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彼女がのぞむ未来  作者: タッキー&トシ
第一章
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第一話

 人生とは選択の連続である。

 誰が言ったかは知らないが、それを聞いたときには、成程と思ったものだ。

 と言うのも、俺にとっての一五年とは、ことごとくそういうものだったからに他ならない。

 例えば、小学四年のとき、母親に薦められて入ったサッカークラブ。俺自身はそれほどサッカーに興味はなかったが、丁度、四年に一度の世界大会の年と重なり、世間がサッカーブームだったこともあって、母親に言われるがまま、半ば強引に入ることになったのだった。結果として、中学まで続けてきたサッカーだが、辞めたいと思ったこと、そもそもやらなきゃよかったと思ったことも何度かある。

 もし、サッカーを始めなければ、途中でやめていたなら、俺はどうしていたのだろう。

あるいは中学に入ったばかりのとき、「親睦を深めるために花見をしよう」、と誘われたときのこと。特に断る理由も無かったので、同行したのだが、もし断っていれば、その後三年間にわたって、その男に煩わされることはなかったかも知れない。

そして今日、ついさっきのことだ。

 午後一の体育は男子と女子に別れ、俺たち男子は陸上競技ということで、一〇〇メートルのタイムを二人ずつ計っていたのだが、俺はスタートで大幅に出遅れてしまった。

 理由は明白。直前で下らないことを考えていたせいだ。

 選択とは少し違うかもしれないが、時を選ぶということもあるはずだ。

 と、まあ、このように、思い返してみれば、ああしていれば、ああしなければと思うことがいくつもある。

 いや、きっと誰にでもそういうことはあるのだろうが、自分の場合にはそれが特に多いような気がしていたのだ。それこそ、誰でも同じなのだろうが。

 計り終った生徒たちは、適当に腰を下ろして休憩している。

入学式から早二週間。オリエンテーション合宿も経て、クラス内のグループにも、「お決まり」というものが出来てくる。

同じ中学のグループ。別の中学のグループ。あるいは、両方混ざったグループ。不良で知られるグループに、アニメ好きのグループ。――etc(エトセトラ).

それらのどのグループにも混ざらず、いや、全てのグループに顔を利かせて、行ったり来たりしている男が一人いた。

短髪をワックスでツンツンに立てた、へらへらした笑みを浮かべた男子。

名前は鳥居(とりい)(しょう)と言った。

鳥居は俺に気付くと、他のグループには目もくれず、一直線に近づいてきた。

「どうだい、林田」

 俺の肩に手をかけて、鳥居が言う。

 そのまま促されるように、俺はその場に腰掛ける。

 鳥居とは中学からの付き合いだ。同じサッカー部員で、何を隠そう、花見に誘ってきた張本人でもある。

しかし、なんだかんだ言いつつ、気はよく合う方だった。高校入学から二週間が経つが、鳥居といるだけで、中学とあまり変わらないような、そんな気すらしてくる。

「微妙だな。スタートで少し遅れた」

 そう言うと、鳥居はハハッと笑って、隣に腰掛けた。

「まあ、後でもう一回計るらしいから、次は気を付けるんだね」

「そうだな」

 へらへらと笑う鳥居を見るだけで、疲労が増すような気がした。

 この上機嫌な様子では、鳥居の方はベストを尽くせたのだろう。

「僕もスタートはイマイチだったからね、次は頑張るよ」

 そうでもないようだった。

 鳥居はいいときでも悪いときでも、笑顔を絶やさない。というと聞こえはいいが、単に能天気なだけだ。

 鳥居の場合、何があっても、なんとかなる、なるようになる、で全て済ませてしまう。それでいつも怒られていたりするのだが、中学の三年間治らなかったものなので、恐らく今後もそのままなのだろう。

「女子は走り高跳びか」

 トラックを挟んで向こう側を眺めて、鳥居が言う。俺もそちらを見ると、女子が一列に並んで、バーを飛び越えるべく順番に駆けていくのが見える。

 ちなみに、体育は二クラス合同で、今の時間は、俺たち一組と隣の二組が一緒に授業をしている。

 そのため、初めて見る生徒も多くいた。

「この学校ってさ、かわいい子多いよね」

「そんなこと言ってると、またあいつがうるさいぞ」

「いやいや、美空よりいい子はなかなかいないよ」

 広中美空は、俺や鳥居と同じ中学出身の女子生徒だ。

 同じ星成高校に通う以上、また付き合いもあるだろう。

「でも、別に美空とは付き合ってるわけじゃないから、どうということはないんじゃないかな」

 鳥居は笑ってそう言った。

 実はそんなつもりもないだろうに、よく言うものだと思う。

「林田の方こそ、誰か気になる子とかいないのかい?」

「気になる子?」

 俺は女子の方に目を移す。

 気になる子、と言われても、棗はあまり恋愛感情というものがよくわからなかった。言葉の上ではわかっているつもりだが、そういう体験をした記憶は無い。

 例えば、中学のとき。仲のいい男子の間で、何組の何とかという女子がかわいいとか、こっちの子は性格がいいとか、そういう話で盛り上がることはあったし、共感もしていた。しかし、それだけだ。付き合いたいとか、そういう風に思ったことはない。

白石(しらいし)さんとか、林田の好みのタイプかと思うんだけど?」

「すまん、名前と顔が一致せん」

「ははっ、君はホントに名前を覚えるのが苦手だね。白石花梨(かりん)。我がクラスの委員長くらい、覚えておいてあげなよ」

 鳥居に言われて、ああ、と思い出す。

 いつも髪をお下げにした、かわいらしい感じの女の子だ。

「真面目で、思いやりのある子だよ。人のやりたがらないことを進んでやってくれて、同じ中学の奴の話じゃあ、大抵の頼み事は、軽く引き受けてくれるらしいよ」

 どこから仕入れたのか知らないが、鳥居は得意気にそう言った。

「押し付けられてるんじゃないのか、それは」

 俺の印象では、あまり気の強そうな感じではなさそうだった。委員長に決まったのも、友人に薦められるまま、断りきれずに決まっていたように思う。

「それがそうじゃないみたいだよ。本人にも聞いてみたけど、頼られるのが好きなんだって。委員長だって、本当に嫌だったらちゃんと断ってるってさ」

「へえ」

 確かに、推薦を受けながらも、最後には自分で手を挙げていた。それに、委員長だって面倒なだけの仕事ではない。文化祭などのイベントでは、中心になって進行をすることになるだろうから、充実した学校生活を送りたいのなら、魅力的な役職ではある。内申点も上がるだろうし。

「そんな子だけに、抱え込んじゃうことがよくあるみたいだよ。ときどき危うい感じがするから、守ってあげたくなるんだってさ」

「成程ね」

 頼られるのは好きだが、自分が頼るのは苦手な訳か。

「ああいう守ってあげたくなるような子、林田は好きだろ?」

 そんなこと、俺は一言も言った覚えはないのだが、うんざりとして答える。

「嫌いなタイプじゃない。けど、まともに話したことなど無いからな」

「成程ね。じゃあ、藤崎(ふじさき)さんは? 同じ中学だし、話も合うでしょ」

 藤崎は、中学時代は同じサッカー部のマネージャーをしていたこともあって、仲良くしていた子だ。いつもポニーテールを振り乱し、元気が取り柄という表現がぴったりな女子だった。

「話は合うが、付き合いたいとか思ったことはないな」

 そもそも、藤崎は誰とでもよく話すタイプなので、棗と特別仲が良かったわけではない。むしろ、棗とは話すことは少ない方だったと思う。事実、高校でクラスが離れてしまってから、彼女とはまだ一度も話したことがない。

「ふうん、まあ、いいけどね。ちなみに、僕のリサーチでは、白石さんと藤崎さん、それに、二組の野々(ののやま)さんも入れて、この三人が一年の三大美女だね」

「へえ」

 いつの間にそんなことをしていたのか、疑問は残るが、なんとなくその調査結果を分析する。

 てっきり、そこに広中も入って来ると思っていた。贔屓目を無しに見ても、彼女はトップクラスの美人だ。その広中が入らないのは、鳥居なりに、何か思うところがあるのか。あるいは、美人過ぎて、逆に避けられているのか。

「二組の……何だっけ?」

「野々山さんだね。気になるのかい?」

「いや、顔を確認したいだけだ」

 知らない子だからな、と続けると、ふうん、と、鳥居は面白いものを見るような顔をしていたので、俺はその肩を軽く小突いてやった。

 少し大げさに痛がってから、鳥居は女子の方をキョロキョロと見回す。

「ああ、丁度今から跳ぶとこだね。ほら、あの子だよ」

 鳥居の指差す先、一人の女子生徒を俺も見る。

 肩に当たるか当たらないかくらいの、短い髪の小柄な女の子。

 バーの高さがいくらかはわからないが、彼女は綺麗なフォームで跳躍し、そして見事に引っ掛けて行った。

 俺も中学のときに経験があるが、体は越えても、足は上手く上がらないものだ。

 その様子を見ていると、鳥居が解説を始めた。

「野々山愛乃(よしの)。小動物的なかわいさで男子の人気も一位。どうだい、気に入ったかい?」

 どうも鳥居は、そっちの方向に話を持っていきたいらしい。

「まあ、人気があるというのはわかる気がするな」

「でもあの子、大の男嫌い、って言う噂だよ。そこに惹かれる奴もいるみたいだけどね」

「自分は大丈夫だってか?」

 余程の自信家だな、そいつは。

「まあ、今まで誰も例に漏れることなく、記録を伸ばし続けてるらしいよ」

「そいつは結構なことだな」

 いったい何人玉砕したのか、鳥居がはっきりと言わないのは裏が取れていないのか、尾ヒレがついて、とんでもない数字になってしまっているのか、何にせよ、鳥居はよくわかっていないことは言わない奴だ。

「差し当たっては、この三年間でその記録が途切れることがあるのか、それだけが楽しみだね」

「もうちょっと実のある学校生活を送ろうぜ」

 一人の女子高生の恋愛事情に密着するより、部活に精を出すとか、鳥居の方こそ、意中の相手と仲を深めるとか、もっと有意義な時間の使い方があるだろうに。



 ホームルームを終え、皆が続々と教室を後にしていく中、鳥居に声をかけられる。

「今日はどうする? どっか部活でも見ていくかい?」

「いや……」

 特にやることがある訳でも無いので、本当ならすぐに帰るつもりだったのだが、生憎と、外は雨が降っていた。体育の後少ししてから、急に降りだしたのだ。

 聞くところによると、降水確率は五〇%だったらしいのだが、家を出るときは晴れていたので、俺は傘を持って来ていなかった。

「傘なら持ってるよ。入っていくかい?」

「いい。男の傘にお邪魔する趣味はない」

 差し出された折り畳み傘を、手で制する。

 そんな小さな傘、鳥居と入ってられるか。もっとも、大きさの問題でもないが。

「図書室で、止むか弱くなるまで待ってるよ。お前は先に帰っていいぞ」

「ふうん、じゃあ、そうさせて貰おうかな。林田も、遅くならないうちに帰りなよ」

 そう言って、鳥居はショルダーバッグを肩にかけ、教室を後にする。俺もその後に続いた。

「鳥居は、部活はどうするんだ?」

 昇降口に向かう途中、鳥居にそう聞く。

「う~ん、特に決めてないけど、やっぱサッカー部かな。他にやりたいことも無いしね。今度見学にもいくつもりだよ。林田もそうだろ?」

「そうだろ、ってのは、サッカー部に入ることを言ってるのか? それとも、他にやりたいことが無いことを言ってるのか?」

「じゃあ、大穴で、今度見学に行くことかな」

 鳥居は大きく笑ってそう言った。

 そのニヤケ顔、一度思い切り殴ってやろうか。

「冗談だよ。でも、実際さ、どれにしても合ってるんじゃないかい?」

「そう思うか。じゃあ、順番に答えてやる。入るつもりだ。勝手に決めるな。見学にも行く」

 鳥居のへらへらした態度に、少し熱くなってしまったのを自分でも感じる。それにしても、他にやりたいことがあると、言えないことが悔やまれた。

 しかし、鳥居の方はそれを気にした様子もなく、話を続けた。

「ほら、だいたい合ってたじゃないか」

 そう言って笑う。

「でも、よかったよ。林田が入らないんなら、僕のモチベーションは半減だからね」

「そんなことはないだろ」

 鳥居は人当たりもいいし、サッカーも上手い。俺がいなくとも、上手くやっていけると思うが。

「そりゃあ、上手くやってく自信はあるよ。でも、モチベーションとなれば別の話さ。重要なのは面白いかどうか。その点に関しては、君以上の面白さは見出せないね」

「何だそりゃ」

 面白いという言葉に見合う活躍をした覚えはない。日常生活はもちろん、サッカーでならもっとだ。

「自分じゃわかんないかもね」

「はあ」

 どうにも納得いかないが、鳥居は詳しく話す気はないらしく、陽気に鼻歌を歌って歩を進めた。

「それじゃあ、また明日」

 生徒玄関に着くと、鳥居が手を振る。

 目立つからやめてほしいのだが、俺は右手を挙げてそれに応えた。

 鳥居が玄関を出るのを見送ってから、俺も図書室に向かう。歩き出してすぐに、ふと思い出した。

(明日は土曜か……)

 まあ、何か約束していた記憶はないので、単なる間違いだろう。

 俺は特に気にすることも無く、図書室へ向かった。



 図書室には、以外にも多くの生徒がいた。

 この知性の領域に、こんなにも足を踏み入れる人間がいるとは、この学校には、勤勉な人間が多いものだ、と思ったが、仕方なくここに来ることになった間抜けのことを思い出し、一種の仲間意識のようなものを感じた。

 適当に一冊の本を手に取り、空いている席に座る。

 選んだのは、少し前に話題になったミステリー小説だ。

 なんとなく気になってはいたのだが、今まで読めずにいたものだった。

 読み始めると、これがなかなか面白い。

 とある高校生が、周りで起きた怪事件を解決するというもので、事件と言っても殺人などではなく、日常で起こる少し不思議なことくらいなものだ。

 そういう刺激のある高校生活を期待しないでもないが、しかしながら、そういう不思議に、とことんまで踏み込もうという気概は俺にはなく、また、その手の事象に巻き込んでくれる友人もいない。

 鳥居なら何か持ってくるかもしれないが、俺は面倒だと突っ撥ねてしまうだろう。義理立てするほどの何かがあれば別だが、鳥居相手ならばその程度だった。

 もう一人、頼まれれば断りきれないだろう、という人物もいるが、今度はそいつから頼まれごとをされる場面を想像できなかった。

 どうやら、俺がこの小説の主人公みたいな働きをすることは、当分なさそうだ。


 ――バタバタバタ。


 一〇分くらい経っただろうか、一章を読み終えたところで、何かが崩れ落ちるような音がした。

 音の方に目を向けると、すぐ近くで、一人の女子生徒が倒れている。更に、その周りには大量の本が散らばっていた。

 さっきの音は、その本が落ちた音だろう。

 恐らく、本を運ぶ途中で、バランスを崩して転んだのだ。

「大丈夫か?」

 とっさに、声を掛けると、女生徒が顔を上げて答えた。

「うん、大丈夫だよ」

 目が合う。

 肩に当たるか当たらないかくらいの、短い髪の小柄な少女。制服のリボンの色が赤いので、同じ一年生だとわかる。

 しかも、彼女の姿には、見覚えがあった。

 体育のとき、鳥居が話していた、一番人気とかいう女子だ。

 遠くで見ていたときは気付かなかったが、左目の下のホクロがあるのが特徴的だった。

 名前は、確か……、ヨシノ。そう、ヨシノ何とかさんだ。

「ヨシノ、さん、だよな」

 思わず、口に出してしまう。

 それを、自分に聞かれたのだと、思ったのだろう。何やら思案顔で、ヨシノさんは口を開いた。

「え? うん、そうだけど……えっと、何で、名前……」

 そう聞かれて、しまった、と思う。

 恐らく、話したことも無い相手に名前を呼ばれて、不審に思っているのだろう。

「ああ、その、噂になってたから」

 と、少ししどろもどろになりつつも、俺は何とか言い訳をする。

 その言い訳すらも、間違いだったと気付いたのは、その直後だった。

「はあ、えっと、どんな?」

 まさか、学年で一番人気だとか、そんな俗っぽいことを言う訳にもいくまい。しかし、他に何かあるとすれば。

「大の男嫌いだとか」

「ああ、そう、なんだ」

 ヨシノさんは少し複雑そうな表情をするが、特に何も言わずに、いそいそと本を拾い始めた。

俺もそれを手伝う。

さて、この拾った本はどうするべきか。

「これは、どうするんだ?」

「えっと、返却された本だから、元の場所に戻そうと思って。その、図書委員だから」

 成程、ヨシノさんは図書当番だったのか。

 それにしても、持てなくなる程、一度に持たずともいいだろうに。

「手伝うよ。大変だろ」

「え、でも……」

「まあ、ここまでしといて、そのままっていうのも、少し気が引けるからな」

 持ちきれなくて落としてしまったヨシノさんに、それをあっさりとそのまま預けてしまえるほど、俺は図太い神経をしていない。

 それに、乗りかかった船ということもある。

しかし、図書委員としての仕事を押し付けるのは気が引けるのか、ヨシノさんは少し戸惑うようにしていたが、やがて観念したように口を開いた。

「じゃあ、お願い」

「うん、了解」

そう言って、俺はヨシノさんから本をいくつか受け取る。本当なら男である俺の方が多く持つべきなのかも知れないが、それでは図書委員であるヨシノさんの方が、立つ瀬がなくなってしまうだろうと思い、丁度半分くらいのところで折り合いをつけた。

作業中、考えていたのはヨシノさんのこと。

顔は確かにかわいい。体格も小柄で、性格も真面目そうだから、人気があると言うのはわかる気がする。

しかし、付き合いたいかと聞かれると、どうも違う。

まあ、ああいう子と付き合うのなら、文句はないだろうが、もし彼氏がいるとしても、特にショックは受けないだろうとも思う。

(何考えてんだか……)

 鳥居のせいで妙に考え込んでしまったが、気を取り直して作業に戻る。

途中、近くに来たヨシノさんが、こんなことを言い出した。

「ホントは、嫌いって言うより、苦手なんだよね」

「…………?」

「あ、えっと、男の子が嫌いって話」

 俺が何のことを言っているのかわからずに黙っていると、ハッとしてそう付け加えた。

 そこで俺も、直前に話していた内容を思い出す。

 そういえば、ヨシノさんが男嫌いという噂が流れている、と話したのだった。

「小学校のときにね、仲が良かった子に、意味もなく叩かれたり、悪口言われたりしたから、それっきり」

 ヨシノさんは、当時のことを思い出しているのか、少し陰鬱そうな雰囲気で語る。

「意味もなく?」

「うん、何でそんなことするの、って聞いたら、別に、って」

 仲の良かった男子に、叩かれた。悪口を言われたりした。それも意味もなく。

 そのことに、俺は違和感を覚えた。

 いじめられていたのだとすると、意味もなく、というのは違うだろう。

 何かしら変なところ、例えば、勉強ができないだとか、運動が苦手だとか、あるいは、変わった趣向の持ち主だったとか、そういう原因が。

 もちろん、俺がそれらを悪いと思っている訳ではなく、いじめの原因として、考えられる例を挙げているだけだ。

 また、いじめだとするのならば、そもそも、仲良くなどするだろうか。

最初は仲が良かったが、後に何かが露見して、いじめになった、というのならわからなくもないが、果たして、その場合、ヨシノの中に「仲が良かった」という印象で残るのだろうか。

その心理はヨシノ自身にしかわからないが、恐らくそうはならないだろう。

小学生のヨシノ。見たことはないのであくまで俺の想像だが、当時からかわいい子だったのだろう。そして、それを叩く男子。

「何でそんなことをするの?」と聞かれ、「別に」と答えた。

というか、誤魔化した。

(……まったく……)

 俺は大きくため息を吐く。

「ヨシノさん」

「愛乃でいいよ。なんか、年上みたいだし」

 俺としては、そこに違和感は覚えなかったが、しかし、本人がそれでいいというのならば、と言われた通りにする。

「じゃあヨシノで。その男子のことだが」

「うん」

「多分、ヨシノのことが好きだったんだと思う」

「へ?」

 ヨシノさんは、信じられない、というように、素っ頓狂な声を上げる。

「小学生くらいの男子ってのは、好きな女子にちょっかい出したくなるものなんだ」

 実際、俺にもその手の経験はあった。

 好きと言っても、恋愛感情というよりは、もっと仲良くなりたい、あるいは、構ってほしいというものだったと思う。けど、女子と仲良くしているというのが、妙に照れ臭くて、上手いコミュニケーションの手段も知らなくて、つい手を出したり、悪口を言ったりしてしまったことがある。

 その辺り女子は上手いから、分からないかも知れないな。

「ちょっとストップ」

 ヨシノが少し慌てたようにして口を開く。

「えっと、あんまりこういうこと言いたくないんだけど、一つだけ言わせて?」

「ああ、どうぞ」

「馬鹿なの?」

 呆れた表情で、ヨシノは言った。

「そんなの嫌に決まってるじゃん」

「だよな。ホント、馬鹿だよ、男なんて」

 ヨシノの言う通りだ。今考えてみれば、何であんなことをしたんだろうと思う。

 それで男嫌いになった人間が、ここに一人いるというのに。

 と、そこで俺はあることに気付いた。

「でも、ヨシノは、俺とは普通に喋れてるよな」

 男嫌いと聞いていたから、俺はもっと取っ付き難い人物を想像していたのだが、話して見れば、人当たりもいいし、ヨシノはあまりそういう素振りは感じさせない。

「えっと、一旦話し始めると大丈夫なんだけど、それまでが長いというか」

 少し困ったように、ヨシノは言う。

そう言われると、妙に納得できた。確かにそれは嫌いというよりも苦手だ。

「それに、棗くんは、なんか、初めてって気がしない、みたいな」

 少し恥ずかしそうにヨシノは言う。

よく分からないが、相性がいいみたいなことだろうか。

 しかし、気を付けなければならない。

ここで勘違いして、玉砕記録に名を残し、鳥居の楽しみに花を添える形になるのだけは、絶対に避けなければいけないからだ。

 とは言え、いきなり名前で呼ばれて、少しドキリとしたのは確かだ。

 俺の場合、男同士ならば初対面でもそうすることもあるが、相手が女子の場合は、(もっぱ)ら、名字で呼ぶことがほとんどだった。

 初対面の異性を下の名前で呼ぶというのは、ちょっと距離が近過ぎる気がするのだ。

 しかし、それよりも気になることがあった。

「あれ、名前教えたっけ?」

 ついさっき、似たような問答があったような気がするが、それは気にしないことにする。

 ヨシノに名前を教えたかどうか、その記憶が、俺には曖昧だった。

 もっとも、今更過ぎる問題であるが。

「あ、えっと、私も噂で……」

 と、何かを誤魔化すように、ヨシノはそう言う。

 しかし、それが逃げ道でないことを、棗は身を以て知っていた。

「どんな?」

 噂されていると聞けば、どういう噂なのか気になるものだと、過去の自分にも教えてやりたい。

「え、え~っと、いい、人、だね? とか」

「ほう」

 自分のことが、女子の間で、そんなふうに話題に上がってるとは思わなかった。

何だろう? 嬉しいような、少し照れ臭いような心持がする。

 それを誤魔化すためにも、俺は口を開いた。

「別に、そんなことはないと思うぞ」

 いい人、というのがどのレベルかはわからないが、正直、俺は根っからの善人って訳ではない。

「そう見えるなら、それは、俺がいい人ぶってるからだよ」

 計算でも動くし、見返りも欲しい。

 ヨシノを手伝うのだって、自分に悪い印象を持ってほしくないからだ。

 しかし、俺の言葉に、ヨシノは首を横に振る。

「ううん、そう見えるのは、それが棗くんの本質だからじゃないかな。どんなにいい人ぶったって、元になるものがなくちゃ、いい人だなんて思えないと思うよ」

 そう言って、彼女は弾けるような笑顔を見せた。

「……どうだかな」

 その笑顔が眩しくて、俺は顔を背ける。

 しかし、ヨシノの言葉に、少し、胸が熱くなるような気がした。

「ありがと、棗くん」

 片付けを終えると、ヨシノに礼を言われる。

 窓の外を見ると、雨はすっかり上がっている。いい時間潰しにはなったか。

「じゃあ、俺は帰るから」

 カバンを取り、ヨシノに付いて、受付の前で別れを告げる。

「うん、ホントに、ありがとね」

 またも礼を言うヨシノに、片手を挙げてそれを制す。

 と、その彼女の後ろから、司書の先生が声をかける。

「野々山さん」

「は、はい」

(……野々山さん……?)

 二人のやり取りを怪訝に思うのと同時に、ある記憶が、俺の脳裏に(よぎ)った。


「僕のリサーチでは、白石さんと藤崎さん、それに、二組の野々山さんも入れて、この三人が一年の三大美女だね」

「野々山さんだね。気になるのかい?」

「野々山愛乃。小動物的なかわいさで人気も一位」


 思い出したのは、五限の体育での鳥居の言葉。

 愛乃の名前を間違えて覚えていたことを知って、俺は頭が痛くなるような気がした。

 それならそうと言ってくれればいいのに、と思うが、こっちが勝手に勘違いしたのだ。それを愛乃が知るはずもない。

「もう時間だから、あなたも帰っていいわよ」

「あ、はい、わかりました」

 時計を見ると、時刻は四時を回っていた。図書委員の業務終了時間だ。

 愛乃の帰り支度を待ってから、一緒に図書室を出ることにする。

 その間に、俺の方も、読みかけの本の貸し出し手続きを済ませておく。

 司書の先生に挨拶をして、図書室を出ると、俺は改めて彼女の名前を呼んだ。

「野々山さん」

 すると、愛乃はクスリと笑って言う。

「どうしたの、急に、改まって」

「いや、何と言うか、どうも俺は、名前を間違えてたらしい」

 俺がそう言うと、ヨシノはぽかんと口を開けて、何を言っているのか分からないような顔をしていた。

少しして、ようやく理解したらしい彼女は、もう一度笑って口を開く。

「ああ~、よく苗字みたいな名前、って言われるんだよね~。なんか、いきなり名前で呼ぶなんて、正直馴れ馴れしいと思ったんだ~」

「そ、そうだよな……」

 あまりにも直球な愛乃の言い方に、俺は少しショックを受ける。

 もっとも、俺自身、愛乃に下の名前で呼ばれて、距離が近すぎる、と思ったのだ。男子が苦手という彼女なら、尚更だろう。

「あ、でも、私のことは、もう名前でいいよ。今更苗字で呼ばれるのって、なんか変な感じだし」

「ああ」

 それなら俺もそのままでいい、と言うよりも早く、愛乃が口を開く。

そして、妙なことを言い出した。

「だから、棗くんも、下の名前を教えてよ」

「……ん?」

 一瞬、愛乃が何を言っているのか、俺には理解できなかった。

 思考を巡らせ、やがて一つの可能性に辿り着く。

「林田」

「……ん?」

林田(はやしだ)棗って言うんだ。俺の名前」

「……へえ~……」

 しばし沈黙。

 そして、どうやら、彼女も自分の過ちに気付いたらしい。

「……は、林田、くん……?」

 確かに変な感じがする。

「棗でいいよ」

「……はい……」

 恥ずかしいのか、消え入りそうな声で、愛乃はそう答えた。



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