理想の世界
ひとつ、ロトトアに来て思ったことがある。
物事は思い描いた通りには進まない。
自分の思い込みに気づかされ、願いを叶えるはずの『魔法』は人を不幸にし、何かを手にすれば何かを失う。
だから、そもそも期待通りになると思わなければ、落胆も絶望もないのかもしれない。
だけどそれができないのも、また人間だ。夢だと知りつつ現実になればいいと、心のどこかで願ってしまう。
真実から目を背け、いつだって人は理想を夢見る。
「だからって、夢の中に逃げ込んじゃうのはどうかと思うんですけど……」
「……」
ローは今、見知らぬ風景の中にいた。
窓から見えるたくさんの三角屋根はロトトアに似ているけれど、薄汚れた古い建物が多いロトトアと違って、真っ白なレンガがまばゆく太陽光を反射する。
タムバートの景色だ、と思った。
鉄道の開通に合わせて、村自体を大幅に整備しなおしたのだと教えてもらった。
しかしはるか遠くまで続いているように見える町並みは、遠くになるほどぼんやりとかすみ、立体感を失って見える。
見上げてみると、太陽があるはずの空は真っ白だ。
まるで書きかけの絵を見ているようだと、ローは思った。
「このぼくのせいだというのか!」
恐らくは、と心の中でひそかに反駁する。声に出しても問題は解決しないのは分かっているので、懸命にも何も言わなかった。
その代わり、ローは遠くの景色から自分たちのいる室内へ目を向ける。
室内は騒がしかった。
広い部屋に椅子と机が同じ方向を向いてずらりと並んでいる。
前方には黒く薄汚れたプレートが壁一面を占めており、白い石灰でローには意味の分からない記号や単語、数字が刻まれている。
これが学校か、とこんな時なのに感心してしまう。
整然とした机の間を、同年代くらいの決まった制服姿の少年少女が入れ替わり立ちかわり移動し、輪を作り、ふざけあっている。
ただその顔はすべて四角い平面の紙で、それぞれに赤い数字が書きなぐられていた。
ほとんどは数字が二つだが、中には一桁の者もいる。
異様な光景が広がっていた。
「一体なんなんだ、この世界は!」
ハイルはオールバックの頭を抱える。
この部屋でまともに顔があるのはハイルとローだけだ。
ローも考える。
ニコルは確かに『魔法』だと言っていた。ということは、この世界はハイルが『魔法』で生み出した世界なのだろう。
「『魔法』は人の望みを叶えます。だから、ここはハイルくんが望んだ世界のはずです」
「ばかな、このぼくが望んだだと!?」
「今のところ、そうとしか考えられません。どうやらぼくは、ハイルくんの夢に迷い込んでしまったようです」
ハイルがどんなに揺さぶっても起きなかったのは、彼の意識がずっと夢の中にあったから。そう考えれば納得できた。
一体どうしてローがハイルの『魔法』に巻き込まれたのかは分からない。
ローはハイルと直接的な接点はない。つい何時間か前にすれ違っただけの関係だ。ここにニコルがいないということは、ニコルはどうにかして難を逃れたのだろう。
だから、なおさらローだけがハイルの夢へ入りこんでしまったという状況が理解できない。
「とりあえず、外でニコルくんがウェルフさんを呼んでくださっているはずです。何かしら動きがあるまでは、下手に動き回らない方が良いのでは」
「こ、このぼくに指図をするな! 君はこのぼくが何者か知らないのか!?」
ローは首をかしげる。
「学年主席様、とうかがっております」
「そうだ。そして、このぼくこそが旧伯爵家ミケーレの嫡子、序列三位のハイル・シュトハーン=アール・ミケーレなるぞ!」
「……すいません。不勉強なもので分からないんですけど、つまり偉いお家の方ということでよろしいですか?」
貧しい港町に暮らしているローは学校に通ったことがない。
絶対将来に役に立つからと父に教えられて、読み書きと簡単なお金の勘定だけはできる程度だ。やんごとなき身分の方々の家名までは分からない。
しかし、そんなローの反応を嫌味と捉えたのだろう。いらいらとハイルは不快指数を増していく。
「とにかくここを出る! 夢になんか付き合ってられるか!」
どかどかと足音荒くハイルが扉に向かう。
すると今まで何の協調性もなく動き回っていた紙の顔の生徒たちが、いっせいにハイルを振り向いた。
「なっなんだ!」
顔を引きつらせるハイルを、あれよあれよと言う間に生徒たちが取り囲む。
「ハイル様」
「よっ学年主席様」
「また学年で一番だったんでしょ?」
「うらやましいなあ」
「やっぱり生まれが違うぜ」
「すごいね」
「すごいね」
口々に賛辞の言葉を送る。のっぺりとした視線に囲まれるのは、なかなかホラーだった。
「は、離さないか! い、一体なんのつもりだ!」
「だから、これはハイルさんが望んだ世界なんですよ」
人の輪から離れた所で、やたら褒めちぎる紙人間たちの声にまぎれないよう声をかける。
「ここではハイルさんが思った通りになるんです。心のどこかでこういう世界を望んでしまってるんですよ」
「そんな馬鹿なことがあるか! こんなテスト面に褒められたいと思ったことはないぞ! 第一、どうして君はそんなに落ち着いていられるんだ!」
「たぶん、ここ数日お化け屋敷で寝起きしているせいかと」
ハイルが動揺し騒げば騒ぐほど、不思議とローは冷静になった。紙人間たちが完全にローのことを眼中に入れていないのも理由のひとつだろう。
この世界では、ローは異物なのだ。だから相手にされることがない。
「とはいえ、ここまで無視されるとちょっと傷付きますね……」
もみくちゃにされていたハイルが、たまりかねて叫んだ。
「いい加減にしろ! このぼくの邪魔をするんじゃない、この紙くずどもが!」
紙人間たちがぴたりと動きを止めた。
「紙くず?」
「紙くず…」
「……」
ばさり、と大量の紙くずがハイルの周りに散った。
「き、消えた……」
ぐらり、と教室全体が揺れる。
もやもやと霞のように揺れた後、景色が変わった。
今度はとてもきれいな玄関ホールになる。螺旋階段に、天井をかざるシャンデリア。ウェルフの屋敷よりずっときらびやかな内装だった。
「ミケーレの本邸だ……ずっと遠くにあるはずなのに」
ハイルが呆然とつぶやく。
やがて正面の大扉が開き、礼服に身を包んだ人々が入ってくる。大理石の床にかつかつと革靴が響いた。
老若男女はさまざまだが、みな紙ではなくちゃんとした頭を持っていた。ローは誰も知らなかったが、どことなく似通った目元や金髪から彼らがハイルの親族だと分かる。
最後にドレス姿の女性が玄関ホールに足を踏み入れた。
「ハイル」
とても優しい声に、ハイルは目を見開いた。
「母上…」
ドレスの女性はとびきりの笑顔を浮かべる。
「ハイル。あなたは優秀な子。あなたこそ伯爵の名を冠するにふさわしいわ」
抱きしめようと両手を広げて近づくのを、ハイルは後ずさりする。
「ああ、どうしてあんなエンテルなどがでしゃばっているのかしら。うちの子のほうが天才よ。
他の凡庸な子どもなんかとは生まれながらに違う。顔も、頭も、品格も、みんなみんな特別。あなたこそ人の上に立つべき人間よ。母上は分かっているの」
どんなに後ずさっても、ハイルと母親との距離は広がらなかった。むしろどんどんと近づいてくる。
「愛しているわ、ハイル。世界中の誰よりも」
とうとう母親の腕に捕まる。
その笑顔は無邪気だった。悪意などない真っ白な笑み。だからこそ不気味に見えた。
周りの親族たちも、母親と同じ笑顔を貼り付けてハイルを見ている。
ひっとハイルは小さく悲鳴を上げた。
◇
馬車を飛ばして丘の上の屋敷へ向かったカイは、到着してリビングに入った瞬間、回れ右をして帰りたくなった。
「だーかーらー。悪かったって言ってるじゃん!」
「悪かっただと? 状況は最悪だ。ただの『魔法』なら収めようがあったものを」
ウェルフは恐ろしく機嫌が悪かった。
先日まで整然としていたはずのリビングは、なぜか大量の資料や本で足の踏み場もないほどあふれかえっている。
その資料を次から次へと猛然と読み飛ばすウェルフと、その脇でひたすら謝り倒すニコル。
「失礼いたします、ノスカー様。少しばかり右へ」
「わっと。ごめんよ、マーシャル」
カイが脇にどくと、腕いっぱいに本を抱えたマーシャルがよたよたと部屋に入る。
「ウェルフ様」
「そこに積んでくれ。……おい、カイ。いつまでそこに突っ立っているつもりだ」
「いきなり呼び出しておいて、それはないでしょ……って言いたい所なんだけど、これってどういう状況なのかな?」
「見ての通りだ。非常事態と言った方が分かりやすいか?」
ウェルフが顔も上げないのが、何より事態の深刻さを示していた。
カイが視線を移すと、ソファの上には学生姿の少年が横たわっている。
ただ眠っているように見えるが、もしそうならウェルフとニコルがこんな顔をしていないだろう。
「ニコルくん、久しぶり。君の友だち?」
「クラスメイト。ハイルっての。友だちっていうか、向こうがおれに突っかかって来るんだよ」
口をとがらすニコル。
床に散らばる書物の原を器用に飛び越え、カイはハイルにかがみこんだ。
「意識はないか。呼吸は正常。脈は……ちょっと早いな。微熱気味、発汗、眼球運動あり。夢を見ているのかな? ニコルくんが運んで来たの?」
「さっきまでジラークさんとこのブドウ畑で〈ドッグラン〉やってたんだよ。こいつはずっと横でお勉強してたみたいで、おれが気付いた時にはもうさ」
「いや、幸運だったよ。普通の医者は彼を見ても熱中症か何かだとしか思わない。
ニコルくんが近くにいなかったら、誰も『魔法』だなんて気付かなかったはずだ」
「うーん、それはそうなんだけど……」
しかしニコルの表情は晴れない。
「あのさ。怒んないでほしいんだけど」
「?」
「ローがね……」
自分がハイルを発見した時、ローも一緒にいたのだ、とニコルは説明した。
ハイルを見た時に違和感を覚え、調べてみた所『魔法』だと気が付きウェルフのところへ連れて行こうとした。
ところが。
「おれ、一度ハイルの『魔法』に干渉しようとしたんだ。でも、なんか上手くいかなかったんだよな。変だなーって思ってたら、ローの様子がおかしくなって。いきなり目の前で消えちまったんだ」
「ええっ!」
「だから、気が付かなかったんだよ! まさかハイルの『魔法』に反応して、ローの『魔法』が暴走するなんてさ!」
もともとローの『魔法』は不安定だった。
何よりロー自身が迷っていた。そんな精神状態の中でニコルやハイルの『魔法』の影響を受けてしまったため、制御を失ってしまったのだ。
むしろ、今まで制御を保てていた方が奇跡なくらいである。
「それで、グロウディア君は!?」
「おれには、ローがハイルの『魔法』に飲まれたように見えた。
たぶんハイルの『魔法』は『夢を見続ける』ことだ。ローの『魔法』が、ハイルの『魔法』に引かれて同化しちまったんだと思う」
「なんてこった……」
ハイルの『魔法』の発現と、ローの『魔法』の暴走。
同じくして起きた二つの現象が、『魔法』同士を結びつけてしまったのだ。
しかも、二つの『魔法』の橋渡しになったのがニコルの『魔法』である。両方の『魔法』に干渉したせいで、意図せず互いを癒着させてしまったのだ。
ニコルは、ぱんっと顔の前で両手を合わせる。
「ほんっとゴメンってば!」
ニコルも予見していなかったのだろう。当たり前だ。『魔法』同士が結びつくなど、ふつうは考えられない。
「複数の『魔法』が同化するなんて、過去に例はないのか? ウェルフ」
「今調べているが、似た現象は何度かあったようだ」
読んでいた本を閉じ、カイに示した。
「同調、と呼ばれている。どの例も結びつき合った『魔法』同士が強力化、もしくは暴走状態に陥ったと報告がある。
グロウディア君の『魔法』が不安定だったのが幸いしたな。ハイル・シュトハーンの『魔法』が上位にたつことで、逆に暴走が抑えられ安定状態になっているようだ」
「それ、もしグロウディア君の『魔法』が強かったら……?」
「反発が起きる。数少ない例の内、一件は術者二人と周囲にいた三十七人が死亡。別の一件では町が一つ消し飛んでいる」
カイの顔が引き攣った。やはり帰ればよかった、と今さら後悔する。
「ニコル・ロスキーの介入も、二人の『魔法』が安定している要因だろう。おかげで互いがこじれることなくきれいに結びついてしまっている。無暗に手が出せん」
「うう……」
さすがのニコルもこれには返す言葉がないようだった。
ハイルの『魔法』がローを飲みこんだがゆえに、現時点では大惨事にならずに済んでいる。
もしそうでなかったら。
想像もしたくない。
「解くことはできないのか?」
「今の安定状態を維持しながら『魔法』を解くのはほぼ不可能だ。せめて二人に意識があればいいのだがな。
ハイル・シュトハーンはこの有様、グロウディア君にいたっては身体ごと『魔法』に持っていかれている」
カイは歯噛みした。
「なあ、ニコルくん。君の力じゃどうにもできないのかい?」
「無理」
きっぱりとニコルは答える。
「おれが手を出したところで暴走は抑えらんねーよ。むしろこっちまで取りこまれちまう。
たとえ『魔法』に入り込めたとしてもさ、変に刺激しちまったらそれこそジ・エンドだろ」
「そうか……」
「つか、ウェルフ。今、変なこと言ったよな?」
ニコルは剣呑な目をウェルフに向けた。
「ほぼ不可能? 一応方法があるわけ?」
「あるにはある。現状を見て真っ先に浮かんだ可能性だ」
「じゃあ、もったいぶるなよ! どうすりゃいいの!」
「グロウディア君が自力で『魔法』を解く」
沈黙した。
ウェルフはそっと指で眼鏡を押し上げる。
「ハイル・シュトハーンの『魔法』まで解く必要はない。自分の『魔法』だけでも解き、こちらに戻って来ることができれば暴走は止まる。リスクも最も少ない」
「いやいやいや! それができなかったから、おたくんトコに来たんだろあいつ!」
「無茶は承知だ。だが、それ以外に良い方法が思いつかん」
望みを捨てる覚悟と、『魔法』に向き合う勇気。それがなければ自力で『魔法』を解くことなどできない。
「できんのか……? あいつに」
「せめてグロウディア君とコンタクトが取れれば、少しは状況が変わるのだがね」
「グロウディア君の願いごとって、結局何なんだい? あの子は知らないって言っていたけれど、ウェルフなら何か知っているんじゃないのか?」
ウェルフは口を閉ざす。
カイはなおも言った。
「始めっから不自然だと思ってたんだよねぇ。何も聞かない? お前ほどの知りたがりが、なんでグロウディア君にだけそんな態度なのかな。
始めは興味がないんだと思ってたけど、どうもそうじゃなさそうだよねぇ」
「……」
「何か、隠してるだろ?」
じっとウェルフの横顔を見つめる。
始めは黙していたウェルフだったが、やがて観念したように両手を上げた。
「分かった。私の負けだ。あの子の父親から、だいたいの事情はもう聞いているんだ。あの子の願いも、見当はついている」
「はあっ!?」
ニコルは素っ頓狂な声を上げた。
「なんで教えてやんねーんだよ! あいつマジで思い詰めてたぞ!」
「私の口から教えても意味がないからだ。あの子が、自分で気が付かなければ」
「だけど!」
「あの子は我々に嘘をついた」
なおも噛みつこうとしていたニコルは、眉をひそめる。
「嘘……?」
「本人には嘘をついている自覚などないのだろう。それが問題なのだよ。
あの子は自分の心に向き合わねばならない。本当のことを知らなければ、過去からも『魔法』からも逃れられまい」
かさり、と近くで音がした。
ウェルフが振り返ると、紙飛行機が落ちている。どこかから飛んできたものらしい。
「おっ。懐かしいじゃん、この折り方」
おれも昔折ってたわ~、と紙飛行機を拾い上げたニコルは、中に書いてあった文章を見て盛大に吹き出した。
「ど、どうしたの?」
何事かと近付いて来るカイに、肩を震わせながらくしゃくしゃの紙を差し出す。
そこにはこう書いてあった。
『あなたに今年いちばんのふこうがおとずれますように』
ぱたぱたとリビングの外で軽い足音がする。
「ベティちゃん……まさか、馬車に隠れてついて来てたの?」
「今年一番の不幸だってよ! 案外バカにできないんじゃねーの? これ」
ニコルはげらげらと腹を抱える。
ウェルフは頭を押さえた。
「……患者の監督は君の責任だろう、カイ」
「たぶん、グロウディア君に会えると思って来たんだろうな……。ちょっとは対人恐怖症、克服できたってことかな?」
「さっき、口のでけー花も一緒について行っちまったぜ。あの花けっこう人懐っこいんだな」
「まさか」
ウェルフはため息をつく。
「あの花にうちがどれほど手を焼かされていると思っている。ステディとマリアンヌはあの少女が作った『魔法』だよ。なついているのは当然だろう」
「ふーん」
何の気もなしに相槌を打ったニコルだったが、数秒思案した後突然声を張り上げた。
「ちょっ! カイ、あの子捕まえてくれ!」
「え?」
「それから、ホシクルミ! おれ、良いこと思いついちゃったかも!」
次回は1日の23時に投稿します。




