ささやかな願い
ダンジョンとは資源であり、災害であり、そして試練である。ダンジョンとそれ以外のフィールドの違いは厳密に定められている訳ではないが、一般にダンジョンと呼ばれる場所は外界と異なる独特の法則で支配される。
例えば、ダンジョンで生み出されたモンスターは死ぬ時に黒い靄になり、魔石と呼ばれるエネルギー資源を残す。死体が残らない都合上、素材を剥ぐことができないが、稀にそのモンスター固有の素材も残り、それは軒並み外界で手に入れることのできるものよりも高品質である。
ダンジョンで採れる資源は、なにも魔石だけではない。ダンジョンの個性にもよるが、薬草や鉱石、そしてアイテムなど、人の営みに欠かせない資源が眠っていることがある。ダンジョンで得ることのできるこのような資源は、自然界ではありえない速度で再生し、ダンジョンが生きている限りは安定してとることができる。このような事情から、ダンジョンは無尽蔵な資源を恒久的に提供する宝物庫として、国や一部の団体に利益を与えている。
では、ダンジョンは人にとって良いものなのだろうか?
答えは否である。ダンジョンはモンスターを生み出す。モンスターは魔石を残すが、農作物を荒し、人を襲い、時には流通を滞らせたり飢餓の原因となったりして人々を困らせる。
このように、慎重に対応することが必要なダンジョンだが、無尽蔵に生み出されるモンスターに自在に命令を出せるものがいる場合がある。ダンジョンマスターである。もしも、ダンジョンマスターが人に悪意を持っていたら最悪だ。近隣の街の住民は不安で眠れる夜を過ごすことになり、なるべくはやくそれが討伐されることを祈ることになる。
人々に資源を与え、時に災害を撒き散らす。それがダンジョンだ。
さて、ダンジョンには2種類ある。すなわち、神に創られた迷宮とダンジョンマスターが創った迷宮である。後者の迷宮は資源としての意味合いが強いが、前者、つまり神造の迷宮は試練の意味合いが強い。
“試練の迷宮”
ダンジョンの主には試練が課される。強いダンジョンを運営するダンジョンマスターほど強くあるべきという大原則の下で課される試練がこの迷宮である。
迷宮は試練を超えたものに新しい力を与える。ダンジョンを創る力、新しい眷属、そしてダンジョンマスター自身の強化。迷宮はこれらの報酬をダンジョンマスターが試練を乗り越えるごとに与える。代表的な試練は、新しい階層への到達である。
報酬は基本的には試練の難易度によって決まる。つまり、強いダンジョンを創るには試練の迷宮を攻略する必要があり、結局、ダンジョンマスター自身が強くならなければいけない。例外的に、節目となる階層、例えば1、10、100階層など、の攻略報酬も良いものが与えられるが、かなりのレアケースである。
試練の迷宮は神造迷宮の一種であるが、神が手ずから作っている訳ではない。神が定めたルール、神の摂理と呼ばれる法則にしたがって、ダンジョンマスターにあった迷宮が自動的に生成される。例えば、試練の迷宮のモンスターはダンジョンの主と逆の性質を持つものが多い。そして、モンスター間の争いや、モンスターの階層間の移動は原則禁止されている。
神の摂理があるおかげで、管理者のいない試練の迷宮にも秩序が保たれるのだ。
§
子鬼のモンスター、犬のモンスター、そして、たまにでる芋虫のモンスター。どれも空を飛べる私の敵ではなかった。すれ違いざまに一撃、これだけで大抵は倒せ、だめでも行動不能にできる。罪悪感にも慣れてきた。探索は順調だ。
私は、モンスターが落とす魔石を回収しつつ、迷宮の探索を続けていた。魔石を拾い、バックにつめる。一杯になってきた。そろそろ一度戻ろうか?
迷宮探索用のボロボロのバッグ。私のお気に入りのバッグ。このバッグをもう一度使えることは、私の中ではこの迷宮を探索する1つの利点だ。
このバッグは大学の入学祝に両親から送られたものだ。ボロボロになって外で使えなくなってからは、押入れの奥に押し込められていた。“このバッグをもう一度つかうことができる”。小さなことだが、殺伐とした生活を送っている最近の私には、こんなささやかな事でも活力になる。
はじめてゴブリンを殺してから一週間がたった。私はその間、バッグを取りに一度だけ日本に帰っただけで、後はひたすらダンジョンにこもっていた。遅れた時間を少しでも取り戻すためだ。
魔石はダンジョンを作るのに使えるようなので集めている。幻想樹に与えれば魔力に変換することもできるようだが、それはやらないでいる。
今でも、目を閉じればあの光景が思い浮かぶ。子鬼のおびえた目。そして、手に残る感触。魔力は自分で幻想樹に注ぐことができる。奪った命に報いるためにも、魔石はダンジョンを作るのに使いたい。
流れるようにモンスターを倒し、魔石をバッグにつめる。すべてが順調だ。最近は大分落ち着いてきた。
ただ、いまだにどうすればダンジョンを作れるのかわからない。モンスターが残す素材もたまってきた。そろそろ次の階層に進むべきなのだろうか? 実は、次の階層への階段は4日前に見つけてある。それでも次の階層に進まないのには理由がある。
通路の先に芋虫を見つける。芋虫の動きは緩慢だ。耐久力こそあるものの、簡単に倒すことができる。緑色の皮膚、人間ほどの大きさ、たまに糸を吐くから気を付けなくてはいけない。グリーンキャタピラーというらしいが、このモンスターは珍しくなかなか見つけることができない。
すれ違いざまにバットをふるう。殴ったらそのままの勢いで離れ、また飛んでいきすれ違いざまに殴る。なんども繰り返すうちに芋虫は息絶え、黒い靄になり霧散する。
「やっとでた……」
靄が晴れたそこには、野球ボールくらいのサイズの光の玉が浮いていた。この光の玉はモンスターを倒すとたまにでる。子鬼と犬が残す光の玉は何度もでたが、芋虫はこれが初めてだ。実は、このためにずっとこの階層に留まっていた。
追憶の書を取り出す。風が吹いたように、勝手にページが開かれる。
そうすると、本と光の玉が共鳴して、ふよふよと本に吸い込まれていくのだ。
青い光が舞い散り、光の玉を誘い込む。何度見ても綺麗だ。
光を吸い込んだ追憶の書には、グリーンキャタピラーのページが増えていた。
本に手を置くと感覚的に必要な魔力量がわかる。どうやら、追憶の書に記されたモンスターは生み出すことができるようだ。これもダンジョンを創る能力の1つなのだろう。どのようなダンジョンにするかは決めていないが、積極的に光の玉を集める必要がある。きっと、手札は多い方がいい。
ふと思う。生命の創造。そしてその使役。これはまさしく神の御業なのではないか? 常人にはとうてい不可能な奇跡の具現。どう考えても危険すぎる能力。
この力を持っている人が沢山いて、お互いに殺しあっている。今はまだいい。皆、そこまで強くはなっていないはずだ。創造できるモンスターの種類もそれほど多くはないだろう。
しかし、ダンジョンが解放される頃にはどうなっているだろうか? 少し想像してみる。鍛えられたモンスターで構成された軍隊、それを意のままに操る個人、その軍隊がぶつかる戦場。戦場は異世界かもしれないし、日本かもしれない。どちらにせよ地獄だ。
情報を集める必要がある。他のダンジョンマスターが何をしているのか? そして、どこにいるのか? そのうえで、そろそろ私もどんなダンジョンを創るか考えるべきであろう。日本での情報収集は時間がもったいない気もするが、最低限こなしておかないと手遅れになる可能性がある。
ニュースを見る程度でいい。そこから得られる情報とダンジョンマスターの持つ力を照らし合わせて、他の人がどんなことを考えているのか想像してみよう。少なくとも積極的に攻撃を仕掛けているダンジョンマスターの特徴はわかるハズだ。
空想上の生物の具現。メディアが取りつかないはずがない。日本がどのような対応をするか? 私も身の振り方を考える必要がある。
ひとまず、ニュースを調べに日本に帰ろう。次の階層に進むのはその後でいい。そう結論付けて、私はいっぱいになったバッグを背負い直し、帰り道を急いだのであった。
§
住み慣れた我が家。日本はちょうど日付が変わる頃であった。大きく一度伸びをする。人間の姿に戻ったのは、ずいぶんと久しぶりだ。私の意識と体の動きがずれている。高性能な天使の体に慣れたからであろうか?
あちらの世界では一週間。日本ではわずか7時間。ようやく私もダンジョンマスターとしての一歩を踏み出した。
ニュース番組を眺める。どこの局も夕方の臨時ニュースの話題で持ちきりだ。新しい情報はないようだ。同じような話を何度もして、コメンテーターが自説を述べている。
「常識的に考えてありえないでしょう? こんなのはなにかの間違いに決まってますよ」
嘲るように、子供に言い聞かせるように言うその姿は印象的であった。
「都会のど真ん中ですよ? もし仮に空想の生物がいるとしても、人の多い都心部で最初に見つかるなんておかしいじゃないですか?」
確かに、言っていることはもっともだ。“なにかの間違い”、ほとんどの日本人はこう考えているらしい。コメンテーターの言い方にムッとしたように芸能人が反論する。
「秘密の研究をしていて、研究所から逃げたのかもしれないじゃないか!」
陰謀論。残りの日本人はこう考えているようだ。
どうやら新しい情報はないらしい。他のダンジョンマスターも、私と同じように様子見をしているのだろう。これ以上見ている意味はなさそうだ。
私はお風呂に入り、布団を異界に持っていく。
最近は順調だ。単調ではあるが、危険な事もなくダンジョンを探索できている。こんな日々がずっと続けばいい。私はそんなことを願いつつ微睡みのなかに落ちていくのであった。
§
試練の迷宮、22階層。凛が探索をしている階層の遥か先。ここで一対のモンスターが産声を上げた。“試練の迷宮に現れるモンスターはダンジョンマスターと逆の性質を持つものが多い”、神の摂理の1つである。
それでは、天使たる凛と真逆の性質を持っているモンスターとはなんだろうか?
悪魔である。本来、神造迷宮には悪魔はめったに出現しない。神々と悪魔は相性が悪いからである。しかし、凛は天使だった。神の摂理と神々と悪魔の相性の板挟みにあい、迷宮は大いに歪んだ。
その悪魔は双子だった。真っ黒な皮膚に背中には蝙蝠のような羽、頭部には捻じれたヤギの角があり、眼光は赤く禍々しく光る。生まれ落ちたばかりで状況が理解できていないのか、お互いを不思議そうに見ている。
もともとは一匹の悪魔として生まれてくるはずだった。この悪魔は、運悪く迷宮が歪を直そうとしたタイミングで生まれ出ようとした。結果、ダンジョンの鳴動の影響をもろに受け、1つであったはずの魂を2つに分けられてしまったのだ。
そのため、この悪魔はこの階層にでるモンスターとしては弱い。
ダンジョンから与えられた力も半分になってしまったからだ。
同時に、ダンジョンから受ける影響も半分になっていた。
“神に弓ひく者”、悪魔は神々に反抗する性質を持っている。
様々な偶然。もし、凛が天使でなければ。もし、迷宮が鳴動するタイミングで生まれようとしなければ。そして、もし、神に弓ひく悪魔でなかったら。
運命のいたずらか、奇跡のような巡りあわせで災厄が生まれ出てしまった。
半減したダンジョンからの影響、悪魔の性質、それらの要素が天文学的な確率で相互に作用した結果、ここに神の摂理に縛られないモンスターが生まれてしまったのだ。
悪魔は理解する。もう一匹の悪魔も自分であると。そして、自分たちは弱いと。
悪魔たちは強くなるために他のモンスターを協力して狩ることにした。
静かに、ゆっくりと災厄は迷宮を徘徊する。