本当の願い
ハイルは立ち上がり、こちらを睨みつける。
「さっきから黙って聞いていれば、なにをうじうじと! 本当は死ぬべきだった? 生き延びる価値などない? ふざけるな!」
思いの外痛かったらしく、叩いた手を押さえて悶絶しながらハイルは怒鳴る。
怒りに燃えた目で彼女を見下ろす。
「貴様の名がローだろうがイェニだろうが、このぼくにとっては知ったことではない! 昔に何があったかも関係ない!
はっきりしているのはただ一つ」
ハイルはすうっと息を吸い込む。
「このぼくは、今日貴様に救われたということだ」
「え……」
「貴様がいなければ、きっとこのぼくはまだ夢の中から出ることもできなかっただろう。
それを勝手に、価値がないなどと言うな。その、なんだ、ほんの一つまみほど貴様に感謝しているこのぼくが、ば、馬鹿みたいだろう!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。
意地っ張りなハイルが言える、精一杯の「ありがとう」らしい。
それを聞いたカイが頷く。
「ん。ハイル君の言う通りだ。
君がいなかったらベティちゃんが悲しむだろ? あの子、君に会いに来るためだけに、あれだけ嫌がってたウェルフの屋敷まで来ちゃったんだから。
君が死ぬべきだったなんて、そんなことはない」
「おれ的には、このままおたくに消えられると今夜の飯がひじょーにまずくなるんだけど」
ニコルはにんまりと意地悪く笑う。
「おれの『魔法』干渉を舐めるなよ? おたくがいくら消えたがってたって、何度でも邪魔してやる。先言っとくけど、おれはしつこいぞ?」
「そんな……」
「ま、おれの友達になっちまったからには覚悟しなよ。勝手に消えるなんて許さない」
ウェルフはいつの間にか回ってきた順番に気づかず、カイに肘でつつかれてああとようやく返事をした。
「グロウディア君。思うに君は、何でも背負い込みすぎだ。すべてを自分の中だけで解決しようとする。君の悪い癖だ」
「すいません…」
「謝辞は要らない」
ぴしゃりと撥ね付ける。
彼女は小さく縮こまった。
「一つ尋ねたい。自分さえ消えてしまえばいいと願っていた君が、なぜ他の人間でなくわざわざ兄であるローの姿を借りたんだ?
今もそう。性別の違いこそあれ、君とローは我々も見間違うほどそっくりなのだ。ただ髪を切って服を着替えれば、それだけで君はローになれた。『魔法』で姿を変える必要など、どこにもない」
「それは……」
口ごもる。
「ローを、死なせたくなかったからです」
「なに?」
「あれから十年、経ったんです。時間とともにローのことを忘れてしまうのが怖くて、それできっと、無意識にローの姿を望んでしまったんだと思います……」
十年前といえば、ローもイェニも七歳かそこら。成長した今の姿を実際に見たわけではない。
自分の姿から、ローの大きくなった姿を想像して自分自身に投影しただけだ。
自分の記憶の中のローは幼いままなのに、自分だけが大人に成長していく。
いつか自分はローを死なせてしまったことさえ忘れて生きていくようになってしまうのではないか。
自分の思いとは裏腹に淡々と流れていく時間が、怖くてたまらなかった。
「ぼくがローの代わりなれるなんて思ってません。ただ、イェニとして生きることに耐えられないんです……。誰かを傷付けることしかできない人間ならいない方がいい……」
「ふむ。実のところ、私としてはどっちだっていいんだ。
はっきり言うぞ。私は、別に君が消えてもかまわないと思っている」
「ウェルフ!」
とがめるカイに、ウェルフは不思議そうな顔をする。
「では聞こう。グロウディア君は、イェニとして生きることが嫌でたまらないと言っているのだ。
彼女の罪悪感はそう拭い去れるものではない。私の催眠術や、ニコル・ロスキーの『魔法』をもってしてもね。
そんな彼女に『魔法』を捨てろということは、そのまま世界を歪めててしまうほどの恐怖と自虐を抱えて一生苦しんで生きろと言うことなのだよ。
それが、彼女のためになるのか?」
「……!」
「もっと単純な解決策を言おうか。この場でグロウディア君が首をくくればいい。それだけで『魔法』は消滅し、彼女の願いも叶うだろう。
それが不幸せなことか? グロウディア君自身がそれを望んでいるのに」
ニコルが立ち上がって、テーブルの向かいのウェルフの胸倉をつかんだ。
「ニコルくん!」
悲鳴。
だがニコルは表情の変えないままの青年を憎々しげに見下ろし、舌打ちする。
「確かに、理屈上じゃおたくの言う通りかもな。だけど言っていーことと悪いことがあんだろ」
「おかしなことを言うね。私からすれば君の言っていることの方がよほど残酷だと思うが?」
「お願いします、やめてください……っ!」
横から聞こえる懇願を無視し、ニコルは腕に力を込める。
「人の感情は、理屈じゃ割り切れねーんだよ」
「……」
「何で分かんねーんだ! 嘘つきはそっちだろ! もっともらしく言葉並べて、優しい振りしてさ!
イェニのホントの望みが何なのか、おたくは全然分かってない!」
「ああ、そうだ」
ニコルの手を払い、ウェルフは低く言った。
深緑の瞳でニコルをまっすぐ見つめ、無表情に肯定する。
「私には、人の心が分からない」
「……っ!」
「だから『魔法』を研究している。『魔法』を知れば人の心が分かるはずだと、そう信じているからだ。
グロウディア君が一体何に苦しんでいるのか、本当に望んでいるのは何なのか、今の私には理解ができようはずもない」
彼女は絶句した。
ウェルフが初めて語った、自身の『魔法』を研究している動機。
それは以前彼女が問いかけ、そしてはぐらかされた疑問の答えそのものだ。
それをウェルフは自分の口で、はっきりと告白した。
「私は人助けなどしたつもりはない。できる訳がないのだ。
人が何をすれば喜び、何をすれば悲しむのか、私には理解ができないのだから。
君の言う通りだ、『魔法遣い』。私は優しい振りはできても人に優しくなれない。君のように、人のために何かをすることなどできはしないのだ」
と、そこで大きく息をつき、ウェルフはソファの背にもたれかかる。
「そう思っていたのだがね」
「え……?」
「そこの彼女は、私をどうやらひどく買いかぶっているようだ。
そうは思わない、と真正面から言われた。
彼女が言うには、どうやら私にも心と呼べるものがあるらしい。そんなことを言われたのは、初めてだったよ」
ウェルフは疲れたように笑みを浮かべた。
「先程の言葉に偽りはない。私はグロウディア君が消えてもかまわないと思っている。
それで、グロウディア君の心が救われるのならば」
そのままニコルに尋ねる。
「その子の本当の望みと言ったな?」
「おう」
ニコルは挑むようにウェルフを見た。
「つまりは『魔法』の成就以外にもまだ、その子に道は残されている、そういうことか?」
「あのなぁ」
がりがりとくせのある金髪を掻き、答えた。
「その賢い頭でよーく考えてみろ。イェニは、おたくにちゃんと自分のことを喋ったんだろ?
勘違いとか嘘の記憶だったとしても、イェニはおたくに、誠意を持って向き合ってたはずだ。
それがどういう意味か、分からないとは言わせねえぞ」
じゃなきゃ性格悪いおたくのことをそんな都合のいい勘違いしねーだろ、呆れたように付け加えた。
「そう、か」
ぽつりとウェルフは言った。
小さく息を吐くのを、確かに見た。
安心、した……?
「カイ」
「あ、うん?」
二人の剣幕に流されて唖然としていたカイが、呼びかけられて我に返る。
「執務室の場所は分かるな」
「ああ」
「私のデスクの引き出しに木箱を入れている。見ればすぐに分かるはずだ。それをここへ」
「木箱……?」
カイは首をひねった。
次回は6日の23時に投稿します。




