白亜の魔女
右よし。左よし。
ミウリは路地から顔を出し、追っ手が来ていないことを確認してから後ろの貴族のお坊ちゃんを手招きした。
「ほら、早く!」
運動不足なのかお坊ちゃんはバテバテだ。しかしそれを気遣う余裕はミウリにはない。
ハン・デリーはミウリの庭だ。
人通りの少ない場所、誰も知らない近道、潜伏できそうな空き地の場所、幼い頃から探検ばかりしていたからよく承知している。
黒ヒツジのクロイスはぴょこんと地面を跳ねて彼らの先導をしていた。
祖母がミウリの誕生日に送ってくれたヒツジのぬいぐるみ。
父が捨てたと聞いたその時も大喧嘩をした。祖母に関わるな、の一点張りで話を聞いてくれないあの人のことがミウリは大嫌いだ。
父は何も分かっていない。
だって、おばあちゃんはあんなに優しかった。
ミウリの話をちゃんと聞いてくれた。
ぬいぐるみの作り方を丁寧に教えてくれた。うまくできた時は頭を撫でて褒めてくれた。
お父さんはそんな事、一度もしてくれなかったのに。
「おい……!」
やっとすぐ後ろまできたお坊ちゃんが息も絶え絶えに呼ぶ。
満身創痍の様相に、ミウリは呆れた。
「運動不足にも程があるわよ。もう少し鍛えたら?」
「ふざけるな…!塀を飛び越えたり地下水道に潜ったり、貴様の通る場所がそもそも無茶苦茶なのだ!」
「なによ、これぐらい普通でしょ?」
「そんな訳であるか!!!」
わがままなお坊ちゃんを一旦無視し、周囲に視線を巡らせる。
ぐるりと大回りをして高級住宅地まで戻ってきたところである。
途中見回りの騎士たちを見かけたが、クロイスのおかげで何とか見つかる前に隠れてやり過ごすことに成功している。
そのクロイスは、今は肩で息をしているお坊ちゃんの足を叩いて励ましていた。
「見張りは……やっぱりいるか」
ミウリの視線の先には、一軒の民家がある。
慌ただしく自警団達が出入りしている。その中には騎士も混じっていた。
明らかに何かがあったと分かる状況。
それらを遠巻きに眺める近隣の住人達も見受けられる。
「なんだ、事件か?」
「殺人よ」
驚くお坊ちゃんに、ミウリは吐き捨てるように言った。
「あたしのおばあちゃんを、あいつらは殺したのよ……!」
犯人の顔は知っている。
あの女二人組。
思えばあいつらも騎士の姿をしていた。
あいつらはあの後、しばらくしてからミウリの家までやってきたのだ。
そうして応対した父の前でこう告げたのだ。
終わりました、と。
対する父の反応は、そうですかという淡白なものだった。
それを聞いていたミウリはえも言われぬ不安に駆られ、こっそり家を抜け出して祖母の家に行ったのだ。
そこで見た光景は、ミウリを凍りつかせるに十分であった。
がらんと寂しくなった居間に残されたのは、祖母の遺骸。
部屋にぬいぐるみは一つもなかった。
「剣が突き立てられてた……あたしが駆けつけた時には、もう……」
後から追いかけてきた父を問い詰めた。
これはどういうこと。
なぜおばあちゃんが。
「父さんは言ったわ。おばあちゃんのことはもう忘れろって。……仕方がなかったんだって」
お前のおばあちゃんは、魔女だったんだ。
それを聞いた時、ミウリは全身の血が沸騰した気がした。
「知ってたわよ……!おばあちゃんが不思議な力を持ってるって、もうずっと前から!
だから何よ!仕方ないって何!?人が死んだのよ!?おばあちゃんが……死んだのよ……!?」
気が付いたら、父が倒れていた。
手近にあった祖母の杖で父の顔面を振り抜いたのだと、遅れて気が付いた。
「あたしは、絶っ対に許さない」
おばあちゃんを奪った騎士を。
おばあちゃんを切り捨てた、あの男を。
お坊ちゃんはしばらくミウリを見つめていたが、視線を人だかりへと移した。
「それで、なぜここへ戻ってきた?弔いのつもりか」
「……シズーが、あたしのところに来たの。きっと逃げてきたのよ。もしかしたら、他の子達もここに戻っているかもしれないの」
ミウリはクロイスをひと撫でして、目を伏せた。
「あの子達はおばあちゃんの形見よ。みんな好き勝手に動くけど、あたしの言うことはちゃんと聞いてくれる」
「なに…?」
「みんないい子よ。でも、きっとおばあちゃんが突然いなくなって怖がっているはず。あたしが、守ってあげないと」
「待て、それはおかしいぞ」
お坊ちゃんが制止の声を上げる。
「お前の、祖母の『魔法』なのだろう。あのヒツジだけでない、その、シズーとかいうフクロウも」
「そうよ。だから何よ。まさかあんたも魔女だから何だとか言うつもり?」
「違う!だが、おかしいではないか。お前の祖母は、その、亡くなったのだろう」
お坊ちゃんは複雑そうな顔をしてクロイスを見下ろす。
「術者がいなくなったのに、なぜこやつはまだ動いているんだ」
クロイスはどうしたとばかりに、可愛らしく首を傾げた。
◇
術者が死んだ後も、『魔法』だけが発現し続けた例はある。
術者の浅ましい執念だけが現世にこびりついて残り、『魔法』として願いを叶え続けようとする。
それはもはや『呪い』だ。
『呪い』は『魔法』より強く強く世界へ作用する。
遺跡の街ブロムカステスにはかつて強大な力を持った魔女がいた。
生きとし生ける者を灰燼に変え、一夜にしてブロムカステスを死の町にした彼女は、後の世に畏怖を込めて白亜の魔女と呼ばれる。
大陸史上、最悪の厄災であった。
「白亜の魔女はその死後も、有り余る『呪い』でブロムカステスに近付く者を灰へと変え続けています」
フラウは現在、ブロムカステスの特別保護区の入口にある警備塔にいる。ミザリーとディンレインは別室で待たせ、一人特別保護区の管理者に会いに来たのだ。
上階、保護区の管理責任者の部屋の窓から見下ろせば、すぐそこにブロムカステスの防護壁を見ることができる。もとは盗賊や獣の侵入を拒むための壁は、今は中に守る者もないまま近付く者全てを拒絶する。
その防護壁のそばには、いくつもの石像が並んでいた。
ほとんどが風に削れて風化し、男か女かも分からない。
ただ厄災から逃れようと身をよじり、恐怖に空へと手を伸ばしていたらしいことはよくわかる。
ブロムカステスへ命懸けで足を踏み入れようとした調査隊の成れの果てか。
もしかしたら金目の物を狙った不届き者も混じっているかも知れない。
白亜の魔女の『呪い』は善悪関係なく、等しく死を振りまく。
天災のように。
「白亜の魔女の『呪い』を解く方法は未だに分かってはいません。それほどまでに白亜の魔女は人間を憎んでいたのでしょう。
記録では、自らの『魔法』で人が徐々に灰と化していく様をそれは楽しそうに眺めていたそうです」
白亜の魔女の伝承は今もなお人々の間に語り継がれている。
『魔法』の存在を知らない子ども達も、白亜の魔女は絵本の登場人物としてよく知っている。
彼女が実在したとは知らないまでも、白亜の魔女の恐ろしさを共通認識として刷り込まれている。
魔女が与えた絶望を、世界は忘れることを許さない。
「騎士を目指す者なら皆知っている話だ。『魔法』とは災害。たった1つの『魔法』が多くの犠牲を払う。ブロムカステスこそ、その象徴だ。
だから我々騎士団は、たった1つの『魔法』も見逃してはならない。多くを守るためのたった1つの犠牲。それで世界が救われるのなら安いものなのだから」
ブロムカステスが滅び、世界が『魔法』の脅威を初めて知ってすぐに、当時はまだ残っていた王国は騎士団を設立した。
魔女殺しの集団。
騎士団は白亜の魔女討伐にその命を捧げた。
王国が瓦解し、白亜の魔女が死んだ後も、騎士団の使命は変わらない。
フラウに魔女を、人を殺すというためらいはない。
『魔法』とは災害だ。
だが、もし火口にネズミを一匹投じれば噴火が収まるとすれば、何を迷う必要がある?
少しでも躊躇すれば、ブロムカステスの二の舞になるかも知れないのだ。
「これを」
保護区の管理者は机の引き出しから書類を取り出し、フラウへと渡した。
「報告書です。私が書きました。もう何年もこの地の『呪い』を観測してきましたから」
保護区の管理者の唇は震えていた。
フラウは彼の報告書に目を落とす。
「これは……」
「お分かりになりますか?『呪い』は未だに成長を続けているのです。灰化の恐れのある危険域は、年々わずかにですが広くなっています。いずれこのまま成長していけば、ハン・デリーも無事では済まない」
お分かりになりますか、ともう一度管理者は言った。
げっそりとやつれたその男は、しかし目だけは強い力を込めてフラウを見つめていた。
「白亜の魔女の脅威は、未だに取り除かれてはいないのです」
保護区の観測結果は、こうだ。
白亜の魔女、生存の可能性あり。
◆
「お待ちなさい、ディンレイン・フォル」
痩せぎすの黒男は両手を挙げてこちらを振り返る。
ロビーの柱の影から、ミザリーが姿を現した。
彼女も騎士の一人。気配を消して対象に近付く訓練は受けている。
「単独行動は慎めと姐様から言われていたはずだわ。どこへ向かうおつもり?」
「……」
「また密命とかいうやつですの?ふん、ずいぶんお上からの信頼のお厚いこと」
ミザリーの目は笑っていない。
ディンレインは彼女が逃がすつもりがないと見て向き直る。
「貴女は分かっていない。今のハン・デリーがどれほど危険か。厳重警戒」
「だからどうしたというの。全ての判断は姐様が下される。わたくしはそれに従うだけですわ」
「……ミザリー殿、過去の最高討伐ランクは。ご教授」
「わたくしの戦力をお測りになるつもり?1級の魔女の討伐作戦に参加したことがあってよ」
「今、ハン・デリーに潜んでいるのは特1級です。討伐困難」
「なっ……!?」
さすがにミザリーは目を剥いた。
騎士団の間では、討伐難度に合わせて魔女の危険度をランクで表す習慣がある。
先日の人形師の魔女は3級。多少のリスクはあるが、正しく対処すれば精鋭数人で討伐可能というもの。数字が低くなればなるほど難度は上がる。
1級は大隊、あるいは中央騎士団の助勢を受けてなんとか対応できるかという難易度だ。実際ミザリーが参加した1級の魔女討伐では犠牲者が少なからず出た。
それを更に上回る特1級。
とても三人で対応できるレベルではない。
討伐困難、そのままの意味であった。
「……人形師は、排除しましたわ」
「人形師とは別件です。先日、ハン・デリーへと入ったばかりとのこと。潜伏済み」
「どういうことなの。なぜこのタイミングでここへ」
「命日が近いからでは、と団長は仰せです。弔問」
「は?」
眉をひそめるミザリーに、ディンレインは肩をすくめた。
「自分は特1級の動向調査を承りました。何か怪しい動きをすれば報告せよと。重大使命。実動が必要であればチャルスオーク大隊長へ指示が入るでしょう」
「だから見逃せと?舐められたものですわね。わたくしも行きます」
ミザリーは楽器ケースを担ぎ直した。
ディンレインは目を瞬かせる。止められはするだろうと思っていたが、同行を申し出られるとは思っていなかった。
「隊長がお許しになられない」
「その姐様からの命令よ。ディンレインの密命が何かは知らないが補佐せよ、とね」
なぜわたくしが、とミザリーは大げさに嘆いた。
第二の魔女の出現。
当然事実関係を調べる必要があるが、情報はフラウより密命を受けたというディンレインの方が持っているだろう。
ならば、フラウが指揮を強行して執るよりもディンレインを泳がせた方が早い、という判断だった。
「特1級の魔女の詳細を教えなさい」
止めても無駄と気付いたのだろう。ディンレインは観念した。
「少し前のことです。三年前。王都ガネルの郊外で魔女同士の抗争がありました」
「抗争、ですの。王立騎士団のお膝元でずいぶん物騒な」
「争っていた魔女の内の1人が今回の標的です。実際。王立騎士団はその者の身柄を一度は拘束しました、が」
「逃げられたのね?」
「特1級という評価はその時に下されたと聞きました。ミケーレ伯は特1級の魔女の排除強行を主張しましたが、評議会で受理されなかった。根拠明白。誰も魔女を殺すすべを持っていなかったからです」
討伐困難。
それは討伐にあたり想定される犠牲者があまりに多い場合に評価されることが多い。
しかし、ディンレインは違うと告げた。
単純に討伐することができなかったのだ。
その魔女は、それほどまでに強い力を持っていたという。
ディンレインは首を振った。
「しかし、毎度思いますが魔女という呼び名はしっくりきませんな。不適切」
「あぁ」
ミザリーは頷いた。
「その点については同意しますわ。性別に関わらず『魔女』だなどと、紛らわしくてたまりません」
そう言うということは、今回の特1級は男なのだろう。
ミザリーはそう当たりをつけた。
「それで、特1級の名は?」
「三年前の記録では別の名になっておりますが、現在はニコル・ロスキーと名乗っているとのこと」
ディンレインは付け加えた。
「強敵。かの未曾有の災害、白亜の魔女と繋がりがあるのではとの疑いがかかっております」
次回の投稿日は未定です。
→更新:次回投稿は6月13日23時です。




