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魔法殺し  作者: 駄文職人
夢の中の真実
21/35

夢の終わり

「ど、どうしたんだ? 何があった!」


 カイがマリアンヌに怒鳴る。

 パニック寸前のハイルは叫び返した。


『このぼくが知るか! あいつがいきなり駆け出したかと思ったら、また景色がゆらぎ始めたんだ!』

「グロウディア君は!?」

『追いかけられたらそうしている!』


 ローとはぐれてしまったらしい。


「もう、ウェルフ! お前がプレッシャーかけるから!」


 その時、ニコルは食いしばった歯の間から声を絞り出した。


「ごめん……もう限界」

「えぇっ今!?」

「魔法遣い」


 黙していたウェルフが口を割る。


「ステディを回収していい。その代わり、グロウディア君の気配をたどれるか?」

『なっこのぼくを放っておく気か!?』

「安心しろ。その世界の主は君だ。多少そのままでも『魔法』が君に危害を加えることはあるまい。

 外へ出る方法は教えただろう? 自力で出てきたまえ」

『はあっ!?』

「それよりグロウディア君の行き先が気がかりだ。あの子はその世界ではイレギュラーな存在だ。『魔法』があの子を排除しようするかもしれない」

「だ、だけど、ハイル君がグロウディア君を招いたんだろう? いきなり排除なんてするか?」


 うろたえるカイをウェルフは一瞥した。


「一緒に取り込まれているグロウディア君の『魔法』を忘れたか?

 あれは悪意の塊だよ。夢の世界で、『魔法』が具現化しないとも限らない。制御を離れた今は、特にね」




 考えている間などなかった。


 ローはぎゅっと目を閉じ、心の中で念じた。

『魔法』で消えたローの上を化け物のように暴れる馬車が通り過ぎる。


 馬車が横切る瞬間、声が聞こえたような気がした。


 ローっ!


 悲鳴。

懸命に伸ばし、そして届かなかった手。

 無常なほど鮮やかな赤。


 次々に浮かんだイメージの嵐は馬車とともに去った。


「あ……」


 ぺたりと尻餅をつく。

 今のは……。

 夕日に照らされてローの上に影が落ちる。

 びくっとローは震えた。

 痩せぎすの足が目の前をさえぎる。ほつれだらけのズボン、誰かのお下がりと一目で分かるよれよれのシャツ。

 腰まで伸びる長い黒髪が、風にあおられてなびく。


「お前さえ、いなければ」


 自分ほどに成長したあの少女が、怨嗟をこめて見下ろす。

 逆光でその表情は見えないのに、目だけが爛々と見開かれているのが分かる。

 その手に握られたナイフが夕日に当たって輝いた。

 黒の娘はナイフを両手にかかげ、なす術もなく見上げるローに向かって躊躇なく振り下ろす。


「!」


 体重をこめてのしかかってくる腕を、間一髪で受け止めた。

 さらりと黒い髪がローの頬にかかる。

 耳元で娘がささやいた。


「どうしてお前がのうのうと生きてるの……?」


 悪意はゆっくりとローの心臓をつかむ。


「また逃げるの? ううん、まだ逃げるの? 父さんと母さんを苦しめて、まだ足りないの? 本当は死ぬべきは、お前だったのに。そうでしょ?」

「う……」

「お前さえ、いなければよかったのよ。そうすれば誰も……」


 力任せにナイフごと娘を突き飛ばす。

 ナイフが路上を転がっていった。

 何かうるさい音がすると思ったら、自分の呼吸だった。速度を上げて脈打つ心臓の鼓動が、今まで封印してきた記憶を叩いているように思える。

 思い出せ、と。

 ローはお守りを握り直し、自分の足で立ち上がる。


 対峙。


 真正面から娘を見やり、思い知った。


 ああ、そうか。

 これが、自分が目をそらしてきたものか。

 自分が何をも拒絶してきた現実か。


 再び娘が襲い掛かってきた時、もう拒みはしなかった。

 体ごとぶつかられ、また転倒。

 娘の指が首にかかる。


「…っ!」

「お前さえ……」


 生存本能が働き、のしかかる娘を振り払おうと腕が跳ねる。

 それを理性で無理やり押さえこみ、娘の顔をおおう黒髪を、震える手でのけた。

 覆いかぶさる娘の顔を、やっとまともに見た。


「お前さえ、いなければ!」


 浅黒い肌。黒い瞳。

 泣きそうに歪む、ローと同じ顔を。




「信じられない、あいつ……」


 本当に人面花を引き上げやがった。


 こんな意味の分からない所で一人にされてはたまらないと全身全霊で抗議をしたハイルに、ニコルは輝くような茶目っ気をこめて告げた。


『わり!またルマレモンパフェおごっから(ウェルフが)!』


 ふざけるなと思ったが、口にする前にタコ足の人面花は掻き消えてしまった。


「なぜこのぼくがこんな目に……!」


 彼の前にはもう何十個もの扉が並んでいる。

 真鍮のノブのついた扉。両開きの重い扉。教室の横開きの扉。鉄製の牢獄を思わせる扉。引き戸から押し戸までいろんなものをイメージしてみた。

 が、どれも外へ通じることはなかった。


 ひょっとして自分は一生このままなのではないかという不安が脳裏によぎる。

 冗談ではない。


「そもそもロスキーのやつが悪いんだ。『魔法』だと? 馬鹿馬鹿しい! このぼくに断りもなく、あんな秘密を隠していたとはな!」


 考えれば考えるほど腹立たしい。

 あいつはハイルに持っていないものを持ちすぎている。

 友達も、ユーモアも、信頼も、自由も、ハイルがほしかったものを何でも。


「だからなんだ。このぼくが指をくわえて見ているだけと思うな。こんな牢獄、お前の力を借りずとも出てやるさ!」


 生憎、一人で努力するのは慣れているのだ。


 再び意識を集中し、扉を頭に思い描く。

 思いついたのは金のプレートを打ち込んだドアだ。

 今の広い寝室ではなく、生まれて初めて与えられたハイルの勉強用の部屋。中に入ると子どもでも分かる図解の本がたくさん並んでいるはずだった。

 自分の身長に合わせられた勉強机を見て、父の部屋と同じだとプレゼントされた日は一日中使用人たちに自慢して回ったっけ。

 扉を思い出しながら、ハイルは無意識につぶやいた。


「つながれ」


 プレートにはハイルの名前がしっかり刻まれていた。扉は木製だったが全体を緑のペンキで塗られていて、他の扉と比べると浮いていたのだ。

 今でもはっきりと覚えている。

 特別という言葉が輝いて見えた、あの日を。


「つながれ」


 特別でないのなら、存在する価値などないと思っていた。

 自分は選ばれた存在だから、周りのみんなの期待にこたえなければならない。人より頑張って頑張って、誰かに認めてもらえるようにと努めてきた。


 完璧でなければいけない。


 だが、同時に完璧ではない自分も嫌になるくらい自覚していた。

 やがて焦りが生まれ、不安が蝕んだ。逃げ出したいという衝動に駆られてしまうほどに。

 なんで自分はこんなにも未熟なのだ。

 こんなのじゃ、みんなに認めてもらえない。


「つながれ」


 大丈夫、なんて簡単な一言で心が軽くなるなんて思いもしなかった。

 完璧でなくてもそこにいてもいい、と初めて言われた気がした。


 優越感と自己満足にまみれたこの世界で、それでも寄り添ってくれた奴がいた。

 大丈夫だと声をかけてくれた名も知らぬ誰かがいたのだ。

 自分の心を見つけたのだろう、と。

 居場所を見失っていたハイルは、その時やっと自分が地に足をつけているのだと気が付いたのだ。


「つながれ……っ」


 顔を上げると、緑の扉がハイルの前に立ちはだかる。


 もう、大丈夫。

 そっと胸の中に魔法の呪文をしまいこむ。

 現れた扉に向かって怒鳴る。


「ここは、このぼくの世界なんだろう? このぼくが望んだ通りになるのだろう! なら、このぼくの行く手を阻むんじゃない!」


 人面花から聞こえてきた声は、夢があの黒い少年を排除するかもしれないと言っていた。

 自分の作りだした世界が、自分を励ましてくれた人を傷付ける。

 嫌だ。

 そんな世界、このぼくは要らない。


「この……つながれぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 絶叫に呼応するかのように、全ての扉が勢いよく開き光が溢れだす。


 蜃気楼のように揺れていた景色が掻き消える。だが今度は闇に包まれることなく、光でハイルの視界を真っ白に染めた。


 夢が壊れる音は、いつか聞いた教会の鐘の音によく似ていた。




「来た!」


 ニコルが叫ぶのと同時に、部屋に涼やかな音が響いた。


 ちりん、と。


 窓も扉も開いていないリビングに突風が押し寄せた。

 そこここに積まれた本や資料が天井高く舞い上がり、置物や家具ががたがたと暴れ出す。


「な、なんだ!」


 リビングの空間が水面のごとく揺らめき、やがて二人の人影が現れる。


「グロウディア君!」

「おい、やめろ!」


 折り重なるように床に倒れ込んだ二人を見て、ウェルフとニコルが血相を変えた。

 ローは何も聞こえていないようだった。

 それどころか、現実世界に戻って来たことさえ気が付いていないのかもしれない。

 血の気の引いた唇を震わせて、うわごとのように言う。


「お前さえいなければ……」

「!」


 その手は、床に倒れ込んだ長い黒髪の娘の首に食い込んでいた。

 ニコルは足をもつれさせながらローに飛びついた。ウェルフが娘を抱きあげ、二人を引き離す。


「離せ! 全部そいつのせいなんだ!」


 ローはニコルの腕を振り払おうともがく。

 蹴った足が机を倒し、振るった腕が近くの花瓶を叩き割る。


「お、落ち着けって」

「何もかもそいつのせいなんだよ! そいつさえ、そいつさえいなければ!」

「そいつさえいなければ、何だ?」


 ウェルフの問いかけに、暴れていたローはぴたりと動きを止めた。

 静かなダークグリーンの瞳は、黒い少年を冷静に見据える。


「もう、充分だろう。そろそろ彼女を許してやれ。君がどんなに責めたところで、事実は何も変わらないんだ」

「……っ!」

「妹のことを思い出せない? 違う、君はずっと知らないふりをしてきただけだ。イェニ・グロウディアという人間を存在しなかったことにしたかった。そうなのだろう?」


 ウェルフは淡々と告げた。



「消えるべきは君だ、ロー・グロウディア」

「……」



 ローはウェルフを見、そして青年の影に隠れる娘へ目を向ける。

 解放され、ウェルフの腕の中でむせる娘は、怯えた目でローを見ていた。


 大きな黒い目も、浅黒い肌も、顔立ちも、嫌になるくらいローとそっくりだ。違うのは黒髪の長さと、右目の下の泣きぼくろだけ。


 娘を見て、彼は顔をくしゃくしゃにした。

 そのまま顔を覆った少年は、揺らぐ空間にまぎれるようにして掻き消える。


 やがて景色は元に戻り、遅れて風も大人しくなり、今まであったことが嘘のようにリビングに静寂が戻る。

 こち、こち、と壁にかかった柱時計が変わらぬ時を刻んだ。


 遅れて今までぴくりとも動かなかったハイルが跳ね起きる。


「なっ……なっ?」


 何が起きたか分からなかったのだろう。見覚えのない部屋をぽかんと見渡す。

 夢から覚めたのだと、気付くのに時間がかかった。


「ほ、本当に自力で脱出したのか」


 カイが驚きの声を上げる。


「でさ。……結局どうなったの?」


 ずっと張りつめていた緊張感がぷつんと切れた。


 ニコルは大きくため息をついてその場に座り込み、ニコルを一発どついてやろうと息巻いていたハイルはどうやらそれどころではないらしい雰囲気を感じてソファに再び沈む。


 ベティはステディが回収された時点で、身の安全のためと二匹の人面花と共に部屋から出している。

 きっと今頃、庭で無邪気に遊んでいることだろう。


「さて」


 ウェルフは床に落ちた小さな麻のお守り袋を拾い上げた。


 ちりん、と中の鈴が澄んだ音を鳴らす。


 お守りはウェルフの手の中で砂となって消えた。夢の終わりを告げるように。


「そろそろ解答編といこう。……もう、真実には薄々勘付いているのだろう? イェニ・グロウディア君」


 青年の言葉に娘は震えの止まらない身体を抱き、言葉もなく頷いた。


次回は4日の23時に投稿します。

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