1 木型製作所が鬼型製作所になった日(1)
――いーち、にー、さーん、しー、ごー、ろーく、……。
あ、これ鬼ごっこ?
これ、10まで数え終わるまでに隠れなきゃいけないパターンだよな。
――じゅう!
最後だけ、十二分に力込めて言ってきた。
こんな短い時間で、隠れる場所なんて見つかんないよ。
逃げなきゃ。鬼、どの位置にいるんだ。
振り向いた。固まった。
「鬼いいいいいィ!」
子供の頃、絵本で見たような、赤いペンキを塗ったような体に、角を生やした頭。
そう、鬼以外の言葉で言い表せないような鬼だ。
一つだけ言葉で言い換えるなら、オニ・オブ・オニ。
俺は悲鳴を上げるだけで、それ以外どうすることもできない。いや、あのカウントだけじゃ、誰だって普通の鬼ごっことしか思えないはずだ。
とにかくどうする、俺。捕まったら終わりだ。
「逃げろっ!」
俺は、足をできるだけ前に出して、まるで体育祭のクラス対抗リレーのように走り出した。だが、思うようにスピードが出ない。鬼が、俺よりはるかに速く走っている。
こんなあっけなく、鬼ごっこ終わるのか。
せめて、部活にさえ入っていれば……、みんなのようにもっと速く走れるのに……!
部活……。
――ガシッ!
~~~~~~~~~~~~~~
「おっはーっ!」
気持ち悪すぎる目覚めだ。
何だよ、鬼に右肩を掴まれたかと思ったら、母さんの手じゃん。
鬼に追いかけられるところで現実に引き戻されるという、最悪の夢オチだ。
「おはよ……。よく寝られなかった」
「そう? 匠人ぐっすり寝てたみたいだけど……」
「そりゃ、疲れていたからすぐ寝ちゃったけど、夢の内容が悪すぎてさ」
あぁ、どうしよう。寝起きの頭で、話の組み立てが全然できてないのに、このままじゃ母さんに鬼の話をしなきゃいけ
なくなっちゃうじゃん。それだけは、絶対避けよう。
俺がそう思った瞬間、グッドタイミングで父さんの声が下から聞こえてきた。
――玲那、こんな朝早くからFRPが入ったぞ!ちょっと下に降りてこい!
「分かった、すぐ降りる!」
突然、母さんが俺に背を向け、ご飯は隣の部屋に用意した、とだけ告げて出て行った。
一安心だ。父さんが何も言わなかったら、どうなっていたことだろう。
うちは1階の工場で鋳物、つまり金属を溶かして形にした製品を作っている。
俺の父さん、詫間新造はこの鋳物工場「詫間木型製作所」の社長。母さんも工場の従業員で、いわゆる社内結婚。
だからこの家では、今時珍しく父さんが一番偉いし、何よりもまず1階の工場の都合が最優先される。
あ、ちなみにFRPというのは、繊維強化プラスチックのこと。工場では、だいたい青色のものを使ってる。
さすがに、毎日下から聞こえていたら、俺だって工場で使われている言葉をスマホで調べるに決まっているよ。
「今朝、みんなは何の夢を見ましたか?」
うわぁ、言いたくない日に限って、1時間目の国語からこんな質問が飛んできた……。
どうせ、自分だけが知っていることを他人に伝える、って感じの授業だとは思うけど、こういう時こそちゃんとした夢を見るために、1時間目だけプチボイコットしたいくらいだ。
だが、寝ようとした瞬間に、俺の隣の席からガタッという音がした。
「私の今朝の夢は、バイオリンのコンクールで優勝したことです!」
クラスのどこにいても響く天使のような声で答えたのは、上青木陽菜だ。中学の入学式当日から、クラスいちの美女と言われ、廊下を歩くと常に男子の目が釘付けになってしまう。そんな存在だ。
ざわつく教室。その中で陽菜は続ける。
「クローゼットを開けたら、昔一度だけ見たことのあるバイオリンがありました。もうやり方を忘れていましたが、一度だけ弾いてみました。そうしたら、ものすごく上手く弾けて、そのままコンクールで優勝したんです」
「凄く壮大なストーリーだな、上青木」
クラスじゅうから、すごいという声ばかり上がっている。俺だって、そんなシナリオ力に脱帽したいよ。
これだから、一部の男子からは「神青木」とか言われるんだよな。俺には遠く及ばない存在。
でも、そんな陽菜に必死にアピールする奴が、クラスにはいるんだ。たぶん、奴は挙げる。
「はい、新井!」
「僕は、今日、『なかよしゼブラシスターズ』のアニメに、1話だけ特別出演って形で出る夢を見たんですっ!」
やっぱり、ナルト、いや新井成人はアニメかよ。しかも、たしか深夜2時頃にやってるやつだろ、それ。
さすがにアニメには興味ないから、寝たくなってきた。
というか、早く国語終われ。
羊が1匹!羊が2匹!羊が……
「詫間あっ!」
気配と声が、同時に俺の企てを終わりにさせた。
目を開けると、やっぱり俺の目よりもはるかに高い位置に、先生の顔が見えている。
「す、すいません……」
「詫間。いまここで夢を見て、それから答えようとしただろ」
間違ってるとは言えないけど、こんな短い時間で新しい夢なんて見ることできないし。
まぁ、いい。アニオタのすぐ後だ。変な夢を語ることになっても大丈夫。
「いま見てた夢を、クラスのみんなに言ってみろ」
先生の視線が、俺に冷たく降り注ぐ。クラス中に高まる過度の期待。
頼むぞ。失笑されなきゃ、それでいいんだ。
「今朝、俺は公園にいて、鬼ごっこをされました。誰もいない公園で、1、2、3……って声だけがして、10まで数え終わったら、いきなり本物の鬼に追いかけられました」
俺は、そこまで言うと、まるでからくり人形のように席に座った。
その瞬間、クラスじゅうからクスクスと笑う声が聞こえてきた。先生も笑っているのおかしいだろ。
「鬼? 鬼なんて、銅像とかでしか見ないのに、詫間は動いてる鬼を見たんだ」
「はい……。あれは……、鬼でした……」
俺が何かを言うたびに起きてしまう、笑い声。
鬼に追いかけられるのが、そんなにおかしいか?
もはや笑われたことしか記憶に残らず、そのまま国語の授業は終わってしまった。
もう気分転換に寝たいくらいだ。
だが、先生が教室から出て行くと、俺に対する失笑は収まるどころか、エスカレートする。
――詫間が鬼なんじゃない?
――そりゃ「詫間」から「T」を取ったら「悪魔」だもんな。
――あいつにあげるラッキーアイテムなんてないよ。
中学に入ったら、ようやく友達ができると思ったのに、どこがいけないんだろ。
クラスの中に俺みたいなキャラがいないから、みんなバカにしてると思うけど、そりゃ俺だって友達や恋人の一人ぐらい作りたいよ。
しょげ返る俺の目に、その時偶然、最悪のタイミングで、あのカップルが映ったんだ。
「陽菜の発表、ものすごくよかった」
「ポルト~! そう言ってくれてありがと!」
「俺は、陽菜がいろんな才能を持ってるって信じたいから」
陽菜のストレートロングの髪をそっと撫でながら、好間レオポルトが今日も彼女のハートをさらっていった。
ポルトは、どこからどう見てもハーフで、可愛さとカッコよさを兼ね備えた美形男子。すべての女子が、彼を愛していると言ってもいいくらいだ。
しかもポルトはハーフと言っても、日本人の母さんと、デンマーク人の父さんの間に生まれたハーフ。
アメリカとかドイツとか、そういうハーフはよく聞くけど、そもそもデンマークなんて国自体、小学校じゃ習ったことがない。そんなレアなハーフは、当然クラスの中で好感度高まるんだろうな。
そんなポルトが陽菜の「正式な」恋人。しかも、二人で定期テスト学年1位を争っている。
この世の中は不条理だ!
……と、心の中で俺が叫ぶ声が、普通にポルトの耳に入ってしまったようだ。
「詫間、そんな目して、そんなに俺たちリア充が羨ましいか?」
「い……、いや……、別に……」
こういう時こそ、寝たい。夢を見たい。現実逃避したい。
でも、ポルトの甘いマスクが、それを許さない。
「ホントは羨ましいよな。俺が見るに、詫間は何をやってもダメで、友達もいないし、話を合わせられるような趣味もない。ホントお前、『リア0』だな」
は!? リア0?
まさか「リア10とリア0」というつもりじゃないだろうな。
そう言いたくても、俺は言い返せなかった。ポルトの分析が、あまりにも当たりすぎてるからだ。
俺は、何も言わずにポルトから目を反らした。
だが、そのこと自体がダメだったみたいだ。
――詫間くん、ポルト様からのアドバイスを無視するんだってー!
――聞いた聞いた? 『リア0』ってすごい言葉だよね!
その日の学校は、何かを学ぶような雰囲気じゃなかった。