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蝶のみた夢のように  作者: たこ焼き士爵
質の悪い夢のように
5/7

口を衝く言の葉

 幼き日の思い出、夕暮れの公園、母に手を引かれ家路につく私。

 玄関を開け家に飛び込む私に、母は咎めるように言う。


「ただいまでしょう?」


 私はおざなりに「ただいまー」といい、廊下を駆ける。


 きっと人一倍に愛情を注いでくれたのだろう。私の両親は礼儀に厳しかった。


 暫くすると父が帰ってくる。私は飛ぶように玄関に出迎えに行き、父にまとわりつき今日あったことを無邪気に話す、身振り、手振り、体全体を使って。幼い私は自分のことを話すのが好きだった。


 遅れて母がやってきて父の鞄を受け取り、2人で言うのだ、「おかえりなさい」と。


 幼い私は挨拶の意味をよく理解していなかった。


 「いただきます」と家族で食卓を囲み、みんなそろって「ごちそうさま」という。


 この場面ではこう言う、こうするときはこう言う。私の認識はその程度のものだった。


 お風呂に入って、歯を磨いたら次第に眠くなってくる。

 「おやすみなさい」と言えば「おやすみなさい」と返してくれる。


 ただ、幼いながらに何故だか大事なものなのだと、漠然と考えていた。



§



 洞のなかに飛び込む。世界の空気が切り替わる。階段を転がるように降りていく。

 水の中を進んでいるように手足の動きが緩慢だ。疲れているからじゃない。抵抗がある。


 一段降りるごとに、時の流れが遅くなるのを体感する。手足の動きが意識においていかれている。遅い。重い。


 広間にでる。手足の動きと意識が一致する。どうやら、ここの時の流れはあちらの世界とおなじようだ。理屈ではなく、体が、本能が理解する。


 息が荒い、膝が笑う。ようやく一息つける。取りあえず休もう。


 その場に横になり、天井を見つめる。自分の息の音がうるさい。こんなに走ったのは、高校のマラソン大会以来だ。


 息を整える。考えをまとめる。少し落ち着こう。


 120日、約4か月、私が出遅れている日数。

 殺されたダンジョンマスター、戦場になった日常。


 急ぐ必要がある、生きるために。

 慎重に行動する必要がある、死なないために。


 考えなければいけないことは沢山ある。やらなければいけないことも山積みだ。


 検証しないといけない、確かめないといけない。生きぬくために。


 幸い指針がある。なにをやればいいかはわかっている。最悪じゃない。

 目を閉じれば感じることができる、下からの恐ろしい気配を。


 ダンジョンを創ろう。戦う力を身につけよう。懐かしい日々を取り戻そう。

 現実を直視する。大丈夫、私はまだやれる。


 行こう。私の物語を紡ごう。


 階段を降りる。薄暗い。恐る恐る、でも一歩一歩着実に。


 暗い、周りがよく見えない。次の段があるか足で確かめながら進む。

 降りる、降りていく。暗闇のなかを、いつ終わるのかもわからぬまま。


 永遠に続くかと思えた階段もようやく終わったようだ。ほっと一息つく。


 瞬間、ゴゥッとあたりがいきなり明るくなった。

 熱風が私の頬をなでる。


 暗闇になれた目がすぐには順応できない。目を開けていられない。

 状況を確かめるために、必死に、薄く目を開けようとする。


 そこには大きな扉があった。両脇を、まるで守るように恐ろしい銅像がある。先ほどの音は、銅像の横で 爛々と燃えるかがり火がつく音だったようだ。


 火がパチパチと燃える。火の揺らめきに照らされた銅像の顔も揺れる。まるで生きているようで恐ろしい。踏み出せない。進めない。近づくと、動きだしそうな気がして。


 勇気を出す。生きるために踏み出す。

 ……大丈夫、ただの銅像のようだ。


 扉には、本に書いてあったルールに使われているのと同じ文字でこう書かれていた。


 “迷宮の主たり得る資質を示せ”


 この先になにがまっているのだろうか?

 きっと簡単ではない。


 この先でなにが起こるのだろうか?

 きっと私なら乗り越えられる。


 決意を新たに、私は扉を押し開くのであった。



§



 扉の先は、ダンジョンであった。

 迷宮を創るためには、迷宮を探索しないといけないようだ。


 初めて入る他のダンジョン、居心地が悪い。ダンジョン全体が、私を見ているような錯覚に襲われた。ここは悪意に満ちている。


 恐る恐る通路を進んでいく。壁が柔らかい光で明滅する水晶で出来ている。恐ろしい気配がなければ、いつまでも見ていたい光景だ。


 ゆっくりと慎重に進む。まだ一本道、迷いようがない。


 なにも起こらない。慎重に、しかし大胆に進む。

 別れ道だ。迷わないように取りあえず全て一番左の道を選ぶ。

 帰るときは、一番右側の道を進めばいい。


 そうやって10分ほど進んだときだった。それが現れたのは。


 通路の先に小柄な人影。顔がこわばる。あれは敵だ。

 どうするか迷っていると、どうやら向こうも私に気が付いたようだ。

 ゆっくりと、油断なく近づいてくる。


 遠目にそれを観察する。緑色の皮膚、子供くらいの身長、大きな鼻、ギョロリとした目、そして牙。それは鬼の子供のような生き物だった。“ゴブリン”とそんな言葉が思い浮かぶ。植えつけられた常識が、その魔物の名前を教えてくれたのだ。


 辺りを見渡す。石の1つも落ちていない。逃げたいが、背中を見せるのは怖い。


 素手で倒せるだろうか? 喧嘩もしたことのない私にできるだろうか?


 ゴブリンは待ってくれない。


 変化は唐突だった。お互いの顔がよくわかる距離まで近づいたときだった。ゆっくりとこちらを窺うように近づいてきていたゴブリンが、私の逡巡を読み取ったのか、それとも初めからそのつもりだったのか、地面を強くける。


 数秒で私に肉薄する。私はとっさのことに動きを止めてしまった。ゴブリンは私の前で大きく飛び上がり、私の顔に一撃いれた。


 頭が真っ白になる。痛い。振り払う……がもうそこにはいない。


 わき腹に衝撃がはしる。勝手に息が吐き出される。息ができない。がむしゃらに手を振り回す……今度はかすった。ギャギャッと耳障りな声が通路に木霊する。


 ケホケホとせき込みながら、感触のあった方向をみる。

 痛い。でも致命的ではない。小柄な体格に相応の筋力しか持っていない。


 ゴブリンは距離をとっていた。こちらを窺い、飛び込むタイミングを計っている。

 呼吸を整える。頼むから、少し休ませてほしい。


 まぐれだったことがわかったのか、私が体制を整えるまえにゴブリンは再び地面をける。


 反撃しなくては。

 このままだと殴られ続ける。


 抵抗しなくては。

 このままだといつかは立っていられなくなる。


 飛び上がったところを叩き落とそう。構える。タイミングをとる。


 飛び上がらない。嘲笑うかのようなボディーブロー。

 体が曲がる。頭が下がる。胃液がこみ上げる。


 下がった頭をつかまれる。

 背に走る悪寒。咄嗟に顔の前に腕を差し込む。


 衝撃。衝撃。衝撃。三度振るわれた膝蹴り。


 必死に頭を振り回す。転がるように子鬼から距離をとる。腕が痛い。


 ギャギャギャッと愉悦の声をあげる子鬼。


 受け身ではいけない。上手く息もできぬまま、今度はこちらから距離をつめて蹴る……あたらない。余裕をもって距離をとる子鬼。再び飛び込むタイミングを計っている。


 体が痛い。息が苦しい。このままではまずい。

 地面をける子鬼。同時に私も地面をける。


 捨て身のタックル。子鬼の驚く声が通路に響く。もつれるように子鬼を地面に引き倒す。


 背中から地面に落ちる子鬼。子鬼をクッションにする私。はじめて子鬼が苦悶の声をあげる。


 今度は子鬼が距離をとる。そのフットワークは、先ほどまでのように軽快ではない。


 効いている。しかし、私は悟った。私の攻撃は、子鬼の命を奪うほどの威力がない。


 千日手。どちらの攻撃も決定打にはなりえない。一方的に受け続ければどうなるかはわからないが、よほどのことが起こらない限りはそんな状況にはなりえない。


 子鬼が近づいてくるたびに地面に引き倒せば、確実にダメージを与えることができる。しかし、その隙に子鬼も私のことを殴り、蹴るだろう。


 どちらも動けない。膠着する。


 足の調子を確かめる。あまりよくない。逃げることができるだろうか?


 走るだけの気力がない。翼があればいいのに……


 瞬間、私は思い出した。何故、私は人間の姿のままで戦っているのだろうか?

 私は既に人間ではない。その事実に悲しみに暮れていたというのに。


 背中に力を入れる。翼が顕現する。私が正体を現す。


 子鬼がたじろぐ。体の痛みも、疲労も、既にない。


 体の調子を確かめる。飛び方は体が知っている。


 私は、この体の腕力が人間の姿と比べて対してあがっていないことを確認して……さっさと来た道を飛んで帰るのであった。



§



 迷宮から飛び出る。扉を閉める。

 怪物がここから出てこないように。


 扉を背にへたり込む。攻撃力が足りない。

 致命的だ。武器が必要だ。


 私は本を取り出す。人間の姿に戻ったとき、いつの間にかなくなっていたこの本は、虚空から取り出せることがわかっている。


“日本では元の人間の姿とモンスターの姿の両方の姿をとることができるが、ダンジョンのある世界ではモンスターの姿にしかなれない”


 怪我の功名、失敗が引き寄せた幸運。気にしていなかった。そうだった、ここはあの世界ではない。時間の流れはあの世界と同じ、しかし、日本と同じように人にも天使にもなれる空間。


“日本のものをこの世界に持ち込むことはできない”


 であれば、ここになら日本から物を持ってこられるのではないか?

 

 試してみる価値がある。賭けてみる価値がある。


 人間の姿にもどる。傷は治っている。

 私は意気揚々とスポーツ用品店に金属バットを買いに行くのであった。



§

 

 

 金属バットを持って、再度ダンジョンに潜っていく。

 

 先ほどと同じ道、同じ風景をなぞっていく。

 ……居た。先ほどと同じように様子を伺いながら近づいてくる子鬼。


 私は飛翔し、すれ違いざまに金属バットを頭にふるった。身をかわす子鬼……鈍い手ごたえ。


 肩をおさえてのた打ち回る子鬼。初めての有効打。手に残る感触に興奮する。

 勝てる。これなら勝てる。


 地面に降り立ち、ゆっくり近づく。油断なく、いつかの子鬼のように。


 バットを振りかぶる。肩を抑える子鬼。子鬼と目が合う。

 子鬼の目は、なにかに怯えていた。


 冷や水を浴びせかけられたような衝撃。考えないようにしていた。目を背けていた。この子鬼は、確かに生きてる。


 息がつまる。手が震える。動悸が激しくなる。最近よくなる感覚。

 違うのは、私が危害を加える側だという事実だけ。


 わずかな違い、決定的な違い。子鬼が後ずさる。


 農家の人が殺した牛を食べている。害獣を駆除している。

 生きるために必要なのだ。子鬼を壁に追い詰める。


 交差する視線。振り下ろされるバット。鈍い感触。


 子鬼の目から生気が失われる。呼吸が荒い。


 瞬間、子鬼は黒い靄になって霧散した。どこか遠くにその光景を眺める。

 植えつけられた常識が、それがダンジョンのモンスターの死だと告げる。


 後に残ったのは黒く輝く小さな石だけであった。

 そこにあった命は、確かに失われてしまった。


 目に焼き付いた光景を思い出す。

 子鬼の怯える目。

 

 カランとバットを手放して、じっと手をみる。

 手に残る鈍い感触。命を奪う感触。


「ごめんなさい……ありがとう……」


 家に帰ったときのように。眠るときのように。そして、ご飯を食べる時のように。

 私の口から、自然とそんな言葉が零れ落ちたのであった。



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