな?」

「うん、そうだけど。何で知ってるの?」

「ああ、友達に、同じ麻野中の奴がいるからね。藤原って、知ってるだろ?」

「うん、二・三年のとき、同じクラスだったよ」

 藤原は、俺と鳥居と同じクラスの男子だ。鳥居と同じか、それ以上のお調子者で、二人して絡んでくると、騒がしいことこの上ない。

 鳥居が愛乃のことを聞いたのも、藤原からだろうが、愛乃からそれ以上情報が出てこないところを見ると、そう親しいわけではないらしい。

「よし、じゃあ、詳しいことは、また連絡するよ」

 一応、予定が空いているというだけで、誰も行くとは言っていないのだが、鳥居の中ではそれは同じことなのだろう。もうすっかり決まったつもりで話を進めた。

「じゃあ、私はもう帰るけど、愛乃はどうするの?」

「あ、えと、じゃあ、私も……」

 広中が席を立ち、愛乃もそれに続く。

「あ、じゃあ、僕たちも行こうか」

 女子二人に続いて、俺と鳥居も席を立つ。

 しかし、鳥居の言い方では、俺たちが一緒に行動するように聞こえるのだが、俺の気のせいだろうか。

「ありがとうございました~」

 会計を終えて、涼子さんに見送られながら、店の外に出る。

「じゃあ、また……」

「ああ、またな」

「またね、美空」

 広中が言うのに合わせて、俺と鳥居は手を挙げて別れの挨拶を交わした。

「愛乃、少し、二人で話せるかしら」

 別れ際に、広中が愛乃に呼びかける。

「うん、いいけど、ちょっと待ってて」

 そう言って、愛乃は俺と鳥居の方へ駆け寄る。

「あの、棗くん、ありがとね。ほんとに」

「いや、いいって」

 そう何度も礼を言われるようなことではないと思う。いや、それだけ愛乃にとって、重要なことだということか。

 まだ俺は、愛乃のことを何も知らないのだと、改めて痛感した。

「じゃあ、また月曜日に、えっと、鳥居くんも」

「ああ」

「うん、またね」

 挨拶を交わして、愛乃は広中とともに、駅の方へと去っていく。

 その後ろ姿を見送って、鳥居が口を開いた。

「いい子だね。野々山さん」

「そうだな」

「美空とも、上手くやってるみたいだし」

「ああ」

 鳥居の言葉にそのまま同意する。

 実は、広中との付き合い方について、中学の卒業前に、鳥居と話したことがあった。

 広中に同性の友達がいないことを、鳥居が気にかけてのことだった。

「美空は気にしてないかも知れないけど、いざというとき頼れる相手が僕たちだけ、っていう状態は、よくないと思うんだ。女の子同士じゃないと、話し辛いこともあると思うしさ」

 たしか鳥居はそう言っていた。

 それに関しては、俺も同じように思っていた。

 広中は、もともと誰かに頼る方ではない。付き合いだけは長い俺だが、頼られたことは無い。誰かに頼るところすら、俺は見たことが無かった。

だからといって、何でもできるという訳ではない。広中だって人間だ。

 何かあったとき、頼れる者がいた方がいい。俺や鳥居で出来ることがあれば、協力は惜しまないが、女子同士の方が都合のいいこともあるだろう。

「実はさ、高校に入ったら、いい感じの女の子を、美空に紹介するつもりだったんだ。けど、そんなことするまでもなく、入学早々、野々山さんと友達になってて、ちょっと驚いたよ。まあ、それでも心配で、僕なりに野々山さんのことを調べもしたけどね」

 ああ、それで女子の人気ランキングみたいなものを作っていたのか。

 俺の中で、鳥居の行動が繋がる。

 あのランキングは、愛乃のことを調べるのと、広中の友達探しの副産物か、いや、調査のカモフラージュとしてのランキングというのが濃厚か。鳥居は頭は悪くは無いが、不器用だからな。

「まあ、ともかく、これで一安心かな」

 本当に、安心した、という表情で、鳥居が言う。

「『美空ん』は、さすがに驚いたけどね」

 そう言って、鳥居は笑った。

 それがとても嬉しそうに見えたのは、広中と愛乃のことが、自分の予想を超えて、いい結果になったからだろう。

「そうだな」と、俺も同意する。今日の二人を見ていても、いい関係であることは、誰の目にも明らかだろう。

 と、それに対して、「ははっ」と、声を上げて鳥居に笑われてしまった。

 一体何がそんなに面白かったのか、と思っていると、俺がそれを聞く前に、鳥居の方から口を開いた。

「呼び名に関しては、林田たちの方にも驚かされたよ」

 鳥居の言葉に、少し面白くないような感じがする。

「まさか、君らまで、名前で呼び合ってるとは思わなかったよ」

「ほっとけよ」

 鳥居に面白がられているのが、どうにも気に入らない。もっと普通に聞いてくれれば、普通に答えるのだが。いや、俺が意識し過ぎなのか。愛乃とのことを茶化されるのに、過敏になり過ぎているのかも知れない。

 しかし、目聡い。今日、鳥居の前で、互いの名前を呼んだことなど、そう何度も無かったと思うのだが。

「別に、面白いことは何もないぞ。切っ掛けは、互いの名前の間違いだしな」

 それだけで、鳥居は事情を察したようで、面白くなさそうに、「ふうん」と声を漏らす。

 鳥居自身、俺に対して「苗字みたいな名前だね」とのたまったことがあるし、それに、俺が人の名前を覚えるのが苦手だ、ということも知っている。

 同じく苗字のような名前の愛乃との間で何があったのか、想像は容易いだろう。

「なんか、林田だから起きたイベントなんだろうけど、それ程特別なイベントでもないよね。まあ、これからに期待かな」

 別に、鳥居の期待するようなことは、何も起きないと思うのだが、言うだけ無駄なので何も言わず、俺は話題を変える。

「で、どうする? ゲーセンでも行くか?」

「ん? そうだね。久々に峠を攻めるかい?」

 そう言って、鳥居はハンドルを切るような仕草をする。

 鳥居は、峠の走り屋を描いた漫画と、それを基にしたレーシングゲームに凝っていて、

俺とゲームセンターに行くと、よく誘ってくる。俺はそれほど得意ではないのだが、付き合っている内に、それなりには出来るようになった。

 実のところ、俺は未だに鳥居に勝ったことは無いが。

「いいぞ。今日は勝てる気がする」

 冗談めかしてそう言うと、鳥居はまたも声に出して笑う。

「ははっ、そう簡単に勝たせてあげるつもりはないけど、まあ、期待しておくよ」

 そう言い合って、俺たちはその場を後にした。


 ☆ ★ ☆


 夜。ご飯を食べて、勉強して、お風呂に入って、明日の準備をしながら、この二日間のことを振り返る。

 昨日今日といろんなことがあった。

 ちょっと考えられないくらい濃密で、正直、かなり疲れた。出来るなら、もっと小分けにして欲しい。

 それでも、今日はいい一日だった。それは間違いない。

 棗くんと美空ん。私の秘密のことを理解してくれる友達が二人も出来た。

「ありがとね」

 棗くんたちと別れたあと、駅の構内で美空んにそう言われた。

 何にお礼を言われたのか分からなくて、思わず聞き返すと、美空んは少し恥ずかし気に、こう続けた。

「林田のこと、その力のおかげで助かったんでしょ? あんな男でも、一応、友達だから、ありがと……」

 後半は不服そうに、ムスッとした表情で、美空んは言った。

 それがなんだか可笑しくて笑うと、それに怒った美空んに叩かれそうになった。

 こうして、一日に二人も、自分のことを理解してくれる友達が出来たのは、とても幸運で嬉しいことだった。

 今まで、私自身隠そうとしてきたこともあるが、話しても大丈夫、また、聞いて欲しいと思えたのは、今日が初めてだったのだ。

 もちろん、誰にでも話せるという訳ではないが、そういう気持ちに変化を与えてくれたのは、他ならぬあの二人だろう。

 それから鳥居くん。

 二人の友達だからと言って、未来視のことを話せるかと言うと、そうではない。悪い人ではないとは思うけど、私自身、今日初めて話をしたのだ。正直、まだ心を許せていないところはあった。

 今週末、お花見をするのだし、これから先、仲良くなるチャンスはいくらでもある。その上で聞いて欲しいと思えたのなら、そのとき話せばいい。

 これが今の私の精一杯だ。

 花見といえば、今日の帰りに、ちょっと気になって件の公園を見に行ったのだが、私の考えていた通り、まだ桜が結構咲いていた。あの分なら、週末まで残っているだろう。

 と、そのときだった。

 突然、視界がブレた。

 視界にノイズが掛かり、自室の風景から別の風景へと切り替わる。

 次の瞬間、私は屋外にいた。

 空はまだ明るいが、少し陰り始めている。

 その場所には見覚えがある。今日も学校帰りに見てきたところだ。

 まさに、週末に花見をしようと約束した、あの公園だった。

 私は一本の桜の木の下に腰掛けていた。

花はまだ咲いている。今日見たときよりも散っているが、まだ見れる程度には残っていた。

そして、そこに腰掛けているのは私だけではなかった。

「いやー、それにしても、やっぱり花見ってのはいいもんだね」

「まともに花を見たのは、今回が初だけどな」

「まあ、翔にとっては、こうやって集まるのが目的でしょうから、それは問題では無いんでしょうけど」

「ははっ、さすが美空。僕のことをよく分かってるね」

 そう言いあうのは、鳥居くんと棗くん、それから美空んの三人だった。

 桜の木の下にレジャーシートを広げ、お菓子とジュースを囲んで四人で団らんしている。

 どうやら、今見ているのは今週の日曜日、花見のときの様子らしい。

 だとしたら、長居は無用だ。桜が咲いていることは確認できたのはよかったが、これでは当日の楽しみが減ってしまう。

 私はそっと目を閉じる。その瞬間だった。

「きゃああああああ!」

 突然聞こえた悲鳴に、私は再び未来に意識を戻した。

 四人ともその悲鳴が聞こえた方へ顔を向ける。悲鳴が聞こえたのは私の後ろ側。周囲の人も何事かと、次々と同じ方向を振り返る。

 その視線が集まるところ、公園の入り口付近で起きていた異変を、私の目が捉える。

 (うずくま)る一人の女性と、その(かたわ)らにたたずむ一人の男性。

女性はお腹を押さえ、苦しそうに呻いている。そして、その足元に敷き詰められたタイルが、赤く染まっているのを見て、私は目を疑った。

「え?」

 私の意識と、私の口から、同時にそう声が漏れた。

 血だ。

 それを認識した瞬間、私の頭の中はパニックになった。


何で?

どうして?

何?

何?

わからない。

何で?

何で?

何で?


動揺しながらも、その原因を突き止める。

女性の側に立っていた男――迷彩柄のパーカーのフードを目深に被っているので、はっきりとは分からないが、体格が棗くんと同じくらいなのと、フードから無精ひげが覗いていたので、そう判断した――の右手に目をやる。

そこに握られていたのはナイフだ。女性が流すのと同じ、赤い血が刃から滴り落ちていた。

「あ、ああ……」

 男がそう声を漏らす。どうやら、男の方も動揺しているらしい。脅しのつもりだったのか、それとも、今更ながらに後悔しているのか。

 その男の焦点の合っていない瞳がこちらを向いたとき、もう一度ノイズが掛かった。



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