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魔法殺し  作者: 駄文職人
夢の中の真実
20/35

どうしてお前が

「こ、こら、暴れんなって!」


 ベティを膝の上に乗せたニコルは、少女が逃げないようにしっかりホールドする。

 その手はベティの頭に乗せられていた。よく見れば、淡い光がほのかにあふれているのが分かる。


 ニコルの『魔法』干渉だ。


 ベティの『魔法』をいじり、ハイルの『魔法』を騙して意図的に同調させている。

 ベティの『魔法』がステディとマリアンヌのセットであることを利用し、片方だけをこちらの世界に残してハイルの夢と一時的に繋げたのだ。

 あくまで繋げただけで、元凶の『魔法』を抑えることはできない。

 しかし『魔法』をうまく制御すれば糸電話の代わりくらいにはなる。


 だがこれも一時的な措置でしかない。

 暴走化しそうになる『魔法』をニコルが絶えずコントロールし、『魔法』同士のバランスを崩さぬよう細やかに調整しなければならないからだ。

 カイは「大したもんだ」と口笛を吹いた。


『あの、ぼくたちこれからどうすれば……』


 困惑気味のローの声が、マリアンヌから聞こえてくる。

 後ろで、いやむしろこの醜い花はなんだ、とか、一体お前は何者だ、とかと抗議しているハイルの声も小さく聞こえたが、ウェルフは無視した。


「なるほど、分かった。君たちは今、『魔法』が作り出した擬似的な世界の中にいる。『魔法』を解くよりまずは、君たちがこちらに帰って来ることが先決だ」

『帰るって、どうやって』

「望みを再現する世界なんだ。君たちがそれを望めば、脱出自体はたやすいはずだ。……ハイル・シュトハーン」

『こっこのぼくを呼び捨てにするな! 何様だ、貴様!』


 つばを飛ばさんばかりにマリアンヌが叫ぶ。いや、実際に叫んでいるのはマリアンヌではなく、向こうのハイルだったが。

 ウェルフはちょっと嫌そうに顔をそむけた。


「文句は後で聞こう。君はどうなんだ? まだ夢の中にいたいと思っているのか?」

『まさか! 早くここから出てこのぼくを愚弄した奴の顔が見たいと思ってるところだ!』

「そう、そこだ。その世界が君の夢で、君の望むままのことが起こるのなら、君がそこを出ようと思った時点で『魔法』から解放されるはずだ。

 しかし現実、君たちはまだそこにいる。それどころか、何のイメージも映していないそうじゃないか」

『な、何が言いたい』

「その世界はすでにハイル・シュトハーンの制御を離れていると考えた方が良いだろう。

 こちらから干渉したからか、それとも術者の心情変化が原因なのかは分からないが、少なくとも今まで安定していた均衡が揺らぎ始めているのは事実だ。二人の無事を確保するためにも、早急にそこから出てもらわねばならん」

『その方法がわからないんじゃないか!』

「目を閉じて、扉をイメージするんだ。どんな形でもかまわん。外へとつながっている扉を一枚、強く思い浮かべてくれ」

『扉だと……?』


 しばしの間隔を置いて、ハイルの驚きの声が上がる。


「出てきたか? では、その扉をくぐってごらん。たとえ失敗しても、何度でも繰り返すんだ。必ず戻ってこられると念じなさい。少しでも疑ってはいけないよ。それから、グロウディア君」

『はい』

「その世界は君の『魔法』をも飲み込んでしまっている。あるいは、君の心や記憶を読んで映し出すかもしれない。

 たとえ何が出てきても、決して怖がってはいけない。いいね?」

『……分かりました』


 ウェルフがソファに身を預け、息をつくと、ニコルの苦々しげな目に気が付く。


「なにか」

「よくもまあ人のこと嘘つき呼ばわりできたよな。おれ、おたくのそういうトコ嫌いだぜ」


 扉を用意させたのは、意識の切り替えのため。

 ウェルフの狙いは、ローの揺さぶりだ。

 夢の世界であえてローに自身の過去へ意識を向けさせ、あえてローの『魔法』を顕在化させようとしている。


『魔法』を解かせるために。


「それはどうも。私も君のことはいけすかないと思っているよ」

「おいおい、こんな状況で喧嘩しないでくれよ。ベティちゃんもいるんだぞ」


 カイが仲介に入り、火花を散らしかけていた互いの視線をそらす。


「それより大丈夫かい、ニコルくん」

「……あんまり大丈夫でもない。『魔法』に飲まれないようにすんのがやっとだよ。おれもあんま余裕ぶっこいてらんないわ」


 先ほどより明らかに顔色が悪くなっているニコル。

 口数が少なくなってきているのも、ステディとマリアンヌを繋ぎとめておくのに神経をすり減らしているからだろう。

 こちらもあまり長くはもたない。


「さて、この揺さぶりで『魔法』がどう出るか……」


 やがて、ローの声がマリアンヌを通して届く。


『あの、扉を通ったんですけど。これは……』




 ハイルが作り出した木彫りの扉をくぐると、浮遊感の後、磯の香りが二人を包み込んだ。

 真っ赤に染まった夕焼けに目がくらむ。

 波の音に耳を澄ますと、かすかにシマカモメの鳴き声がまじって聞こえる。


『何が見える?』

「港だ。こんな所、知らないぞ」


 ぐるりと周囲を見回し、ローは小さく言った。


「ぼくの故郷、です」


 ゴータの海だった。

 遠い昔、妹と手を繋いで歩いた港。父の会社の事務所へ向かう海沿いの道だ。

 このあたりには古い小船が並ぶばかりだが、もう少し先に行くと大型の船が接岸できる停泊所があるはずだった。

 ボーッと船の汽笛が鳴る。大きな蒸気船が出航した合図だろうか。


『グロウディアくん。何度も言うが、これは仮初の世界だ。惑わされるな』

「は、はいっ」


 我に返り、ローはかぶりを振った。

 分かっている。これは夢だ。

 だけど、心のどこかで。

 ずっと何かが叫んでいる。


「おい! これ、見てくれ!」


 気づいたらすでに歩き出していたハイルがこちらを振り向いていた。


「これ、落ちてたんだ」

「!」


 ローは恐る恐る、ハイルが手にした麻の袋を受け取った。

 薄汚れたひもをほどくと、中に入っていたのは


「なんだ? この白い…」

「骨ですね」


 ぎょっとするハイルに、ローは笑いかけた。


「チェリーフィッシュの尾ですよ。ゴータではつがいのチェリーフィッシュを捕まえて、その骨を持つと、安全に航海ができると言われているんです」


 海に暮らす小魚は群れで行動することが多いが、チェリーフィッシュはかならずオスとメス二匹で泳いでいるといわれている。

 だからチェリーフィッシュの骨には人を引き合わせる利益があるとされ、航海の安全や縁結びのお守りとしてよく用いられるのだ。


 必ずもう一度、あの人に会えますようにと。


 ローはそっと指で小さなお守りをなぞる。


「父がちゃんと海で遭難せず家に帰って来られるように、昔作ったんです。

 わざわざ沖まで小船を出してチェリーフィッシュを捕まえて、なくさないように骨を袋に詰めて、それで……」


 それで、どうしたのだったか。

 もちろん、父にお守りを渡したはずだ。そのために作ったのだから。大きな仕事で半年ほどは帰ってこなくなる父を心配して、それで一緒に。


 ……誰と?


 突然、稲妻でも落ちたように頭に激痛が走った。

 こめかみを押さえてうめく。

 頭の中で、もう一人の自分が声の限りに叫ぶ。


 思い出してはいけない。


 ちりん


 聞き逃しそうになるほど小さな鈴の音が耳に届く。

 顔を上げると、いつの間にか前方にベティほどの年頃の小さな少女が立っていた。


 波打つ真っ黒な髪。小さな体には大きすぎるシャツと裾を乱暴にはさみで切ったズボン。

 目の部分がぽっかりと穴の開いたお面だけが真っ白だった。

 きびすを返し、少女が駆け出す。


「待って!」


 気が付いたら叫んでいた。お守りを握り締め、少女を追いかけて走り出す。


 自分はあの少女を知っている。


 ハイルの制止する声も、ウェルフの案ずる声も、ローにはもう聞こえなかった。


 すぐに追いつくと思われたのに、どんなに全力で走っても少女には追いつかなかった。

 迷いなく港を横切り、大きな倉庫が立ち並ぶ工場地帯を抜け、やがて薄汚れたスラムへ入っていく。

 ロトトアの整然とした通りではない。

 土地計画など蹂躙するがごとく、とにかく廃材や家具を詰め込んだ住宅地。人など住めるのかと疑う貧民街こそが、ローの生まれた町だった。

 潮の香りに、ゴミの生臭さを混ぜた風が吹く。


 数日離れただけなのに、普段気にならなかった匂いに胃が逆流しそうになる。

 いや、前からそうだっただろうか。自分は家が息苦しくて仕方がなかった。

 姿が消えるようになったローを、周りの人たちはみんな気味の悪いものを見る目で見てきた。


 ゴータに心安らぐ場所などなかったのだ。


 肺が空気を求めて悲鳴をあげる。それでも、ローは舗装もされていない坂道を立ち止まろうとはしなかった。


 妹がいたなんて知らなかった。そう信じていた。

 そんなローを母は泣くほど心配し、父は躍起になってローに言い聞かせた。思い出せ、思い出せ、と何度も。

 どうして? ぼくはふつうだ。そうでしょ?


 何度も言い合いになって、結局母は泣き出して、父は頭を抱え、何が何だか分からないままローは謝った。


 心配をかけたくなくて、無理に笑って元気なふりをした。家事も父の仕事の手伝いも進んでした。

 だけど明るく振る舞えば振る舞うほど、家族との溝は深まっていく。

 まるでシャツのボタンをかけ違えるみたいに、どんなに歩み寄ろうとしても噛み合うことはない。


 だから、親不孝だと分かっていながらも、ローは両親から離れられてほっとしたのだ。

 ゴータを出て、ようやくまともに息ができるような気がした。問題の先延ばしだと自覚しつつ、それでもウェルフの好意に甘え、ローは自分の心から目を背けてきた。


 もう、それではだめなのだ。

 みんなそうだ。

 ランシス・ハートウッドは思い描いた強さをかなぐり捨て、幸せを手にした。

 ベアトリス・クロムウェルは自ら作った囲いを越えて、友を求めた。

 ニコル・ロスキーは自分の生を賭して、奇跡を願うことを選んだ。

 ハイル・シュトハーンは仮初の理想の中でもがき、今もなお現実に生きる術を探している。


 行きついた答えは違う。

 それでも、みんな自身の心に向き合い、悩み、そして答えを出した。自分だけ背を向けていてはいけない。


 ぼくは、真実が知りたい。

 それがたとえ、どんな結末でも。


 ローは坂道をのぼりきり、足を止める。


「はあっ……はあっ……」


 膝に手をつき、息を整える。


 坂を上りきったところは三又に分かれた道の交差点だった。

 普段なら労働者や物乞いでいっぱいになるのに、今は不気味なくらい静かだ。

 少女はそこにたたずんでいた。

 ローはかすれる声で尋ねた。


「イェニ?」


 少女はかぶったお面に手をかけた。ゆっくり、その顔をあらわにする。


 ローは息を呑んだ。


 お面をはずした少女は、いつの間にか幼い頃のローの姿に変わっていた。


「どうして……」


 ローの言葉に、幼いローが引き継ぐように言い放つ。


「どうしてお前が生きてるの」


 刹那、どんと何かに背中を突き飛ばされた。

 衝撃で手にしていたお守りが路面に転がる。

 とっさに拾い上げようと手を伸ばした時、すさまじいいななきが耳をつんざいた。

 避ける間もない。


 交差点に猛スピードで馬車が突っ込んできたのである。

次回は3日の23時に投稿します

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