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魔法殺し  作者: 駄文職人
魔法遣いと遺跡
34/35

チェルカトローヴァ

「おばちゃん、リゲルの花ありったけくれー」


 市場の一角で、ニコルは紙幣を差し出して買えるだけの花束を注文する。


「墓参り?若いのに大変ねぇ」

「まあね」


 リゲルの花は別名を鎮魂花。

 彼岸への手向けによく好まれる花だ。

 しかしそれとは別で、ニコルはリゲルを選んだ。


 母さんは白い花が好きだった。

 黄色でも赤でもだめだ。白以外を買って帰れば部屋に合わないといつも怒るから。

 別に他の花でも、綺麗なら別にいいように思うけど。母さんはよく分からない細かいところでこだわる人だった。


 花を待つ間、視界の隅で何かが横切る。

 見やると猿と思われるぬいぐるみが馬車の下に潜っていくのが見えた。


「なあおばちゃん。この町ってよくぬいぐるみが散歩すんの?」

「はあ?そんな訳ないだろう。土産用のぬいぐるみの店は多いけどさ」


 怪訝な顔の花屋の女店主は首を振った。


「だよなぁ」

「疲れてるんじゃないの?苦労しているんだろうけど」

「うーん。どこぞの若旦那にこき使われてんのは確かだけどなぁ。あ、ありがと」


 綺麗に包まれた花束を受け取る。

 心配されたが、笑ってごまかし店を出る。


 相変わらず町の空気は重い。

 いや、町の人々も景色もいつもと変わらないのだろう。

 しかしピリピリと痺れるような気配が、ニコルの肌を撫でては不穏さを掻き立てる。

 嫌な感じだ、と思う。

 だって今日はこんなに、空が青い。


「暴走って感じじゃないし、ちょっとただ事じゃないよなこれ」


 だとすれば『呪い』か。

 ニコルの『魔法』に抗い、ジーナの『魔法』を拒絶するのだから並みの『魔法』ではないだろう。1級相当ではないだろうか。


『魔法』を搔き消すとするなら、それは同じかそれ以上の力を持つ『魔法』しかあり得ないからだ。


「無視……って訳にゃいかないよな。でもなぁ、こんなに影響範囲が広いと場所を特定すんのも骨だぞ」


 町を包むように伸びた『魔法』の通り道が見える。

 まるで糸のように張り巡らされ、ぬいぐるみ達を操っている。

 その数が徐々に増えているのがニコルにははっきりと見えるのだ。


 うーむ、とニコルは唸る。


「若旦那呼んでもなぁ。いや、あの人喜んでやって来そうだけど」


 おそらく仕事を全てマーシャル達に押し付けて嬉々として飛んでくるだろう。


 しかし、ここはミケーレ領だ。エンテルの権力は及ばない。

 むしろ、ミケーレ家とエンテル家は昔からあまり仲が良くない。ウェルフが来ることをミケーレ領主は快く思わないだろう。


「ハイルもお忍びだし、あんま目立った行動はとりたくねぇんだよなぁー…」


 はぁーっと息をつく。

 そもそも頭を使うのは苦手なのだ。こういう話はウェルフの方が得意なのだろうが、自分が悩んだところで結局なるようにしかならない。


 まあ、何はともあれこちらの方が先か、とニコルは手に持った花束を一瞥した。


 ハン・デリーの郊外、町の喧騒から離れた広場の一角には墓地がある。


 地面に埋められた石版が均等に並ぶ、その最奥には一つだけ大きな石碑があった。

 ブロムカステスの遺跡の方を向く形で据えられた石碑には、かつての悲劇で消えた者達の名前が所狭しと刻まれているのだ。


 石碑の前に、白い花束が添えられる。

 ニコルは胸に手を当てて目を伏せた。

 そうして祈り終えると目を開けて微笑んだ。


「ただいま。久しぶりかな?しばらくご無沙汰してたもんな」


 まるで実家に帰ってきたかのように、軽い口ぶりだった。

 答える者もいないまま、話し続ける。


「おれは元気だったよ。まあ色々あったけど、それなりにやってる。来年、学校卒業するんだよ。まあ卒業できたらなんだけど……」


 赤点ばっかだし、と頬を掻きながら恥ずかしそうに笑った。


「ウェルフの野郎とは相変わらず反りが合わないけどよ、色んなヤツに会えたし、友達も増えた。こっちは楽しくやってるよ」


 本心だ。

 タムバートに来てから、それまでの苦労など忘れてしまいそうな程に穏やかな生活ができている。


「そっちに行った時は、ちゃんと土産話してやるから。楽しみにしててくれよ」


 ニコルは空を見上げた。

 あの日と同じ、砂埃の晴れた空だった。


「今日も、空が青いよ」


 ブロムカステスが白亜の魔女に滅ぼされた、あの日と同じ。

 ニコルが全てを失い、そして絶望の中で奇跡を得た。思えば、あの日もこんな風に世界が静かだった。


 まるで、これから起きることを世界が息を詰めて見守っているように。


「大丈夫……もう繰り返させねーよ」


 あんな悪夢はもうごめんだ。

 もう二度と、ブロムカステスの悲劇を引き起こしてはならない。


 そのためにおれはここに居るのだから。


「だから、ごめん。見逃してくれ」


 願おう。心の底から。


「許してくれ」


 求めよう。奇跡を。


「アイツの力を、解き放つかも知れない。そうならない事を願っているけど、たぶん、必要に迫られたら……おれは躊躇わないから」


 ニコルは踵を返し、石碑の向かいに望むブロムカステスを見やる。

 石碑は小高い丘の上に立っており、ハン・デリーの町並みに阻まれることなくブロムカステスの防護壁が見えるのだ。


 かつて、ニコルはあの町で生まれて育った。

 そしてあの町が滅びたその日も、ニコルはそこにいた。


 白亜の魔女の『魔法』は、ニコルには効かなかったのだ。


『死にたくない』

 自分以外が次々物言わぬ石像となっていく中で、ただ一人生き延びるために『魔法』に目覚めた。

 生存本能そのものであるがゆえに、その願いは強く強く彼に刻みつけられ、捨てることもできず自分の体の一部のように馴染んでしまった。


 イェニは本当にすごいと思う。

 他人の為に『魔法』を使えても、他人の為の『魔法』なんてニコルには使えなかった。


 その代わり、ニコルの『魔法』は時間をかけて変化していった。


『魔法』を拒絶する『魔法』から、『魔法』の制御権を取り上げる『魔法』へ。









 いつか故郷を、ブロムカステスを白亜の魔女から取り戻すため。








「ちょっと借りるぞ。白亜の魔女(ルミナルーチェ)


 今はまだ、白亜の魔女の『呪い』を打ち消すほどの『魔法』にニコルは至ってはいない。

 しかし……。


 ニコルは目を閉じる。

 集中。


 絞る。

 制御。

 力を。

 抑え込む。

 不安を見せるな。

 恐怖を殺せ。


 白亜の魔女は、その全てを見透かすぞ。


「………っ!!」


 左腕に激痛。

 押さえて堪らず膝をつき、『魔法』を鎮める。


「はぁっ……はぁっ」


 落ち着け。

 落ち着け。

 いけるだろ?

 まだ立てるだろ?

 足の感覚もある。

 大丈夫だ。


 気付けば汗びっしょりになっていた。顎をしたたるのを拭い、ニコルは両手を確認する。


 血の気は引いているが、石に変わっている様子はない。あの痛みは錯覚だったのだろう。

 息をつく。

 やはり無理なのか。

 自分では白亜の魔女の『魔法』を操ることはできないのか。

 他の『魔法』なら制御できるのに、白亜の魔女だけはダメなのか。


 まだ震えが止まらないなんて。


 立ち上がろうとして、顔を上げて、ニコルは固まった。


「はは……なんだよ。いけるじゃん」


 その視線の先、石碑の前に置いた白い花束は石になり風にそよぐことなく横たわっていた。




 灰色の殺意は突然やってきた。


「ようやく見つけました、坊っちゃん」


 銃口を突きつけられるまで、気配すら感じなかった。

 振り返ったハイルは息を詰まらせた。


「ユイダ……」

「もう大丈夫ですよ」


 慈愛のこもった声とは裏腹に、暗い光を宿した目は鋭くハイルの後ろに向けられていた。


「坊っちゃんから離れろ、魔女」

「わ、わたしは魔女じゃ……」

「では、そのぬいぐるみは何ですか」


 前に立ち威嚇するクロイスを指し示され、ミウリは声を失う。

 銃を向けられる恐怖か、完全に思考が停止している。


 当然だ。

 ハイルとて、相手がユイダでなければもっとパニックになっている。

 相手が幼い頃からよく知っているユイダだったから、まだ冷静を装えているのだ。


「やめろ、ユイダ」

「坊っちゃん、早くこちらへ」


 すれ違う呼びかけ。

 あぁ、本当に。

 どうすれば良かったのだろう。


 自分が『魔法』を得てから、いつかこんな日が来るのではと思っていた事が現実に起こってしまった。


「その女は危険です。早く離れてください」

「このぼくは、やめろと言っているんだ。銃を下ろせ」

「貴方は魔女を知らない。坊っちゃんが庇うその女がどれほど恐ろしいか……後生ですからどうか」


 魔女。


 あまりに簡単に放たれる単語。


「坊っちゃ……」

「知っている」


 自分の声が、聞いたこともないほど硬くなっていた。


 そうか。そうだよな。

 知らないはずが、ないんだ。

 ミケーレが、長い歴史の中で何も知らなかったなんてあり得ない。


「『魔法』のことなら、このぼくは知っている」

「!」


 ユイダの目が丸くなる。


 知らなかったのは、ハイルだけだ。


「なぜ、という顔だな。タムバートにいて、このぼくに隠し通せる訳がないだろう」


 なぜ今まで知らなかったんだろう。


 決まっている。知らされなかったからだ。

 ユイダも、父上も、母上も、ミケーレの人間は皆ハイルに隠し続けてきた。


 さぞ簡単だっただろう。

 ミケーレの情報網を使えば、何も知らない子ども一人騙すなど容易い。


「エンテルは唯一の『魔法』擁護派だ。そして恐らく、長くエンテルと反目してきたミケーレはその逆……」


 ミケーレは『魔法』排斥派。

 だからユイダは今、ミウリに対して敵意を剥き出しにしている。


 情報が一つ一つ線で結ばれていく。


「このぼくをタムバートへ向かわせた理由は、ミケーレの人間をエンテル領へ入れるための口実だ。実子のこのぼくが向かえば護衛や世話係が付いて来るのは当然」


 全ては、エンテルの動向を見張るため。


「このぼくはエンテルに対する人質だ」


 それだけ警戒する理由があったから。


「『魔法』を発現させた者は、もはや人間とは見なされない……。『魔法』は災害だ」


 後ろでミウリが身を硬くする。

 構わず、ハイルは続けた。


「その災害を領地に抱え込むエンテルを、ミケーレは捨て置けなかった。もしエンテル領で何かあれば、土地が接しているミケーレは他人事ではないから。違うか?」


 ずっと顔を伏せているユイダ。

 沈黙こそが、何よりの答えだった


 何だそれは。

 結局、自分はミケーレの奴隷か。

 死にものぐるいで勉強に励み、ヴィクタ・リクタへ帰った時に両親に認めてもらえるのを夢見ていた日々が馬鹿みたいじゃないか。


「……あの、男ですか」


 顔を上げたユイダの目は黒々とした怒りに染まっていた。

 思わずハイルはたじろぐ。


「あの、エンテルの回し者が……っ!坊っちゃんに余計な事を……!」


 銃を握る手に力がこもる。

 まずい。


「クロイス!」


 ミウリの悲鳴と、ひつじがユイダへ飛びかかるのが同時だった。

 虚をつかれたユイダは、しかし的確に銃を持つ手でクロイスを叩き落とす。


 照準がズレるその一瞬を、待っていた。


「なっ」


 ユイダの上に、巨大な影が覆い被さる。

 ずっと息をひそめていた巨大な熊の剥製の爪が、ユイダの華奢な体を横薙ぎに吹き飛ばした。

 住宅の壁に叩きつけられる。肺を押し潰されたような呻き声が漏れる。


「ユイ…っ!」


 ぐりんっと熊がこちらを向いた。

 光を失った瞳が飢えたようにハイルを見据える。


「お、おい!?貴様の祖母はこんな物騒なものも作っていたのか!?」

「んな訳ないでしょ!?何なのよアレ!」


 ミウリが悲鳴混じりに怒鳴り返す。

 どういうことだ。彼女の感知しない『魔法』を、彼女の祖母が隠し持っていたということか。

 それとも。


「坊っちゃ……逃げ……」


 未だ衝撃で動けないユイダの掠れた声が聞こえた。

 そう言う間にも、熊はジリジリとこちらへ距離を詰めてくる。


 どうすればいい。

 どうする。


「おい、ミウリ」


 迷う暇などあるか。

 このぼくのやるべき事は、決まっている。


「ここから逃げろ」

「えっ……」

「『魔法遣い』を頼れ。気に食わんが、あいつならなんとかするだろう。場所はクロイスが知っている」

「ま、待ってよ、あんたは……」


 ハイルは震えそうになる足を叱咤する。

 できるか、なんて考えない。

 やるしかない。


「彼女は、ユイダは、このぼくの家族だ。見捨てる訳にはいかない」


 幼い頃からそばに居て仕えてくれた。

 その彼女を、裏切れない。

 たとえユイダがハイルでなくミケーレに仕えていただけなのだとしても、それに救われていたのは間違いないから。


 彼女の刃が、ハイルの喉元に突きつけられるその日まで、二人は共にミケーレを支える家族だ。


「……ねえ、その前にお願い。あんたの、名前を聞かせて。さっきからミケーレって……あんたもしかして」


 疑うような問いかけに、あぁそうかまだ名乗ってなかったのかとハイルは苦笑してしまった。


「ハイル。ただの、ハイルだ」


 昔からずっと。今までだって、ハイルはそれ以上になれたことなどない。


「走れ!」

「!」


 迷う素振りを見せたミウリだったが、すぐに背を向けて走り出す。

 その後ろをクロイスが跳ねながら追った。すれ違いざまに一度速度を落としたぬいぐるみは、どこかハイルを気遣うようだった。


「坊っちゃん……どうして……」

「うるさい。このぼくだって聞きたいくらいだ」


『魔法』の関係者を逃し、『魔法』排斥派のユイダを助けて。

 もうごちゃごちゃだ。


「どいつもこいつも……」


 身勝手な奴らばかりじゃないか。

 事情を押し付けて、こちらの心情などまるで考慮しない。

 こっちだって溺れそうで必死なのに、これ以上何を背負えというのか。


 ハイルは仁王立ちになる熊の剥製と対峙する。

 呼吸を必要としないくせに、熊は唸り声を震わせてている。


「おい熊公。貴様、何が目的だ」


 剥製の熊はミウリが消えた方とハイルを交互に見ていた。

 理性があるとは思えないが、『魔法』には必ずその裏に隠された願いがある。

 ならがこの熊の行動にも何らかの意味があるはずだ。


 熊は何も答えない。

 ただ、敵意を持ってハイルに躍りかかる。


 熊の走る速度は馬車より遥かに早いと聞いたことがある。

 だから背を向けて逃げたりしない。

 踏み出すなら前だ。


 ユイダが取り落とした銃の方へ。


「………っ!」


 熊の懐へ潜り込む。

 背に暴力的な風を感じた。あの巨大な腕がかすめたのだと身が縮みそうになる。

 銃に、手が届く。


「このっ……」


 振り返りざま、発砲。

 弾を装填していてくれたユイダに感謝しかない。

 至近距離から胸に銃弾を受けて、熊が仰け反る。


「ユイダ!」


 隙をついて、ユイダにまろび寄る。

 ユイダは頭から血を流していたが、意識ははっきりとしていた。


「立てるか!?」


 手を差し伸べようとしたハイルを、ユイダは強引に引き寄せる。

 何事かと思えば、先程までハイルの頭があった所を爪が切り裂くところだった。


「銃が効かんのか、こいつ……!?」

「……支配型でしょう。生きている訳ではないから、痛覚がないのです」


 ユイダは冷静に分析した。

 また振り下ろされる腕を、ハイルを抱えて横っ飛びに回避。そのまま距離をとる。


「坊っちゃん、お逃げください」

「いやだ!」


 ハイルはきっぱりと拒絶する。

 反抗されるとは思っていなかったのだろう。ユイダの目は揺れる。


「聞き分けてくださいませ!御身の安全が大事です!」

「このぼくが逃げたら、ユイダがここに残る事になる。そんなのはできない」

「……!」

「第一、逃げるつもりなら最初からそうしている」


 見捨てるなら容易くできた。

 それでも、ハイルは逃げたくなかったのだ。

 これ以上自分を嫌いになりたくない。


「このぼくをバカにするな。使用人を盾に逃げられるか」


 さあどうする?ハイル・シュトハーンよ。

 奴はこちらを逃す気などさらさらないらしい。

 ユイダは手負い、ハイルとて運動神経に自信などない。すぐに追いつかれるのが目に見えている。


 では戦うか?

 銃も効かないのにどうするんだ。力勝負ではまるで歯が立たないだろうに。


 手詰まりだ。

 なら諦める?

 嫌だ。まだ手があるはずだ。

 何を望む?

 ユイダを助けたい。助けながら、この場から離れたい。


「……うん。そうだな」


 ハイルは目を閉じた。


 望めばいいんだ。

 そうすれば、願いは力に変わる。


 ミケーレ?知ったことか。

 見栄?プライド?うるさい、それが今助けてくれるのか。

 偽りを捨てろ。

 望め。


 この場を逃れる、唯一の活路を。


 ハイルは『扉』を描く。

 デザインは何でもいい。木製で重厚そうな、熊が体当たりしてもビクともしない『扉』を作り上げる。


 かつて夢の世界から逃れ出た。

 それなら自ら望んで夢の世界へ入ることだってできるはずだ。


「残念だったな、熊公」


 お前ではこのぼくを捕まえられない。


 扉は開く。

 後ろを振り返らなくても分かる。そう信じているから、この願いは裏切らない。

『ここから逃げ出したい』

 ハイルはユイダの手を引いて後ろへ飛び退く。


 世界は二人を飲み込んだ。

『求めよ、さすれば与えられん』


次回投稿は未定です。

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