嘘の正体
ひとまず落ち着こうという全員一致の意見により、その場は一旦仕切り直しとなった。
雑多とした資料は部屋の隅に押しやられ、机にはウェルフの愛用のティーセットがずらりと五人分並んだ。
それぞれのカップに気付けのブランデーが垂らされる。
茶葉はハイルの断固たる要望によりヴィクティアのフルリーフ。
それが気に入りというよりは、旧ミケーレ伯領にしてハイルの生まれた町ヴィクタ・リクタのものを当然のごとく所望しただけのようだ。
テーブルの真ん中には、厨房係のマルチナが張りきって焼いた熱々のスコーンが皿に盛られている。
ステディとマリアンヌ用に焼いて余ったホシクルミを砕き、生地にまぜたのだという。メープルやジャムを横に添えて、なんとも食欲をそそる出来栄えになっていた。
「うーわー。正直かったるい話だったら寝ようと思ってたけど、こんなうまいもん前にしたら寝るに寝れねーわ」
さっそくスコーンを頬張っているニコルは真面目な空気をぶった切る感想を述べ、ウェルフからは冷ややかな視線を、ハイルからは「だから貴様は劣等生なんだ!」という酷評をいただくことになった。
テーブルを囲んだのは、唯一事態を把握しているウェルフ、『魔法遣い』ニコル、事件の当事者であるハイル、彼の経過を見るため同席するカイ。
そして、テーブルの奥で一人がけのソファに身を縮める、ローそっくりの娘。
全員そろったことを確認し、カイは待ち構えていたように口を開いた。
「失礼だったら申し訳ない。たぶんウェルフ以外の誰もが思ってるはずだから尋ねるんだけど、……君、誰?」
尋ねられた娘はぎゅっと膝の上で手を握り、準備の間中伏せたままだった顔をさらにうつむかせる。
「ごめんなさい……」
「え? いや、ね。別に怒ってる訳じゃ」
「違うんです……やっぱり……この姿じゃ、どうしても……」
言うが早いか、娘の身体がゆらりとぼやけた。
『魔法』だった。
泡を食って腰を浮かしかけるカイとハイルを、ウェルフは目で制した。
変化はすぐに終わった。
輪郭が戻り、再び現れた娘の姿にウェルフ以外の三人は息を飲む。
腰まであった黒髪は短くなり、体つきも娘のそれではなく肩幅が広くなり身長もわずかに伸びた。
表情は精悍さを帯び、うつむいていた顔が上がった時、その場の誰もがそこにいるのが「娘」だとは思えなくなっていた。
「ぐ、グロウディア君……」
ロー・グロウディアの姿になった娘は、居心地悪そうに視線をそらす。
「これが、その子のついた嘘の正体だ」
驚きで口の利けないカイの代わりに、ウェルフが言った。
「その子の本当の名はロー・グロウディアではない。私の屋敷に訪れたのは最初から妹の方なのだ。その子は自分の姿を兄のそれと偽り、振る舞っていたのだよ」
「お、女だったのか!?」
ハイルは彼女の姿をまじまじと眺める。
「ウェルフ、お前いつから……?」
「言ったろう、事情はだいたい聞いていたと。最初から知っていたさ。
もっとも、グロウディア君の方にはまるで自覚などなかっただろうがね。その子は心の底から、自分がローだと思い込んでいたから」
まるでボタンを一つかけちがえたかのような違和感。
何かがずれている。どこかがおかしい。
その違和感をちゃんと突き詰めて考えていれば、もっと早く真実に気が付いていたかもしれない。
普通でなかったのは、やはり自分の方だったのだ。
「ずっと……不思議に思っていました……。どうして両親が、あんなに躍起になってイェニのことを思い出させようとしていたのか……」
自分を兄と思い込み、イェニという名をなかったことにして振る舞う彼女を、両親はどう思っただろう。
こんな遠方に、厳しい生活から旅費を捻出してまで娘をやったことそのものが答えだ。
「ん? でもおかしくね?」
ずびびと紅茶をすすったニコルが、ふと口をはさむ。
「『姿が消える』じゃなかったっけ? こいつの『魔法』って。
今のは明らかに『消える』じゃなくて『姿が変わる』だったぞ? 一人で二つの『魔法』とかあり得ねーじゃん」
「そうでもないのだよ。彼女の場合はね」
ウェルフは持っていたカップをおろした。
「『姿が消える』というのは、正確ではなかったのだ。その子の願いは『イェニ・グロウディアという存在を消したい』だったのだから」
「あー、なる」
ぽん、とニコルは手を打つ。
一人で納得顔をする彼を、ハイルは不機嫌に小突く。
「どういうことだ、説明しろ!」
「だから、さっきちょっと説明しただろ。願いを叶えるミラクルパワーが『魔法』なんだって。
『魔法』は強い願い事に依存する。こいつの『魔法』は『イェニを消す』だったんだよ。イェニっていう存在さえ消えるなら、こいつにとっちゃ透明になろうが男に変わろうがどっちだって良かった。そういうことだろ?」
「ああ。それなら全てに説明がつく。
なぜ『魔法』が発現してしまったのか? なぜイェニのことを思い出せなかったのか? なぜ自分自身をローだと思いこんでしまったのか?
全てはそこに行きつく。グロウディア君、君は自分自身を嫌っている。いや、心底憎んでいると言っても良い。そうでなければ『魔法』が発現するはずもない。
『姿が消える』という現象は、もののついでだ。『お前さえいなければ』という幻影が言ったあの言葉こそが、君の本当の心の声なのだろう」
自分さえいなければ。
鏡を見る度くり返した呪詛。
ローと同じ黒い髪と目。同じ顔立ち。なのに、なぜ自分はローではないのだろう。
どうして、自分の方が生きているのだろう。
「きっかけは、十年前か?」
質問ではなく確認だった。
この人は、本当に全部知っているのだ。知っていて、だから黙っていたのだ。真実から目を背けていた自分が、もう一度向き合える時を待って。
ウェルフの言葉に、力なく頷いた。
「ぼくとローは……双子だったんです……。生まれた時から一緒でした……」
ローとイェニは生まれた時から一緒だった。
しかし性別ばかりではなく、二人はまるで真逆の双子だった。
兄のローは面倒見がよく快活な少年、反対に妹のイェニは内気で兄の影に隠れているような少女であった。
「しっかり者のロー、泣き虫のイェニ」と近所ではよく笑われたものだ。
いつもローは嫌な顔一つせず自分の背中にくっついてくる妹の手を引き、イェニはそんな兄を心から信頼していた。
「ローは何でもできる人でした。友だちもたくさんいたし、夢も持っていた。小さい頃から父の手伝いをして、自分もいつか海に出てみんなの生活を楽にしてあげるんだって……」
「自慢のお兄さんだったんだ」
カイの言葉に、強く首肯する。
「それに引きかえ、ぼくときたら……。不器用で、怖がりで、兄がいなければ不安で仕方がなかった。一人じゃ、何もできなかったんです」
あの日もそうだった。
父が大きな仕事をもらって旅立とうかという時、イェニは父が帰って来なくなるのではないかと急に怖くなった。
父を案じて泣くイェニを、ローは必死に励まそうとしてくれた。
ロトトアに来てから見た夢は、昔本当にあったことだ。
今思えば、あの夢だってヒントだった。イェニの顔が見えなかったのは当然だ。自分の顔など記憶に残っているはずがない。
「長い船出になるから、父にお守りを作ってあげることにしたんです。ぼくが泣かずに済むように、ローがそう言ってくれたんです……。
チェリーフィッシュを捕まえてくれたのも、麻の布を切って袋を作ってくれたのも、ローでした」
ほら、これで大丈夫。
そう言って苦労して作ったお守りをイェニに渡してくれた。これを父に渡せば、絶対に帰って来られるから。そう言って笑いかけてくれた優しい兄。
自分があんな余計なことを言わなければ。
「父は大雑把な性格だから、失くしてしまうんじゃないかって言ったんです。雑貨屋に小さな鈴が売っていたから、それを一緒に入れたらって。兄も賛成してくれました。それで二人で買いに行って。それで……」
封印してきた記憶を辿っていく内、頭に締め付ける痛みが増していく。
吐き気がして口元を押さえた。
カイは水差しの水を注いで彼女に差し出した。飲み干しても口の中はからからに乾いていた。
「ぼくの、せいなんです。あの時、人ごみにもまれてぼくがお守りを落としたから。
ローがそれに気が付いて、お守りを拾いに行ったから……」
あの道は、港から大通りを繋ぐ道で、馬車の往来も頻繁にあったから、気をつけていたつもりだったのだ。
通りに突っ込んでくる暴走馬車。
泡を食って避けようと道の端に殺到する人々。
人ごみに流されて、届かなかった手。
鮮やかな赤。
ローは、逃げ遅れたのだ。
いつしか涙で前が見えなくなっていた。
瞬きするたび頬を雫が落ちる。嗚咽を殺そうとして唇を噛んでも、もう止まらなかった。
話を続けようとしても、言葉が出ない。
「ごめんなさい……」
代わりに出たのは謝罪だった。
誰に対してかも分からない。何についてかも分からない。ただ、謝らずにはいられなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
また手足が消えかけているのに気が付いたが、もうどうでもいい気がした。このまま消えてしまえばいいのに。
自分さえいなければよかったのだ。
そうすればローはお守りを拾いに通りへ戻ることはなかった。鈴を買いに露店へ向かうことはなかった。そもそも、お守りなど作ることはなかった。
自分がいたせいだ。
自分が泣いたから、優しいローは死んだのだ。
「やめてください」
はっきりとした拒絶の声に、ニコルは伸ばしかけた手を止めた。
「もう……嫌なんです……」
ニコルは戸惑うように彼女を見る。
「それが、おたくの答えなのか?」
「イェニ・グロウディア」
ウェルフに名を呼ばれ、兄の姿をした少女が顔を上げる。
彼女は自嘲気味に笑った。
「望みが叶った結果がこれなんですね……皆にさんざん迷惑をかけて……やったことと言えばただの自己満足。とんだ、疫病神です……」
ウェルフは大きくため息をついた。
「あれは事故だった。君の父上もそう言っていた。
私も当時の資料を集めたが、むしろ過失は突っ込んできた馬車の方にある。御者がふかした煙草の灰が馬にかかり、驚いてパニック状態になったそうだ。
君が責任を負う必要など、どこにもない」
彼女は首を振って否定した。
「あの時……本当に死ぬべきだったのは、ぼくの方なのです。生き残るならば、ローであるべきだった。
兄は周りから好かれていて、夢もありました。あんな所で死んでいい人じゃ、なかったんです」
力を込めて目を閉じる。
自分には泣く権利さえないのだというように。
自分は、あまりに多くのものを奪ってしまった。
ローの夢も、命も、家のお金も、周りの笑顔も、家族の幸せも。
自分の存在そのものが罪深い。
だんっ!
遮るように鈍い音がした。
ハイルがテーブルを力任せにぶっ叩いた音だった。
次回は5日の23時に投稿します。




